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2017年10月26日木曜日

フランス国立図書館(Paris National Library)_ドミニク・ペロー(Dominique Perrault)_1994 ★★★★


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所在地  パリ
設計   ドミニク・ペロー(Dominique Perrault)
竣工   1994
機能   図書館
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霧が立ち込める中、駅から少し北に戻り向かったのは、当時のミッテラン大統領の号令で行われた国際コンペ。レム・コールハースの野心的なヴォイドをテーマにした案で広く知られているコンペであるが、それを勝ち取ったのがフランス出身の建築家ドミニク・ペロー(Dominique Perrault)。1953年生まれであるからコンペ当時はまだ36歳と非常に若い時期に、これほど大きな国際プロジェクトを勝ち取ったことになる。

都市に現れた巨大な透明の本棚が互いに向き合うようにしてスクっと立ち上がり、それ以外なにも存在しないかのような、ミニマルなディテール。4本の塔は全て書庫にあてられ、それ以外の機能は低層部に収められ、そこに光を取り入れるために中心には地下数階まで巨大な中庭が設けられ、4棟のL字の建物に囲まれた中心部に、上部の枝を見せる巨大な木々に覆われた中庭をプラットフォームの上から眺めるその風景は、まるでこの世のものとは思えないほど超現実的な風景と体験である。

学生時代にどうしてもそれを一度見てみたく、はるばる足を運んだのを今でもよく覚えているが、その時以来の訪問。ドミニク・ペローは今年の夏に行っていたパリのモンパルナス・タワーのコンペで対戦相手であったこともあり、最近の作品などもよくチェックしていたが、やはりこのフランス国立図書館は今でも色褪せない傑作建築であるのを十分に再確認して、霧が一層濃く感じられるセーヌ川沿いへと足を向けることにする。


















2016年2月9日火曜日

くにたち郷土文化館 石井和紘 1994 ★★


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所在地  東京都国立市谷保
設計   石井和紘
施工   竹中工務店
竣工   1994
機能   博物館(歴史資料館)
規模   地下1階,地上1階
敷地面積 3,636m2
建築面積 513m2
延床面積 2,181m2
構造   RC造・一部S造
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国立を離れる前に、せっかくだからと立ち寄ることに下のがくにたち郷土文化館。国立の歴史などを展示する資料館である。その設計は石井和紘(いしいかずひろ)で、槇文彦によって「平和な時代の野武士たち」とくくられた、1970年代に活動を始めたアトリエ系の若手建築家たちの一人として語られた建築家である。ちなみに他のメンバーは伊東豊雄、安藤忠雄、毛綱毅曠、長谷川逸子、石山修武などそれぞれ独自の建築設計の理念を追求し、現在も活躍する大建築家達ばかりである。

東京大学からアメリカのイェール大学へと渡り、海外の建築を学びながら同年代の難波和彦とも共同で学生時代から設計活動を始め、初期には岡山の直島で幾つもの公共建築を手がけて、非常にコンセプチュアルな理論を背景にした作品を作り、徐々にその作品を公共建築へと広げていった建築家であるが、大学院生時代に地元ではない場所の公共の建築を手がけることになるというのは、一体どのような縁なのかと気にならずにはいられない。

1970年 直島小学校 (26歳)
1974年 直島幼稚園 (30歳)
1975年 54の窓 (31歳)
1976年 直島中学校体育館・武道館 (32歳)
1979年 直島中学校 (35歳)
1979年 54の屋根 (35歳)
1982年 直島町役場 (38歳)
1983年 直島保育園 (39歳)
1987年 ジャイロルーフ (43歳)
1989年 数奇屋邑(日本建築学会賞受賞) (45歳)
1990年 海岸美術館(千葉県景観賞受賞) (46歳)
1992年 熊本県清和村文楽館 (48歳)
1993年 北九州市立国際村交流センター(北九州市建築文化賞) (49歳)
1994年 くにたち郷土資料館 (50歳)
1994年 清和村立清和物産館 (くまもとアートポリス第1回推進賞) (50歳)
1995年 直島町総合福祉センター (51歳)
2015年 死去(満70歳)

こうしてみると、このくにたちはキャリアの中でもすでに後期に所属し、いくつかの公共建築を手がけて満を持して東京に・・・という流れであったのだと想像する。

その敷地であるが、地域の連続性をぶった切るものとして鉄道線や高速道路など、生活空間からはできるだけ距離をとりたいインフラ施設が上げられるが、この敷地も中央自動車道に近しい場所に位置しており、このような郊外の公共施設としてはありがちな敷地で、住宅街を抜けて奥まったところにポツンと建物が林に囲まれるのようにして見えてくる。

建物自体はその大部分が地下に埋められ、地上に見えるのはガラスのボリュームと、あとは地下へと続く屋外劇場のようになっている広場のみ。資料によると総工費が16億円くらいだったということなので、地下の工事が相当に予算がかけられたのだと見受けられる。

武蔵野のどかな風景に溶け込むように、存在感の薄められたガラスのボックスのみを挿入して地下に主な空間を持ってくるというのはこの敷地を見るとやはり一つの解答なのだと納得する。内部は所狭しと資料を張られ、一体何を見ていいのかと混乱するような地域の歴史資料館で同じの光景が並べられており、いくつかの部屋では地域の人が何かしらの勉強会を行っているようである。

恐らく、この年代に建てられた公共建築はどうしても1991年に弾けたとされるバブル景気の影に向き合うはずであり、恐らくこの計画も立てられたのはバブル景気真っ最中。コンペが行われ、設計が進んでいくうちにバブルが弾け、それでも92年くらいまではなんとか好景気を保ちつつも、徐々に失われた10年へと突入していく日本経済の行く末を感じながらこのプロジェクトが完成していったのだと時代背景を考えると、恐らく計画が立てられた当時と、竣工を迎えた94年、そして20年以上がたった今ではこの国立市でこの施設が持つ意味もまた大きく変化したのだろうと思いながら建物を後にする。













2016年2月8日月曜日

パークハイアット東京(新宿パークタワー) 丹下健三(建物) ジョン・モーフォード(インテリア) 1994 ★★★


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所在地  東京都新宿区西新宿
設計   丹下健三(建物;新宿パークタワー)、ジョン・モーフォード(インテリア)
竣工   1994
機能   商業施設、ホテル
部屋数 178室
規模   地上52階・地下5、パークハイアット東京(39 - 52階)
建築面積 9,511m2
延床面積 264,140m2(新宿パークタワー)、
構造   S造
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あるプロジェクトのクライアントが、東京のこのホテルの内装の雰囲気が気に入っているというので、ならば久々に見に行かなければと足を運んだパークハイアット東京。言わずとしれた西新宿を代表する建築で、戦後を代表する大建築家・丹下健三の設計によるものである。

隣接する東京都庁舎も同様に丹下健三の手によるもので、そちらの竣工が1990年、そしてこのパークハイアット東京がはいる新宿パークタワーが遅れること4年の1994 念に竣工しており、これだけ巨大な建物なので設計期間にも数年単位で時間がかかっていることから、二つの建物が似たデザインをしているのも納得というところであろう。

様々なところで「ロボットみたいで、いつか変身するのでは?」と揶揄されることもある東京都庁舎に対して、こちらは東京ガスの所有する土地に、西新宿の新都心計画を見越して、「国際レベルのホテルを」ということで招致されたハイアットグループのホテル。「都会の隠れ家」というコンセプトを掲げ、客室数を177と限定することで高級感を維持する戦略で、入り口もスロープでアクセスする地上2階部分の簡易なロビーから専用エレベーターで41階に位置するロビーへとアクセスし、そこでチェックインを済ませて、奥まった場所に設置されている客室専用エレベーターによって各フロアにアクセスするように、徹底してプライバシーが守られている設計となっている。その為にすでに20年近い年月が経った今でもその人気は衰え知らずで、ソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)」でも、ここを舞台として、ハリウッドの大物俳優が連泊する姿を描いていた。

低層部に入る建築関係のショールームが集まるOzoneには、たまに展覧会などを見に来るのだが、副都心計画があくまでも当初の予定通りは進まず、現在でもJRの新宿駅が人の流れの中心として君臨しているのは変わらず、そうなると新宿駅からここまで徒歩だと軽く20分近くかかり、かといってホテルが手配している周回バスを待つというのもまた時間のロスがあるしと、結局運動もかねてと歩いて向かう。

基本的に徒歩で来る人の動線はあまり重要視されてないのがこのような高級ホテルというものだろうか、南側から到着すると一体どこがどのレベルなのか、そしてロビーに上がるエレベーターがどこにあるのか、かなり混乱しながらやっとたどり着く。ロビー階には広々とした空間にパノラマに広がる東京の雑多な風景。それぞれのテーブルには、平日のこの時間にこのような高級ホテルのラウンジでお茶をするのがさも当たり前かのような優雅なマダム達。ソファで妻と一緒にケーキセットでも頼んで、せっかくだからと奥のライブラリーなどを見てまわり、少しだけも「ロスト・イン・トランスレーション」の雰囲気を味わうことにする。






ライブラリー

2015年12月6日日曜日

天波楊府(天波杨府,tiān bō yáng fǔ,てんぱようふ) 1994 ★



翰園碑林の東に位置するのは北宋時代の英雄である武人・楊業(杨业,yáng yè,ようぎょう) の屋敷を再現したテーマパークである、天波楊府(天波杨府,tiān bō yáng fǔ,てんぱようふ) へ立ち寄ることに。

武人らしく武器など展示が充実しているが、「もう梅が咲いてる?」と思って近寄ったら凄い色をした造花だったり、掃除のおじさん、おばさんが参観ルートの真ん中で占拠して道を迂回させられたりと、落ち着いて参観できる雰囲気では無いのでそそくさと出て、そろそろ開館しているはずの清明上河園へと足を向けることにする。