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2017年11月22日水曜日

「パンダ通」 黒柳徹子 岩合光昭 2007 ★


シャンシャンの誕生と成長過程に日本中がメロメロにされた2017年。かの国のパンダ外交に翻弄されていると分かりつつも、間違いなくこの世界に存在する生物の中で、最も愛くるしいのはパンダだと再確認させられるその絶妙なボディーバランス。体長を測ろうと鼻にメジャーを当てられてる姿などは、恐らく何時間でも観ていられること間違いなし。

そのソワソワ感をどうにかしようと、本棚の奥にあったパンダ第一人者の徹子さんの本へ手を伸ばす。パンダの映像を観ているときに感じるなんともいえぬ幸福感。この人はずっとこの幸福感に浸りながら時間を過ごしているのだろうなと感じるばかりの内容であるが、来年こそは念願の四川のパンダ園でコロコロした赤ちゃんパンダを実際に観ようと心に決めることになる。



2015年10月12日月曜日

「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」 香山リカ 2014 ★

一時期の盛り上がりはなりを潜め、Facebookに定期的にアクセスしている人は仕事で使っている人か、それとも食べた物や子供の写真などをアップしリア充アピールに余念が無い人たちばかり。

SNSの枝分かれはまるで生物の進化の過程を見るかのように分化を早め、Twitter、Instagram,Facebook,Google+にLineとメジャーどころの面子がほぼ決まりつつあり、Twitterで呟いて、Facebookで「いいね」を押して、そしてInstagramに画像を上げる。なんてことをしている人はよっぽどのスーパーマンか暇人かというところであろう。

このタイトルが多くの人の目を惹きつけるのは、世にあふれるこれらのSNSは自分が望まなくてもどうしても自分の日常に他の人の様子が目に入ってきてしまう。目の前で実在として存在する人間として発せられるのではなく、パソコンのモニターを前に、他の人がどう思うか十分に考えを巡らせた末に自らのイメージのプロモーションとしてアップされる様々な言葉や画像たち。

「他者」の様に、自分は皆よりも賢いんだと覚めた考察を語ってみたり、毎日いろんなところへ出かけては様々な人に囲まれる幸せな日常を語ったりと、それが視界に入るこちらとしては、「身の回りで承認欲求が満たされるなら、わざわざそれをこうしたパブリックな場に向けて発しなくてもいいのに・・・」と誰もが思ってしまう。その気持ち悪さに完全に覆われた現代の社会。

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「つながり」のメディアが生まれれば生まれるほど、他者の気持ちをいっさい慮らず、「私がこういったり行動したりしたら、他の人たちはどう思うか」という想像ができない人たちが増えている

SNS上にはいつも無数の意見、批判、見解などが渦巻いているので、探そうと思えば必ず自分の考えに近いもの、あるいは自分から見て言語道断だと思うものが見つかる。
サイバーカスケード

人間には本質的に多重な感情や欲望があると主張する。地理的・身体的・社会的制約により抑制されていた多重化への欲望が、コンピュータやネットの出現でその分陰を解かれた。ネット上の多重人格者たちは、テクノロジーの力を借りてその欲望を実現した人たちと言うことだ。

「私のことが問題。他の人がどうなろうと、知ったことではない」というウルトラ個人主義

大学生の4割が一日の読書時間ゼロ、平均27分 本は全く読まずに、スマホを一日5,6時間いじっている

「感動した」「いいね!」が感染症の様に広がる社会。文章はどんどん圧縮されて短くなり、さらには言葉ではなく、スタンプや画像でやり取りをする。果たしてSNSでつながることで、コミュニケーションが深まっていると言えるのか?それとも私たちは何かをなくしつつあるのか?
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人は現在の自分を肯定しなければ生きていけない。自らを否定し絶望の中で生きることは相当に辛い作業である。その為にどうにかして、「自分は幸せである」と思い込ませる必要があり、その為には自分の中である基準を設けて幸せを感じる絶対的なものと、それとは別に周囲の人や他人と比べることによって相対的に自分が幸せだと判断すること。

後者にとっては楽しげな写真をアップし、周囲から「いつも充実してていいね」、「毎日楽しそうだね」と言われ、思われることが何よりも自らの幸せを実感させてくれる承認作業となる。

そして薬やお酒と同じように、一度得た承認欲求はより強いものへ、より多くのものへと増加するのみ。「もっと褒めてほしい」、「もっと認めてほしい」と。

人が誰でもその心のうちに秘めていた様々な欲望。それらがネットという世界の出現により、様々なうちに背中を押され、加速され、増殖されていった。100年後くらいには「ネットが出現し、社会インフラとなった30年で、それ以前には見られなかった犯罪や社会現象が何だったのか」ような分析が、しっかりと統計立ててされるのだろうと想像できるくらい、恐らく今までとは全く違った質の欲望が身体の外、社会の中に渦巻きだしているのだろうと思わずにいられない。

そんな時代に自分を見失わずに生きるには、欲望としっかり向き合い、退屈とうまく付き合って日常を生きるしかほかにない。

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■目次
序章 ソーシャルメディアへの違和感
・不思議な「新型うつ」
・「本音を隠さなくなった人たち」のうつ病?
・「つながり」がはらむカン違い
・不自由なツイッター
・東日本大震災とSNS

1章 「SNS疲れ」という新たなストレス
・「スケスケ下着」に「分娩台」なう」
・SNSでぜんそくの発作が! ?
・心のエネルギーの大量消費
・24時間自分をさらけ出し続ける、『トゥルーマン・ショー』の世界
・「出会い系」のサクラは男!
・会えないほど、純愛度数が高まる法則
・出会い系の驚愕のシステム
・増加する「ネタ消費」
・木嶋佳苗に見る「ウソ」と「盛る」の境目

2章 ネットで人はなぜ傷つけあうのか
(1)非抑制性と匿名性という“魔法"
・広島LINE殺人事件
・「社会的手がかり」の伝わりにくさ
・なぜ「ネット世論」は極端に走るのか
・サイバーカスケードでよく起こる二者択一
(2)自分で自分をだます人たち――ネット多重人格の出現とひとり歩き
・「女装の精神科医」の顛末
・大阪の「子ども放置」事件
・ネットのなかの「こうであってほしいもうひとつの現実」
・ブログに書いた内容に、自分でも心あたりがない
・ネットで「悪意」が解放される理由

3章 ネトウヨが生まれる理由
・「ネットde真実」の女性たち
・何をもって「真実」を判断するのか?
・『アンネの日記』破損事件についてのネトウヨの反応
・「陰謀論」の生成プロセス
・陰謀論に陥った家族を救う方法
・「大きな物語」が終わったがゆえの「自分さがし」
・グローバル化と「新型うつ」の関係
・東日本大震災が復活させた「大きな物語」
・安倍総理の頭のなか

4章 SNSとプチ正義感
・「ゆがんだ平等主義」と「いびつな正義感」
・わかりやすく、攻撃しやすいものに向けられる怒り
・正当な抗議とクレーマーの境目
・「過剰な道徳」をめぐるふたつの問題
・他人に対してだけ道徳的な人たち
・ネット空間を逃げ出した「リベラル知識人」たち
・浅田彰氏のSNS論
・ニューアカの旗手たちに「見捨てられる」不安
・ネトウヨ暴走の責任は誰にあるか

5章 ネット・スマホ依存という病
・「ネット依存」が引き起こす事件
・治療が必要な「ネット依存」の基準
・依存を狙う、「餌付け」ビジネスモデル
・依存症治療に効果がある「動機づけ面接」

6章 SNSは日本人をどう変えるか?
・「自分らしさ」の虚しい内実
・「実は自由ではないのに自由に見せる」ことほど疲れる
・JR九州・新幹線CMのどこが「日本的」なのか?
・「感動した」の広がり方は、まるで感染症
・「いいね! 」によって、何が失われていくのか
・文章だけでなく、思考もスカスカになっていく
・「文字なしの画像」の世界
・画像は文字のおかわりになるのか?
・バイトテロ問題――悪事5分拡散の法則
・ネタ作りのために“放火"する
・「画像で自分を伝える」ことの危うさ
・主流になりつつある「一か八か型コミュニケーション」

終章 SNSがつくる「1・2の関係」の世界
・「携帯電話がなかった時代」は文化人類学の研究対象! ?
・小此木氏が予見した「1・5」の関係
・電話してくるのは困った人
・限りなく自分だけの「1・2」の関係へ
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2015年10月5日月曜日

「使える読書」 齋藤孝 2006 ★★

ネットと携帯の普及により、身の回りでも本を読む人とそうでない人の差がかなり極端に出始めて久しい。

「しっかりしているな」と思っていた人でも、「一年に本当に数冊」というぐらいしか読んでない人もいるように見受けられる。

「ネットで活字には触れているから、総量としては変わっていない」とか「知識を得る窓口が変わっただけだ」などと言う人もいるが、それでも今後は読書が日常の一部として、身体の一行為として身についている人と、そうでない人の差があらゆるところで出てくるのだろうと想像する。

大人になればなるほど、自分に許される自由な時間というのは限られてきて、その貴重な時間を共に過ごす相手というものやはりそれなりに慎重に選ぶことになる。そんな時間を過ごす相手とは、ぜひとも歳相応の対話を楽しみたいもので、そのためにはやはりその人の読書量がモノをいってくるだろう。

本を読み終え、「この本を読んだ」という行為だけを積み重ねていく人よりも、やはりその本から何か人生にとって、自分の日常にとって意味を抽出し、自分なりにそれを消化し、そして身体と知識の一部として吸収していくそんな人との対話の方が、より受け取る刺激も大きいのは重ねてきた時間の中で皆学んでくるものである。

そんな一つのモデルケースである著者が、自らがどんな本から何を吸収してきたかを包み隠さずさらけ出す一冊。

本書の中で語られる著者の読書に対する姿勢には、ほとほと頭が下がるばかり。
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それをなにかに応用できる形で自分に刻んでおく
日常生活の他の事象と連結することが、読書の大きな喜び
それを読んで「書く」ためにある、「話す」ためにある
一度、他の人(本の著者)の脳の動きに自分を寄り添わせる。寄り添わせてもらって、加速する
読む前と読んだ後であなたが変わったことは?
読書にもフォーマットが必要
世界や人生を知る手立てとして、読書ほど適しているものは無い
精度の高い「要約力」と「コメント力」が磨かれる
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この歳になっても読めない漢字に出くわして、それを調べて少しでも知識量を増やすのもまた読書の与えてくれることだと思いながら、「橡殻(とちがら)」や「鈍麻(どんま)」の読みを調べながら、挙げられた51冊の中で一体何冊読んだことがあるのだろうかと、情けなくなりながら次回ブックオフで見つけるタイトルが増えたことを少々喜ぶことにする。

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3 ブロー 黒衣の下の欲望
意思決定は苦痛だ。レストランに入ってオーダーを決めるのだってストレスだ。仕事とは高度な意思決定の連続だ。従うだけで良いという場を生活のどこかに持つことでバランスをとる。

9 山折哲雄 涙と日本人
そもそも人間の想像力の根っこは悲しみであると考えている
悲しみは、他者を理解して始めて生まれる感情だからである

12 畑村洋太郎 『直観でわかる数学』
微分というのは、「部分を見れば、全体が分かる」

13 夏木マリ カッコいい女!
インテリジェンスは身体への気づきと共にある。体に気づいていることがインテリジェンス。

16 山田昌弘 『希望格差社会』
日本社会は、将来に希望が持てる人と将来に絶望している人に分裂していくプロセスに入っているのではないか

20 西原理恵子 上京ものがたり
上京力。これがかつての日本を支えた。東京で生まれ育った人間が増えすぎちゃったのが問題。
いつまで都会にいられるか分からないから時間も大切。徹底的に勉強する。
勝負する緊張感が都会の活力
おかしなことに、実家に帰ると一冊も本が読めなくなる

21 我妻ひでお 失踪日記
失踪した先でなにをやるかというと、まずは見るはずの無かった景色が広がっているのを見る。会うはずの無かった人に会う。話すはずの無かった会話

22 藤原正彦/小川洋子 世にも美しい数学入門
知的と上機嫌の融合が軌跡のようなきらめきを見せている
「うまい言葉を発見しましたですな。僕は今日からストーカーになりました」

29 羽生善治 『決断力』
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
空也上人の和歌で「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」

命を捨てる覚悟ができれば急流でも身体が浮かぶものだという意味で、一身を犠牲にする覚悟があって初めて、活路を見出し、ものごとを成し遂げることが出来る。 

32 テグジュペリ 倉橋由美子訳 新訳 星の王子さま
「あんたのバラがあんたにとって大切なものになるのは、そのバラのためにあんたがかけた時間のためだ」

36 岡田尊司 脳内汚染
でも退屈を過ごすことができない人は自主的に自分を支えることができなくなるんです。
「新たな刺激を際限なく求め続けることは、長期的にみれば、心をどんどん鈍麻させ、幸せを感じさえにくい心をつくりだしてしまう」
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2013年10月9日水曜日

「地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会」 阿部真大 2013 ★



そのタイトルを見た時に少なからず心の中で期待した内容。

南北に長い日本列島。その様々な場所で、その場の地形、気候にあった建築が作られて、長い年月の中でその場の環境に適応した美しい街並みが形成されてきた。

なのに・・・

大店舗法。小泉改革。21世にになってアメリカ型の格差を承認した日本においては、地方から地元のコミュニティを支えてきた商店街が消え、モータリゼーションで距離が生活圏を制約しなくなったことで、今までその土地の歴史に登場してこなかった場所に突然現れた巨大なイオンモール。そこでは東京となんら変わらないサービスを受けられ、中規模都市まで出て行かなくても同じブランドが手に取れ、生活費の安い環境の中でそこそこの生活を確保できる。

生きがいを求め、やりたい事に挑戦する為に、より大きな世界に飛び込み、ステップアップを目指すために中心へと向かい、そこでしか得られない刺激の中で自らを鍛えていく。その向かう先は、地域の中核都市であり、東京や大阪の国家的都市であり、更には海を越えた海外かもしれない。そういう厳しい競争の中に身をおいて、常に新しい人材が出てくる中で自らの立ち位置を確保する、終わる事のない緊張感を持続する生活。

そういう生き方がしんどくて、そこまでしなくても「そこそこ幸せ」だからいいやと、ひたすらに大きな消費社会が与えてくる心地よい消費の習慣にすっかり精神が慣らされてしまい、その快適さから再度行動を起こすことはとても難しい。

消費主義経済は一切の無駄を排除していく性質を持っているので、金になる為に不必要なものはさっさと切り捨てられていく。それが非効率を代表するその土地の歴史の風景。そんなものはあっという間に飲み込まれ、幹線道路サイドは全てファスト風土で埋め尽くされ、土日になればイオンモールで一日過ごす日常。

そう、そこまでは誰でも思っている事である。

若い著者だけにそこから先を、それが決してネガティブな事象ではなく、新しい日本のコミュニティ、ライフスタイルの在り方で、その中から大都市を経由しなく直接的に世界に繋がり方など新しい現象がうまれている。などと甘いことではなく、もっとバッサリと痛快に切ってしまって欲しかった・・・


なんでも「快適さ」が最上の価値になってしまい、土地の歴史や、そこからくる自然との関わり方。土地ならではのコミュニティのあり方。地域に根ざした文化的活動。そういうものを理解しようとも、認識しようともしない若者が出現し、かつてならそれは教養主義に支えられ「恥ずかしいこと」であったにも関わらず、今では「恥ずかしい」とも思わなく、「便利でいいじゃん」と言ってしまうことの方が多数を占める社会になってしまった。

「自分にとって快適なもの」だけを選んで生きることが出来なかった時代には、それが人とのコミュニケーション能力を高め、社会の中でどう自分の居場所を見つけていくかの修行ともなっていたのだろうが、核家族化し希薄化するコミュニティの中で、自らに関わる人間の数が極端に少なくなった時代に生きた若者は、大人になるということを教えられることなく、社会に対して責任を持つことなく、ただただ個の充足を刹那的に求め生きる。

教養を希求せず、社会を憂わず、職業的向上を求めず生きる彼らが望むのは、明日も今日と変わらず自分にとってそこそこ快適な一日。

自分だけに向けられた視線で埋められた社会は、徐々に冷たく、しがなくなっていく。そんな若者に、「昔ながらの美しい街並みが消えて、イオンモールだけという文化的に荒涼とした風景に日本がなってしまっている。これは大変まずいことなんだ」と言っても、自分だって地元に帰ればやはりイオンに買い物に行っているという事実。

だからそれは一度棚に上げておいて、それでもやはり文化レベルの低い若者が社会の主体を担うようになってきた現代の日本においては、少ない幸運な地方都市以外は全て同じ風景に塗り替えられ、それをおかしいとも思わずに共有していくだろうが、やはりそれは文化的に考えよろしくない事象であるので、なんとかしていきたいものである。

というように、バサッッ!と切って捨てるような内容を期待してしまっていただけに、なんとも暖簾に腕押し的な内容で残念であるが、やはりいろんなしがらみなどを考えたら、そんな過激な出版を出して学者としての将来を捨てる必要もないのかと想像する。

まぁ地元ブームの2013.

地元に帰ろう。
地元で会おう。

といって自分の居場所が有り、その土地の素晴らしさを感じられる仲間がいて、何だかんだありながらもそこで歳を取っていける。そんな地元がある場所はいい。そうではない90%以上の場所で、如何にもはや地方のインフラまでなりあがったイオンモールを取り込みながら新しい地方の風景を作っていくのか?

誰もいいとは思ってないが、それが避けられない以上、それをのみ込みつつも明るく、美しい未来の都市をどうつくっていくのか?

それがこの時代に生きる建築家に課せられた大きな大きな課題である。

ダメを出すだけでもなく、逆に肯定しちゃえという立場でもなく、どうにかこの縮小する社会の中で新しい幸せな地元の姿を描けるのか?

それをどんだけ真剣に考えて、どんだけ真剣に描いても、決して自らの仕事に還元されることはないのであろうが、それでも職業的義侠心をもって虚しさを克服し、何かしらのビジョンを持って世に語る。それが必要な時代なのだと思わずにいられない。

まずは日々の行動原理のを「快適かどうか?」でない、自分なりの価値観をもって日々を生きる事から始めるかと再確認する。

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目次
★現在篇★ 地方にこもる若者たち
・第1章 若者と余暇──「ほどほどパラダイス」としてのショッピングモール
/この章で用いるデータ
/イオンモールの占める存在感
/イオンモールに向かう若者たち
/ユニクロとしまむら
/イオンモールまでのドライブ
/倉敷市近郊のモータライゼーション
/プラスアルファの大都市
/「ほどほどパラダイス」としてのイオンモール
/魅力を増す地方都市

・第2章 若者と人間関係──希薄化する地域社会の人間関係
/地元の人間関係
/家族、友人、地域の人間関係
/モータライゼーションと人間関係
/商店街の消失がもたらした地元の風景
/地域社会における人間関係
/新しい「開かれ方」の可能性

・第3章 若者と仕事──単身プア/世帯ミドルの若者たち
/低い仕事の満足度
/仕事電での自己実現(メンタル面での下支え)
/パラサイトする若者たち(経済面での下支え)
/やりがいとパラサイトの向かう先
/現状打破を試みる若者たち

現在篇のまとめ
/コラム1 ノスタルジーとしてのショッピングモール
/コラム2 荒廃する郊外

★歴史篇★ Jポップを通して見る若者の変容
・第4章 地元が若者に愛されるまで
・1.80年代 反発の時代 BOOWY
/Dear Algernon
/社会への反発
/自分らしさ
/母性による承認
/80年代の地元

・2.90年代 努力の時代 B'z
/母性による承認と決別
/自分らしさの転換
/努力の称揚
/「敵」の消失
/管理教育の見直し
/地域社会の衰退
/労働の脱男性か
/90年代の地元

・3.90年代 関係性の時代 Mr. Children
/自分らしさの再定義
/反発や努力からの脱却
/二者関係への包摂

・4.地元の時代 キック・ザ・カン・クルー
/日本におけるヒップホップ
/レペゼンと地元
/郊外の地元、最高!
/地元と仲間

/コラム3 ポスト3・11の郊外論
/コラム4 空白に育つ「新しい公共」

★未来篇★ 地元を開く新しい公共性
・第5章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
/エモの表現
/未完成交響曲
/完全感覚dreamer
/アンサイズニア
/夜にしか咲かない満月
/おしゃかしゃま
/若者はおとなしくなったのか?
/小括

・第6章 新しい公共性のゆくえ
・1.二極化する若者たち
/変化するバイト先の風景
/KYという言葉
/多様性への対応

・2.ギャル的マネジメントに学ぶ
/現代のギャル
/ギャル=ヤンキー?
/ヤンキー的マネジメントとギャル的マネジメント
/物足りなさを引き出す「聞く力」

・3.我々は変われているか?

/未来篇まとめ
コラム5 「ジャイアント・キリング」にみる新時代のマネジメント

・地方都市はほどほどパラダイス
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