ラベル バロック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル バロック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月5日木曜日

聖ヤコプ大聖堂(Cathedral of St. James, Dom zu St. Jakob) 1724 ★


旧市街の中心広場から脇に抜けさらにイン川に向かって進んでいくと、狭い道の上の切れ間になにやら背の高い建物が見えてくる。徐々に近づくとそれが双子の塔だというのが見えてくる。

1717~1724年にヨハン・ゲオルク・フィッシャーとヤコブ・ヘルコマーによって改築されたといわれるこの街の象徴的な教会の一つである聖ヤコプ大聖堂(Cathedral of St. James, Dom zu St. Jakob) 。

ローマ・カトリックにおけるオーストリアチロル地方の総本山の役割を担っている大変貴重な教会である。そして内部は大変装飾性の豊かなバロック建築で作られている。ちなみにヨーロッパにおける建築の様式の歴史を振り返ると下記の様になる。

ロマネスク様式 > ゴシック様式 > ルネサンス様式 > バロック様式 > ロココ様式

ロマネスク建築(10世紀後半〜13世紀)
ゴシック建築(12世紀中頃〜15世紀末)
ルネサンス建築(15〜17世紀)
バロック建築(16世紀末〜18世紀前半)
ロココ建築(18世紀頃)

こうして時間軸に沿わせてみると、おぼろげながら1724年という時代とバロックのキーワードが少しだけ実感を持って認識できる気になって次へと向かうことにする。





2015年3月4日水曜日

ニンフェンブルク城 (Nymphenburg Palace,Schloss Nymphenburg) アゴスティーノ・バレッリ 1664 ★★


少し休み暇も無く、約束の時間になり午後の観光をスタートさせる。車を手配してくれていたので、まず向かった先はバイエルン国王の夏の別荘として建設されたこのニンフェンブルク城。

イタリア人建築家のアゴスティーノ・バレッリが1664年に設計し、その後歴代の国王により何度も拡張がされて、現在は全幅が700メートル以上といわれる巨大なバロック様式の宮殿となっている。なんとこの宮殿、現在でも個人の所有物となっているという。

散歩やランニングを楽しむ市民の姿が見える中、中央の池の中ではのんびりと鴨やかなり大きな白鳥がのんびりと翼を広げているなんとものどかな風景が広がる。その庭園は計20haという強大なもので、もともとはイタリア式の庭園から始まり、その後フランス人造園技師によりベルサイユ宮殿の庭園を手本に設計されて現在の姿となっているという。

なんとも驚くのはその軸線の強さ。まっすぐ東西に伸びるその軸線の真ん中には運河が設けられ、静止画のような風景の中に水の流れを作っている。その先には植物園もあるといい、都市の中に見事にはめ込まれたこの軸線。

「冬の期間中、木製の覆いで囲われた彫像がもうすぐ外される」というガイドの話を聞きながら、「これも日本のような社会ではみられない成熟社会のなせる風景なのか」と思いながら車へと戻ることにする。















テアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche) 1675 ★★


旧市街地の北にぽっかりと広がるのがオデオン広場(Odeonsplatz)。ここから北に伸びる道が象徴的にまっすぐに伸びていくミュンヘンの玄関口である。

西側に立っていた現在は行政施設として利用されているオデオン劇場に由来する広場の名前であるが、この周辺にはミュンヘンにとって重要な意味を持つ歴史的建築物が立ちならぶ。

まずは東には旧バイエルン王宮であるレジデンツ(王宮,Munich Residenz,Münchner Residenz)。そして北からこの広場にアクセスしてくるとその視線を真正面で受け止めることになるフェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)と呼ばれるロッジア。

ロッジアと言っても日本に住んでいれば馴染みがないが、ヨーロッパの都市でよく見られる建物の一面が柱にて外部に開放されており、その下が日陰空間として都市に開放されている建物で、都市の中心部において舞台の様に機能することが多い。そして西側には前述の旧オデオン劇場とそれに隣接するテアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche) 。

フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)はミュンヘンのシンボル的な場所でもあり、「バイエルンの軍隊を勝利に導いた将軍達を記念して」という意味で建造されたと言う。しかしこの建物はヒトラー率いるナチスにとっても重要な意味づけがなされた場所でもあり、政権掌握以前にこの場でデモを行った際に、この場で警察とデモ参加者との間で争いが起こり、その時の死者を「殉教者」としてシンボル化する意味で、この建物前を通るときにはナチス式の敬礼を行うなど、ナチスはこの場所に重要な意味づけをしていったという。

そしてテアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche) 。1663-75年にかけて建設されたバロック中期のバジリカ教会。外部は黄色の石を使っているが内部に入ると真っ白に漂白されたような空間に、細かく作りこまれた装飾が微妙な陰影を作って立体感のある空間を作り出している。ドイツにおける最高のバロック建築とも呼ばれているという。

ここまで徐々に時代に沿うようにして建設された時期のことなり、またその様式の異なる教会を見てきて、この街がどのように歴史の中で教会建築に向き合ってきたか、そしてそれを街の中に取り込んできたかを少しだけ感じながら次へと足を向けることにする。

オデオン広場(Odeonsplatz)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
テアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche)
テアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche)
オデオン広場(Odeonsplatz)
フェルトヘルンハレ(Feldherrnhalle)

2014年6月4日水曜日

カ・ペーザロ(Ca' Pesaro) 国際現代美術館(チヴィチ博物館) バルダッサーレ・ロンゲーナ 1710 ★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   バルダッサーレ・ロンゲーナ(Baldassarre Longhena)
竣工   1710
機能   住宅、美術館宅
--------------------------------------------------------
カ・ドーロ(Ca' d'Oro)の向かいの少し駅側に進んだところにあるのが、このカ・ペーザロ(Ca' Pesaro)。同じく「カ」がついて、かつての貴族の邸宅であることが分かる。現在はチヴィチ博物館と呼ばれ、国際現代美術館として利用されているという。

ベニスの重要な教会であるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の設計者としても知られるバルダッサーレ・ロンゲーナ(Baldassarre Longhena)という17世紀にベニスで活躍したバロック建築の第一人者によって設計をされ、カナル・グランデに面する建物正面は後にアントニオ・ガスパーリ(Gian Antonio Gaspari)の手によって1710年に完成させられたという。

設計はバロック様式を採用され、特に特徴的なのは1階部分の外壁に、ゴツゴツした岩の素材を使用して壁面に明暗を表現をしている。ゴシック、ルネサンス、バロックと続くヨーロッパの建築様式の変遷は、どうしてもその前の時代の様式に対する反運動でもありながら、それでもどこかで流れは受けているということで、バロック様式もその前のルネサンス様式との明確な違いが現れるまでにはどうしても微妙な違いでしかなく、建築を業としていても、この様式がどちらに属するのかをはっきりと示すのはやはり難しくなってしまう。

アジアから来るとどうしても美しい中世の都市としての風景を残すベニスとして括ってしまいがちになるが、もちろんその中には何百年という隔たりを持って設計された建物たちが渾然一体となって存在していることを改めて感じながら、その背景まで視線を届けながら観察していかないと、大きな間違いを犯すことになりそうだと次の目的地へと向かうことにする。