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2013年7月12日金曜日

次の朝をどう生きるか


記念日をしっかりと区切りの日にするためには、昨日までの一年を振り返って思ったこと、見えた自分の弱さを変えるために、次の朝をどう生きるかが重要になる。

何かの変化が起きなければ、区切りはなんの意味も持たない点として埋もれていってしまう。

それをちゃんと句読点としていくために、次の日からのライフスタイルを変えていくこと。

記念日をだらけがちな日常への変換点として意味づけるために、何を変えるか?

何よりもまずは、ジムでランニングと筋トレし、弛んだ身体と精神にハリをもたらすことだろうと、眠い目をこすりながらも1時間半早く起きる。

そう自分に言い聞かせながら、隣ですやすやと寝息を立てる妻の顔を決して羨ましいと思わないように自分の海馬を騙まし込み、音を立てないように玄関に向かうことにする。

2013年7月11日木曜日

記念日


結婚記念日などは、自分が何かをしたことを記念するタイプ。
それに対して、誕生日は自分で決めることができない。
運命によって左右されるタイプのもの。

そう考えると、記念日と呼ぶのはどうなのか?
と思わずにいられない。
記念日というよりも、ある種の区切りのようなもの。

一年に一日だけ、昨日までの一年間がどうだったのか、
それを振り返ることができる唯一の時間。

そんなことができる区切りの日は一年に数日しか存在しない。

いつもと変わらないはずのリニアな時間の流れにも関わらず、昨日を昨年に変えてしまう元旦。 

同じく、昨日と今日との間に大きなギャップを生み出す新年度の開始点の4月1日。

そして誕生日。


そんな記念日ではない区切りの日。

その中でも国家や人類といった大きな枠での共有項ではない、自分特有の日であるのは唯一誕生日だけか。

なんて思いながら、妻が予約してくれた噂に聞いていたテンプル・レストランに足を運ぶ。

高い天井でとても落ち着いた雰囲気。料理も素晴らしく、こういう場所で記念日を過ごすのも、随分大人になったんだなぁと改めて重ねてきた歳に想いを馳せながら、料理を楽しむ。

春から続いたダイエットのお陰で、随分久しぶりとなったフルコースのディナーに妻もすっかり満足したようで、「明日をどう生きようか」と思いを巡らせながら、二人乗りのスクーターで胡同を抜けて家路につく。




















2013年4月5日金曜日

一周年

春。

日本人にとっては、「春」というのはやはり一つの区切りの季節であり、区切りから流れ出した時間が、一週間、一ヶ月、三ヶ月、半年・・・と小さな区切りを刻み始める開始点でもある。

その小さな区切りを迎える度に気持ちを引き締め、緩慢と日常化していく様々な事象に対して、慣れることは肯定しながらも、惰性を否定することを繰り返す。

そんな訳で今年の春は、北京に居を移してから一周年となる区切り。昨年のカレンダーを見直すと、新しい環境に対しての様々な葛藤や悩みが綴られているのと同時に、新しい生活と、その中での自分への期待も同じく描かれる。

非日常である新しい環境が、徐々に日常へと変わっていく中で、目標や思い描いたことが後に置いていかれて、日常で目の前に立ちふさがる事柄に追われていきながら日々を過ごすことになる。

人は誰でも自分を肯定しないと生きていけない。

とは、よく言うものだが、区切りに立つたびに、出来たことと、出来なかったことを秤にかけることになる。

そしてどう考えても、出来なかったことの方が圧倒的に今の心の中を占めることになる。

恐らく出来たことや達成できたことも少なからずあるはずだが、それよりも遥かに多く自分に期待をし、また周囲からも期待をされていればいるほど、区切りで感じる挫折感は巨大化する。

目の前のことをこなしていく事は、恐らく誰でもできることであり、問題は「なぜ、それをしているのか?」をしっかりと考え、理解し、自分なりの方法で、より効率的に前に進んでいくことができるかどうか?

「人生は無為に過ごすには長すぎ、何かをしようと思えば短すぎる」

恐らく人生で本気で成し遂げようと思って費やせる時間はそんなに長くは無いはずであり、一つ一つの仕事を対極的な視点を持ちつつ、かつそれを終えるまでの具体的なイメージを持ってことに当たれるようにすること。

苦しみを糧とし、日々の葛藤を血として、本質的に仕事に取り組み、根源的な意味での成長へとつなげていくこと。それが次の区切りまでに自分に課す課題なんだと改めて振り返る二年目の春。