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2015年10月8日木曜日

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ) 865 ★★★★★


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所在地 山梨県南都留郡 富士河口湖町河口
主祭神 浅間大神
社格  式内社(名神大)論社,旧県社
本殿の様式 流造
創建   865年
機能   寺社
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世界遺産
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ここは凄い。参道の左右に立ち並ぶ大杉は、幹周りが手が回らないほどの大木で、奥に向かって深い影を作り出し、聖域としての結界を張るのに十分な役割を果たす。背の高い木々に縁取られた視界は、その奥に佇む光に包まれた拝殿へと否応無しに注がれる。

拝殿にたどり着くと今度はその奥を覆うようにして存在する広大な社叢の存在に圧倒される。しかもその社叢を構成する木々も「七本杉」に代表されるように、巨木ばかり。その社叢に更に奥に意識を向けられるのは、圧倒的な富士山の存在。この国の特別な場所。そしてその神聖さ。同時に、その巨大な力への畏怖の念。古代の人がなぜこの場所に社を建立したか、時を越えて理解できるそんな特別な場所である。




















2014年2月2日日曜日

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ) 安寧天皇13年 ★★



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所在地 島根県出雲市大社町日御碕
主祭神 天照大御神、神素盞嗚尊
様式  権現造
社格  式内小社、国幣小社
創建  安寧天皇13年
機能  寺社
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今朝の巡礼の中で、もっとも期待値の高かったのがこの日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)。出雲大社の力が及ぶ山陰地方にありながら、大社造ではなく権現造を採用し、伊勢神宮と強いつながりを持つ神社。

日が昇る東の伊勢神宮に対して日が沈む西の日御碕神社として、「日沈の宮(ひしずみのみや)」の名をいただく神社である。

創建の由緒は、伊勢神宮が「日本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日本の夜を守れ」 との「勅命」を受けたことによるという。下の宮である「日沈の宮(ひしずみのみや)」と、上の宮である「神の宮(かんのみや)」の上下二社からなり、両本社を総称して日御碕神社という。

日沈の宮には天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、神の宮には神素盞嗚尊(スサノヲノミコト)が祀られている。そしてこの本殿である「神の宮」は西を向いて配置されており、日本海に沈む日を眺めることになる。外部から日本に向かって放たれた邪気を、この場所で受け止めている、 この国を護り続けて来た格式の高い神社である。

沈む夕日に染まるかのように、本殿は朱色に塗らており、またこの場所は日本夕日百選に選ばれている。そして今の社殿を立てたのは3代目将軍である徳川家光。本殿に参拝をし、境内脇から外にでて、西の海岸沿いまで歩いていく。こちらも漁村らしく港には多くの漁船が止められており、その先にはウミネコの繁殖地として有名な経島が浮かんでいる。

山陰地方で異彩を放つこの神社。伊勢神社からこの日御碕神社へと伸びる太陽の軌跡。日本有数の特別な場所を体験し、次はこの旅最大の目的地である出雲大社へと向かう為に粉雪がちらつく中駐車場へと足を向けることにする。
















須我神社(すがじんじゃ) 不詳 ★★

朝早くから神社めぐりをするのは何とも清清しいと、霧立ち込める山間部を一人悠々と車を走らせ、これまた随分山深い地域の街中に鎮座する須我神社(すがじんじゃ)に到着。

一の鳥居から階段を上り神門をくぐり、再度階段を上って到着する社殿。その両隣には綺麗にシンメトリーを描くかのような背の高い杉の木。左手の杉は特に幹が太くこの神社の神木のようである。昨年以来、神木をさわりながらふと上を見上げるとフクロウでもいるのでは?と期待しながらいつもの様に神木に触れる。

この須我神社(すがじんじゃ)。主祭神である須佐之男命(スサノオ)が八岐大蛇を胎児した後に妻の稲田比売命(クシナダヒメ)と居住地を探している時にこの地に訪れ、「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名したと言われているらしい。

という訳で日本初の宮殿ということから「日本初之宮」と呼ばれており、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされているらしい。これもどこかで聞いた気がするな・・・と再度境内に下りてくる。

そういう訳で主祭神の最後は須佐之男命と稲田比売命の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(スガノユマヤヌシミナサロヒコヤシマノミコト)となっている。

境内右手は山の斜面に沿って配置されている境内摂社に向かって空地が取られており、それを順に参拝していくと、一番奥に背後に聳える八雲山の上にある御親神社、社日神社、義綱神社へと続く参道の入り口が見えてくる。

これが一番恐ろしい。もちろん登ることには登るのだが、一体どれくらい時間がかかるのか、距離がどれくらいあるのか、行程がどれほどハードなのかの情報が無い中で山に入っていくのは大変チャレンジングである。その後のスケジュールにも大きく影響してくるので、気合を入れてぬかるむ足元に気をつけながら木製の階段を一つずつ上がっていく。

登れば登るほど霧が濃くなり、昔の人がここに神の存在を感じ取ったのが理解できる。思ったよりも急勾配で、なかなか目的地が見えてこない。徐々にじっとり汗をかき始めた事、ぽっかりと広場のようなスペースにでて、右側の中心に一つ、左に一つとサイズの違った社が祀られている。

「あれ、三つじゃなかったのか?」とキョロキョロしてみると、更に先を指し示す看板が・・・

がっくり肩を落としながらも、「登りますよ」と自分に言い聞かせ更に坂道を進んでいくと今度は数分で最後の義綱神社が見えてくる。霧濃い朝の空気の中、まさに聖域を感じながら一人静かに手を合わせる。森に響く拍手を聞きながらなかなか良い参拝だったと車に戻る為に山道を降りていくことにする。