2014年2月4日火曜日

東光園 菊竹清訓 1964 ★★★★



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所在地  鳥取県米子市皆生温泉
設計   菊竹清訓
竣工   1964
機能   宿泊施設
規模   地上7階地下1階
構造   SRC造
敷地面積 13,071㎡
建築面積 485㎡(本館)、1,396(新館)
延床面積 3,355㎡
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米子の日本海沿いに広がる皆生温泉(かいけおんせん)に建つ老舗旅館。今回の山陰巡礼でずっと追ってきた菊竹清訓の作品であり、間違いなく初期のピークといってよい戦後の日本建築にとって大きな意味を持つ作品。

それが公共建築でも個人住宅でもなく、温泉街の老舗旅館、しかも木造ではなくモダニズム建築を体現するコンクリートをまとって作られているから驚きである。建築を学び、建築を職として過ごすものにとって、人生の中で何度も出くわすその特徴的な立面。

しかし山陰という地理的な制限があり、実際に見ることはなかなかかなわない。そんな訳で今回は出雲大社と双璧する最大の目的地として定められたのがこの東光園。老舗旅館ということで、思い切って奮発し連泊して内部空間もじっくり観察する事にする。

前年に出雲大社庁の舎を完成させている菊竹清訓。この皆生温泉でチャレンジしたのは何といってもその建築の構成。建物は1-3階にボリュームがあり、その上の4階部分は部屋が無く外部空間となっている。つまりはピロティとして中間層が空けられ、上部が浮いている構成になっている。

コルビュジェが提唱したピロティは通常1階部分に採用され、建築を大地から持ち上げることによって1階部分の動線を自由にする。しかしここではそれを発展させ、4階部分にピロティを採用し、ここを屋外庭園として明確な分割を行う。

通常ならその上にも階があるだけのはずだが、この建物ではそれだけでは終わらず、1階から立ち上がった構造は7階部分まで延びていき、その間の5,6階部分は今度はその7階のボリュームから吊り下げられている。そんな訳だから外から見ると分かりやすいが4階部分を境目に構造が大きく変わっているのが見て取れる。

これだけ大げさな構造を可能にするためには相当太い柱が必要になってきてしまう。そうすると室内空間はかなり重苦しい雰囲気になってしまうので、それを解消する為に採用されたのは、SRC造と呼ばれる鉄骨鉄筋コンクリート構造。

通常のコンクリート造では内部に鉄筋という細い鉄の芯を何本か通して、その周囲にコンクリートを流し込み固め、コンクリートと鉄筋でそれぞれに引張りと圧縮に強いという特性を兼ね備えて素材にしてやるのだが、この鉄骨鉄筋コンクリート構造は更に上を行き、まずは鉄骨で柱や梁を組み、その周囲に鉄筋を配筋しそこにコンクリートを流し込む。つまりは鉄筋コンクリート造と鉄骨造の長所を兼ね備えた構造ということになるが、その分コストが高くなるために、一般の建物にはなかなか使用されず、高層建築など、構造にコストをかけても十分に経済性を確保できる特殊な建物などに使用される。

そのSRC造を決して高層建築では無い規模のこの建物に採用し、できるだけ断面積を小さくすることと同時に、もう一つ取られたのが、木造建築などでも良く見られが、強度が足りない柱のそばにもう一本細い柱を足してやるという添え柱のアイデア。

一本の柱だと余りに太くなり不恰好だが、それを添え柱として力を分担してやれば、細い柱の集合体として、一本一本の柱のプロポーションはスリムに保たれる。それぞれの添え柱と中心の柱は貫でつながれ上部からの力を流す役割と果たしてくれるという訳である。

そんな訳でこの二つのアイデアを採用し、4階部分までは4本の添え柱を伴った柱が立ち上がり、上から吊られている5階部分に接触することなく、役割を終えた添え柱は消滅し、後は中心の柱だけが7階まで達していく。その構造の力の流れを明快に見せる為に、4階上部で沿え柱は5階の床面に触れる事が無く、隙間が残されている事が必要であるということ。

5,6階は通常の柱、梁で構成されるラーメン構造ではない訳で、上から吊られている箱の中を自由に間仕切り部屋にできるという利点を利用し、梁が無い為に階高が低くても十分な室内高さが確保でき、繊細な縦線によって壁面が構成できることから水平線を強調したファサードとなる。これが底部のゴツゴツとしたファサードとの対比を見えてくれる。

アクロバティックとも言ってもいいその構造形式をできるだけ建築の外形に素直に表現する。それらの建築は構造表現主義と呼ばれるが、この建築は鉄骨鉄筋コンクリート構造と、添え柱というアイデアによって可能になった構造形式を明確に外形として表現する現代技術を体言する建築として高く評価されたのも頷ける。

くしくも同じ1964年に完成した丹下健三設計による国立代々木競技場もまた、鉄筋コンクリート構造と吊り構造によって空間に描かれる美しい3次曲線の建物として鉄筋コンクリートの構造表現主義として戦後の日本建築の在り方を世界に示す事となる。

世界では1951年にフェリックス・キャンデラがメキシコでHPシェルを用いてコンクリートの新しい可能性を提示し、60年代を通じてHPシェルの持つ美しい双曲線の教会を作り出し、1955年にはヨーン・ウッツォンがシドニー・オペラハウスのデザインにコンクリート・シェル構造を採用し美しいシルエットを描き出し、1962年にはエーロ・サーリネンがTWAターミナルにてコンクリート・シェル構造を用いた流れるような曲面を作り上げていた。

その流れをつぶさに見ていた日本の戦後モダニズム建築家達。丹下健三が第一陣をきり、そして菊竹清訓はどうにかしてその先に行こうと苦悩し、辿りついたのがこの東光園での構造表現主義。時代が可能にした技術を適切な形で翻訳し、世の中の人に美しいと受け入れてもらえるような建物として実現する。

そんな歴史的な建築に宿泊でき、なおかつ日本有数の温泉を堪能できるというのはかなり稀有な体験である。添え柱が堂々と鎮座するロビー空間は内部に広がる広大な日本庭園に開放的に接合され、低くなった床レベルはまるで直接庭園に繋がるかのような気分にさせると共に、ロビーの背の高い空間を意識させるに十分である。

再度温泉で身体を温め、持ってきていた「田崎つくる」を静かなロビーのソファで読み進めると、どうやら隣の席ではテレビの製作会社と思われる若いスタッフが打合せをしているようである。テレビの多局化によって放送するコンテンツ不足に陥ったメディア業界では、恐らく物凄い数の制作会社が短い時間で番組を作る事を求められているのだろうと、なんだか建築と同じだなと思いながら本を読み進める。

そんな東光園。山陰を代表する老舗旅館だけあって、なんと天皇陛下もお泊りになったという。


そんな由緒あり、そして戦後モダニズム建築の代表作の一つである東光園であるが、先ほど立ち寄った市内の居酒屋で大将に話を聞いたところ、なんと一度経営破綻をし倒産を経験しているという。大将によれば、老舗だから天狗になって、殿様商売しているうちに客が来なくなったんだといい、「泊まった事があるがサービスがなってなかった」と言っていた。

調べてみると、確かに経営破綻をしており、2007年には米投資銀行ゴールドマン・サックスグループ系の企業に事業譲渡されたという。その後ゴールドマンと事業提携している星野リゾートが運営を引き継ぎ、新しいコンセプトを打ち出していくというのが2008年。

「おお、ハゲタカに買われた老舗旅館か・・・・」と小説を思い出しながらも、その営業努力が実ってかどうかは知らないが、館内にはお隣韓国からの旅行客と思える団体が大勢いたり、館内にも「平日昼間に○○プラン」などという若い女性向けのプロモーションが多く見られる。


これも確かに経営努力であり、この山陰という地方を考えたらできることは限られているのもまた分かるのだが、モダニズムの傑作建築で現在も素晴らしい内部空間を見せてくれる建築だけに、どうにか大衆化されることなく良い生き残り方を見つけていって欲しいを思わずにいられない。






















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