2014年3月16日日曜日
2013年10月10日木曜日
「光媒の花」 道尾秀介 2010 ★★★★
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第23回(2010年) 山本周五郎賞受賞
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埼玉から東京に向かう満員電車。完全拘束された身体を感じながら、とてもじゃないが両手をフリーにすることもできず、叶う事はなんとか左手で文庫本を開くくらい。そんな訳で線を引かずに読み進めることで、サクサクと読めてしまうそのスピード感に驚きながら一日で読み終えた一冊。
残り一章のところで妻が、「今度は何を読んでるの?」と聞いて来るので、本を閉じて説明しだすが、明確にこれというテーマがある訳でもなく、なんとも端的に説明するのは難しく、連続するはかない物語。
その中で繰り返されるのはちょっと歪み、拉いだ家族の形。決して安定する四角形ではなく、どこかアンバランスな家族の姿。そのアンバランスがもたらすストレス。その荷重。不均等な力のかかり方。それが作り出すちょっとした吹き出し口としての現象が、儚くも確かに紡がれていく糸の様に繋がっていく。
登場人物自体が繋がるのではなく、彼ら自身は決して気がつかないほどの微妙な現象がつながる。それは「誰でも誰かの人生に、何かの影響を与えているのかもしれない」という事につながり、その総体としてドラマが起こる貫井徳郎の「乱反射」のような紡ぎ方もあるのだろうが、決してそういう強いゴールを持たず、SANNAが向かい始めたハンドドローイングのもつ柔らかさを感じさせるような微差の建築のようなそんな儚さを感じさせる。
恐らくテクニック的にいろいろやっているんだろうと思う。短編が続いていくなかで前の章のちらっと出ていた人にバトンが渡されていく。がっちりしたロープで繋がれるのではなく、それこそ蝶の通る道で蝶道のような儚さ、絹の糸のような柔らかさくらいで繋がれていく。恐らく専門家から見ればきっと文学的なある技法だと言えるのだろうが、曖昧な割りに全体がグラつかない、ぶれない枠組みに守られている安心感が感じられる。
恐らくこの作者は、物語を考える時に、相当構成を練りこみ、それこそ設計図でも作っているんじゃないか?思うくらい、物語の世界観、登場人物の設定、彼らの関係性、彼らの生きる社会の中の居場所、彼らの日常などが非常にしっかりしている。
全体をどう構成するか、その大きな構え ジェスチャーをしっかり捉え、枠組みと要素をしっかり設計し、後はその設計が一番輝くように内部を歩いてやる。シークエンスを決めていく。その動きの中の設計へと移っていく。止まっていたものに命を吹き込むかのように。
それを見事に表すように、静止画を動画にする人つながりの世界の中の別の場所で物語を進行するだけではなく、時間も操作されるパラメーターの一つとなる。それがうまくいったかどうかは別にして、その着目点は圧巻。
テーマは何かを思っておぼろげに見えてくる家族の不完全さ。父が自殺し、その裏で決して消去されないかつての夏の物語。帰りの遅い共働きの両親の小さな兄妹。彼らが暗い川辺で遊ぶ時に遭遇する物語。その子供達を見守る浮浪者。中学時代の彼が親密な時間を過ごした同級生のサチは父のいない貧しい家庭で育つ。そのサチが次の章では幸として大人になり、今度はアパートの隣に住まう耳の聞こえなくなったユキという女の子にバトンを渡す。なんともお見事なシークエンス。
それと同時に思われるのは、作者の作品であまり描かれることのない都会の風景。現在は茨城県在住という作者の住んでいる場所、生まれ育った環境に起因するのかもしれないが、描かれるのは多くの日本人が思い描けるような現代の原風景。川があり、川辺があり、草むらがあり、虫がいる。その河川敷をトラックが走り、人々が朝晩と歩いていく。
そんな風景を物語の中と同じく、東京と埼玉の境目を走る電車の中で読み終えながら、最終に近い電車から吐き出されるようにして降りていく人の姿を眺めながら、決して明るくはないが、決して絶望的でもない現代の日本の日常がその一人ひとりにもあるのだろうと勝手な想像を膨らませることにする。
2013年8月3日土曜日
「月と蟹」 道尾秀介 2010 ★★★★★
誰にでもあった少年時代。世界が今よりもよっぽど大きく、そして毎日は冒険に満ち溢れていたあの頃。
たわいの無いことが友達の間のとても大切な守りごとになり、仲間内だけでしか分からない遊びが流行ったりする。
決して裕福とはいえないシングルマザー家庭で、祖父と同居する主人公の慎一。
彼と唯一仲のよいクラスメイトである春也は父親からの暴力を受けている。
そんな二人のどうしようもない日常を特別なものに変えてくれるのが、浜辺で捕まえたヤドカリを裏山の上まで持って行き、ライターで炙っては殻から出して、粘土の台座においては焼き殺しながら願い事をするという儀式。
鶴岡八幡宮で行われる鎌倉まつり 。
日本で最初の禅寺である建長寺。
その裏山にある唸る十王岩。
海があり、裏山があり、ハレの場としての境内がある。
規模は違えど、日本の原風景に違いない。
しかし今では、それらが残っている地方は幸せな地方だとよく分かる。海も消え、川も消え、山も消え、現れたのはイオンモール・・・
ある日見かけた風景。誰か知らない男の人の車の助手席に乗り込む母親の姿。それ以来母が自分の知っている母ではなくなってしまったような思いを抱えて生きる慎一。
家庭のこと。少し仲良くしている女のクラスメイトのこと。子供にとっては精神状態を揺るがすようなそんなことをなじる手紙が教室の机の中に入れられる。
そんな日常の中、唯一心から楽しく思えるのは春也と過ごす時間。
「互いに本当は知っていながら、黙っている何かが、もっともっと欲しかった。」
「何にでもきっと理由ってのがあんだ、世の中のこと全部にな、ちゃんと理由がある。結局は自分に返ってくるんだ。」という祖父の言葉。
「叱られたとき、もうそれ以上叱られないようために口にする謝罪と何も変わらなかったからだ。どうしてこんな言葉しか返せないのか、慎一はつくづく自分が厭になった。」
「その夜慎一は、血の色をした蟹がハサミを無造作に持ち上げて、何か薄い、大事そうな膜を乱暴に突き破る夢を見た」
身体と同じく、感情も未熟であるからこそ、とても直接的に外部の世界に晒されることになる子供の精神世界。その過程で自らどう防御をするのか見につけていくのだが、家族のまなざしがなければ、時にそれはあまりに残酷な仕打ちとなって押し寄せる。
「見えない手で頬の筋肉を掴まれているように、顔から笑いを消すことが出来なかった。」
「何かがじりじりと自分を包囲していくのを、慎一は感じていた」
「感情に苔が何重にもまとわりついたようなぼんやりとした間隔」
「春也は口にいれてしまった不味いものをなかなか飲み込めないというように、咽喉のあたりに力を入れて唇を結び、じっと凹みを見下ろしている」
「諭すような口調で言ってやった。そのほうが、いっそう相手を傷つけることができる。いっそう恥ずかしい思いをさせられる。慎一は相手の心臓をのこぎりで挽こうとしているような、残酷な興奮を感じていた。」
「苔に覆われた感情の中心で、何かが声を上げていた」
どうやったらここまで細かく、そして繊細に子供時代の感情を描けるのだろうかと思わずにいられないくらいの表現たち。子供だからこそ、あまりにダイレクトに、あまりに隠すのが下手なこの時代の世界との接し方。だからこそその凶暴さはむき出しにされる。
そしてそのことは、子供だけでなく大人も同じように、社会性というベールに隠されて入るが、その薄膜一枚下では、子供時代となんら変わることの無い、ドロドロしそして恐ろしいまでに残酷な感情を抱えながら毎日を過ごしていること。
相手が何を考えているかは、本当に意味では知ることは出来ない。それが気になるからこそ「ちらり」と視線を投げてしまう。
そんなことを思いながら、何を考えているんだろうと椅子に足を乗せながらパソコンの画面を見つめている妻の横顔を「ちらり」と眺めることにする。
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第144回(平成22年度下半期) 直木賞受賞
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2013年6月22日土曜日
「龍神の雨」 道尾秀介 2012 ★★
ミステリーを展開する上で自ら設定した物語の前提。
それをどこまで崩すか?
もちろん、前提が堅強であればあるほど、それが崩れたときの驚きは大きい。しかし、インパクトを狙うあまりに、なんでも崩してしまう前提でいいのかといえば、それでは読者との信頼関係が構築できない。
どこまでの破壊を良しとするか?
その絶妙な駆け引き。
それが許せるギリギリの境界線で成り立っているからこそ、ある1ページから以降は、今まで見ていたと思っていた風景が一気に「ガラッ」と変わってしまう。そんな印象を受ける、その1ページの存在。
その1ページから失踪するように暴かれる様々なボタンの掛け違い。文字によって、作者の意図に操作され、読者の頭の中で構築された世界が、実は大きく偏差してしまっていたと徐々に気づかされる。その楽しむかのような騙しあい。
登場するのは共に兄妹。
共に不幸を身に纏い、
共に近くて遠い家族への疑惑を抱え、
共に本当の世界が見えていない。
共にやまない雨の中で生きている。
雨の日に恐怖で見えたと思う龍の姿。
そこに恐怖を感じるのも、もしくはその後の希望を感じるの、
受け取る自分の気持ち次第。
「雨さえ降らなければ」と過去を見つめて生きるより、
「雨のせいで見えなくなってしまったものがある」ことを理解し、
「雨の後に覗く日の光」を信じて前を向く。
前半での伏線の仕掛け方、読者の思考の操作、複数の登場人物の交差の仕方、そして後半にて一気に回収される伏線達など、ミステリー作家としての作者のテクニックが確かなことが良く理解できる一冊。ではあるが、だからこそか読み終えた後に何か物足りない気分にも陥る一冊でもある。
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第12回(2010年) 大藪春彦賞受賞
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2011年10月11日火曜日
「片眼の猿―One-eyed monkeys」 道尾秀介 ★

ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」みたいな、ファンタジー溢れる登場人物の描き方には期待を高めたが、その期待を超えてこない感がいなめない・・・
目次がかなりコマ切れにされていてユニークで、サクサク読めてしまうがそれくらいか・・・
1 どうして犬は
2 新しい友達
3 可愛いと思う
4 何でもやるのね
5 拭えない場所がある
6 ローズ・フラット
7 大きさだけが違っている
8 口は災いの元
9 美術部に移れば
10 トウヘイの技
11 ハートのキング
12 ジョーカーとスペードのキング
13 ダイアにクィーン
14 どんな基準で
15 トウヘイのクイズ
16 眼のサイズ
17 穴のあいた招き猫
18 目立つもんで
19 何かに巻き込まれた
20 禁じ手
21 どうして答えられない
22 お別れ会
23 深海魚の話
24 僕は見ていました
25 叫びは急速に遠のいて
26 信ずる者は救われる
27 ◯◯◯◯って
28 細かいことは後で
29 殴られっぱなしは嫌
30 ものすごい顔ぶれ
31 ねじくれた感情
32 姿かたちとそぐわない物
33 片眼の猿
34 ジョーカーの正体
35 我慢の限界はいとも容易に
36 大きなお世話
37 愚者
2011年10月10日月曜日
「骸の爪」 道尾秀介 ★

「背の眼」の続編で、作家がモデルの主人公が今度は滋賀県の田舎の仏を彫る工房に取材にいくのだが、そこでまたまた不思議な現象に巻き込まれ、友人の心霊研究家の真備とその助手の凛の三人で再度時間を解き明かすという流れ。
目次も
第1章 笑う仏
第2章 血を流す仏
第3章 殺す仏
第4章 消える仏
第5章 生きている仏
第6章 宿る仏
第7章 最後の仏
終章 仏人を殺すか
となかなか期待を高めてくれ、明王というのは全部バラモン教の神様で、それがヒンズー教に取り入れられて、それを最澄・空海が持ち帰りそれぞれの密教の中への融合していく。
真言の五大明王である不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王。
天台の五大明王になると金剛夜叉が鳥枢沙摩(うすさま)明王に変わる。
なんてことは、仏像マニアでない限りなかなかとっかかりが無いので、またしてもフムフムと読んでしまう。
しかし、この設定。いつまでも続けられるな・・・と思いながら、安定感はあるが、それ以上のワクワク感はなくなってきたと思わずにいられない。
2011年9月28日水曜日
「背の眼 上・下」 道尾秀介 ★★★


ここ数年の文学賞を総ナメにしている勢いのある作家で、「向日葵の咲かない夏」もそこそこ楽しめたので、最近作が文庫化される前に以前の作品を読んでおこうと手にした第5回ホラーサスペンス大賞特別賞受賞作。
自分自身と言える作家が主人公で、福島の田舎で遭遇した不思議な現象を心霊研究をしている大学時代の友人に相談に行き、そのアシスタントと3人で事件の謎を解いていく、という分かりやすいストーリー。
天狗のルーツは、古代中国で彗星を見た人が、それを尾だと思い、天を駆ける狐、天の狗そして天狗へと変化し、それが日本古来の山岳信仰に組み込まれ、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする修験道に仏教が融合し、天台宗、真言宗の山岳仏教へと発展し、その山伏の姿がいつしか天狗のイメージへと定着していく。
という話はなかなか面白かった。
「在るものを見るのではなく、見えるものを在るとする」という心霊の本質をつく言葉にふむふむとし、駱駝の背中に藁を乗せ、その一本を乗せると背中がポキリと折れる最後の一本があるという「ラストストロー現象」も、ほぉーっと聞いてしまう。
そんなわけで、流石に物語を読ませる安定感は感じられ安心して読めるが、大きな期待にこたえるほどではなかったのが率直な感想か。
2009年5月31日日曜日
「向日葵の咲かない夏」 道尾秀介 2005 ★★★★
数年前とにかく話題に上がり、ものすごい勢いで売れていた本。第6回(2006年)本格ミステリ大賞候補にもなり、その大どんでん返しの展開と不可解なラストによってネットでも様々な批評を受けているということで手にした一冊。
その噂にたがわぬなかなかのレトリック。毎回物語の設定として読者の頭の中に刷り込んだ何かを、後半にて一気に逆手に取り世界観をひっくり返す。そんな手法を得意とする作者。近作はその手法が見事にはまったといってよいのであろう。
今作品では逃した本格ミステリ大賞もしっかりと2007年に『シャドウ』で第7回(2007年)本格ミステリ大賞を受賞するあたり、やはり作者の技量を伺わせる。
物語はこれも作者の得意とする日本人の多くが原風景として共有できそうなのどかな田舎の幼少時代の世界。夏休みの始まる終業式の日に、欠席した友人の家に書類を届けにいった主人公が見つけるのは首を吊って死んでいる友人の姿。
小学生が友人の自殺姿を見つけてしまうということが、どれだけ衝撃の強い体験になるかという描写もそうであるが、いつもついて回る妹のミカの存在や、不思議な存在のトコお婆さん、そして生まれ変わって蜘蛛となった自殺した友人など、現実なのか、それともファンタジーなのか、それとも何かが狂っているのかと、微妙なところで世界観を崩さずに話を紡いでいくのもまた作者の力の成すところ。
後半に一気に明かされるネタバラシ。それでも解釈が何重にでも可能なラストをもってくるところ、やはり並みの小説家でないと思わされる。これくらいサクサク読めてなおかつ、頭に刺激がある娯楽小説が日常の時間の脇にあることのありがたさを感じる一冊であろう。
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