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2015年3月8日日曜日

ランス(Lens) ★

パリから北へおよそ3時間。高速を飛ばすと長閑な田園の風景の中に街らしきものが見えてくる。あのルーブルが別館を作るというから、もう少し大きな「都市」と想像していたのだが、高い建物もせいぜい4階程度というまさに「町」という感じ。

ランス(Lens)はかつて炭鉱の町として栄えたが、日本同様、炭鉱は既に閉鎖され、かつての賑わいは失われ、町は過疎化を加速させている。パリの衛星都市としてこのままランスを衰退させずに、なんとか新たなる産業を誘致して町おこしをというどこの国でも悩み事は同じのようで、そんな行政側の思惑と、実は膨大な収蔵品を持っているがパリの美術館ではその全てを展示することができずに、新たなる分館の計画を立てていたルーヴル美術館との思惑が一致し、ルーヴルの分館を建てる自治体のコンペが行われ、選考を経て結局ランス(Lens)が建設地としてのポジションを勝ち取ったという。

他にこれといった観光の見どころのないこの町に世界に名だたるルーヴル美術館の分館建設が決定し、その後デザインを決定するために世界から名だたる建築家の参加を求めコンペが行われる。そのコンペを日本のSANAAが勝ち取ったのが2005年。その後7年の月日を費やして遂に2012年に新たなる美術館が完成する。

町に着き、兎に角ランチをとろうと街中を車で回るが、やはりパリがいかに大都市かを認識するように、街の中心がいまいち分かりづらい。駅も平屋で駅前に商業施設が立ち並ぶ訳でもなく、町全体として静かな印象である。

その一方美術館には街の人口よりも多くの人が訪れているのではないか?と思うほどの賑わい。スペインのビルバオが、衰退する産業都市をグッゲンハイム美術館を誘致することで、一気に現代都市としての活気を取り戻したプロセスを研究してこの地での美術館開発に取り組んだというが、ビルバオとランスでは元々の都市としての規模が違うのではと思わずにいられない。

さすがに西洋料理が胃にもたれてきていたので、なんとかアジア料理をと探してみると、恐らく街に一軒のみと思われる中華料理店を発見し訪れる。どこの国のどんな都市に行っても中華料理は見つかるもので、中国から移り住んできたと思われる女店主は気さくな様子で「暫く前まではたまに日本人の人たちが定期的に食べに来てたんだけどね」などと教えてくれるので、SANAAのチームもやはり「米」が恋しくなったのかと想像を膨らませる。

美術館への人の流れは確かにすごい勢いがあり、ルーヴル美術館だけに定期的に魅力的な展覧会を企画していくのだろうというのは想像に難くない。しかし、この街が活力を取り戻すには、いつまでもルーヴル景気に頼る訳にもいかないだろうし、ルーヴル・ランスに行くためにランスに訪れた人たちが、その機会を利用してこの街で時間を過ごす受け皿となるようなコンテンツがこの場所からどう生まれてくるのか、ぜひとも何年か後に再訪し、街の変貌を観察してみたいものである。

2015年3月6日金曜日

パリ(Paris) ★★★★

シュトゥットガルト空港で飛行機の出発が遅れること2時間。到着したシャルル・ド・ゴール空港でも原因を伝えられぬまま機内にて1時間ほど待たされる。クタクタになって迎えに来てくれていたクライアント手配のシュッとした黒人の運転手の車に乗り込み、ホテルへと向かう。

この街で見るのはなんといっても昨年末にオープンしたゲーリー設計のルイ・ヴィトン ファウンデーションとパリから北に向かった小さな町にあるSANNA設計のルーヴル・ランス。

久々のパリだから街中に広がるゴシックの教会郡も体系立てて見たいし、郊外に足を運んでル・ランシーの教会堂も見てみたいと思いをめぐらしているとホテルへ到着。

「なんだかやたらとファンキーなファッションをした人が多いな・・・」と思っていたら、今週はちょうどファッション・ウィークに当たるらしく、パリ中がなんとも華やかな雰囲気に包まれている。

滞在中ホテルの前に若い子の人だかりができていて、誰かがホテルから出てくるのを待っている様子。その中の一人の女の子に、「誰を待っているの?」と聞いて見ると、「リアーナが出てくるみたい」と。そんな話を二人のパートナーに言っていると、二人とも「リアーナ?」と同じようなレスポンス。すっかりおじさんになったことを認識し、つかの間の華やかな雰囲気を楽しむことにする。






シュツットガルト(Stuttgart) ★★


ミュンヘンがBMWならこのシュツットガルト(Stuttgart)はメルセデスにポルシェにダイムラー。一度オーストリアまで南下したのちわざわざドイツに舞い戻ったのは、この街の代名詞でもあるメルセデス・ベンツの博物館を見学するため。

ドイツ人の友人がこのシュツットガルト出身で、如何にも素晴らしい街だとことあるごとにアピールされ、田舎感を残しつつも程よい都会というイメージを植え付けられているが、建築を生業とするものにとってはなんといってもベンツ博物館とミースの取り仕切ったヴァイセンホフ・ジードルングに訪れるために足を運ぶ都市であろう。

ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州の州都であり、人口は約60万人のドイツ南西部の世界都市である。60万人と言えば、日本では都市人口ランキングで22位の鹿児島市(60万人)、23位の八王子市(58万人)、24位の川口市(56万人)、杉並区(55万人)と同程度。

そう考えると、決して人口的には多くはないのにも関わらず世界で十分に認知度の高い世界都市として渡り合っているのには驚くばかりである。逆に言えば、八王子市程度の規模にも関わらず、メルセデス、ダイムラー、ポルシェやボッシュなどドイツを代表する世界的な企業の本社が置かれ、ヨーロッパ中につながる国際空港を持ち、地上でもSバーン(都市近郊電車)にて連結される近隣都市とあわせて100万人以上の都市圏を作り出している。



これは東京一極集中で地方創生と言いながらもまったくビジョンが見えてこない国とは全く違った国づくりをし、各都市に多様な価値を守りながらも、21世紀の都市間競争の中でも十分に世界で闘っていける都市をいくつも持つドイツの国の先見性を感じずにいられない。

中世の都市の成り立ちとして多く見られるようにネッカー川沿い位置し、ドイツを代表する工業都市として非常に豊かな地域を形成している。豊かな財政に支えられ、優秀な大学を持ち、ミュンヘンのオリンピックスタジアムを設計したフライ・オットーもまたこの都市出身である。

19世紀にヴュルテンベルク王国の都となり、19世紀後半より街の工業化が進み、第二次大戦後には、アメリカ欧州軍の司令部が置かたということから、この都市がドイツの中でどれだけ重要な意味を持っていたのかがみてとれる。

そんな自然と都市の日本にはない豊かなバランスを成し遂げているこのシュツットガルトで、少しでもどうすればこの様な国の中の一点集中ではない多様な都市が共存しながらそれぞれの豊かさを実現する社会のあり方を理解すべく街へと入っていくことにする。

2015年3月5日木曜日

Landhausplatz LAAC 2011 ★★★★★


ここ数年でもっともみたい建築の一つとしてリストの中にあったのがこの広場。単体の建築物ではなく広場。建築家の作った建築的なアイデアがいたるところに施された建築的な広場である。

この波がうねる様なダイナミックな広場の存在はネットなどでよく目にしていたが、「いかにもありそうなものでなかったものだな」とそのアイデアを評価していたが、2013年のメルボルンのカンファレンスでその設計者であるLAACという設計事務所からキャサリン(Kathrin Aste)が参加していてレクチャーを聞く機会があり、そのプロジェクトの背景や身体との接触度合いによって何種類にも分けられている表面処理などの話を聞き、これはぜひとも実際に見てみたいと切に思っていた作品である。

そして今回、進行中のプロジェクトの為に素材の参考になるかと思い実際にその場に立ったときにどのように見えるのかを確かめるためにわざわざこの街まで足を運ぶこととなった。

街に到着したのが夕方17時過ぎ。雪がちらつく中ホテルにチェックインして徒歩でいける距離にあるLandhausplatzと呼ばれる広場へと向かう。やはり高度が高いせいか相当に冷え込みを感じながら、しばらく歩くとすぐに目の前にポッと広がる広場。雪空の闇の下でも、その不思議な起伏は十分に「今まで見たことのない空間」としてのインパクトを与えてくれる。

恐らく一番高い部分でも地面から1.5m程しか起伏していないのかと思うが、それでも十分なダイナミズムを空間に与えている。街のサイズに適応するかのように、こじんまりとした広さの広場であるが、その如何にも「身体スケール」という横の広がりに、縦の起伏が加わることで今までになかった空間の豊かさや楽しさが生まれている。

滑らかに地面から隆起する起伏は、アフォーダンスを刺激するのに十分で、ついつい斜めの部分に上って歩きたくなってしまう楽しさを内包している。現場打コンクリートで作られたというこの滑らかなサーフェイス。そしてコンクリートという素材性を現すその分割線があることによってより立体を把握することを手助けしてくれる。

そして何より唸ったのはこのような横に広がりのあるプロジェクトを行うときに、それが周囲と接する縁のデザイン。いかに周囲になじむのか、それとも明確な縁を切るのか。その処理によって全く成否が違ってしまうのだが、この広場に関しては横に立つ恐らく最近計画されたと思われる建物の足元にはまるで巻き込むかのように滑らかに接続している。そして北側の象徴的な市の歴史的建物には「ドンッ」と壁にぶつかるようにしているが、垂直な壁に対して微妙にスロープをとることで、新しい建物との関係性と、古い建物との関係性を異なった処理で対応しているのを見せてくれる。

そして残った二面は道路に面するので南側の人を呼び込むようになじむ処理の仕方に対して、長辺方向となる東側では人が座れるようなベンチの高さの立ち上がりが垂直にあがっていたり、駐車場への入り口となる高さを稼ぐように徐々に高い擁壁としてボリュームになっていくなど、しっかりと4面の差異化を図っている点などもひたすら寒い中唸りながら周囲を歩くことになる。

広場の中に目を戻すと浮いたようなデザインのベンチは絶対水平を現し、線として扱われる照明は絶対垂直を表す。これもまた滑らかにうねる立体の曲面をより際立たせるための要素を削ぎ落すプロセスを経てこうなったに違いないと勝手な解釈を重ねる。

立ち上げる面は暗い中にも全く光の当たり方の違う、つまり色の違った面となって視界に現れ立体を理解する手助けとなる。その面が徐々に高さを失い再度面の一部として最後は線として消えていく様子は、幾何学を手中に収めようとするヨーロッパの中に流れる長い歴史を感じずにいられない。

もちろん起伏を楽しむのは、我々のような建築家か、スケボーを楽しむ少年たちで、普通にこの場を「通過する場所」として日常の一部としている人たちにとっては、やはりフラットな場所を歩くことになる。そしてフラットな場所は起伏のついた幾何学がない場所としてまた建築家によってデザインされていることになり、人がこの場所でどこからやってきて、どこに抜けていくかを考えた行動学によってデザインされていることになる。

今度は徐々にスケールを落として素材に目を向ける。

いい大人のアジア人が二人で地面にしゃがんで表面をなでているのを、もう一人のアジア人女性が面白がって写真を撮っているのを、なんだか不思議なものでも見る様に地元の人が訝しげに見ながら横を通っていく。

コンクリートに混ぜる砂利の大きさや種類を変えることと、磨き方を変えることで、座る場所や手が触れる場所などこの広場に7種もの異なった表面の処理が施されているというのが納得できるくらい、場所によって異なるザラツキを見つけ、それが日の光で違った表情を見せながら色合いを変えることを発見していく。

「これはわざわざ来た甲斐があった」と十分納得してホテルへと戻る。

翌朝、なんとか夜のうちの表情を見ておこうと、朝5時に起きだし、防寒に気をつけ、一人冷たい夜の道を進む。さすがに誰もいない夜の広場は昼間とはまた違った雰囲気で心地よい。細い照明がどのような効果を演じるのかと思っていたが、どうやら足元は十分に明るさが確保されているようであるし、広場の隅々まですべて明るくしようとはせずに、歩く場所だけに照度が確保され、明るさと暗さのグラデーションが広がっている。

夜に積もった雪が凍り、特に水下では平坦なところに微妙にスロープがついているために水が溜まり安いのか、特に滑りやすくなっているのを気をつけて、鉄製のベンチに溜まった雪が徐々に溶けて水滴として滴る場所の石が微妙に変色してしまっているのを確認し、北側の建物付近の照明は横に向けて照射するタイプのものになっているのを発見して、あまりの寒さに絶えられずホテルに戻って再度布団にもぐりこむ。

朝食をとりチェックアウトを済ませ、再度3人揃って今度は晴れ上がった日の下で広場の様子を見ようということで、最後にもう一度寄っていくことにする。これで、曇り、夜、昼間の違った状態で同じ空間を十分に体験することが出来た。やはり燦燦と降り注ぐ陽の下で見ると陰によって起伏の立体が良く分かる。何よりも、北の建物の後ろに聳えるまさに壁の様な山の威容がこの街の風景をつくり、それがあることを前提としてこの広場が成立しているのだと理解して次の目的地へと向かうことにする。




























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