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2015年1月2日金曜日

西湖天地 ★


朝から歩き回り西湖散策も半分終え、時間も既に12時を回ったということで、そろそろお昼にすることに。次の目的地は少々距離があるからと、バスで移動するかレンタル自転車で移動するかということになり、予め携帯の地図に入れておいた目的地への行き道検索で最寄のバス停を探し出す。

そうしているうちに、せっかくだから自転車移動でという同行ご夫婦が先を進んでいくのでその後ろを遅れないようについていくが、どうも近くにレンタル自転車スポットがないようである。しょうが無いのでとやってきたバスに乗り込み、降りるバス停を逃さないように携帯を睨みながら到着したのは都市として開けている西湖の東側。

そこから少し歩いて到着したのが西湖天地(さいこてんち、xīhú tiāndì)。上海にある上海新天地と呼ばれる租界時代の建物をイメージした商業施設を手がけたディベロッパーが同じコンセプトでこの西湖の湖畔に手がけたというプロジェクト。「建築的にも期待できるのでは?」と思いランチを取る場所として選んだ訳である。

流石に水平に延びた西湖の景色と、日本だったらありえない手摺のない水際の設計の為に一本の直線のみで水に接する風景は圧倒的。これぞ山水の風景といえるような、風景をぼやかすような靄が漂う西湖にしばし見とれながら、レストランを探すことになる。

しかし、期待していたほどレストランが充実している訳でもなく、またそのレストランのクオリティが高いわけでもなく、そして建築的に特別な空間が作られているわけでもなく、結局妥協の結果で軽い内容でのランチを取り、隣に位置する次なる西湖十景である柳浪聞鴬へと足を向けることにする。








2014年4月9日水曜日

レッド・オクトーバー・ギャラリー Red October Gallery 2009 ★★


同行者であったオーストラリア人から進められていたのがこのレッド・オクトーバー・ギャラリー(Red October Gallery)。

救世主ハリストス大聖堂のすぐ南のモスクワ川の中州に位置する地域の総称で、ソ連時代はここに有名なRed October chocolate factoryの工場があったのだが、それがモスクワ郊外に移設された為に、近年この工場跡地が、アート・ギャラリーやレストランとして再利用され、かなり活気を持ったエリアになっているという。

トレチャコフ美術館 モダンアート館からモスクワ川沿いに北上していくと、最近整備されたというモスクワ川沿いのランドスケープと設置されている屋外アートがなかなか良い風景と環境を作っているのを感じられる。暫く進むと、モスクワ川の中洲から飛び出した形になっている彫刻と、その後ろに控える工場群を見ることが出来る。

川がある街は、あちら側とこちら側と作り出し、街に差異を生み出すので美しい風景の助けとなる。しかしそこの中を実体をもった人間として歩き回るためには、川を渡る為に橋を利用しなければならない。

その道理にしたがって、目の前に見えているレッド・オクトーバーではあるが、わざわざ随分先までいって橋を渡る必要がある。歴史の中で生まれた町であるにもかかわらず、そのスケール感がなぜここまで身体的スケールからかけ離れているのかに思いを馳せながら橋に上がる階段を登ることにする。














2014年2月4日火曜日

倉吉大店会(くらよしだいてんかい) 山田幸一 1908 ★

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所在地  鳥取県倉吉市魚町
設計   山田幸一(大工)
竣工   1908
機能   レストラン(元銀行)
規模   地上2階
構造   木造・土蔵造
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倉吉市の中心部には近代建築が良い形で保存され残っているというので、現代建築ではなく、伝統的建築でもない目的地が幾つかリストに上がってくる。これは裏を返せば、街が高度経済にのり、バンバンとスクラップ・アンド・ビルドの開発を繰り返して、価値のある近代建築を取り壊してしまうという、他の多くの地方都市が通った道をこの倉吉が通らなかった。つまりは、そこまで過度な開発、資本主義の手に染まることなく、自身の風土にあった街の規模を維持しながら現在までコツコツと発展してきたことに他ならない。

そう考えると、中心部にも背の低い建物がならび、築50年以上になる行政施設が取り壊され高層化され建てかえられることもなく、中心の打吹公園周辺に今も残っているのもまた、この街のありのままの姿を見せてくれているのかもしれない。

街に住まう人にしてみれば、街がもっと発展して、もっと人口が増えてくれれば、便利な生活が・・・という声もきっとあるに違いないが、それでもこの街の規模と風景を愛してこの街に行き続けている人がきっと多く残っている街なのだと勝手に思い込むことにする。

この倉吉も、江戸時代までは旧国である伯耆国(ほうきのくに)の東に位置し、東伯耆の政治経済の中心地として栄えるも、近代交通、つまりは鉄道と高速道路網の要所から外れた為に、近代の発展の波に飲み込まれることなく、往時の古い街並みを現在に残すことになる。

つまりは古代の徒歩と馬や船を中心とした交通網から、近代の汽車と車へとシフトしていくなかで、交通網が変化し、かつての要所が取り残されるようにして、かつては栄えていたが、現代ではそれほど重要な産業があるわけでも無いにもかかわらず、それでも古い街並みを残しているという街は日本中に多く残る。

完全に過疎化が進むわけでもなく、それといって何処にでもある郊外都市になる訳でもなく、小規模ながらかつての面影を残し、風土を感じさせてくれる風景を残した街に出会うのは、かつての日本に紛れ込んだようななんとも嬉しい気分にさせてくれる。

打吹城の城下町として旧街道である「倉吉往来」が街の中心部を東西に横切っている。その通りに面して残っているのが、保存されながらも今でもしっかりと使われている倉吉大店会(くらよしだいてんかい)。

元々は国立第三銀行倉吉支店として、大工の山田幸一によって1908年に作られるが、木造の擬洋風のデザインは様々な用途を経て、倉吉の一つのシンボルとして現在もレストランとして使われているという。

本来ならば中で温かいコーヒーで身体を温めたいと思うところだが、狭い旧街道沿いということと、今も街の中心部として活発な地域だけあり、駐車場が整備されている様でもなく、しょうがないので車の中からちらりと眺めながら次の目的地へと向かうことにする。