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2014年2月7日金曜日

岩村城(いわむらじょう) 1185 遠山景朝 ★★



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所在地  岐阜県恵那市岩村町城山
城郭構造 梯郭式山城
別名   霧ヶ城(かすみがじょう)
築城主  遠山景朝
築城   1185年
機能   城郭
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6日間の自由行動を終了し、最寄り駅で東京の実家でゆっくりしていた妻と合流し、実家で久々の両親との水入らず。折角なのでと企画していた岐阜地方への温泉旅行の為に京は朝早くから出発することに。

折角その地方に行くのなら、行程上にマッピングされている他の目的地に寄っていったほうが皆も退屈しなくていいじゃないかという理論で、幾つか設定された立ち寄り地の最初の目的地がここ岩村城(いわむらじょう)。

GoogleのCMのせいで「日本のマチュピチュ」のイメージをすっかり竹田城(たけだじょう)に持っていってしまわれた感があるが、その竹田城よりはるかに昔に険しい地形を利用し、その地形を拡張するかのように張り巡らされた石垣によって守られたこの岩村城は付近に霧が多く発生するために、別名・霧ヶ城(かすみがじょう)とも呼ばれ、「元祖日本のマチュピチュ」と呼ぶに恥じない城である。

戦国時代に防御の為に、木曽山脈の深い山の中に築かれたこの城は、全国でももっとも高いところに築かれた城として知られ、日本三大山城に名を連ねている。因みに他の二つの日本三大山城とは、下記の二つ。

備中松山城 (岡山県高梁市)

高取城での酷い経験を思い出しながら、今回は同行4人ということもあり、簡単に城に到着できることを祈りながら山道を進む。かつての城下町と思われる開けた観光地まで到着するが、どうやったら城までいけるのかあまり丁寧に案内がされていない。しょうがないので車を停めて地元の人に聞いてみると、まだ暫くまっすぐ道を進むという。

言われたままに車を進めると、数分もするうちに脇道への案内がでて、細い山道に入っていくとがけ崩れの為にこの先通行止めという看板が見えてくる。しょうがないので車と停めて、この先どのくらい歩けば城の到着できるのか説明してない案内板にイラつきながらも山道を上がることにする。

車に残る母親を置いて、着いてくるという父親と妻と一緒にかなり急な山道を上がっていく。暫くカーブを進んでも一向に見えてこない城の姿に、少々怪しい雰囲気になり始めた後ろの二人・・・しょうがないので、「どれくらいで着くのかちょっと先に行ってみてくる」と小走りで坂を駆け上がる。

するとすぐに石垣の一部と思われるものが見えてきて、その横には矢印を案内板が。「あったよー」と後ろの二人に声をかけ、その場で待っていると、暫くしてゆっくりと上がってくる二人。「どうやら、この先に石垣に登れる場所があるらしい」と説明する場、二人はここで引き返すというので、「ちゃちゃと見てくるよ」と言い残し先へ進むことに。

するとすぐに開けた場所が現われ、右手に回っていくと縦に切り立った石垣沿いに上がっていける石階段。「ほぅ、なるほど」と納得しながら、かなり立派な地形を上手く利用した石垣郡の間をすり抜けながら上に上がる。

するとパッと景色が開け木曽山脈が遠くに見えるようになる。岐阜圏内では岐阜城とこの岩村城跡の2箇所だけが100名城に選定されているが、それも納得の名城である。城跡で整備されていなくても、これだけ周囲の地形に適応しながら、この場に大きな勢力があったことをその跡からも理解させてくれる力を持った城跡である。

同行の三人を退屈させないようにと、さっさと見学を切り上げて、帰りも駆け足で石垣を下りていくことにする。










2014年2月5日水曜日

月山富田城跡(がっさんとだじょう) 佐々木義清 1185 ★


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所在地  島根県安来市広瀬町町帳
城郭構造 複郭式山城
築城主  佐々木義清
築城   1185年
機能   城郭
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日本100名城
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上空はまだまだ不安定な空模様で雪が降ってはやんでの繰り返し。しかし足元には昨日からの積雪が数十センチに積もっているので、「城」を見に行くにはかなり厳しい状況かもと思いながら、折角近くまで来たのでためしのつもりでと足を運んだのが、この月山富田城跡(がっさんとだじょう)。

月山(がっさん)といえば、山形だが、この島根にも月山はあり、そこに造られたのがこの月山富田城。知らなければ、「つきやまとみたじょう」とでも読んでしまいそうだが、歴代の出雲国守護職の居城であり、尼子氏(あまごし)の本拠地でもあった城である。

尼子氏というからには、この山陰の地のスーパースターでもある山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)が出自した城でもあり、島根の人間にとっては思い入れのある城の様である。ちなみにこの山中鹿介だが、先ほどの城名の様に、読み方に一クセあるのでは?と思ってみるが、意外とストレートに「やまなかしかすけ」である。山陰の街中には、「山中鹿介を大河に!」と地元の英雄を全国区に押し上げようとする機運が盛り上がっているようである。という自分も、今回までまったく知らなかった武将であるが。

とにかく、その地形を利用し、非常に攻め難い城として「天空の城」とも呼ばれていたというこの月山富田城。戦国時代の終わりには、尼子氏が広島の毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となり、1600年以降には堀尾氏が城主となり、パックス・トクガワの時代にはより開けた松江城に拠点を移した為にこの城は廃城となった。

今では往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみであるが、山城の代表例として日本100名城にも数えられている。

100名城と言われてみすみすスルーする訳にも行かず、足立美術館からすぐということも手伝って、とにかく近くまで行ってみることにする。こういう整備されていない城跡が一番厄介で、車でいけるところからメインの城跡まで歩いてどれくらいかかるのか?道がどれくらい整備されているのか?などは実際行って見ないと分からない。まぁそれが面白いところでもあるが、こういう大雪の日で無ければの話である。

そんな訳でナビに導かれ、山の麓の道の駅に車を停める。車から出ると既に足元は40センチ強の積雪。歩くのも一苦労。道の駅は営業をしておらず、誰にも情報を聞けず、しょうがないので案内板が指し示す方向に歩いてみる。

数百メートルの距離が、大雪の時にはこれほど体力を奪うものだと実感しながら、なんとか次の案内板に到着するが、どうもここから相当上まで登らなければいけなそう。そうなると本格的な命の危険を覚えそうということで、今回はここで断念する事に。恐らくこの決断はかなりの英断だと思いながら道を行くトラックのタイヤからの水しぶきを避けながら車への道のりを汗をかきながら戻る事にする。