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2015年3月6日金曜日

Electrical Substation UN Studio 2002 ★★


オーストリアから再度ドイツに向かう前に、晴れ上がった空の下で少しだけ現代建築を見ていこうと言う事で立ち寄ったものの一つ。事前の調査ではひっかからなかったが、パートナーがどこかのサイトで見つけたようで、市の中心にあるUNスタジオ設計の変電施設を見に行くことに。

昨日見たLandhausplatzのすぐ近くの少し街路を入ったところにあるので、これは知っていないとなかなか見つけられないなと思いながら、その黒い石のような不思議な建物を観て回る。

UNスタジオ(UNStudio)はオランダ人のベン・ファン・ベルケル(Ben van Berkel)とカロリン・ボス(Caroline Bos)によって作られたロッテルダムに拠点を置く建築事務所。ベルケルがAAスクール出身で、ザハの教え子であり、その後ザハのユニットを引き継いで教鞭をとっていた事からも、かなりコンセプト的でダイアグラムなどで明確に設計手法をグラフィック化する事務所で、ここ最近は世界中でプロジェクトを展開するスターキテクト事務所の一つとして活躍している。

代表的な作品を見てみると

1996 Erasmus Bridge(オランダ)
1998 Mobius House (オランダ)
1999 Het Valkhof Museum (ネイメーヘン, オランダ)
2000 Waste Disposal Installation (デルフト, オランダ)
2000 NMR facility(ユトレヒト, オランダ)
2000 La Tour(アペルドールン, オランダ)
2001 Water villa's(アルメーレ, オランダ)
2002 Electrical substation(インスブルック, オーストリア)
2003 Living Tomorrow(アムステルダム, オランダ)
2003 Prince Claus Bridge(ユトレヒト, オランダ)
2004 Glleria Department Store(ソウル, 韓国)
2004 Hotel and Hamam(ツオーツ, スイス)
2004 La Defense Offices(アルメーレ, オランダ)
2005 Park and Riji Towers(アルメーレ, オランダ)
2006 Tea House on bunker(オランダ6)
2006 Mercees-Benz Museum(シュトゥットガルト, ドイツ)
2007 VILLA NM(ニューヨーク, アメリカ)
2007 Theatre Agora(レリスタッド, オランダ)

こうして見ると、このインスブルックの作品はキャリアの中間からやや前期に含まれるものだというのが見て取れる。

高圧電力施設ということで、内部への採光の為の窓が必要なく、ただ通気の為の開口が機械的に設置されており、丸みを持ったコーナーを持つ巨大な黒い石が、地面から浮かされて鎮座するような表情を見せている。

この石はマグマから作られる岩石である火成岩のようで、如何にも山の麓に位置する窓を持たない特殊な建築によくマッチしている雰囲気である。3階建てというスケールも周囲の住宅街にマッチしており、よく注意しないとそこにこんな建物があるということを、周辺住民ですら意識せずに過ごしているのだろうという、存在を消すデザインの在り方を考えながら、この街最後の建築へと足を向けることにする。








2015年3月4日水曜日

ピナコテーク・デア・モデルネ (Pinakothek der Moderne) Stephan Braunfels 2002 ★


アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)が古い絵画。
ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)が新しい絵画。

そうしたらピナコテーク・デア・モデルネ(Pinakothek der Moderne)は?

最近流行のアメリカ人芸人のネタの様に、「ああ~パターン見えてきたよ、ジャーマン・ピーポー!」と言ってしまいそうなこの美術館郡。ミュンヘンの芸術エリアに並列する美術館はピナコテークとなんとも可愛らしい名前をつけられ、それに「古」、「新」、そして「現代」がつけられ立ち並んでいる。

設計はシュテファン・ブラウンフェルス(Stephan Braunfels)によって2002年に竣工した美術館。


ラッキーなことに今日は水曜日ということで無料開放の日。その為に館内には多くの学生と思われる団体が美術館でのワークショップを行いに訪れていた。日本の美術館では考えられないくらいゆったりとした設計で、背の高いロビー空間から東西に伸びるウイングには地下から2階まで展示室が配置されそれを自由にめぐっていく動線となっている。

建築として何かこれといって新しかったり素晴らしい空間があるわけでは無いが、美術館としてしっかりとした設計がなされており、展示計画もよく設計されておりものが乱雑に展示されていたり、窮屈な視線をアートに向けたりというようなことを感じずにアートを楽しめる、そんな美術館となっている。

建物内部はそれほどピンと来なかったが、地下に設置されたトイレはなかなか洒落た設計となっているので、ぜひ体験するのをお勧めする。


























2014年4月16日水曜日

「最悪」 奥田英朗 2002 ★★★★★

モスクワから戻ってきて、すぐに日本で進めている保育園のプロジェクトの打ち合わせの為に日本に戻る。国境をまたいでの移動は、空港での待ち時間に、飛行機の中で身体を拘束される時間を合わせ、必然的に読書がはかどる時間でもある。

そんな中で読みきったのが、大藪春彦賞や吉川英治文学新人賞など1999年に様々な文学賞で受賞候補に挙げられた奥田英朗の有名作。そのタイトル通り、読んでいても、「なんでそんな風にしてしまうんだ・・・」と心がムカムカするほどの登場人物の判断力の無さや行動内容。まさに「最悪」としか言いようが無い。

最近読むことが多かった、ある数人の主人公にスポットを当てるのではなく、多種多様の人物を平行して追うことにより物語を進行する群像劇ではなく、あくまでも主役は3人なので、読んでいきながら流れをつかみやすい。そして3人の転換も非常にテンポが良い。

一人目の主人公は鉄工所社長の川谷信次郎。鉄工所の社長といっても、「僕達急行 A列車で行こう」の瑛太の様なのんびりした感じでも、池井戸潤の描くような技術に裏打ちされた職人的な側面を描くでもなく、ただ真面目に、そして愚直に仕事に取り組み、家族を少しでも楽にできるようにと休日返上でも単価の低い仕事でもこなしているいいおっさんである。しかし、かつての田畑に囲まれた中に鉄工所があるという風景から、開発がされ周囲にはマンションが立ち並び、地縁で繋がってはいない新規の住民が周辺に住み着くようになる。

彼らは夕方以降や、週末での騒音は出さないようにと一方的に要求を突きつけてくる。それが如何にも外資系のサラリーマンという形で理論武装をして追い詰めていく。そこに近所付き合いや人情なんてものは入り込む余地は無い。

そんな苦情は区役所にも回っていき、お役所仕事として「形だけでも」なにかしらの結果を欲しがる役人から、どうにか約束を確約しようとされてストレスをかけられる。折りしも取引先の懇意にしてもらっている担当者から進められた設備投資の甘い話。その彼から紹介された通常の取引銀行ではない大手の銀行からの融資の話。その話が済むまでは近隣での騒音問題を抱えている会社とは知られる訳にはいかず、なんとか隠し通そうとする信次郎。

冷静に考えれば、自らの身の丈に合っていない設備投資であり、無理な借金をしてまでも行うことではないと分かるはずなのに、他の幾つものストレスが重なり、ある種の思考停止に陥り、とにかく設備投資さえ出来れば全てが解決すると盲目的に信じてしまう状態。その描写がなんとも素晴らしい。

建築事務所なんていう零細企業を行っていると、つくづく人間は属している組織の大きさによって自らの態度を決め、そして相手の組織の大きさによってとる態度を決めているのだと痛感させられる。決してその人の能力や人間性でではなく、あくまでも最終的にその人を守るであろう組織の大きさでである。

小さい、もしくはその人が知らない組織に属していれば、人はとことん攻め入ってこようとする。人が謙虚に下手に出ていけばいくほど、人は漬け込んでくる。何かこちらに非があると思われることを見つければ、これ見よがしに漬け込んでくる。その目的は最終的には金銭となることが多い。

建築設計を行っていても、時に適正価格というものを考えず、ただただ提示された額からどれだけ値引きさせることができるかが、自らの能力だと考えている人に出くわすことになる。恐らくそれらの人が生きてきた人生と言うのは、そういう中で能力が評価される世界だったのだと想像し、さぞやさもしい時間だったのだと思いを馳せる。

本来はその仕事の業務量がどれほどで、その中で専門的能力がどれほど関与し、手間と時間がどれだけ費やされての報酬額かを理解し、また取引をする企業にとって、この仕事でどれだけの利益が出て、企業活動の継続が可能である範囲かに思いを馳せることがいいのであろう。

しかい多くの人は、他の人はその金額を払っても自分だけは値引きをして欲しい。自分だけは恩恵を被ってもいいはずだ。それでもおたくも問題ないでしょう。という態度となる。この空気が強く現われたのは自由主義経済を進めてきた2000年代の後半。デフレの波が世の中を多い、本質を見ることなくただただ値段の問題へと還元されてしまう専門業務。それは何も残らないイナゴの大群の通った後の風景を思い起こさせる。

そんな思いを抱えながら世の中を眺め、なんとか耐え忍んできた身にとっては、信次郎がどうには現状維持の生活からなんとか上昇のスパイラルへと希望を描き、数多の可能性の中のベストなシナリオしか頭の中に思い描けなくなってしまったかが良く分かる。それほど、社会の下で必死に生きている人の姿をよく理解し描いた作品だと思わずにいられない。

二人目の主人公の藤崎みどりはかもめ銀行の銀行員。職場での淡い恋心や上司からのセクハラ、奔放な妹への心配、自分を目当てに通ってくる少し地方気味の老人顧客への対応など、まさに日常の中の些細なことではあるが、本人にとっては非常に大きな問題を抱えながら生きている。

最後の主人公は、チンピラの野村和也。パチスロで生活費を稼ぎ、水商売の女のヒモとなり、ヤクザの友人とトルエンの強盗を繰り返し、そこからヤクザに追われることにあっていく。

それぞれの状況が徐々に徐々に「最悪」の方向へと沸騰していき、あるとき急に沸点に達したかのように事態が動き出す。そしてバラバラだった三人があるところで運命に引き寄せられる。

三人が三人とも、なんで真面目に生きているのに、何で頑張っているのに、それなのにどうして俺だけ、私だけこんなに悪い方向に進んでしまうのか?どうして俺だけこんなに負担が大きいのか?なんで頑張っているのに人生がよくならないのか?という思いにかられながらも坂を落ちていくようにどんどん「最悪」へと嵌っていく。

まさに読んでいて、気持ちのよいものではない。それだけに描写が素晴らしいということである。恐らく日本人の誰もが、主人公の誰かのどこかに自分の日常を写し合せることができるのだろうと想像する。それだけ日本人は真面目で平凡に毎日をこなしている。それなのに、悪い方向へといってしまう。

あっという間に読み切れてしまうスピード感ある良作である。


2014年3月20日木曜日

「イン・ザ・プール」 奥田英朗 2002 ★★★

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目次
/イン・ザ・プール
/勃ちっ放し
/コンパニオン
/フレンズ
/いつまでたっても
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NIRVANAのNever Mindを思い起こさせるその表紙から、バリバリのロックな話かと想像していたら、なんとも拍子抜けする精神科医のお話。続編にあたる「空中ブランコ」が直木賞を受賞したということで、恐らくセットで手に取った一冊。なんだか流行りものの軽い感じかと思っていたのでなかなかページを開くことがなかったが、齋藤先生も絶賛とういことで読んでみることにする。

極端だけれども、誰でもその気持ちは理解できなくはないという現代に生きる心の闇を抱えた患者がひょんなことから訪れる精神科。そこに現れるのはけっして医者らしくないデブで気が利かない精神科・伊良部。

本人にとっては一大事なのにもかかわらず、その飄々とした態度と言葉で「あれ、悩んでいたことはなんだったんだろう?」と、その悩みの基盤となっていた一般常識、世間の常識が当たり前でないとそこからぶっ壊そうとする伊良部の態度。

表題にもなっている「イン・ザ・プール」では、プールで泳ぐことが習慣になった編集者が、今後ははまりすぎ、逆に禁断症状となってしまい、泳ぐことができなければ生きていけないようになってしまう。しかし、伊良部は一緒になって泳ぎにはまり、編集者よりもどっぷりとその症状に嵌っていく。

周囲から「あなた、そろそろやばいんじゃない?禁断症状になっているんじゃない?」と心配されて、所謂精神病との狭間にいると意識される編集者は、そんな伊良部の姿を見ると、何が常識かを揺さぶられる。


次の「勃ちっ放し」では、勃起がおさまらなくなってしまった会社員。それはいつでも「いい人」を演じてしまい、自分の感情を外に出さないことが原因だと思い込むが、それでもなかなか自分の性格は変えられない。恐らく現代社会に生きる半分ほどの人は、自分だけ周りに気を使って、なんて損な役回りだと思いながらも、同じように明日も過ごしているのだろうと想像する。

「コンパニオン」ではよりわかりやすく、2流モデルが自意識過剰でファンによるストーカー被害にあっていると妄想が止まらない。その自意識過剰のせいで、周囲の友達もいなくなり、仕事もできなくなっていくが、それはすべて美しすぎる自分への嫉妬からくるものだと思ってしまう。周囲との意思疎通の取れるコミュニケーションが取れないまま大人になってしまった自己意識の肥大した大きな子供。そんな人間が街にあふれる現代社会を見事に描き出す。

「フレンズ」では、携帯でメールをし、友達とSNSをすることが、自分の存在意義、イケている、皆に愛されている自分の居場所だと思って過ごす高校生。中学までは全然イケてなかったので、高校デビューばかりに思い切って明るい自分を演じてみて、CDも誰より先に買ってはカラオケの練習をして皆から注目を集めようとする。自分の望む姿と現実の自分の姿のギャップをうまく消化できない思春期を思い出させるような物語。

「いつまでたっても」では、家を出ると、ガスを止めたか?煙草の火は消してあるか?なんて気になってしまい、家から出られなくなってしまうライターの話。これも誰でも一度はそんな不安症に襲われたことがあるはずで、バスに乗ったとたんに、「あれ・・・?」と窓を閉めたか不安になったりするものである。


世間の常識に囚われず、また一般の会社に勤めることで「立派な会社員」として振る舞うことを強いられることのない伊良部。その強みは、実家でもあるがゆくゆくは自分の病院をバックグラウンドにはしているが、精神科医として確かな職業的能力を持ち、誰がなんといっても、間違いなくその道のプロフェッショナルであり、それで自分の生活をさせることができるという誰にも負けない自信。

それがある限り、誰に何を言われても、誰が何を思おうとも、不安になったり、委縮する必要がない。登場する患者は、「こうでなければいけない」、「みんなからこう見られない」という意識が高じて、自分で自分の病気を作り出してしまっている。

日本の建築界で誰もが公の場で、「あいつの作品は酷い。見れたもんじゃない」と非難しないのは、やはりどこかでつながっており、それが自分の利益につながることもあるかという思惑が見え隠れするからであろう。それが一度日本を自らのマーケットとして見なくても、十分に自分の生活を支えることができるようになった時に、より自由に発言ができるようになるというものである。

そんな閉塞感が漂うことすら変な世の中であるが、伊良部から学ぶことは、何よりも自分の職業的能力を高め、それにより自らのマーケットを開拓し、生きていける人間は、どんな時代にもやはり強く朗らかに生きていけるということであろう。




2013年7月16日火曜日

セラミックパークMINO 磯崎新 2002 ★★



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所在地  岐阜県多治見市東町
設計  磯崎新
竣工   2002
機能   美術館
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永保寺で夢窓疎石の世界を堪能した後に、せっかく多治見まで来たのでということで、足を伸ばすことにしたこの美術館。

駐車場に「休館日ですが建物は開放しています」という張り紙がしてあるので、車で待つという両親を残し、妻を連れ立って長いアプローチの廊下へ足を運ぶ。

地元の有力産業である陶器を前面に打ち出す複合施設だけあって、アプローチの長い長い廊下の低い天井には色とりどりの陶器が埋め込まれ、なんだか楽しげな雰囲気にさせてくれる。

このアプローチ廊下。随分高い場所に位置していることもあるのだろうが、とても気持ちのいい風が流れていく。恐らく部分部分に冷房の助けも借りているのだろけど、この長さが気にならないくらい自分達の立てる音の反響とともに、吹き抜ける風を楽しみながら建物へと足を運ぶ。

長く閉じられたアプローチを抜けると、恵まれた周辺環境を存分に見せ付けるかのような開けたプラザ空間。L字に折れ曲がって美術館に入っていくのと、大きく開けたプラザを抜けて向かいの施設まで足を伸ばすのも可能なとても自由度の高い広場となっている。

右を向けばこの建物の外装を決定付けている陶器によるルーバーがどのように作られているのかあたかも展示のように見えるようになっている。詳細を写真に納め、手触りを確認して建物内部へ。

展示空間は休館ということで入れないが、他の公共部分は自由に歩いてみることが出来、そのような訪問者が多いのか、警備員の人も怪訝な顔はせずにゆっくりと見学することが可能。というより、人がいない分返ってゆっくりとそして贅沢に建物が体験できる。

階段を降りて中庭に出ると、谷になっている地形に沿うようにして建てられた配置計画を最大利用するように設けられた壇上の水面と滝。流れ落ちる面にも凹凸がつけられて、心地よい具合に水しぶきとはじける音を作り出す。

水の流れに誘われるようにして建物下部にもぐりこむと、建物を越えた側で今度は動きを失い静寂な水面と対峙する。極力柱を排除することで、両サイドの水面で冷やされた空気がこの空間を通り抜け、木陰に佇むような心地よい空気が流れる。

待たせている両親のことも気になりだしたので、再度坂を上りアプローチレベルまで戻る途中に、セラミックのルーバーを再度じっくり観察し、またまた長いアプローチ廊下で音の反響を楽しみながら見学終了。