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2015年2月7日土曜日

承德 ★



承德(しょうとく、Chéngdé)。北京市とその南東に位置する天津市をぐるりと取り囲む様にしているのが河北省(かほくしょう、Héběi shěng)。その名の通り、黄河の北にある省である。旧称冀州(jìzhōu)から、略称は「冀(キ、jì)」。その為にたまに北京市内で河北省の車を見ると、どうしても日本人にはそのナンバープレートの感じが「糞」に見えてしまい、ついつい目が行ってしまう略称でもある。

省都とは南に位置する石家荘市(せっかそうし、Shí jiā zhuāng)。他の主要な都市として挙がるのが、東に位置する唐山市(とうざんし、Táng Shān)、北西に位置する張家口市(ちょうかこうし、Zhāng jiā kǒu)、そして北に位置するこの承德市(しょうとく、Chéngdé)。

中でのこの承德は清時代の皇帝の離宮である避暑山荘(ひしょさんそう、Bì shǔ shān zhūang)とそれを取り囲むようにして配置される外八廟(がいはちびょう、Wài bā miào)が1994年に世界遺産に登録されたことにより、観光シーズンには多くの観光客が訪れる街として知られている。

地理的には北京から250キロの距離にあり、大体東京と名古屋の距離感と同じくらいである。しかし名古屋の様に整備された新幹線が通っており、2時間近くでたどり着けるような交通は発達しておらず、北京から快速でも4時間半、鈍行であれば6時間もの時間が必要ということで、北京にいる人でもなかなか足を運ぶことに躊躇する場所でもある。

歴史的に見ると、清の第4代皇帝である康熙帝(こうきてい)が夏の間はこの地で政務を執るために整備した避暑山荘の為に、それ以降首都の北京に対し、副都の様な役割を担っていったという。

その離宮の整備の為に、中国全土の様々な名勝地がモチーフとされ、その世界のミニアチュアとして多くの風景が再現される庭園が広大な敷地の中に展開され、それを取り囲むように様々な様式をまとった寺院が配置されている。外八廟というから8つの寺院なのかと思うとそうではなく、全部で12の寺院を総称して呼ばれるようであるが、実際に現在公開されているのは6つの寺院である。

その中でもチベットのポタラ宮を模して造られた普陀宗乗之廟(Putuo Zongcheng Temple、ふだしゅうじょうしびょう、pǔ tuó zōng chéng zhī miào)はチベット様式と中国様式の建築を融合させて造られた非常に珍しい建築のしており、その為に、小布達拉宮(小プタラ)とも呼ばれている。

日本の神道、仏教の建築の流れを理解するためには、中国での仏教と道教の流れを理解しない限りなかなか難しいということで、できるだけ体系立てて様々な建築を見ていくと決めたからにはこの地はやはり外せない場所である。

そんな風に思いながらもやはり交通の不便さでなかなか手が出せずにいたが、一年に数回ほど訪れる、「今週末の1日はオフィスに出なくても大丈夫そうだ・・・」という予感が背中を押し、中華新年前の帰省ラッシュに巻き込まれる前に夜行列車を利用して何とか日曜日には出勤できるようなスケジュールを立てられないかと週の中ごろから模索しだす。

時刻表を調べてみると、北京で深夜1時半発の電車に乗れば、朝の8時に現地に到着。そうすれば1日あちらこちらを回り、そして夜の22時現地発の電車に乗れば、北京に深夜の3時に到着できて、家に着くのが4時だとしても午後からオフィスに出られそうだと判断し、チケットを探し始める。

さすがに最近の電車は夜行電車でもリクライニングになっていて途切れ途切れでも睡眠が取れるだろうとオフィスのスタッフに頼んで切符を購入してもらうが、残念ながらその時刻のチケットは売り切れで、その代わりに少し早めの深夜0時発のチケットを購入。

これはなかなかタフな旅になりそうだと思いながらも、久々に一人知らない場所に足を踏み入れる高揚感を感じながら金曜日の夕方に少々早くオフィスをで、そわそわとしながら夕食の用意と共に車中様のおにぎりの為に鮭を焼いたり、水筒を準備したりと同時に、肝心要の寒さ対策を講じ、帯同する本などを選択して仮眠。22時過ぎに起きてバスを乗り継いで真夜中の北京駅へ。

待合室は帰省の為に多くの荷物を抱えた中国人で混雑する中、ベンチを見つけ電車の到着を待つこと一時間、定刻どおりにやって来た電車に乗り込むために改札を通過。この電車は河北省の省都である石家荘発承德行きなので車中は既に人の群れ。日本と違いカップラーメンを食べたりタブレットで音垂れ流しで映画を見ていたり、カードゲームをしたりと、「ああ、やはりこういう列車か・・・」とかなりタフになりそうな行程を思い描きながら指定された席へ。

向かいの人は乗車前に忘年会でも行ってきたのか、顔を赤らめかなりの上機嫌で息遣いも激しい。そしてその息がかなりのニンニク臭・・・。その上、「どこまで帰るんだ?」と人懐っこく話しかけてくるので早速眠りに落ちたフリでごまかすことにする。

定刻どおりに出発した電車は、窓の下に設置されたヒーターによって相当な温度。硬い椅子と狭い座席に苦労しながら何とか身体をよじり上着と中に着込んできた服を脱ぎ、明るいままの車内で、ところどころから周りの人お構いなしの大声での会話をなんとか耳に入れないようにと集中して眠るように心がける。一応荷物への意識を保ちながら、足元にバッグを絡めて浅い眠りを断続的にとることに。

しかし6時間といえば、飛行機で言ったら相当な場所までいける時間であるだけに、ところどころでの停車駅でなんとか身体を動かし、水筒のお茶をすすり、ヒーターで汗ばむからだの水分調節をして耐え凌ぐ。そんなことを繰り返しているうちにそれでの疲労の為に眠りに落ち、気がつけば朝の6時過ぎ。外の空も白んでくる頃に承德到着。

帰りは何とかこの辛い行程を避けたいと思いながら、まだぼうっとしている頭のまま見知らぬ街の中央駅へと降り立つ。駅周辺は旅行客を捕まえようとするホテルとタクシーの客引きが大挙しており、騒然とした雰囲気の中、まだ早すぎる朝の時間をどうしようかと地図を開きつつ、周囲で落ち着いて朝食を食べれるところがなさそうだと思いながら、せっかくだから目的地の避暑山荘近くまで行ってその周辺で朝食を食べ、開門と同時に中に入ってしまおうとタクシーに飛び乗ることに。

「朝食を食べたいから避暑山荘周辺まで」というと、「あそには何もないぞ・・・」と言いながら、すぐに携帯で私用の会話を飛んでもない大声で話す運転手。「きついな・・・」と思いながら到着する避暑山荘周辺はやはり朝食が食べられる場所は無い様で、しょうがないので中心街へと周ってもらうことにする。

その後避暑山荘まで歩いていく途中、停めてある車のナンバープレートの略称が見事に「冀(キ、jì)」なのに、少々気分も上がり、1日良い散策になることを期待する。

外八廟とういので、てっきり8つの寺院があるのかと思えば、実際には12の寺院があるという。その為に、せっかくだから全部周ってやろうと昼も取らずに必死に歩き回っていたら、現在公開されているのは6つの寺院だけと言われ、思ったよりもはるかに早く見終わることに。

帰りの電車が夜の22時発で、散策を終えたのが14時過ぎなので、他にこれと言って見るところも無さげであるし、何より疲労がかなりのものなので、何とか帰りの電車を早められないかと再度駅へと向かい、窓口で早い時刻の電車に変えることと、できればもう少し楽な座席にしてもらうことをお願いしたら、19時過ぎ発の便は快速で4時間半で北京に着き、なおかつ寝台車だというので逸れに変更してもらう。しかも追加料金は発生せず。不思議に思いながら中心街にバスで戻り、遅めの昼食をとり疲労回復に努める。

電車の時間まで中心街を散策し、ほぼこの街の構成がどのようになっているのかを理解し、バスで夜の駅へと向かい、定刻どおり乗り込んだ電車は快適そうな寝台車。発車と動じに眠りに落ち、計25キロ近く歩いたために身体への疲労も相当に溜まっていたらしく、途中目覚めることをほとんどせず、「あと少しで北京だ」という係の人の声で目を覚まし荷造りをし無事に北京に戻ってくる。

やはり大都会に戻ってきたという安心感を感じながら、運行最終のバスに乗るために、近くのバス停まで歩き、ほとんど利用客のいないバスに乗り込みながら、満洲族による征服王朝の一つであった清朝、その清時代の代表的な年である承德を改めて振り返り、離宮に世界のミニアチュアであるコピーとしての風景を作り出し、決して自分達で新たなる価値を生み出すことに至らなかったことと、元を追い返し、現代まで残る強烈な都市軸や都市の風景を生み出した人向かいである明朝との文化的差異を思いながら、長い1日を終えることにする。
















2014年2月6日木曜日

今時の女の子

大山から米子を突っ切り、途中でガソリンを補給し米子鬼太郎空港で何とか時間通りにレンタカーを返却する。6日間における長距離運転からやっと解放され、実家に戻る為に電車に乗る為に最寄り駅まで歩いていく。

山陰から電車を使って名古屋地方まで行くためにはどうしても中国山脈を突っ切って岡山に到着し、そこから新幹線に乗ることになる。あまり乗ることの無いローカル線の旅でも楽しみながら帰ろうかと思って到着したJR境線の米子空港駅。思っていたのを遥かに超えるほのぼのとした単線路線の無人駅。小さな時刻表を見るとなんと一時間に一本のみ。

ネットの乗り換え検索で時間だけ調べていると、その駅や路線の規模や、どれだけの頻度で電車が来るのかというのが見えてこないので、「少し早めに手続きが終わったので、予定の時刻よりも一本早めに乗って米子か岡山で美味しい駅弁でも・・・・」と軽く思っていたのを完全に打ち砕かれる。

しょうがないので寒い中予定通りの時刻の電車を待っていると、同じように旅行用のトランクを引いた20代と思しき女性二人組がやってくる。時刻表を見て同じようなリアクションを取っており、「暫く来なそうですね」と話をしてみると、この雪の為にレンタカーを返却するのが遅れて、予約していた成田空港行きのスカイマークに寸でのところで乗れなくて、次の便への振り替えもさせてもらえず、次に開いている夕方18時便のチケットを購入するか、それとも電車を乗り継いで地元の千葉まで帰るかという選択肢で、時間を考えて電車で帰るところだという。

途中まで同じ道中ということで、あれやこれやと話を聞くと、化粧品販売会社の先輩後輩という二人は、千葉生まれ千葉育ち。二人とも付き合っている彼氏はいるが、どうもその相手が煮え切らないので、何か良い方向に進みますようにと休みをあわせて出雲大社にお参りに来たという、なんとも現代っ子らしい話である。

そんなこんなしているうちに、米子行きの電車が到着し、暫く乗車して米子到着。そこからは岡山行きの特急「やくも」に乗り換えるのだが、雪の為に少しずつダイヤが乱れていたが、チケットを購入していたら丁度列車が到着し、なんとか乗り込む。

雪景色から中国山脈を越える約二時間の旅。折角の機会だからと今時の若者の生活がどんなものかと色々聞いてみるが、まさにメディアで報道される現代の若者の姿。地元が大好きで、多くを望まず、専業主婦になりたいがそれは無理だと理解しており、付き合っている彼氏には結婚願望がまだ湧いてきては無いようであり、だからといって別れても他にあてがある訳でもなく、女社会の職場での人間関係に気を遣いながら、こうしてたまには旅行などで息抜きをする。

今の収入から考えても一人暮らしは考えられず、実家暮らしだが問題はなく、家族との関係は良好で、友人・交友関係と職場も全て地元を中心とした千葉圏で完結している。彼氏を始めとした同年代の男友達にはこれといった向上心はなく、今の職場で不満が無いわけではないがかといってガツガツやるようなタイプもいない。彼氏とのデートは数週間に一度休みがあった時。二人とも今の彼氏は随分長いこと付き合っているらしく、デートといってもこれといって何か特別なところに行くようなことも無いという。

若くして結婚して子供を生んだが離婚して、シングルマザーになった友達も沢山いるとか、自分の周りも大概自分と同じようなもので、皆それなりに今の生活に不満は感じていないという。

結婚相手に求めるものはと聞いてみると、二人揃って何よりも「安定」だと言う。「奥さんと結婚しようと思ったのは何がきっかけですか?」と熱心に聞いてくるその姿に、「結婚」がこういう女の子達にとって大きな意味を持つ変化であることと、それがもたらしてくれる生活と精神的な二つの「安定」がどれだけの意味を持つのかを会話の中から良く理解できた。

そんなことを話しているうちに到着する岡山駅。弁当を買い込んで駆け足で乗り込む新幹線。弁当で空腹を満たし、ウツラウツラしながら到着する名古屋。ここでお別れとなる二人に、「出雲大社のご利益があるといいね」と挨拶をし在来線に乗り換える為にホームを後にする。