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2013年9月28日土曜日

「こゝろ」 夏目漱石 1952 ★★★


自分自身の古典を探すためには、人生の中で何度も同じ本を読み返す事が必要だということで、本棚の中から忘却の彼方に置かれている本を探しだし、手に取った一冊。

言わずと知れた「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」の物語。

書生システムがまだ生きていて、学校以外でも自らの「先生」と呼べる人物にである事が可能だった明治末期。

陳腐化する以前の有産階級達がまだ生存していた消費社会の波に呑み込まれる前の日本。その時代には、「生きる」ことに膨大な費用を支払う現代のような汲々とした日常は無く、家族と女中、そして数人の書生を抱える姿は多くの過程で見られた風景であった。

田舎のそこそこの資産家の息子である自分。そして同じく田舎の資産家の息子であった先生。共に学の為に東京にやってきて、学ぶことを目指して日々を過ごす。

書生でありながら夏には涼を求め、房州を巡りながら学習をするなんて、現代から考えたらなんとも贅沢な時間の過ごし方が可能であった時代。高度成長という幻影のお陰で、国全体が豊かになったように見えるが、かつてあった文化的豊かな生活を送る余裕と、それを支える経済力を共に持ち得るのが非常に難しくなった現代は、本当に豊かになったのだろうか?と思わずにいられない。

自分は何を成すべきか?
自分のすべき事に対して自分の日々の過ごし方は十分にストイックであるか?

そんな高貴な思いではなく、もっとドロドロした人間の本質的な感情。自分が叶わないと思っているライバルとどうにかして蹴落としたいが、それを自分が好意を寄せてる相手に知られたくは無い。

千利休が死をもって永遠なる文化の華を咲かせたように、Kもまた死をもって永遠に先生の心の中で生き続ける。明治天皇の崩御に続いた乃木大将の自決。死が選択肢として生きていた時代のまっすぐな自らの表現。

ネットが露にしつつある人間の醜い本性。努力することなしに、誰か近しい人間が自分よりも高みに足をかけようとすると、ものすごい勢いで足をすくおうとする負の力。社会全体が病みだし、生きていくのが簡単ではない現代。

そんな時代にこそ、読み直す価値がある一冊なのかもしれないと読み直しに満足できる一冊。

2013年8月31日土曜日

「利休 [RIKYU]」 勅使河原宏 1989 ★★★★

随分前にその脚本は読んでいたのでいつかは見ないとと思っていたこの映画。野上彌生子の原作に監督は勅使河原宏。そして脚本は赤瀬川原平となんとも豪華な顔ぶれ。

「詫び・寂び」という概念は、どんなに長く海外に住んでいても、同じ文化体験を経ていない人間に伝えるのはとても難しい。自分の語学能力の低さのせいもあるが、ほぼ無理なのではと思い始めている。

そういう時にこのような映像というメディアがあるのは非常に助かる。どんなアブストラクトな言葉よりも、暗い茶室の中で一輪の花を生け、一杯の茶碗を中心にして向き合う茶の湯。見えないものを見えるものにする茶の湯の世界。それを視覚体験でも見てもらう事はとても意味がある。

そういう意図ではないのだろうが、あくまでも最初から外に向けて深い日本の文化を伝えるようなつくりになっている。そして画面を彩るのは押しも推される名優ばかり。

その中でも千利休の三國連太郎と豊臣秀吉の山崎努。以後どんな本を読んでも恐らく自分の頭の中にはこの二人に姿が思い浮かんでしまうと思えるほどの名演。両者共に、静と動、巣晴らしい対比を見せる迫力の演技。
  
この映画の素晴らしいところは、長い一人の一生を描くのに1時間半や2時間という映画というメディアの持つ宿命として時間の束縛を受けるのだが、監督が勇気を持って十分な「間」を持たせているところ。恐らく利休という人は、本当にこういう自分の時間の流れ、ゆったりとした動作で生きた人なんだろうと思えてきてしまう。

前編にわたる緊張感。いつの世も文化と権力の距離感は難しく、信念を曲げない文化人の生き方と、文化を庇護する為に権力との距離感を保つそのバランス感覚。

ほんの少しのボタンの掛け違いから、どちらも引くことができない場所まで行ききってしまう。利休と秀吉。どちらも天下を取った人間同士。引くよりは、信念に沿って綺麗に散る。それだからこそ、人の一生と言う時間の枠を声、現代まで何百年も美しき所作として残るものを作り上げる事が出来た。

目の前の事。一生の事。そんな個人の時間スパンに縛られてしまう現代。その中でも、何かの道の上を歩き、この世に何かを残そうとする人間はどれだけ遠くを見て時間を過ごせるかと問われているような気分になれる名作。


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スタッフ
監督 勅使河原宏
脚本 赤瀬川原平・勅使河原宏
原作 野上彌生子
製作総指揮 奥山融
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キャスト
三國連太郎 千利休
山崎努   豊臣秀吉
三田佳子  りき
松本幸四郎(9代目) 織田信長
中村吉右衛門(2代目) 徳川家康
田村亮  大納言秀長
岸田今日子  北政所
井川比佐志  山上宗二
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作品データ
製作年 1989年
製作国 日本
上映時間 135分
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2013年7月26日金曜日

大徳寺(だいとくじ) 1325 ★★★


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所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町
別称  左大寺(さだいじ)
山号  龍寶山
宗派  臨済宗大徳寺派
寺格  大本山
創建  1325
開基  宗峰妙超
機能  寺社
文化財 方丈、唐門(国宝)
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日本の建築空間 (孤篷庵 忘筌(ぼうせん)の間 1799)
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京都最終日。妻は昨日まですっかり京都は満足だというので、「今日は行きたいところへ行けば」と言う。それならば昨日まで予定から漏れてしまった中からぜひともというところをピックアップ。そして最初に向かったのがこの大徳寺(だいとくじ)。

言わずと知れた臨済宗大徳寺派の大本山。京都でも有数の規模を有する禅宗寺院と言われてもどうもぴんとこないが、実際に足を運んでみるとその規模はほとんど小さな街レベル。中心伽藍はもちろんだが、20を超える塔頭が境内に立ち並び端から端まで歩くと軽く20分ほどかかってしまう。

後醍醐天皇により保護を受け、一時は京都五山のさらに上位に位置づけるという動きも出たが、時代が流れ足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまったという。

その後、貴族、大名、商人、文化人など幅広い層からの保護や支持を受け、室町時代以降は一休宗純などの名僧を輩出する。その流れから「侘び茶」を創始する村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、茶の湯の世界を作り出す重要な場所となり、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもったという。

境内の三門は1589年に千利休が上層を完成させた。その恩に報いようと寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置する。その為に門を通るものは利休の足元をくぐるということになってしまい、これが時の天下人・豊臣秀吉の怒りを買い利休への切腹命令へとつながって行く曰くつきの三門。

多くの塔頭が立ち並ぶ境内を駐車場から一番遠い西の端まで歩いていく。途中境内を出てしまい、近所の中学校の運動場の脇を抜けていきながら、「この道であっているのだろうか?」と思いながらやっとたどり着くのが目的地の孤篷庵(こほうあん)。

何といっても小堀遠州が建立し、遠州作による茶室「忘筌(ぼうせん)」が境内にある塔頭の一つ。こんなに広い寺院で、これほどの塔頭が立ち並ぶとは思っていもいなかったので、てっきり参拝できるものだと思っていたがどうも雰囲気が違うようである。

門の外から中を覗いてみると、外に停めてあるスクーターでやってきたと思われるおじいさんがひょこひょこ戻ってくる。「あれ、やっぱり頼めば中に入れるのかな?」と淡い期待が湧き上がってくるが、「あかんあかん、見られへんて。なんかの雑誌で往復はがきを送れば見学できるって書いてあったんやけど、あかんて。そりゃ殺生やで」と京都弁丸出しで教えてくれる。

やはり一般公開はしていないらしく、残念に思っていると、「どっからきたん?」とおじいさん。なんでも中の良い名古屋在住の友人がちょくちょく京都を訪れに来て、その度に趣向を凝らしたところに連れていけというから既に300以上も京都の寺院を回っては、面白そうな話を仕入れているのだという。

一昨日から回った寺院を説明し、今日の予定を伝えると、「それやったら、あそこのお庭はええでぇ」とあれやこれやと教えてくれる。その話がまた凝っていて、「皇族もあっちこっちで子供仕込んで来てまうから、しょうがないから寺に入れるんやけど、普通の寺と一緒にするわけもいかんから、門跡つって特別扱いしよるわけやね。だけど金はもってはるんで、建築も庭園もまぁ綺麗やねぇ」などど、ついつい妻と二人して聞き入ってしまう。

「小堀遠州が見たかったんですけどねぇ」なんていうと、「ほなら・・・」と京都で小堀遠州作の庭園で選りすぐりのところを教えてくれる。「大覚寺の他のところは見はった?」というので、「いや、とりあえずここが見たかったので」というと、塔頭の中のどの寺院の庭園が見れて、どれが素晴らしいかを教えてくれる。

なるほどなるほどと参考にさしてもらい、とりあえず他の塔頭に戻る前に、「玉の輿」の語源になったという玉さんの話を教えてもらい、玉と縁深く銅像も置かれているという脇の今宮神社に寄っていく事にする。

これは朝からいい出会いがあったと一緒に記念撮影をし、お礼を言って境内に来た道を戻ることにする。

ちなみに今宮神社の後に再度大徳寺の境内に戻り、訪れた塔頭の一つ龍源院(りょうげんいん)。大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされているらしいが、1502年の創建で大徳寺の塔頭の中で一番古いという。何といっても方丈の4方を囲む提案は昭和の作庭の枯山水で、小ぶりだか上質な禅寺らしい風景を見せてくれる。

まずは滹沱底(こだてい)。狭い奥行きにも関わらず左と右端に置かれた「阿吽の石」と呼ばれる二つの石によって広い世界を表現する。宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭。

その次に体験するが、東滴壺(とうてきこ)。1960年の作庭だが、方丈と庫裏との間の小さな隙間空間に作られた壺庭。長方形の白砂の上に5つの石が3・2に分けられて空間の広がりを作り出す。

その次の一枝坦(いっしだん)は打って変わって奥行きの広い敷地に、丸い島のように繁った苔の中に石が立つ亀島が手前に控え、奥には高さを持った石が直接白砂より立ち上がり、空間に奥行きを与えている。

最後に巡るのが龍吟庭(りょうぎんてい)で方丈北側に広がる。先程とは打って変わって青々として繁った苔によって表現される大海原の中に、小さな石組みがなされている。

流石に東福寺の庭園ばりの贅沢さは無いが、四方それぞれに違った昭和の庭園設計の世界観を楽しむことができる。「これは朝からいいものをみたぞ・・・」と満足して門を出る。

境内を歩いていると塔頭の門のところに「参拝拒絶!」という看板がかかっているのを良く見かける。恐らく観光客が見れるものだと思い込んで、勝手に入ってきてしまうことが多くあり、それに対しての対策なのだと想像する。それでも場所によっては見学も可能なところもあるらしく、ぜひとも次回は時間をとって、事前調査を良く行い足を運んでみたいものである。

ちなみに他の塔頭は以下のよう。

黒田長政によって建立された龍光院。ここにある茶室「密庵(みったん)」な国宝に指定されており、京都山崎妙喜庵内の待庵(たいあん)、愛知犬山有楽苑の如庵とともに、現存する「国宝三名席」の1つに数えられているという。

細川氏ゆかりの高桐院。細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。他にも、出雲阿国のものと伝わる墓もある。楓だけで構成された方丈の南庭が有名。


一休宗純ゆかりの寺院である真珠庵。村田珠光作と伝わる庭園や、長谷川等伯の障壁画も有名。











滹沱底(こだてい)


東滴壺(とうてきこ)
一枝坦(いっしだん)




龍吟庭(りょうぎんてい)




2013年7月19日金曜日

佐川美術館 樂吉左衞門館 竹中工務店 本館 1998 / 別館 2007 ★★★★★


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所在地  滋賀県守山市水保町
設計   竹中工務店
竣工   本館 1998 / 別館 2007
機能   美術館
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日本有数の食品会社の会長であり、同時に日本有数のアートコレクターでもあるイセ食品の伊勢会長に、アート関係の友人のつながりから何度かご一緒させていただいた折に、「今まで足を運んだ美術館の中で、どこが印象的でしたか?」という質問に、「佐川美術館は凄かったねぇ」という言葉を聞いて以来、ずっと足を運びたかったこの美術館。


I.M.ペイ設計の「MIHO MUSEUM」を諦めてまでも優先させたこの美術館の茶室見学。湖南市からの戻りの道、一車線道路にでスピードを出そうにも抜けない前ののんびりした軽にイライラしながらも10時15分前に到着し、予約時に言われたように入口脇の受付で入館料¥1,000を支払い、それとは別途茶室見学料の¥1,000円を支払い、撮影禁止ということで、手荷物をロッカーに預け暫く待つことに。

この佐川美術館。創立40周年を記念して1998年に日本画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良の作品を中心に竹中工務店の設計で設計される。そして2007年には十五代樂吉左衞門の陶芸(樂茶碗)作品を展示する「樂吉左衞門館」を敷地内に新館として建設された美術館。

画家と彫刻家はイメージできるが、楽茶碗となると少々勉強不足であり、渡される説明文によると樂吉左衞門(らくきちざえもん)は、千家十職の一つである茶碗師らしい。

楽焼の茶碗を作る樂家が代々襲名している名称が樂吉左衞門だという訳である。ちなみに現在は15代当主となっている。

茶道に関係することは分かるが、では「千家十職とは?」というと、千家十職(せんけじっそく)とは、千利休を始祖とする茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする業者の十の職家を表す尊称であるという。いわゆる「千家好み」の茶道具を作る為に必要なプロフェッショナルの集団といったところだろう。

茶碗師 − 樂吉左衛門
釜師 − 大西清右衛門
塗師 − 中村宗哲
指物師 − 駒沢利斎
金物師 − 中川浄益
袋師 − 土田友湖
表具師 − 奥村吉兵衛
一閑張細工師 − 飛来一閑
竹細工・柄杓師 − 黒田正玄
土風炉・焼物師 − 西村(永樂)善五郎

そしてその樂家の名が冠されたのが楽焼(らくやき)で、素焼きの陶器に絵付けをする焼き物という。主に鉄釉を利用して黒く変色させる黒楽と、赤土を使う赤焼があるが、映画などにもみられるように秀吉は黒楽を嫌い赤楽を好んだとされる。

そんな訳で、この美術館自体も一級品なのだが、伊勢会長も唸ったと言うその樂吉左衞門館とその中の茶室は当代の樂吉左衞門氏自らが設計の創案を行われたというように、超一級品。これが文化の粋をいうのを痛感させられるような空間が待っている。

琵琶湖のほとりの広大な敷地に大きくはられた水庭。地面とツラに合わせられた水面を緩やかな橋を渡りアプローチしていくが、その中で本館の蔵のような切妻屋根の二つのボリュームが如何に巨大かを体感する。

建物側は同じく水面と同じレベルで合わせられた石張りで、水面下の目地から、排水溝の目地、石床の目地ときて、壁面下部の照明用蹴込みを通って、杉板コンクリート型枠に凹凸をつけられた壁面の目地。それを辿って視線を揚げていくと、軒下に使われるコンクリート板の目地、そして細い庇下の金属板の目地と、どの段階で何を決めていたのか?と思わずにいられない徹底振り。そこまでするから初めてそこに存在しないかのような背景となりうる。素晴らしいと唸る。

穏やかな広い水面を右手に長いアプローチを進み、左に開けたスペースを折れると迎えるのが「佐川美術館」の文字。床も壁も天井も、ばっちり目地が通っているので、5文字の真ん中の美の縦線を揃っていないのが返って気になってしまうほど。

中に入ると天井の高いホールがチケット売り場とインフォメーションセンターとなっていて、ここで入館料と茶室見学料を支払い、人数が揃うまで待っていて下さいとのこと。ホールから中庭方面に向かうと中心に待ち受けるのがギリシャの様に彫りを深くされたコンクリートの柱。この空間の中心を担うシンボルだけあって、床の目地はもちろんこの柱の中心から始まる。

そうしてホールの端まで追っていくとやはり半端な大きさの石となるわけだが、それはこの空間の主題とは成りえない。逆に柱を超えると、中庭の水庭の中心に佐藤忠良の作品が展示されているのだが、もちろんこちらの空間に来ると、この作品が空間の中心となるわけで、床の目地もここをセンターに始まる。そうして追っていくと、先ほどのホールの空間から始まる目地と、こちらのセンターから始まる目地での食い違いを間の壁の厚みで違うパターンを挿入して吸収。

「そうだよな・・・」と思いながらも、「何と何が、どの段階で分かってないとこれは実現できないな・・・」と、このレベルのことを今の中国で進んでいるプロジェクトで行うことの困難さに頭が痛くなってくる。

荷物をロッカーに置いて、予約の10時になると、受付から女性の係員の方が出てきて、今回の時間に見学する自分を含めて三人を案内してくれる。本館から長い廊下を進んでいくと、新館との見切りラインが見えてくる。壁の仕上げも粗い杉板から凹凸を抑えられた仕上げに代わり、床も黒い石張りへと変わっていく。

壁に設けられたスリットから入る光を見ると、足元と天井にしっかりと納められた空調吹き出し口に目がいき、その中心にばっちり揃う目地に感服。「まさか・・・?」と思って外の水庭を見てみると、流石にその床目地はマリオンとは揃わないようである。

新館側の水庭には島のような植栽が植えられよく実ったヨシが風になびいている。本館へのアプローチではそれが見えないようにするためか、目隠しの壁が世界を分けるように低くだが確実に建てられている。ヨシの後ろには、地下の展示室に光を届ける長方形の天窓が設けられているが、その上にも水がはられている。

http://www.lago.co.jp/works/operation3.html

地下の「樂吉左衞門館」にたどり着くまでに、様々なディテールと素材感に唸りながら、「本物の質は違うな・・・」と今の自分との距離を実感し、少々悲しくなりながら足を進めると、先ほどの水を張った天窓を通しての揺らめく光が壁を照らす。

特別な入口から茶室空間へと案内してもらうのだが、茶事についての教養が無いために、説明していただいた内容の恐らく半分も本当の意味で理解できてないのだろうと悔しい思いをしながら耳を傾ける。

まずは「路(ろ)」と呼ばれる通路を通る。壁面は先ほど同様杉板型枠コンクリート。床と天井は、オーストラリアの鉄道の枕木として使われていたものをわざわざ持ってきて敷いているために、年月を経て風化した味のある表情を見せている。壁面下部の間接照明だけで照らされるために、よりその凹凸が足の裏に感じられる気がする。

その先に待ち受けるのは、「寄付(よりつき)」と呼ばれる、いわゆる茶会の時に客がまず集まる場所の空間に出る。真ん中に置かれるのは大きな一枚板のテーブル。なんでもインドネシアで探し出してきた銘木らしく、テーブルを照らすスポットライトと、壁面下部の間接照明だけの落ち着いた空間でテーブルの木目が存在感を発揮する。

その先は「水露地(みずろじ)」という空間で、上部の水庭の中に接地された円筒形のコンクリートの壁が地下レベルまで達して中庭を作っている。その壁面は今度は段々になるように設計されており、上の縁から注ぐ水が壁面の段々で跳ねてはよい音を反響させる。

床は水が張られ、円形に切り取られた空を見るように待合(まちあい)の為の腰掛板が壁から張り出しており、この板もまたどこかから手に入れてきたものだと言う。そして床面は飛び石として不整形に切り出されたジンバブエ産の石が敷かれる。切り出すときに使用したドリルの跡もわざと見せるようにしているのだという。粗い表面に水がかかるとまるで墨石のような黒色になる。

その水露地を折れるようして進むと見えてくるのが「中潜(なかくぐり)」。腰を屈めて頭をぶつけないようにして再度室内空間へ。暗い空間にいくつかの天窓からの光が差し込み、なんとか何があるのかを認識できる程度。右手の階段を登り見えてくるのは「埋蹲(うめつくばい)」。蹲踞(つくばい)とは茶事の時、客が茶室に入る前に手を濡らし、口をすすいで、身を清めるために置かれた手水鉢と役石などのことらしいが、ここでは床面に1m角程の正方形の穴が掘られ、その中に先ほどのジンバブエ産の黒い石が床とツラになるように置かれ、その真ん中に直径20cn程の円形に穴が抉られ、手水鉢となっている。

その左手には「小間・盤陀庵(こま・ばんだあん)。空間を覆うのは特殊な越前和紙で、まるで大理石のような紋様が走り、揺らめく水面のような雰囲気を作り出す。躙口(にじりぐち)から中を覗くと目に入るものどれもがこだわりの味のある素材ばかり。床の間の2面の壁は杉板型枠のコンクリートだがそのピッチが細かく変えられ繊細な表情を出すかと思えば、残りの一面は先ほどの枕木の荒々しい表情。床柱はバリの古材を使用したという。まさに柱や壁が荒々しさと繊細さの共存のオンパレード。

ますます、長い年月の中で身体に染み付いていく所作と素材に関する感性の素晴らしさを痛感し、それと同時に自分が学ばなければいけないことの多さに目がくらむ思いを感じながらも先へと進む。

階段を上がり地上レベルに達して中に入るのは「広間・俯仰軒(ひろま・ふぎょうけん)」。水庭と同じレベルに合わせられ、畳の空間の外には、再度ジンバブエ産の粗い表情の黒い床の縁側空間。そしてその外は水面が広がり、ヨシの緑が視線を遮ってくれる。

床の間に目を向けると、床框(とこかまち)は漆黒の怪しい光を放つ石。「これはひょっとして・・・」と質問すると、やはり例のジンバブエ産の石だと言う。磨くと先ほどまでの荒々しさからは想像できないほど、艶やかな黒の面となる。

空間を仕切る障子は敷居が無く下がすっきりした表情で、上部の鴨居から吊られるようにして設置される。この鴨居も長押(なげし)と一体化されできるだけ線を消去され、更に角に柱を立てずに上部から束で吊られるようにして、空間に開放感を与えるように気を使われて設計されている。外部の蔀戸(しとみど)をつるす長押を吊るのも細い丸鋼だが、これも酸化処理をかけられたのか、周囲の材に溶け込むような色となっている。

畳に座り、しばし風にたなびくヨシを眺める。ガラスの存在も、屋根を支える細い鉄骨柱もできるだけ存在を消すように、技術を駆使して繊細に設計されている。目に入ってくるものはすべてが自然素材かのように。

その風景を眺めながら考える。建築とは、空間とは、こうも奥が深いものかと。

15代もかけて培われてきた素材への感性。それを空間に拡張されてできあがってものに身をおくと、すべての角まで神経が配られ、すべての線まで意識して配置されている設計の細やかさと、あくまでも人が素材に触れることで空間が生まれることを熟知した素材への意識。

贅沢とは、行き着くところ、如何に手間と知識と技術を使って、新しい価値を作り出すか、それを分かり合えるものだけで堪能するかに尽きるのだと思うが、その為に建築に関わるものとして何を理解し、何を身に着けないといけないのかを激しく教えられるような空間体験。

見えないように存在を消す為に、ディテールを把握し、素材を使いこなし、施工まで理解した上での設計で目地を合わせるのは基本中の基本。表現するものを表現する為には、如何にその他を背景へと沈み込ませられるか。その為への建築家としての職能は相当高いものになる。

水も光も風も音も素材の一つとして扱えるようになって、始めて挑戦できるその上の高み。先は長いが、少なくともそこへの距離感はしっかりと測ることができたことに満足して、琵琶湖の地から奈良へと向かうことにする。