2014年1月4日土曜日

新年の始まり

「ごちそうさん」でも正月にめ以子の両親が大阪に来て一騒動ありながらも、よい新年を迎えることになったが、我が家も同じく妻のお母さんと弟が正月休みを利用して北京に遊びに来てくれることになった。

こちらの友人は外国人がほとんでで、彼らとの付き合いは日本人同士の様に酒を飲んで、人生の悩みなどあーだこーだとプライベートをさらけ出して語り合うことが少ない。

どちらかというとそんな至近距離の人間関係を好むタイプとしては、安い居酒屋かなんかで仕事などの愚痴を言いながら酔っ払い、あーでもないこーでもないなどとやれないことはなかなかフラストレーションが溜まることである。

しかも正月だというのに、あの日本の正月のような何とも言えないアットホームな雰囲気がまったくない国で生活をしていると、渇望のように「今年一年どうだった?」みたいな会話をしたくなる。

そんな折に年齢も近しい義理の弟もやってくるというので、これはこれは絶好の機会だなと勝手に想像を膨らませ、今の仕事の内容や、どういうときにストレスを感じるかなど聞いてみたりし、なにか刺激になればとどんなところに連れて行けるかに思いを馳せる。

そんな訳で限られた日程で、二人の希望を聞きながら、できるだけ良い観光地を回って、しかも美味しいレストランに連れて行こうと息巻いて、あれやこれやと慣れない段取りに力を入れている妻は、なかなか決められないらしく一人で機嫌が悪くなっている様子。

オフィスのスタッフに車を運転してもらい、なかなか車がないと自由にいけないような場所の観光を一日にまとめ、帰り道にどこどこ行って、バランスを考えてこのレストランがいいんじゃない?などと意見を出してあげて何とか予定を決めていく。

そんな訳で、万里の長城から天安門広場。3時に閉まって結局中に入れなかった紫禁城から歩いて景山公園。北京ダックに小籠包に最近見つけたお勧めの辣子鸡など十分に堪能してもらえたようである。天候にも恵まれ実に満足度の高い日々を過ごしてもらい、お母さんには娘が楽しげに日々を過ごして充実している様子を見てもらえてとても良かったのではと思う。

その中で思う事。我々にとっては日常でも、旅行者にとってはとんでもない非日常であるということ。その日常と非日常が混在して、共に行動しているという事。

海外に遊びに行って、その地に住まう友人に案内をしてもらうことは多々あるが、幸運にも実に親切にしてくれる友人が多く、今までもわざわざ仕事を休んで一緒に観光地を回ってくれたりしていたことを思い出す。

そういうのを振り返れば振り返るほど、彼らの「クオリティ・オブ・ライフ」の高さ、「ホスピタリティ」の高さに頭が下がるばかりである。逆の立場になったら、自分は休みを取れるかどうか?一緒に彼らの満足度を最優先に考えて行動できるか?

非日常に合わせて、日常を生きることができるかどうか?

知らない場所に足を運び、エトランジェとして多くの荷物を抱えながら、注意力も散漫になりながら行動する。その時にさりげなく、日常に生きる側の人が注意を払い、サポートしてあげる。些細な事が、日常と非日常のこっちとあちらでは、大きな違いを持ってしまう。

日常から少しだけ時間を割く事が、非日常で訪れてくる人にどれだけ多くの思い出を与えてくれるか。

それを改めて感じながら、いつかまた大切な友人が訪ねてきてくれたときには、自分が余裕を持って一緒に時間を過ごせるようになっている様に、まずは仕事で時間をコントロールできるように力をつけるしかないかと思いを馳せる新年の始まり。










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