2014年1月21日火曜日

デフレにならない都市

長期休暇が近づいてくると、その段取りに忙しくなる。

数日間ホテルを渡り歩くわけだから各都市でできるだけ安くホテルを探すことになる。そんなことを何度もやって、日本の各地方で同じような事をしていると地方ごとの比較が良く見えてくる。

観光客が多く訪れ、常に人気を保つ京都などの観光都市。
ビジネス客が常に出入りする東京や大阪などの経済の中心都市。
地方の経済活動の中心となりつつ、一定の規模を保つ熊本や仙台などの地域拠点都市。
各地域の拠点近くに位置し、温泉や観光資源が保たれる都市。
それらよりも更に周縁に位置し、数少ない観光資源を糧にして生き延びる地方都市。

中心では常に人が行き来するため価格も高めに設定されるが、その分競争原理も働くので、ある程度低い価格のホテルも見つけることが出来る。これは地方の拠点都市でも同じで、ある程度の地域での経済規模を持ちながら、外からの観光、ビジネス客が常にでいるする都市において、健全な競争原理が働き、ある程度の価格の幅が存在する。

しかし、国全体の経済の発展の枠内からやや取り残され、それでも地場の産業でなんとかやりくりをしている都市においては、新規参入による競争原理が働く事もなく、決して全体的に見て適正価格ではないが、ほかにチョイスが無い為に高い価格に据え置かれているという都市も多く存在する。

逆に自らが周縁に位置する事を十分に自覚し、低価格に抑えられた生活コストを反映するかのように、低価格で多くのものを提供してくれる様な都市もある。

そういう様々な都市を実際見てみると、やはり競争原理が働か無いにも拘らず、地元の富裕層はそのまま裕福なままで今を過ごし、外部との循環は徐々に途切れ、ローカルなガラパゴスを形成しているようにしか映らない。

駅前商店街に歯抜けのように現れるエイリアンのような立体駐車場。その脇で怪しく光る「代行」の広告。

デフレ脱却と声高に叫んだアベノミクス。しかしデフレが起こるのは競争原理が働くからであり、マーケットが競争に値すると値踏みをした土地での事。

そこにはデフレからも見放された都市が多くあり、大手は徐々に撤退し、コンビニすら簡単には見つけられなくなっている。

それが田舎ではなく都市であること。

かつて一度はその土地の持つ力、分相応な規模よりも遥かに大きく発展しようとしたツケが、スカスカの現在を作っている。ハコ物の公共建築と同じくらいに肥大した地方都市。

それらの都市にもう一度人の流れをつくり、活気を取り戻し、より大きなスケールの一部に取り込みながら、徐々に適正な規模に修正していく。その途中には既得権益を保持する側からのとてつもない反抗が起こるのは想像に難くない。

大きな大きな不良債権を抱えたような現代日本。30年後はどんな地方都市の風景が広がっているのか楽しみだ。

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