2013年4月3日水曜日

旧国地図



寺社や公園、名湯や昔ながらの風景を残す街並みなどを目的地としてマッピングしていくと、地図の中に密度をもったある種の分布図が見えてくる。

それを見ていると、東京や大阪を筆頭とする現代都市の勢力図と比例しない、明らかに昔に現代と異なる勢力をもった都市や街があったのだと思わずにいられない。それが奈良や京都といったかつての都がおかれ権力の頂点に位置する都市ならまだしも、そうでない高密度な場所に見えてくるある種の共通項。

出雲、伊勢、伊豆、志摩、近江、土佐、佐渡、豊後・・・・

その多くが旧国名が冠された地名であり、かつての日本で各地方において堂々たる地位を確保していた場所である。自動車や鉄道といった高速陸路移動手段をもとに、近代に東京を中心として再編された都市分布。経済効率性ともともとの地勢とのバランスをとりながら、徐々に新たに浮き上がってきた地勢は次第に現代国家の基盤として定着していく。

日本全国にその地方地方の中心が存在し、多中心な地勢を誇っていたかつての日本。資金も労働力も必要とする建築が中心に閉める寺社。その歴史の中でも、権威を誇り、他より立派な建築物を持つに至った寺社には、やはりそれ相応のバックグラウンドが存在するはずである。

アースダイバーとは違うが、そんな寺社たちを一つ一つ訪ねていくことで、現代人の様にみみっちく貯金を貯めて土地を購入し、ささやかな家を建てるというプロセスを踏まなくてよく、気が良さそうだ、と思える場所を探し出し、かなり自由に建築を作ることが出来ていた、古代の日本人達が、この日本という地形にどのような気やゲニウスロキを感じ取ったのか?それが見えてくることになるはずである。

そしてそれは、国家としての統治をより効率的にするために敷かれた都道府県という境界線よりも、多中心の重なりのなかで生き生きとグラデーションを見せていた旧国での地図の方が、より日本人の歴史の中での地形の読み取りに対応しやすいのであろうと考える。

そんな訳で現代の都道府県地図に対応するような、旧国地図をネットで探してみるが、どうにも分かりやすいものがないので、折角だからと自分で作成してみることにする。

変わらない国家という外形線の中、一つ一つ旧国の境界線を引いていき、一つ一つ旧国名を入れていく。始めは東山道がなぜ東北地方と、群馬、長野、岐阜などを一緒くたにしてしまっているのだろうかと頭を悩ませていたが、これは京都が都として君臨していた永きに渡る日本の歴史の中で作り上げられて地図なのだと理解すると、後は比較的すんなりと頭に入るようになる。

都から伸びる数々の道。火山列島である地形の中心に位置する都から、各地に向かうには中央を走る山脈の北側をいくか、南側をいくか、それとも山の中を進んでいくかに分かれていく。

都から東に向かい山の中をいく東山道。
都から東に海を眺めながら進む東海道。
都から北に陸路を進む北陸道。
都から西に陽のあたりやすい南側を行くのが山陽道。
そして北側をいくのが山陰道。
南に向かって海に沿っていくのが南海道。
西に向かって海を行くのが西海道。
そして都を抱え込むのが5つのエリアからなる畿内。
この7つの道と5つのエリアを合わせて「五畿七道」。

こうしてマッピングだけでなく自ら地図を作っていくと、小説などで度々遭遇する近江や摂津、肥後や備前といった旧国表記がいまいちぴんと来てなかったが、ようやく少しながら場所と実態を持った場所として頭の中に浮かび始める。

それぞれ小さな中心として地形を読み解きながら長い時間をかけてつくりあげられてきた旧国は、地形だけでなくその土地の気候や風土をより色濃く反映されたものであり、それは同時にその土地に住まう人々の性格や考え方の基盤をつくっていくものである。

現代に育った自分たちですら気がついてない自らの性格のもとをつくった地域のDNA。それを読み解くためにも、現代を旧国と重ねてかつてあったであろう風景を想像しながら日本を歩くこと。

島根、宮崎、三重といった、経済性が上位に位置せざるを得ない現代日本においては、なかなか一線に躍り出ない場所たちが教えてくれる日本の源泉。一生つきあうことになるこの国に生まれた自分だからこそ、この国で多くの人たちが見守ってきた多くの風景を見ながら少しでも多くの道を歩くことができるようにと、ワクワクしながら自らの地図眺めて想像を膨らませる。




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