2013年10月9日水曜日

「地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会」 阿部真大 2013 ★



そのタイトルを見た時に少なからず心の中で期待した内容。

南北に長い日本列島。その様々な場所で、その場の地形、気候にあった建築が作られて、長い年月の中でその場の環境に適応した美しい街並みが形成されてきた。

なのに・・・

大店舗法。小泉改革。21世にになってアメリカ型の格差を承認した日本においては、地方から地元のコミュニティを支えてきた商店街が消え、モータリゼーションで距離が生活圏を制約しなくなったことで、今までその土地の歴史に登場してこなかった場所に突然現れた巨大なイオンモール。そこでは東京となんら変わらないサービスを受けられ、中規模都市まで出て行かなくても同じブランドが手に取れ、生活費の安い環境の中でそこそこの生活を確保できる。

生きがいを求め、やりたい事に挑戦する為に、より大きな世界に飛び込み、ステップアップを目指すために中心へと向かい、そこでしか得られない刺激の中で自らを鍛えていく。その向かう先は、地域の中核都市であり、東京や大阪の国家的都市であり、更には海を越えた海外かもしれない。そういう厳しい競争の中に身をおいて、常に新しい人材が出てくる中で自らの立ち位置を確保する、終わる事のない緊張感を持続する生活。

そういう生き方がしんどくて、そこまでしなくても「そこそこ幸せ」だからいいやと、ひたすらに大きな消費社会が与えてくる心地よい消費の習慣にすっかり精神が慣らされてしまい、その快適さから再度行動を起こすことはとても難しい。

消費主義経済は一切の無駄を排除していく性質を持っているので、金になる為に不必要なものはさっさと切り捨てられていく。それが非効率を代表するその土地の歴史の風景。そんなものはあっという間に飲み込まれ、幹線道路サイドは全てファスト風土で埋め尽くされ、土日になればイオンモールで一日過ごす日常。

そう、そこまでは誰でも思っている事である。

若い著者だけにそこから先を、それが決してネガティブな事象ではなく、新しい日本のコミュニティ、ライフスタイルの在り方で、その中から大都市を経由しなく直接的に世界に繋がり方など新しい現象がうまれている。などと甘いことではなく、もっとバッサリと痛快に切ってしまって欲しかった・・・


なんでも「快適さ」が最上の価値になってしまい、土地の歴史や、そこからくる自然との関わり方。土地ならではのコミュニティのあり方。地域に根ざした文化的活動。そういうものを理解しようとも、認識しようともしない若者が出現し、かつてならそれは教養主義に支えられ「恥ずかしいこと」であったにも関わらず、今では「恥ずかしい」とも思わなく、「便利でいいじゃん」と言ってしまうことの方が多数を占める社会になってしまった。

「自分にとって快適なもの」だけを選んで生きることが出来なかった時代には、それが人とのコミュニケーション能力を高め、社会の中でどう自分の居場所を見つけていくかの修行ともなっていたのだろうが、核家族化し希薄化するコミュニティの中で、自らに関わる人間の数が極端に少なくなった時代に生きた若者は、大人になるということを教えられることなく、社会に対して責任を持つことなく、ただただ個の充足を刹那的に求め生きる。

教養を希求せず、社会を憂わず、職業的向上を求めず生きる彼らが望むのは、明日も今日と変わらず自分にとってそこそこ快適な一日。

自分だけに向けられた視線で埋められた社会は、徐々に冷たく、しがなくなっていく。そんな若者に、「昔ながらの美しい街並みが消えて、イオンモールだけという文化的に荒涼とした風景に日本がなってしまっている。これは大変まずいことなんだ」と言っても、自分だって地元に帰ればやはりイオンに買い物に行っているという事実。

だからそれは一度棚に上げておいて、それでもやはり文化レベルの低い若者が社会の主体を担うようになってきた現代の日本においては、少ない幸運な地方都市以外は全て同じ風景に塗り替えられ、それをおかしいとも思わずに共有していくだろうが、やはりそれは文化的に考えよろしくない事象であるので、なんとかしていきたいものである。

というように、バサッッ!と切って捨てるような内容を期待してしまっていただけに、なんとも暖簾に腕押し的な内容で残念であるが、やはりいろんなしがらみなどを考えたら、そんな過激な出版を出して学者としての将来を捨てる必要もないのかと想像する。

まぁ地元ブームの2013.

地元に帰ろう。
地元で会おう。

といって自分の居場所が有り、その土地の素晴らしさを感じられる仲間がいて、何だかんだありながらもそこで歳を取っていける。そんな地元がある場所はいい。そうではない90%以上の場所で、如何にもはや地方のインフラまでなりあがったイオンモールを取り込みながら新しい地方の風景を作っていくのか?

誰もいいとは思ってないが、それが避けられない以上、それをのみ込みつつも明るく、美しい未来の都市をどうつくっていくのか?

それがこの時代に生きる建築家に課せられた大きな大きな課題である。

ダメを出すだけでもなく、逆に肯定しちゃえという立場でもなく、どうにかこの縮小する社会の中で新しい幸せな地元の姿を描けるのか?

それをどんだけ真剣に考えて、どんだけ真剣に描いても、決して自らの仕事に還元されることはないのであろうが、それでも職業的義侠心をもって虚しさを克服し、何かしらのビジョンを持って世に語る。それが必要な時代なのだと思わずにいられない。

まずは日々の行動原理のを「快適かどうか?」でない、自分なりの価値観をもって日々を生きる事から始めるかと再確認する。

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目次
★現在篇★ 地方にこもる若者たち
・第1章 若者と余暇──「ほどほどパラダイス」としてのショッピングモール
/この章で用いるデータ
/イオンモールの占める存在感
/イオンモールに向かう若者たち
/ユニクロとしまむら
/イオンモールまでのドライブ
/倉敷市近郊のモータライゼーション
/プラスアルファの大都市
/「ほどほどパラダイス」としてのイオンモール
/魅力を増す地方都市

・第2章 若者と人間関係──希薄化する地域社会の人間関係
/地元の人間関係
/家族、友人、地域の人間関係
/モータライゼーションと人間関係
/商店街の消失がもたらした地元の風景
/地域社会における人間関係
/新しい「開かれ方」の可能性

・第3章 若者と仕事──単身プア/世帯ミドルの若者たち
/低い仕事の満足度
/仕事電での自己実現(メンタル面での下支え)
/パラサイトする若者たち(経済面での下支え)
/やりがいとパラサイトの向かう先
/現状打破を試みる若者たち

現在篇のまとめ
/コラム1 ノスタルジーとしてのショッピングモール
/コラム2 荒廃する郊外

★歴史篇★ Jポップを通して見る若者の変容
・第4章 地元が若者に愛されるまで
・1.80年代 反発の時代 BOOWY
/Dear Algernon
/社会への反発
/自分らしさ
/母性による承認
/80年代の地元

・2.90年代 努力の時代 B'z
/母性による承認と決別
/自分らしさの転換
/努力の称揚
/「敵」の消失
/管理教育の見直し
/地域社会の衰退
/労働の脱男性か
/90年代の地元

・3.90年代 関係性の時代 Mr. Children
/自分らしさの再定義
/反発や努力からの脱却
/二者関係への包摂

・4.地元の時代 キック・ザ・カン・クルー
/日本におけるヒップホップ
/レペゼンと地元
/郊外の地元、最高!
/地元と仲間

/コラム3 ポスト3・11の郊外論
/コラム4 空白に育つ「新しい公共」

★未来篇★ 地元を開く新しい公共性
・第5章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
/エモの表現
/未完成交響曲
/完全感覚dreamer
/アンサイズニア
/夜にしか咲かない満月
/おしゃかしゃま
/若者はおとなしくなったのか?
/小括

・第6章 新しい公共性のゆくえ
・1.二極化する若者たち
/変化するバイト先の風景
/KYという言葉
/多様性への対応

・2.ギャル的マネジメントに学ぶ
/現代のギャル
/ギャル=ヤンキー?
/ヤンキー的マネジメントとギャル的マネジメント
/物足りなさを引き出す「聞く力」

・3.我々は変われているか?

/未来篇まとめ
コラム5 「ジャイアント・キリング」にみる新時代のマネジメント

・地方都市はほどほどパラダイス
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