随分前にその脚本は読んでいたのでいつかは見ないとと思っていたこの映画。野上彌生子の原作に監督は勅使河原宏。そして脚本は赤瀬川原平となんとも豪華な顔ぶれ。
「詫び・寂び」という概念は、どんなに長く海外に住んでいても、同じ文化体験を経ていない人間に伝えるのはとても難しい。自分の語学能力の低さのせいもあるが、ほぼ無理なのではと思い始めている。
そういう時にこのような映像というメディアがあるのは非常に助かる。どんなアブストラクトな言葉よりも、暗い茶室の中で一輪の花を生け、一杯の茶碗を中心にして向き合う茶の湯。見えないものを見えるものにする茶の湯の世界。それを視覚体験でも見てもらう事はとても意味がある。
そういう意図ではないのだろうが、あくまでも最初から外に向けて深い日本の文化を伝えるようなつくりになっている。そして画面を彩るのは押しも推される名優ばかり。
その中でも千利休の三國連太郎と豊臣秀吉の山崎努。以後どんな本を読んでも恐らく自分の頭の中にはこの二人に姿が思い浮かんでしまうと思えるほどの名演。両者共に、静と動、巣晴らしい対比を見せる迫力の演技。
この映画の素晴らしいところは、長い一人の一生を描くのに1時間半や2時間という映画というメディアの持つ宿命として時間の束縛を受けるのだが、監督が勇気を持って十分な「間」を持たせているところ。恐らく利休という人は、本当にこういう自分の時間の流れ、ゆったりとした動作で生きた人なんだろうと思えてきてしまう。
前編にわたる緊張感。いつの世も文化と権力の距離感は難しく、信念を曲げない文化人の生き方と、文化を庇護する為に権力との距離感を保つそのバランス感覚。
ほんの少しのボタンの掛け違いから、どちらも引くことができない場所まで行ききってしまう。利休と秀吉。どちらも天下を取った人間同士。引くよりは、信念に沿って綺麗に散る。それだからこそ、人の一生と言う時間の枠を声、現代まで何百年も美しき所作として残るものを作り上げる事が出来た。
目の前の事。一生の事。そんな個人の時間スパンに縛られてしまう現代。その中でも、何かの道の上を歩き、この世に何かを残そうとする人間はどれだけ遠くを見て時間を過ごせるかと問われているような気分になれる名作。
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スタッフ
監督 勅使河原宏
脚本 赤瀬川原平・勅使河原宏
原作 野上彌生子
製作総指揮 奥山融
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キャスト
三國連太郎 千利休
山崎努 豊臣秀吉
三田佳子 りき
松本幸四郎(9代目) 織田信長
中村吉右衛門(2代目) 徳川家康
田村亮 大納言秀長
岸田今日子 北政所
井川比佐志 山上宗二
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作品データ
製作年 1989年
製作国 日本
上映時間 135分
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