--------------------------------------------------------
日本アカデミー賞脚本賞受賞
--------------------------------------------------------
赤瀬川原平といえば、藤森照信と一緒になって「路上観察学会」を主宰し、東京中の風景を容赦なしに叩き切り、斜に構えながら現代に生きるインテリ酔狂の在り方を良くも悪くも体言している人だとばかり思っていた。
そんなイメージだったので、「日本と言えばお茶。お茶と言えば利休」と言えるほどの人物を映像化する作品の脚本をとことんストイックに書き上げていたとは少なからぬ驚きを持ちながら読みきった一冊。
「路上観察学会」同様に、掴みどころ無く、困難な作業も面白おかしく書き進めてくれるので、非常に作者がどう利休という人物に近づいていったかが良くわかる。そのまま捉えるわけには行かないが、まったく歴史の背景が理解できてないので、まずは参考資料として学研のカラー版学習読物「少年少女・日本の歴史」 から読み始めたというのもなんだか作者らしいといえばらしいが。
「茶と言えば利休」だが、もちろんいきなり利休がその才能で何も無かったところから茶道というものを作り上げたはずは無く、その前にはしっかりと先達がいて道を整えていてくれた。それが村田珠光(むらたじゅこう)であり、次に武野紹鴎(たけのじょうおう)が受け継いで、成熟されつつあった茶の道を、利休が完成させたという。
茶の湯と切っても切れない関係を築いてきた大徳寺。応仁の乱以来荒れ果てていたこの寺を復興させたのは名高い一休和尚。その一休を師とする珠光にことを学ぶ利休。この寺の禅の精神を受け継ぎ、当代の古渓和尚( こけい)と深い友人関係を保っていた利休。
利休の寄付によって上層が完成したこの寺の三門。その恩に報いようと親友の古渓が自らの発案で、利休の木像を依頼し、その木像に雪駄をはかせて上層を安置した為に、この門を通るものは全て利休の足元をくぐることになってしまい、それが豊臣秀吉の怒りを買い利休の切腹の要因となっていく曰くつきの禅寺。
茶道は、無口な芸術。「見えない物を見える形で説明しようとするから面白い」とし、秀吉の怒りを買い、利休が妻のりきと謹慎中に作り始めた最後の茶室を、著者は自らの想像力によって、楕円の茶室として描き出す。一つの中心ではなく二つの中心からくる不均等な均等性。茶道とは日常のなんでもない、普段は目に見えないものを見えるようにする儀式であるとする。
どんどん、どんどん狭い空間に全ての意識を集中して作り出す極小の空間。その縮小への流れ。その不思議な引力が向かうのはディテールへの視線。朝顔が見たいと言う秀吉の為に、庭に咲いている花を全て切り落とし、一輪だけを茶室に飾ることで咲き乱れる朝顔の美しさをたった一輪に絞り込む。それに感服する秀吉。原広司が言うように、「砂漠の文化と木の文化の違いとは、木の文化では態度をはっきりさせない。常に木が生えている輪郭を曖昧化する」というが、その自然の不整合の中に美を見つけ出す。
国宝として今も残る茶室・待庵。それは信長の茶頭であった利休から、新しき時代の主となる秀吉への明智討ちの戦勝を祝っての贈り物。明智討ちのその翌年、利休は秀吉の茶頭へと引き立てられる。
敵を破りその陣地を勝ち取り、褒美として味方に分け与えることでのし上がってきた秀吉。信長や家康のように、生まれ持っての殿様で、決して利害関係での結びつきではなく、裏切る事のない家臣というものを持ってなかった秀吉にとっては、戦い続け、与え続ける事がそのもろい天下を保持する唯一の方法であったに違いない。
天下統一を為し、国内に敵がいなくなった事で、秀吉の視線が向けられたのは隣国・唐。その本質を見抜いているからこそ、誰かが言わなければいけないことだからこそ口にした唐御陣批判。全国の武将の鬱憤が徐々に利休の下で結託し始める。
茶室という外の世界とはまったくヒエラルキーを異にした世界。利休が始めたにじり口をくぐるには、武士なら刀を外さなければ入れなく、頭もぐっと下げねばならない。その結界で、外の世界の力関係から解き放たれ、茶の湯と言う美学の世界での優越が支配する。
「侘びたるは良し、侘びしたるは悪し」
という利休の言葉通り、利休の美意識の中には偶然という要素が大きく入り込む。偶然を待ち、偶然を愉しむ。無作為を意識し、それゆえに歪んでしまったものを美として取り上げる。
その利休が行き着いた縮小の極点である茶室。その先にあるのは一体何かに思いを馳せた末に著者がたどり着く重心がずれ。空間の中に見えない重心があること。ずれるということは、もう一方に何か見えないモノを作り出している。歪み、ズレ、非対称。そこから生まれた楕円の茶室。
人真似で無い創造力を持ちえた利休。常にオリジナリティこそ大切なものだと説き、常に新しい感性を信じたその生涯を十分に描く脚本になっているのだろうと想像する。一刻も早くその映像を見てみたいものだと思わずにいられない。
--------------------------------------------------------
目次
0 お茶の入り口
/日本人とお茶
/利休と茶の湯
/アンチ利休ファン
/無口な芸術
1 楕円の茶室
①利休へのルート
/日常への力
/前衛の消失点に見たトマソン
/利休とバッタリ出会う
/家元からの電話
②縮小の芸術
/歴史の勉強
/ディテールへの愛
/縮小のベクトル
/ビートたけしとマーロン・ブランド
/黄金の魔力
/桃山時代のアンデパンダン
③楕円の茶室
/利休・秀吉、位置の逆転
/バランサー秀長の死
/茶の湯攻めの恐怖
/楕円の茶室
2 利休の足跡
①堺から韓国へ
/トレンドの町・堺
/堺港跡の巨石郡
/待庵の秘密
②両班村から京都へ
/両班村で見たにじり口
/紙張りの合理性
/うねる植物
/時の魔術
/醍醐寺の花見
/金の茶碗の感触
3 利休の沈黙
①お茶の心
/生きていることの不安
/古新聞の安らぎ
/手洗いの蛇口荒い
/財布の中の儀式
/リベラ物件の発見
/間を抱えたゲーム
/受け皿の形をした日本列島
②利休の沈黙
/意味の沸点
/そして沈黙が生まれる
/不肖の弟子
③「私が死ぬと茶は廃れる」
/和服の行列
/形式の抜け殻
/パウル・クレーの落とし穴
/織部の歪む力
/前衛の民主化というパラドクス
結び 他力の思想
/現場の作用
/自然に身を預けて
あとがき
--------------------------------------------------------
0 件のコメント:
コメントを投稿