2014年2月2日日曜日

出雲大社庁の舎 菊竹清訓 1963 ★★★

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所在地  島根県出雲市大社町杵築東
設計   菊竹清訓(きくたけきよのり)
竣工   1963
機能   社務所
構造   鉄筋コンクリート造
規模   平屋建(一部中2階)
延床面積 631m²
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1963年(昭和38年) 第15回日本建築学会賞 
1964年(14回) 芸術選奨文部大臣賞
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神楽殿から出雲大社の境内に足を踏み入れると、右手のうっそうとした木々の中に周囲の環境とカモフラージュするかのように、表面に深さと太さを変えられたコンクリートの凹凸をもった壁面が現われる。

神々の国の首都の中心地に立つ出雲大社。その境内に現代の社会的機能を果たすべく計画されたこの出雲大社庁の舎。神々の時間の長さに対してどのような建築が対抗できるかを必死に考え抜いて答えを出した若き建築家の姿を想像させてくれる作品である。

日本有数の神域空間。今後も今まで同様に、何百年と繰り返すことで今を更新し、時間を重ねていくこの出雲大社の空間で、現代に造られる建築物として残っていく宿命をどのような考え方と形態でもって応えるのか。その重責に挑戦できるのは、この日本の国に生まれた中でも数人の建築家のみ。

1958年のスカイハウスから5年後。35歳という建築家という職業としては過分に若い時期において、日本人として、建築家として、二重のプレッシャーを引き受けなければいけない大きな挑戦に挑み、そして自分なりの答えを提示した菊竹清訓(きくたけきよのり)氏。

1969年に出版される『建築代謝論 か・かた・かたち』にて発表される設計理論である「か・かた・かたち」論を構築していく過程で手がけることになった1963年の出雲大社庁の舎。そしてそれに続く1965年の東光園と徳雲寺納骨堂という現代建築を代表する作品を通して確実に理論と実践を前に進め、その後のキャリアに大きな意味をもたらした重要な時代の作品。

出雲というあまりにも大きな相手に挑む為に建築家が拠り所としたのは、現代の「技術」と、この地域を風景を作り出してきた「農耕」の二つ。

まずは「農耕」。社務所というのは、寺社における現代的な機能を提供する空間である。様々な祈祷やお払いなどの申し込みやその手続きなど、一般の方に供される寺社の公共空間であるといってもよいであろう。

その建築に与えられたのは、出雲大社が農耕の神であること、またこの出雲の地が豊かな稲作文化に支えられて発展してきたことを象徴し、出雲地方の「稲架(はで)」をモチーフにした山形を採用されたという。「稲架(はで)」というのは、「稲掛け(いなかけ)」とも呼ばれ、収穫を終えた田圃において、稲を乾燥させる為に、木材や竹などで柱を作り、そこに横材を掛け渡しそこから稲をかけて干すことを指すと言う。そうすると下が膨らみ、緩やかな山形を形成することになる。

しかしそのまま「稲架」をモチーフにしたのなら、出雲大社の本殿の大社造同様、地面から持ち上げられ、地面との間に「距離」を与える必要があるが、それは採用されず、むしろ地面から直接山形が立ち上がるようにして形態を与えられている。

それは、その形態を実現させる二つの目の武器である「技術」に拠るところが大きいのであろう。木造建築である寺社空間に、融和するように木造建築を採用するのではなく、あくまでも現代の時間を挿入する為に、現代の素材である「コンクリート」を採用し、現代の発展した技術によって、その素材を神域空間に耐えうる前の強度をもたらすことに挑戦する。

コンクリートは「土と砂利と水」という自然素材から生れる素材。それだけに古代ローマでも多く採用されてきた人類にとって馴染みの深い建築素材である。水を多く含ませ液状となったものを、器となる型枠に入れて十分にかき混ぜ、その後乾燥をさせて固形化するという、独特の生成方法を持つために、その過程の精度を高める高い技術が要求される素材である。

建築技術の発展により、コンクリートを自由に扱えるようになった現代の建築家。一般的な素材であるコンクリートを、技術の粋を結集させることにより、特殊な素材として昇華させる。それが試されたのがこの出雲大社庁の舎。

ではどんな「技術」を持ってコンクリートに形が与えられたのか?
そこには二つの挑戦がある。

まずはこの建築の大きな特徴の一つである、そのスパン。階段室などを中に含んだ周囲16mにもなる巨大な2本の柱。そしてその間に架けられたのは47mものスパンをもつ2本の梁。この梁はI型をし、コンクリートの予め圧縮力がかかった状態(プレストレス:PS)としておくプレストレス・コンクリート(PSコンクリート)を採用したという。

なぜ予め圧縮力をかけておくと良いのか?となると、建築士の試験勉強の様になるが、力には押す力である圧縮力と、引っ張る力である引張力があり、コンクリートというのは圧縮力には強いが引張力にはそれほど強くないという特性がある。そんな訳で引張に強い鉄筋を中にいれて、互いに補強しあうという鉄筋コンクリートが使われることになるのだが、鉄筋の代わりに高強度のPC鋼材を利用し、荷重が作用する前にコンクリート部材に圧縮力がかかった状態(プレストレス)とし、荷重を受けた時にコンクリートに引張応力が発生しないようにするものである。そうにより鉄筋コンクリートに比べ、引張応力によるひび割れを防ぐことができるが、同時にコストも上がるという代物がプレストレス・コンクリート(PSコンクリート)である。

PC(プレストレストコンクリート)はどうやってつくるの?|株式会社ピーエス三菱

PCって何?   株式会社富士ピー・エス

プレストレスト・コンクリートにおけるプレストレスの働き

2-11.実務上の構造力学


こんなややこしいことをして何のメリットがあるのかというと、上記の様に一般の鉄筋コンクリートよりも強度の高く、耐久力も良いコンクリートが作れるので、絶対に壊れてはいけない橋梁などの土木施設や、防災施設などに使用されるのが一般的である。

では、どうやってストレスを与えるかなのだが、コンクリート打設前に PC 鋼材を緊張する方法である、プレテンション方式と、コンクリート打設後に PC 鋼材を緊張する方法である、ポストテンション方式の二つがある。

そんな訳で、寺社空間という長い時間軸に対抗する為に耐久性の高く、そして現代の技術をもってでしかなし得ない建築空間とする為に巨大なスパンを飛ばすために採用されたのが、ポストテンション式のPSコンクリートによる巨大な梁。そのサイズは梁成(せい)が1.8mで、幅は0.4m。

もう一つの挑戦は、側面の長い壁面に現われる特徴的なパターン。通常コンクリートというのは、液状のものを器に入れてかき混ぜた後に何日もかけて乾燥させ、水分を蒸発することによって固形化し、器を外してやるものである。そのため通常は使用される現場にて木製の型枠を準備し、そこへコンクリートを作る工場からミキサー車というグリングリン回っている筒のようなものを乗っけた作業車で届けられ、ホースを使って準備してあった型枠の中に流し込まれる。

その流し込み作業である打設時には、水分に関して繊細な作業であるので、雨を始めとした天候に大きく左右されてしまう作業であるが、打設が終わった後は、コンクリートが一体となって、大地と一体になった表情を見せてくれる素材である。

現場での作業ということで、常に作業台の上でやりやすいように作業が行える訳ではなく、上を向いたり、横を向いたりと作業の姿勢も不安定になったり、また周囲の環境によって大きく影響を受けたりと、その施工精度に少なからず差がでてしまう。それを埋めるのが熟練された職人の腕になるわけだが、それでもやはりその場その場の状況によって完成品の質が変わるのは否めない。

それに対して、工場で常に同じ体勢を保ち、機械などを利用し、精度を高め、品質を一定に保つ事ができれば、天候にも職人の能力にも左右されない工業品として高い品質のコンクリートが作る事ができる。そういうコンセプトで作られたのが、プレキャスト・コンクリート(PCコンクリート)。先に打って作っておくコンクリートという訳である。

その代り、工場で打設し、現場に持ってきて設置する訳だから、輸送と施工が可能なサイズに分割しないといけない訳になる。なので一枚一枚のパネルに分けられ、それを組み合わせて全体を構築する。

それは同時に、部分が劣化した時にその部分だけ取り替えることができるという「更新して持続」することは、まさに式年遷宮の概念に繋がるということで、1960年に発表された「新陳代謝」を掲げたメタボリズムの概念をここでも取り入れた形となっている。

鏃(やじり)をモチーフにした妻側外壁のPCコンクリート版。凹凸の深さを帰ることにより、異なる陰影を描き出す。それに対して側面には細長いPCコンクリート版がセパ穴にセパレーターを残されたまま段上に設置され、その間の細い溝にはガラスがはめ込まれ内部に繊細な線の光を落としている。内部に光が通るということは、逆に夜には内部の光がこの細い溝を通り外に透過することを意図されている。

そんな緻密なコンクリートの造詣は、まさにPCコンクリート版を採用したからこそ可能になった表現である。現場うちされたと思われるコンクリート部分の型枠は全て杉板が採用されている。そしてそれらはもちろん焼き杉を利用し表面的ではないパターンが付けられている。それは建物後部に位置するトイレでも徹底されている。

大地を縁を切る大社造に対して、あくまでも大地に根ざし、大地から生えてきた建築を意識するかのように、その「足元」の造詣には相当に注意が払われている。正面側は薄い階段状に手前に拡張して境界線を曖昧化し、後部では荒々しくコンクリートの斜めの壁が地面に突き刺さり、その緊張を視覚化するために溝が掘られ水が境界を決定している。

施工後既に50年を経過したこの建築。出雲大社の式年遷宮のサイクルである60年を意識して採用された様々な技術と素材。それが功を奏してか、そのサイクルを終了しようというほど時間が経過したにも関わらず、まったく劣化を感じさせない面持ち。

内藤廣も言うように、時代の技術を理解し、社会に対して受け入れてもらえるように技術を翻訳し、見事な形態と空間を生み出した作品に違いない。それには、寺社建築が持つように、ある一定の機能に追随するのではなく、数十年で更新する機能を覆いこむような大らかな建築を目指した建築家の視線が大きく寄与しているのだと勝手に理解し、向かいに位置するこれまた菊竹清訓設計による神祜殿へと足を運ぶ事にする。
























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