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2015年3月7日土曜日

メンタルマップ

その都市に何度も足を運ばずとも、しばらく滞在していると自然と都市の方向感覚が頭に入ることがある。

これは都市計画自体がかなり明確な構成をとっていて、なおかつ地図という俯瞰的なイメージとそれを実際の身体スケールと重ねるためのキーポイント、例えば長く幅の広い中心道路や、それが接続する都市広場、その先で視線を受け止めるランドマークとしての建築物。それらが都市に散らばりつつも、メンタルマップとして大まかな地理的感覚を得るのに大きな手助けをしている。

大きな目抜き通りの先に必ずランドマークとなる建物が見えるパリの街並み。
街のどこにいても、ピョコンと飛び出す塔が見えるセブンシスターズのモスクワ。
3つの巨大都市公園と東西に走る目抜き道路で貫通されるロンドン。
北の山、西の丘、南の海に挟まれて平坦な広がりを見せるバルセロナ。

都市に先立つ地形に対して普遍的な都市計画を持つことで成功した例と、
都市を人工的に管理するものとして作り出した近代的都市計画によって成功した例。

どちらにせよ、異邦者として立ち寄った都市がいつの間にか自分の身体で認知できるようになることは、旅人にとって何よりの喜びであるのは間違いない。

それは同時に、そこに住まう人々にとって、「自分の街」という認識を生み出し、共同体意識の作成に大きく寄与しているのだろうと容易に想像できる。

そんなメンタルマップの容易さを意識して、今度コンパクトシティへと変容していく日本各地の地方都市が住まいやすく、記憶に留めやすい場所へと変わっていくことを期待する。

2014年5月2日金曜日

プーチン

モスクワで折角だからと手に入れてきたマトリョーシカ。普通の女の子のものでは芸が無いと、「きっとあるはずだ・・・」と確信を持って街中を探しやっと見つけ出したのがこちらのもの。

プーチンをトップに歴代のロシアのトップが中から現われてくる。これが結構愛らしい。なので妻と二人で、「はい、プーチン」などといいながら遊んでいるのだが、やはり他の人たちの名前も気になってくる。

何人かはうっすらその名前が分かるのだが・・・と思ってオフィスに持って行き、中国人のスタッフに見せると、見事に全員の名前を口にする。なんでも学校で勉強するらしい。ここら辺にその国で教育を受けていないと分からない一面があるのだと理解する。

ロシア人のスタッフを捕まえて、用意してくれたお勧めマップにお礼をいい、マトリョーシカを見せると、各人の名前をメールで送ってくれる。

Biggest to smallest:

1. プーチン Vladimir Putin
2. メドヴェージェフ Dmitry Medvedev
3. エリツィン Boris Jelzin
4. スターリン Joseph Stalin
5. レーニン Vladimir Lenin

やはりプーチンが一番愛嬌がある気がしてしょうがない・・・




2014年4月10日木曜日

ストイックさ

良く耳にするようになった「ストイック」という言葉。英語の「stoic」から来ているのだが、その語源はトア学派の哲学者の克己禁欲主義を信奉する人のことを指し、「自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとするさま」という。

この言葉に値する現代日本人として上げられるのが、かつてこのモスクワのサッカー・クラブに所属した本田圭介。2010年2月にモスクワを拠点とするCSKAモスクワ(チェスカ・モスクワ)に入団し、中心選手として活躍し2013年12月の退団まで約4年をこの地で過ごしたことになる。

このモスクワの地に数日滞在しただけでも良く分かるが、この地で外国人として生きることのハードルの高さ。グローバル化が進んだ世界では、世界中ほとんどの場所に行っても英語さえできれば、それなりの苦労は取り除くことが出来る。

しかしこのロシアにおていはその常識が通用しない。恐らく世界の数少ない英語がまったく通用しない国の一つであるのではないだろうか。このモスクワの状況を見たら、日本の英語教育がレベルが低い、効果が出てない、長いこと学習しても実際に話せるようになっていない、国際人が育っていない。などという議論が馬鹿馬鹿しく見えてくるほどである。モスクワのあとでは日本の英語教育は相当にレベルが高いと言わざるを得ない。

それほど、英語という言語ツールが通用しない場所、モスクワ。

新しい日常となる場所で、言語というハードルがあるのはどれだけ人間の行動を不自由にするか。恐らくチームが専属の通訳をつけて、家族のケアや移動時の運転も行ってくれていたのに違いないが、それでも自分が一人の人間として、その地で生活を営む上で言語が障壁となるのは精神的にも肉体的にもかなりの負担となる。

それを今回の滞在中に地下鉄やバス、街中での現地人への質問でどれほど思い知らされたか。そのストレスを抱えながらこの地で自らの職業的能力の向上、そしてキャリアアップを目指した彼の精神力と、それを支えた家族の精神力にはまさにストイックと言う言葉が相応しいと思わずにいられない。

言葉の次にはその地でのライフスタイル。ほとんどのヨーロッパの国では、首都クラスの都市になれば、ある程度の物資やサービスは揃っていると考えていいだろう。日本食材を買えるスーパーがあったり、日本人の経営する日本料理屋があったりする。そして外国人として楽しめるようなレストランやバーなどもかなり充実しているはずである。

しかしこのモスクワで夜に出歩いても、あまりそのような雰囲気は感じられない。それに加え、あまり生活の中での娯楽に関する面が見えずらい。恐らくロシア人が楽しむ程度には十分に多様な場所があるのだろうが、恐らく外国人でストレスを感じずに楽しめるような場所は他のヨーロッパ諸国の大都市に比べて圧倒的に少ないと思われる。

つまりはそのような他のヨーロッパ諸国の主要リーグに所属するサッカー選手とは、日常を送るというレベルで既に厳しさが違ってきてしまう。それをクリアした上で、職業人としてのサッカーの技能を高める必要がある訳である。

これは本当に凄いことだと、自らがその都市を体験した後に理解できる。

まさに「自分に厳しく欲望に流されない人」、「禁欲的」という意味にの「ストイック」な時間の過ごし方ができる選手に違いなく、それを家族としっかりと共有できている人間性を持っているのだろうと勝手に想像し、自らの日常の過ごし方を改めて振り返ることにする。

塔のある風景

モスクワの地に数日滞在することで、日常の中に塔のある風景を持つことの意義について考えることになった。と同時にその効果を身体的に理解をすることができた。

街のどこにいても、あれがセブンシスターズの一つであり、あれがどの大聖堂かを理解していることは、頭の中でのメンタル・マップの作成に大いに役立つことになる。

姉妹が多くいれば、それこそ不細工なものもいるかもしれない。それでも姉妹がそろっているからこそ愛嬌があるものと同じように、ある程度の数があるからこそ塔のある風景として成立している。そしてその姿がなんとも愛らしい。

西方教会の教会が持つようなカテドラルと訳される、祭壇の内陣中央に設けられる司教が座るための椅子を持ち、天に繋がるかのような高貴な光が落ちてくる空間を持つことの無かった、東方教会の大聖堂。そして権力の集中したモスクワの地の力。それが重なることで生み出されることになったこの「塔のある風景」。

セブンシスターズという150mを超える近代の塔。救世主ハリストス大聖堂に代表されるような100mの大聖堂の塔。そして街中に散らばる地区教会の塔たち。スケールと時代を異なる様々な塔が共存することで、多様性のある塔の風景を作り出す。

アジアには決して生まれることの無いこの風景にある種の美しさを感じずにいられない。

2014年4月9日水曜日

救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour) 1883 ★★★


長かったモスクワでの建築訪問もこれが最後の目的地となるのが救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour)。「ハリストス」とは「キリスト」の現代ギリシャ語・ロシア語に由来する転写であるといい、つまりはキリスト大聖堂ということである。

これはその名前から分かるように、ロシアのモスクワにある正教会の大聖堂であり、ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂でもあるという、かなり権威の高い聖堂となっている。それはその規模でも理解でき、全世界にある正教会の大聖堂中で最も高い103メートルという巨大な聖堂である。

歴史的に見ていくと、1883年に大聖堂は成聖され、ロシア革命の影響を受け1931年に宗教弾圧政策をとるソ連によって爆破されたが、その後ソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建されたという。

これを詳しく見ていくと、1812年にロシア皇帝アレクサンドル1世によってナポレオン戦争での戦勝記念と戦没者慰霊を目的に大聖堂の建立が宣言される。そのモデルとされたのは、モスクワのクレムリンにある生神女就寝大聖堂と聖天使首大聖堂、コローメンスコエの主の昇天聖堂などが挙げられているという。

様々な困難を乗り越え、約70年後の1883年にアレクサンドル3世の戴冠式と同日に成聖され、成聖の前年には、チャイコフスキーの「序曲1812年」が大聖堂で演奏されているという。この1812年はもちろん建立が宣言された年である。

その後ロシア革命により、ロシア正教会は大打撃を受けることになる。

帝政を倒し、「宗教」の力を弱体化しようとする革命政府にとっては、信徒の支持により確固として存続するロシア正教会は脅威であった。聖堂の接収や破壊、信徒の逮捕や処刑などでロシア正教会へと激しい弾圧を加えるソビエト政権。

そしてスターリン時代の1931年にかの有名なソビエト宮殿(Palace of Soviet)の設計コンペが行われ、世界中から様々な有名建築家がその計画案を提出する。そして新しいモスクワのアイコンとなるべきこのプロジェクトの敷地として選ばれたのが救世主ハリストス大聖堂の建つ場所であった。

それはつまりはロシア正教会の象徴的建造物を破壊しその跡地にソビエト宮殿を建設することで、無神論の宗教に対する勝利を示すことを企図していたことが伺える。ソ連共産党の決定により1931年に大聖堂は破壊された。

そしてソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建されたという、なんとも数奇な運命に翻弄された大聖堂である。

それだけにモスクワの市中心部にいてもかなり目に付くのがこの大聖堂。その後ろに控えるセブンシスターズと共に、モスクワの空を突く塔の一つとして風景を作り出している。

レッド・オクトーバー脇の橋を利用しモスクワ川を渡っていくと、遠近法を無視するかのように巨大な聖堂の姿が見えてくる。南北の方位を無視し、明らかにモスクワ川への正面性を強調する配置を取っている為に、橋を進んでいくと徐々にその巨大さが身体に迫ってくる。しかもこの橋がモスクワ川というかなりの川幅を掛け渡すために中央部が相当に持ち上げられている。その為に途中から橋を下っていきながら目の前の建物は次第に巨大になっていくという、二重の効果を受けて圧倒されることになる。

内部を除き、その時代に弄ばれた運命を思いながら、ホテルの最寄駅まで最後の地下鉄移動を行い、モスクワの地を離れる前に昨日の夕方に発見した、駅周囲のクレープ屋で売っている、大好物の「イクラ」のクレープを二つ購入し、ほお張りながらこの巨大な都市スケールを持つモスクワでの滞在を終了させることにする。


























レッド・オクトーバー・ギャラリー Red October Gallery 2009 ★★


同行者であったオーストラリア人から進められていたのがこのレッド・オクトーバー・ギャラリー(Red October Gallery)。

救世主ハリストス大聖堂のすぐ南のモスクワ川の中州に位置する地域の総称で、ソ連時代はここに有名なRed October chocolate factoryの工場があったのだが、それがモスクワ郊外に移設された為に、近年この工場跡地が、アート・ギャラリーやレストランとして再利用され、かなり活気を持ったエリアになっているという。

トレチャコフ美術館 モダンアート館からモスクワ川沿いに北上していくと、最近整備されたというモスクワ川沿いのランドスケープと設置されている屋外アートがなかなか良い風景と環境を作っているのを感じられる。暫く進むと、モスクワ川の中洲から飛び出した形になっている彫刻と、その後ろに控える工場群を見ることが出来る。

川がある街は、あちら側とこちら側と作り出し、街に差異を生み出すので美しい風景の助けとなる。しかしそこの中を実体をもった人間として歩き回るためには、川を渡る為に橋を利用しなければならない。

その道理にしたがって、目の前に見えているレッド・オクトーバーではあるが、わざわざ随分先までいって橋を渡る必要がある。歴史の中で生まれた町であるにもかかわらず、そのスケール感がなぜここまで身体的スケールからかけ離れているのかに思いを馳せながら橋に上がる階段を登ることにする。














トレチャコフ美術館 モダンアート館 New Tretiakov Galleries 1985 ★★


スタッフのロシア人が進めてくれた中の一つがこのトレチャコフ美術館。クレムリンに近いのが古いもので、こちらが新しいものというので、新館なのだと思っていたが、どうやらネットでは英語でこの情報を探すのはなかなか難しい。

英語では「The State Tretyakov Gallery on Krymsky Val」と呼ばれ、1985年にモダンアートのコレクションの為に新設されたようであるが、詳しい情報は分からず。

宿泊しているホテルの近くに位置するトレチャコフ美術館はモスクワの商人であった、トレチャコフ兄弟が自らのアート・コレクションを展示する為に自宅に1851年開いたギャラリーを元にしているという。

今では世界有数のロシアファインアートのコレクションとなっているから、モスクワに行くならクレムリンと並んで必ず訪れる価値のある美術館だという。

郊外まで足を伸ばしヘトヘトになっているがこれが最後のモスクワ訪問だと考えるとどうしてもこれだけは訪れておきたいと思い途中下車で向かったのがこのトレチャコフ美術館の新館にあたるモダンアート館。モスクワ川沿いに位置するこの美術館。

最寄り駅を下車すると、目の前に広がる広場と強い都市軸。そして中心に彫像。やはりこの様な都市のアイコンがあると、初めて訪れる都市でも駅を出て方向を確認しようとしながら地図と照らし合わせると、簡単に地図と実際の方向が理解できる。これは一つこの様な都市計画の利点であろう。

方向を確認し、距離感を確認し、先程の教訓を生かし疲れた身体に鞭打ち徒歩で向かうことにする。どうやら前を行く4人組の学生らしきグループも美術館に向かっているような雰囲気なので、着いていくと途中で右に折れて学校らしき敷地の中へ。「近道なのだろうか?」と思いながらついていくが、どうやらそこは行き止まり。「美術館に行くのか?」と聞くと、彼らは英語を話せるようで「そうだから、ついてくればいいよ」と。

「それにしては道を間違えていたじゃないか・・・」と思いながら、ヘトヘトになりながらもついて行く。するとモスクワ川沿いの広場に出て、その先に非常に長い建物が見えてくる。これが目的地である、トレチャコフ美術館の新館。

横長い建物だけに、中央に位置する入口から階段で展示室のある2階に上がると、必然的にぐるりと横長に配された展示室をめぐっていくことになる。ただでさえ巨大な美術館なのに、この長い一日の最後の訪問地ということで、じーんとした疲労感を感じながら展示を見ていく。

ロシア構造主義を代表する、ウラジーミル・タトリンの「第三インターナショナル記念塔(1919年)」の巨大な模型を眺め、更に上階へと進み展示室をめぐっていく。そうすると途中で展示の準備の為か回遊式の動線が遮られている。その為に今来た長い動線を再度引き返さなければいけないということになる。

ヘトヘトになってなんとか辿りついたクロークで荷物を返してもらい、その前のベンチでなんとか足の疲労を回復しながら、一体この街の人は一日にどれだけの距離を歩くのだろうかと思いを馳せることになる。