2013年8月3日土曜日

「月と蟹」 道尾秀介 2010 ★★★★★


誰にでもあった少年時代。世界が今よりもよっぽど大きく、そして毎日は冒険に満ち溢れていたあの頃。

たわいの無いことが友達の間のとても大切な守りごとになり、仲間内だけでしか分からない遊びが流行ったりする。

決して裕福とはいえないシングルマザー家庭で、祖父と同居する主人公の慎一。
彼と唯一仲のよいクラスメイトである春也は父親からの暴力を受けている。

そんな二人のどうしようもない日常を特別なものに変えてくれるのが、浜辺で捕まえたヤドカリを裏山の上まで持って行き、ライターで炙っては殻から出して、粘土の台座においては焼き殺しながら願い事をするという儀式。

鶴岡八幡宮で行われる鎌倉まつり 。
日本で最初の禅寺である建長寺。
その裏山にある唸る十王岩。

海があり、裏山があり、ハレの場としての境内がある。
規模は違えど、日本の原風景に違いない。

しかし今では、それらが残っている地方は幸せな地方だとよく分かる。海も消え、川も消え、山も消え、現れたのはイオンモール・・・

ある日見かけた風景。誰か知らない男の人の車の助手席に乗り込む母親の姿。それ以来母が自分の知っている母ではなくなってしまったような思いを抱えて生きる慎一。

家庭のこと。少し仲良くしている女のクラスメイトのこと。子供にとっては精神状態を揺るがすようなそんなことをなじる手紙が教室の机の中に入れられる。

そんな日常の中、唯一心から楽しく思えるのは春也と過ごす時間。

「互いに本当は知っていながら、黙っている何かが、もっともっと欲しかった。」


「何にでもきっと理由ってのがあんだ、世の中のこと全部にな、ちゃんと理由がある。結局は自分に返ってくるんだ。」という祖父の言葉。

「叱られたとき、もうそれ以上叱られないようために口にする謝罪と何も変わらなかったからだ。どうしてこんな言葉しか返せないのか、慎一はつくづく自分が厭になった。」

「その夜慎一は、血の色をした蟹がハサミを無造作に持ち上げて、何か薄い、大事そうな膜を乱暴に突き破る夢を見た」


身体と同じく、感情も未熟であるからこそ、とても直接的に外部の世界に晒されることになる子供の精神世界。その過程で自らどう防御をするのか見につけていくのだが、家族のまなざしがなければ、時にそれはあまりに残酷な仕打ちとなって押し寄せる。


「見えない手で頬の筋肉を掴まれているように、顔から笑いを消すことが出来なかった。」

「何かがじりじりと自分を包囲していくのを、慎一は感じていた」

「感情に苔が何重にもまとわりついたようなぼんやりとした間隔」

「春也は口にいれてしまった不味いものをなかなか飲み込めないというように、咽喉のあたりに力を入れて唇を結び、じっと凹みを見下ろしている」

「諭すような口調で言ってやった。そのほうが、いっそう相手を傷つけることができる。いっそう恥ずかしい思いをさせられる。慎一は相手の心臓をのこぎりで挽こうとしているような、残酷な興奮を感じていた。」

「苔に覆われた感情の中心で、何かが声を上げていた」


どうやったらここまで細かく、そして繊細に子供時代の感情を描けるのだろうかと思わずにいられないくらいの表現たち。子供だからこそ、あまりにダイレクトに、あまりに隠すのが下手なこの時代の世界との接し方。だからこそその凶暴さはむき出しにされる。

そしてそのことは、子供だけでなく大人も同じように、社会性というベールに隠されて入るが、その薄膜一枚下では、子供時代となんら変わることの無い、ドロドロしそして恐ろしいまでに残酷な感情を抱えながら毎日を過ごしていること。

相手が何を考えているかは、本当に意味では知ることは出来ない。それが気になるからこそ「ちらり」と視線を投げてしまう。

そんなことを思いながら、何を考えているんだろうと椅子に足を乗せながらパソコンの画面を見つめている妻の横顔を「ちらり」と眺めることにする。


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第144回(平成22年度下半期) 直木賞受賞
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