2014年2月1日土曜日

佐太神社(さだじんじゃ) 717 ★★★



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所在地 島根県松江市鹿島町佐陀宮内
主祭神 佐太御子大神、天照大神(北殿)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(南殿)
様式  大社造
社格  式内小社、国幣小社
創建  717
機能  寺社
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大根島から松江側に渡る橋のたもと。
なんとも美しい風景に車を止めざるを得ない。
車を路肩に止め、エンジンを止め、カメラを持って外に出る。

湖らしいフラットで静かな水面。その先に広がるこれまた水平を強調するような風景。ややもやのかかった水面の彼方に小さな浮き島を捉え、そこには優雅に数本の松が生えている。神々の国に足を踏み入れたんだと改めて実感する風景。

橋を渡り、市外に向かうことなく車を走らせ、20分ほどで到着する今回の巡礼の旅の第一となる聖域。のどかな田園風景の中にいきなり一の鳥居が現れて歓迎してくれる。北京での喧騒の日常から、東京での忙しない時間を通り過ぎ、やっと足を踏み入れた静かなる神々の時間。

朝一番ということで、手水舎(ちょうずしゃ)の冷たい水で身体を清め、砂利敷きの境内へと歩を進める。目の前には横に並んだ三殿の大社造り。この地方独特な造りである大社造りを目の前にし、ついに出雲エリアに足を踏み入れたのを身をもって感じる。

残念ながら左の本殿は工事中で見えないが、三殿ともに切妻の妻側をこちらに向けた大社造。これから出雲地方を巡礼していくに当たってはこの「大社造」を避けては通れない。伊勢神宮の神明造(しんめいづくり)や最も数の多い流造(ながれづくり)など、その建築の形態によって様々な様式に分類されるが、その中の一つであるのがこの大社造。

もちろん出雲大社に代表され、その出雲大社の力の及んだ範囲、つまりは山陰地方の神社に多く見られる形式である。ネット上で大社造の神社の分布を地図上で表記したものはまだ無いようであるが、島根県を中心に分布し、明らかに出雲大社の勢力化にあった神社において採用された形式であることが分かる。

つまり独自の文化を形成し、それが古代という交通の便が悪いにも関わらず、かなりの広さを持って展開された、極めて安定した文化圏が存在したことの証。しかもその出雲の地においても、大社造を採用しなかった神社があるとういこと。それはもちろん対抗勢力の参加の神社ということで、かなり激しい勢力争いが繰り広げられていたのだろうと想像する。

では、何を持ってその「大社造」の様式かというと、基本的に山の形をした屋根の形状を持つ「切妻(きりづま)造」の建物であるが、正面がその屋根の傾斜面を見るのか、それともその側面である三角形を見るのかによって変わってくる。傾斜面を見ながらアプローチするタイプを平入り(ひらいり)といい、逆に側面の三角形を見ながらアプローチするのを妻入り(つまいり)という。

神社建築の様式のほとんどは前者の平入りに属し、神明造も流造もこちらのタイプになる。だから神社に行くとなんだか茅葺の大きな屋根面を見た記憶を持って帰ることが多いわけである。

それに対して妻入り、つまり切妻の側面を見ていくものに属するものの一つがこの「大社造」となる。他にも春日大社などの春日造もこちらのグループ。境内に入って目に入ってくるのは、ここに神様がいますよ、と言わんばかりの三角屋根。メインの建物は高床式で6本柱によって正方形を構成された「田の字」形である。

そうなると必然的に正面側は柱3本で2間となるので、真ん中には柱が来てしまい入口としては使えない。なのでしょうがなく入口をどちらかにずらす必要がある。そしてどちらにずらされたかというと、右側である。恐らくこれは神社においては社殿向かって右が上位であるとされることから来るのだろうが、なぜ右が上位かと言えば、出雲大社では向かって右に元々のご神体であったと思われる八雲山があるということに関係してくるのかと勝手に想像する。

そんな訳で正方形の切妻形式の建物の正面右側に入口がずらされたのが基本形となるのが「大社造」。それをもって再度この佐太神社に頭を戻すと、三殿の大社造が横並びになっている。そうするとどうしてもシンメトリーにそろえたくなるのが建築世界に身をおくものの宿命。中心の本殿の入口を強引に真ん中にもってって柱にぶつかることは流石に出来ないが、南殿の入口を反転し、向かって左側に持ってくることは可能だということで、北殿と南殿で左右対称にしてみよう、となったのかどうかは知らないが、そんな何とも珍しい三殿の大社造が見られる神社である。

上記したその造りから、どうしても少し横から見るとその奥行きや高さの変化などが良く分かるのも大社造の特徴。では、どちら側から見たほうが分かりやすいかというと、もちろん左側。2間の右側に入口がよって、奥に高床式に持ち上げられた建物の構成が良く分かる。グーグル画像検索で「大社造」とタイプして出てくる画像を見てもらえばその傾向が良く分かるはずである。

そんな訳で自然と作られる横向きの重力に引っ張られながら南殿をぐるりと回っていくと、南末社とその奥に神明社が。その前にはいかにも物好きそうなおじさんが写真を撮っており、どちらからともなく話をすると、兵庫から来ていてかなりの古墳好きで今回は山陰地方の珍しい古墳を中心に回るという。

今後の行程を説明すると、「ぜひとも出雲で見ておいたほうがいい面白い古墳があるんだ」とおもむろに地面にしゃがみ、砂の上に絵を描きながら説明してくれる。なんでも、西谷墳墓群といい方形古墳の四隅がヒトデの様に飛び出した形をしているらしい。なかなか興味深いと思いながら、「いやー、古墳はまだ手をつけてないんで、時間が空けば見てみます」と返答し、更に奥にある母儀人基社(もぎのひともとしゃ)への参道を二人して上がっていく。

5分くらい上がっていくとポッとひらけた場所に出て、奥には如何にも雰囲気のある磐境(いわさか)が祀られている。

磐境というのは、古代の人が自然信仰の対象として、神の存在を感じ、それを祀る為に作られた非常にプリミティブな石をつんだもので、神社の奥などに明らかに人の手によってつくられたと思われる様に詰まれた石の前に注連縄などが張られている事があると思うが、そこに神が降臨する依代となると信じられた痕跡である。

そうするとそのおじさんが、「いやー、自分磐境(いわさか)が好きでねぇ。こういうのを見て回ってるんだ」と。流石古墳好き。好きなポイントが渋いなと思いながら交代しながらお参り。

そして狭い石階段を下りて再度境内へ。互いによい旅になるようにと願いながら分かれるが、最初の神社でのなかなか興味深い出会いに、「これは面白い旅になりそうだ」と次なる目的地へと向かう事にする。




















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