学生相手に建築を教えることが日常として時間を過ごすようになると、出来るだけ多くのことを伝えようと良い本を探し、自分なりに理解した内容や、今まで自ら経験してきた様々なことをできるだけ分かりやすく、それでいて彼らの知的好奇心を刺激できるようにと毎週緊張感を持って生徒に対峙することになる。
しかしある時にそれが、自分がいろんなところで吸収してきた栄養素を大きな巨木が吸い上げていくように、「はい、次は何?」と自分が枯れ果てるまで無限にしゃぶりつくされれてしまうのではないだろうかという恐怖にかられる。
そんな時に「人に何かを教える」とは一体どんなことなのか?と真剣に悩んで手にした一冊。そして読み終えたときに、目から鱗の様な思いを持ち、なんて恥ずかしい考えをしてしまっていたのだろうと猛省させられた。
そんな思いを持つ人間はすぐさま教壇から降りるべきで、教師であるならば、永遠にエネルギーを大地に向かって降り注ぐ太陽の様な明るい存在であるべきで、そこには何からの見返りなどを求めたりはしてはならないということ。エネルギーを取ってくれという人間しか教えるなという。
膝から崩れ落ちるほどのショック。
先生曰く、「教育の根底には憧れを伝染させる力があり、何ものかを目指して飛ぶ、何々がしたい、という願望から学ぶ意欲を掻き立てること」だという。それには教師自身が常に学び続けることが必要であり、学びとはある種の祝祭的瞬間 だという。
小さな頃、全ての授業が好きな本の新しい一ページをめくる様なワクワクした気持ちをもたらしてくれた記憶。夢中だったあの時間の様に生徒にどれだけの影響力をもてるか。専門的力量と人間的魅力をバランスよく運転しながら生徒に対峙する。
「これを知らないと恥ずかしい」という気持ち。それがもたらす更なる向上心と向学心。他人の視線が自己コントロールとして作用する社会性。
「学ぶ」ということをしっかり考えること。闇雲に学ぶよりも、まずは上手い人を「真似る」から始める。では、何が上手いのか?、自分に何が足りてないのか?を分析する。そしてそれらのやるべきことを整理する。その段取り力。スポーツで言う監督やコーチと選手の関係が、教師と生徒でもあるように。
仕事でもそうだが、重要なポイントはメモを取ることが基本。メモができないということは、必要だということが見えていないということ。
「天才」とは上達の達人である。それは意識できるとこまで自分を追い込む。イチロー選手が全てのヒットの理由を言えるように、その準備ができていること。自分が向上する為の段取り力が備わっていること。
全体が見えているということは安心感を与えてくれる。この部屋がどれだけ広いかを知っていると、自分がどこに居たら心地よいかが把握できる。このコースがどれだけ長いかを知らずに走り続けるのは、精神的にもとてもきつい。その為に学び続けること。それは科学的な精神を身に着けること。「失敗」ではなく、「ダメだということが分かったという成功」として次に向かう精神。
世阿弥の 「離見の見(りけんのけん)」の様に、「見所は観客席のことなので客席で見ている観客の目で自分をみよ」ということ。つまり演じる自分とそれを見る自分の二つの時間を同時に生きることの必要性。
こんなにもあっけらかんと、そして圧倒的な知性を持ってなおかつストイックに向上心を忘れない。心臓が脈打つのを終えるときまできっと学ぼうとするのだろうと思えるその姿勢。昨日までの自分の姿勢が恥ずかしくなるのと同時に、すぐにでもアマゾンで紹介された本の大量購入に走らせる一冊。
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本文中で紹介される本や映画など
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谷崎潤一郎「春琴抄」
世阿弥「風姿花伝」「花鏡」
ルース・ベネディクト「菊と刀」
宮沢賢治「学者アラムハラドに見た着物」
中島敦「名人伝」
音楽 吉田秀和
ピーター・アトキンス 「ガリレオの指」
ウェンディ・ベケット「シスター・ウェンディの名画物語―はじめて出会う西洋絵画史」
ファン・エイク「アルノルフィニ夫妻」
イグナシオ・アグェーロ『100人の子供たちが列車を待っている』
リュミエール 『列車の到着』
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■目次
まえがき
序章
教えること、学ぶこと
1教育力の基本とは
2真似る力と段取り力
3研究者性、関係の力、テキストさがし
4試験について考え直す
5見抜く力、見守る力
6文化遺産を継承する力
7応答できる体
8アイデンティティを育てる教育
9ノートの本質、プリントの役割
10呼吸、身体、学ぶ構え
あとがき
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しかしある時にそれが、自分がいろんなところで吸収してきた栄養素を大きな巨木が吸い上げていくように、「はい、次は何?」と自分が枯れ果てるまで無限にしゃぶりつくされれてしまうのではないだろうかという恐怖にかられる。
そんな時に「人に何かを教える」とは一体どんなことなのか?と真剣に悩んで手にした一冊。そして読み終えたときに、目から鱗の様な思いを持ち、なんて恥ずかしい考えをしてしまっていたのだろうと猛省させられた。
そんな思いを持つ人間はすぐさま教壇から降りるべきで、教師であるならば、永遠にエネルギーを大地に向かって降り注ぐ太陽の様な明るい存在であるべきで、そこには何からの見返りなどを求めたりはしてはならないということ。エネルギーを取ってくれという人間しか教えるなという。
膝から崩れ落ちるほどのショック。
先生曰く、「教育の根底には憧れを伝染させる力があり、何ものかを目指して飛ぶ、何々がしたい、という願望から学ぶ意欲を掻き立てること」だという。それには教師自身が常に学び続けることが必要であり、学びとはある種の祝祭的瞬間 だという。
小さな頃、全ての授業が好きな本の新しい一ページをめくる様なワクワクした気持ちをもたらしてくれた記憶。夢中だったあの時間の様に生徒にどれだけの影響力をもてるか。専門的力量と人間的魅力をバランスよく運転しながら生徒に対峙する。
「これを知らないと恥ずかしい」という気持ち。それがもたらす更なる向上心と向学心。他人の視線が自己コントロールとして作用する社会性。
「学ぶ」ということをしっかり考えること。闇雲に学ぶよりも、まずは上手い人を「真似る」から始める。では、何が上手いのか?、自分に何が足りてないのか?を分析する。そしてそれらのやるべきことを整理する。その段取り力。スポーツで言う監督やコーチと選手の関係が、教師と生徒でもあるように。
仕事でもそうだが、重要なポイントはメモを取ることが基本。メモができないということは、必要だということが見えていないということ。
「天才」とは上達の達人である。それは意識できるとこまで自分を追い込む。イチロー選手が全てのヒットの理由を言えるように、その準備ができていること。自分が向上する為の段取り力が備わっていること。
全体が見えているということは安心感を与えてくれる。この部屋がどれだけ広いかを知っていると、自分がどこに居たら心地よいかが把握できる。このコースがどれだけ長いかを知らずに走り続けるのは、精神的にもとてもきつい。その為に学び続けること。それは科学的な精神を身に着けること。「失敗」ではなく、「ダメだということが分かったという成功」として次に向かう精神。
世阿弥の 「離見の見(りけんのけん)」の様に、「見所は観客席のことなので客席で見ている観客の目で自分をみよ」ということ。つまり演じる自分とそれを見る自分の二つの時間を同時に生きることの必要性。
こんなにもあっけらかんと、そして圧倒的な知性を持ってなおかつストイックに向上心を忘れない。心臓が脈打つのを終えるときまできっと学ぼうとするのだろうと思えるその姿勢。昨日までの自分の姿勢が恥ずかしくなるのと同時に、すぐにでもアマゾンで紹介された本の大量購入に走らせる一冊。
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本文中で紹介される本や映画など
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谷崎潤一郎「春琴抄」
世阿弥「風姿花伝」「花鏡」
ルース・ベネディクト「菊と刀」
宮沢賢治「学者アラムハラドに見た着物」
中島敦「名人伝」
音楽 吉田秀和
ピーター・アトキンス 「ガリレオの指」
ウェンディ・ベケット「シスター・ウェンディの名画物語―はじめて出会う西洋絵画史」
ファン・エイク「アルノルフィニ夫妻」
イグナシオ・アグェーロ『100人の子供たちが列車を待っている』
リュミエール 『列車の到着』
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■目次
まえがき
序章
教えること、学ぶこと
1教育力の基本とは
2真似る力と段取り力
3研究者性、関係の力、テキストさがし
4試験について考え直す
5見抜く力、見守る力
6文化遺産を継承する力
7応答できる体
8アイデンティティを育てる教育
9ノートの本質、プリントの役割
10呼吸、身体、学ぶ構え
あとがき
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