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所在地 島根県松江市殿町
城郭構造 平山城
別名 千鳥城(ちどりじょう)
築城主 堀尾忠氏
築城 1611
機能 城郭
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松江市北部から市内中心へ向かい細い道を抜けると突然目の前が開け、右手にお堀越しに城が聳え、左手には優雅にカーブする古い街並みを見せる道が伸びる。
お堀では観光客を乗せて遊覧船が進んでいき、左手には並ぶ日本家屋に小泉八雲の文字が見える。必然的に後ろの車を注意しながらも少々スピードを落としての運転となる。大保里沿いをぐるっと回って到着する城前駐車場。近くにいた案内のおじさんに「ぐるっと回ると大体どれくらいかかりますか?」と質問すると「歩いて回ると1時間くらいだね」と。
寺社や城をめぐっていると、現地で廻るのにかかる時間がどれくらいかという情報は結構つかみにくいものである。恐らく多くの観光客はその場所一つがその日の目的地であるということで、次の目的地へのスケジュールを考慮して歩いて廻るとどれくらいかかるかを気にする人はそんなにいないからだと勝手に想像する。
しかしながら移動と見学をあわせてスケジュールを組んでいるので、一日の中の移動と見学で予定よりも稼ぎ出した時間でしか散策が出来ず、その中でも比較的時間を食ってしまうのが山登りとセットになってくる寺社とこの城。
そんな訳で「これはまずいな」と思いながら、やや駆け足で城内へ。現存天守12城など数多くのタイトルを得ている城だけに道すがら目に入ってくる石垣や塀、階段などがとにかく立派。もちろん100名城にも数えられているし、三大湖城の一つでもあるという。
三大湖城というと馴染みが無いが、他の二つは諏訪湖を利用した長野県諏訪市の高島城と琵琶湖を利用した滋賀県大津市の膳所城だという。なら松江城は?と言うと、もちろん了するのは宍道湖(しんじこ)という訳である。
この松江。旧国名では出雲国となり、藩による統治体系においては松江藩の藩庁として栄えた城下町である。現存天守を残す城だけあり、大きな戦火や天災に巻き込まれること無く当時の面影を残しながら現代まで生き延びてきたその街並みの雰囲気が良く感じられる街である。
そんな街の中心の城跡で、階段の上方から観光客だろうか、母と娘が連れ立って下りてくるので挨拶を交わす。至極勝手な思い込みであるが、共だって城に遊びにくる家族はきっと家庭も円満で上手くいっているに違いないと想像を膨らませて先を急ぐことにする。
熊本城もそうであるが、どうも子の様な立派な城というのは、その周囲にいくつもの神社が併設されているのが常のようであり、この松江でも左に見えてくるのがなんだか心地よさげな境内。そちらに足を向けてみると松江神社の看板が。なかなか整った境内で参拝をし、再び本丸へと足を進める。
入館料売り場につくと、城だけのチケットと、先程通ってきた道沿いに立ち並んでいる観光スポットである小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷の中から二つに入れるお得チケットがあるといわれるので、「そちらまで足を伸ばすとどれくらい時間がかかりますか?」と確認してそちらのチケットを購入。
現地で事前調査ではひっかからなかった見るべきスポットが増える喜びと同時に、更に早足で廻らないといけない距離が伸びる憂鬱さを抱えて振り向いた先にドシンと聳える黒塗りの城。関ケ原の合戦の功績により出雲・隠岐24万石の大名として月山富田城に入ったのが堀尾吉晴。
しかし険しい山に囲まれた月山富田城付近に城下町を築くのは難しいと平坦な宍道湖のほとりのこの亀田山に築城したのがこの松江城という。そしてそこに徳川家康の孫にあたる松平直政が入城し、以後明治維新まで松平氏の居城として栄えることになる。
何処の城でも同じ様なものだが、この土地の歴史や城主の鎧などが展示される各階を足早に見学し、最上階の天守閣へ。その4方からは平坦な松江の街並みが詳しく眺めることが出来る。
その風景に暫く満喫し、滑らないようにと急角度の階段を下りて、今度は城の裏手を下りていく。山の地形をキメ細やかに計算しながら築かれていく城の石垣。急斜面の中に、大地の延長として石垣が築かれその間に石階段が設置され、自然の地形と人工の構築物の織り成すなんとも美しい風景が現われる。
城の裏手を下りていくと石垣で方向を降られ、前方を見えなくなりながら階段をおり、いきなり景色が開ける瞬間がある。こういう瞬間を体験すると、まさに自然の力を細やかに感じ取ることが出来る特殊技能を持った人の手が入ることによって新たに感じることができるようになった自然の風景の美しさを実感する。
誰もいない平日の城の裏手。そこでなんだかニヤニヤしながら小走りで先を急ぐ中年の建築家。周りから見たらさぞや気持ち悪いことだろうと思う。そんなことを思っていたら、カガクンと足を止めるなんとも美しい池が目の前に現われる。恐らく城の溜池に使われていたのだろうがなんとも神秘的な色の水面。その大きさも非常に心地よく、これは凄い聖域に違いないと暫く足を止めてカメラを向ける。
時間を気にしながら先を進むとまた左手になんだか由緒のありそうな神社が見えてくる。黒字に赤の幟が印象的で松江護国神社とかかれ、広い石段の中心にバリアフリーな橋が架かっているのも気になって境内へと駆け上がる。
「まだ先にはチケットを買った二箇所の立ち寄り場があるんだから・・・」と手短に参拝をして先に進むと、今度は右にこれまたいかにもな神社が見えてくる。城山稲荷神社というらしいが、これもまた小泉八雲が立ち寄った場所だという説明を読んでしまったので飛ばす訳にもいかず重なる鳥居をくぐることにする。
参拝をおえて、下り坂をおりきり右に曲がると先程来るまで通りがかったあの場所へと出てくる。お堀の穏やかな水面に木造の優雅な曲線を持った橋。その向こうに立ち並ぶ日本家屋の塀の連なり。
手前から小泉八雲記念館、そして小泉八雲旧居とチケットを提示して見学していく。その横にある菊竹清訓設計による田部美術館を泣く泣く飛ばしてお堀沿いを歩きながら、2時に予定していた立ち寄り湯へ電話して、到着の遅れを説明する。
小泉八雲がなぜこの場に居を得たのがが良く分かるような気持ちを穏やかにしてくれる街並み。手すりもつけられることなく、景観を保たれ、垂れてくる松の枝を避けながらゆっくりと歩いていくと、これまた美しい木造の橋が見えてくる。
橋の中心から再度松江城を眺め、うっすらと汗をかくほどの運動も、この後の立ち寄り湯で汗を流すのに丁度いいかと思いながら駐車場へと足を向けることにする。
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