先日、毎年恒例の早稲田大学芸術学校建築週間のイベントとして、早稲田大学名誉教授でもある池原義郎先生の講演会が開催された。教え子でもある鈴木了二先生との掛け合いもあり、興味深い講演会となった。
82歳とは思えないほど背筋が伸びて一つ一つ言葉を大切にしながらも、詩を詠むように感情豊かな設計手法を語られ、今井謙二先生の研究室での日々や、チラシなどに描かれる今井先生のスケッチから建築へと展開していく過程など話され、それから4つの作品を中心に話を展開された。
白浜町立白浜中学校 池原義郎 1970
オリンピック・万博と続いた70年代。学校建築まで手が届いてなかった時代に、10万円/坪で作る房総半島の先端に立つ小学校。予算は無いが、この場の景観は一級だとして、それを借景として、学校の中に取り入れようとしたスケッチ。防風林としての松林を、各教室から見えるよう地形を直し、当時流行の兆しを見せた標準設計に真っ向から対決し、時間のロスは情熱でカバーするのが教育だと学校関係者を説き伏せ、100Mの距離を二本の直線で結ぶ移動空間が卒業後の思い出になるはずだと主張する。有限から無限のものを作るのが建築で、運動場に配された支えるものを持たない柱は、実は青空を支え、そこに空間が出来て、生徒一人一人に違った空間を与えてくれるはずだと。建築の詩情というタイトルそのものの設計手法に感銘する。
所沢聖地霊園礼拝堂 池原義郎 1973
こちらも白浜から引き継がれる雑木林を永遠に昇華させる借景の建築への導入。そして何度も語られる大地の考え方。目に見える張力として緊張感を空間に持ち込み、大地から沸いてくる泉のイメージとしての手水によって人々の手と心が清められ、大地の壁としてそそり立ったコンクリートの壁はその中の空洞部にもしっかりと泥を詰める拘りっぷり。1973年日本建築学会賞受賞作。
酒田市美術館 池原義郎 1997
もともと大名不在の酒田地方には、頼朝による討伐によって、藤原京より逃げ落ちた侍達が住み着いたのが発祥という町。農家の家が能舞台として使われ、500年の歳月をかけて受け継がれてきた黒川能。日本海を通って直接京都へのルートを持った当時の豊かさを感じさせる山居倉庫。現代建築の名作「土門拳記念館 谷口吉生 1983」。そんな話で町の紹介をされて、「4つの壁」と表現されるとても美しい平面図。安田侃 の彫刻と鳥海山への眺望に誘われて、さりげなく動線の誘導をしてくれる壁に沿いながら自然に一回りできるよい美術館のように思われた。
富山県総合福祉会館 池原義郎 1999
最後に話されたのは、希望のアイコンとして何度も歴史に登場する船を想起させる形態をもつガラスの方舟。規模が規模だけに、所沢や酒田で感じられるひしひしとした手触りのようなものは感じられなかったが、やはり大胆で気持ちのよいプロポーション。
その後、鈴木了二先生の作品を見て、対談という形になったのだが、作品をじっくりと説明したいただき、感じるのはコンピュータでは絶対にできないそのレイアウト。なんとも不思議な平面形と、手触りが感じられる植物の様な平面図。散歩が大好きと仰られたように、とことん身体と感情を駆使して空間を作り出す建築家なのだと改めて認識をする。
綺麗に納める能力よりも、心の届く空間の詩情を持つことがいかに大切か、それを感じに、何とか年内に所沢には足を運ばないといけないと、楽しみを増やして会場を後にする。
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