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所在地 東京都国立市
設計 大出産業
施工 大成建設
竣工 2012
機能 空手道場
規模 地上1階
建築面積 240.00㎡
延床面積 240.00㎡
構造 S造一部木造
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2014年 日本建築学会作品選集新人賞
グッドデザイン賞 受賞
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建築学会賞が発表されると、「今年はどんな流れなのか?」と楽しみに早速マッピングして目的地を増やしていく。2015年の作品賞である「上州富岡駅」と「工学院大学弓道場・ボクシング場」は国の政策が見え隠れするかのように、木造構造の新しい可能性を見事に作品に仕上げた二作であり、これはぜひとも近いうちに見に行きたいと思う。
そんな中に新人賞としてこの「一橋大学空手道場」の入選しており、調べてみるとグッドデザイン賞など他にもいろんなところで評価されているようである。そんな訳で少し見てみると、大学の空手部の道場ということで限られた予算である中で、切妻という方向性の強い形態が必然として盛ってしまう採光の問題。そして室内の運動空間であり、なおかつ武道というかなりの声を出す競技ゆえに周囲の住宅地への騒音とならぬように窓を開けはたつことができないという条件から、できるだけ内部に環境負荷を低減した温熱環境を作り出すか、そのためにどうにか自然換気の道を作り出してあげるか。
そんなことから切妻をいくつかに分割し、内側のところで屋根を折り曲げてのこぎり屋根とすることで北側採光を確保し、南側にガラリと通して空気を取り込み、床下に通して層状に空気を上昇させることで、室内に一定の空気の流れを作り出すということらしい。
非常にシンプルな方法で、かつ高度な技術も、高価な素材も、アクロバティックな形状も使うことなく、「住宅街に囲まれた大学施設内の空手道場」という特殊な機能要求に充分に答えていることがその評価に繋がっているようである。
ある種のポリティカル・コレクトネス。誰に説明しても、何の反対意見も出ないであろう、非常に正当な解答であり、環境建築の授業で挙げられるパッシブ・ハウスの設計手法をうまく組み合わせた作品であり、それが住宅でなく特殊な機能を持った建物であったから成り立ったということであろう。
そういう現代におけるある種の正しい解答に沿っている建物が評価されるのは当然であろうが、そこに建築としてどのような魅力があるのか、それを感じられるのか。実際にその中で空手というかなり激しい運動を学生と一緒になって動いてみるのが、この建物を理解するのに一番なのであろうが、流石にそれは無理なので、一応周囲の環境とどういう風に向き合って建っているかと確認しに行くことにする。
という理由付けはしつつ、やはり歴史のある大学のキャンパスに足を踏み入れるというのはやはりなんとも言えないものである。東京であれば東大、早稲田、慶応、立教、上智、青山、明治などなど。地方から思いをもって上京してきて、様々な出会いと成長をしていく4年間を過ごす大学の空間は、やはり若さの熱気に溢れ、かつそれぞれの大学の特徴をもった建物に見守られ、そして独特の空間が漂っているものである。なので、できるだけこれらの大学を訪れて、どんな建築郡がその大学を作り上げているのか、一時期熱心にキャンパス周りをしたものであるが、それでもこの国立の一橋大学までは足を伸ばすことが無かったので、これはいい機会とキャンパス内を少々歩いてみることにする。
それよりもまずは、この国立という特殊なエリア。「国立マンション訴訟」でも有名なように、日本でも有数のコミュニティを持ち、景観という非常に文化レベルの高い意識を共有している場所であり、周囲を駐車場を探しながらぐるぐるしていても、道のあちこちに子供達の登下校の見守りをする高齢者や保護者の集団がみかけられ、それと同時に狭いエリアに異常なほどの学校があることが分かる。よそ者からすると、少々怖い気もするが、その中心地に鎮座するのが道を挟んで西と東にキャンパスを抱える一橋大学。
各大学くらいの創始者とその歴史くらいはざっと理解しておいたほうが今後の人生においてみ有意義だろうと少し見てみると、薩摩藩士で初代文部大臣を努めた政治家の森有礼(もりありのり)が1875年に開いた商法講習所を元としており、1920年に一橋大学として設置されたという。
東京大学 1877年設置
早稲田大学 1920年設置 創立者・大隈重信
慶應義塾大学 1920年設置 創立者・福澤諭吉
一橋大学 1920年設置 創立者・森有礼
上智大学 1928年設置
東京工業大学 1929年設置
こうしてみても、歴史の長い大学であるのが見て取れる。建築の分野で有名なのは、大学内の多くの建築がかの伊東忠太の手によって設計されており、それぞれの建物を詳しく見ていくと、様々なところに不思議なものが発見できて非常に楽しめる場所でもある。
大学本部 伊東忠太 1930
付属図書館 伊東忠太 1930
兼松講堂 伊東忠太 1927
そんな訳で時間も限られているので西キャンパスにしぼって、シンボルである兼松講堂の前を抜けてのどかな運動グラウンドで練習に励む野球部の様子を見ながら先に進み、さっとのことで目的の空手道場を見つける。
大学のキャンパスというだけで、すでに満足度はかなり高くなってしまっているが、練習は行われておらず、閉まっている空手道場をぐるりと見渡しながら、恐らく建築学部の無いこのキャンパスにいる学生および教員の95%以上が、この建物が建築の賞を受賞するような建物であるということは知らないであろうし、建築なんていうものは本来そういうものであるのだろう。それでも、新入生としてこのキャンパスに足を踏み入れ、空手の道に進む若者が、気がつかないうちに「この道場はなんとなく気持ちがいいな」と思うような場所。そういうあくまでも謙虚でかつ技術の後押しのある控えめな建築。
東日本大震災を経験した現在の日本。建築家であるならば、「建築とは何か。社会に対して建築家は何ができるのか。今までの建築の作り方は正しかったのか。もっと謙虚に、人々に耳を向けて、派手さはなくとも、誰もそのデザインに気がつくことが無くとも、少しでもより良い環境を、生活を、一日を提供することができる。なおかつ地域に根ざし、一般的な素材と工法を採用し、それで建築が可能になれば、それに越したことは無いのではないか」。そんな時代の要請にも見事に応えた作品であろう。
そう理解できればできるほど、その何も語らぬ静かな、非常にシンプルな装いを纏った建築に、「これがこれからの建築の姿なのだろうか・・・」と考えをめぐらせながらキャンパスを後にする。
兼松講堂 伊東忠太 1927
付属図書館 伊東忠太 1930
大学本部 伊東忠太 1930
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