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2013年7月20日土曜日

高野山 壇上伽藍(だんじょうがらん) 816 ★★★


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所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山
山号  高野山
宗派  高野山真言宗
寺格 総本山
創建  816
開基  空海
機能  寺社
文化財 不動堂、仏涅槃図ほか(国宝)
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かなり広い高野山エリア。西から高野山の正門にあたる大門。その次に高野山信仰の中心となる壇上伽藍(だんじょうがらん)。有名な根本大塔 など幾つもの伽藍が集まるエリア。そして総本山金剛峯寺。そして一の橋から奥の院まで伸びる2キロの道沿いには無数の石塔が立ち並び、有名武将の墓なども並ぶ。

そんなざっくりした高野山のエリア分けの西の最大の見所である壇上伽藍。寺院が幾つか並んでいるのだろうというのと、朱色の根本大塔のイメージだけを持ってやってくる。中門の工事中のシートの横を通り境内にでると、ドンと待ち受けるのが大きな金堂。根本大塔と共にこの壇上伽藍の中心となる建物。1926年に焼失し、現在の金堂は1932年に再建された鉄筋コンクリート造の建築である。

金堂の奥に見えるのは根本大塔。1階平面が方形、2階平面が円形の多宝塔。1937年に空海入定1,100年を記念し再建された、これまた鉄筋コンクリート造の建物。金堂200円、根本大塔200円を支払い内部見学。

スケール感がぶっ飛ぶようなこの二つの建物を見学した後は、まずは東に足を向け、1197年建立の国宝・不動堂や、東の端に建つ1984年再建の東塔まで足を伸ばし、振り返っては東塔、根本大塔、金堂を視界に捕らえる。青い空に朱色がなんとも清清しい。

再度根本大塔と金堂の間を抜け、御影堂を横目に今度は西の端まで歩を進める。東エリアとは対照的に森の中にひっそりと現れる西塔。887年に初代の塔が建立され、現在の塔は5代目で1834年の再建という。200年近くなる建物だけあり、なかなか雰囲気のある色合いとなっている。

(だんじょうがらん)
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/Fusion/garanf.htm

山王院を回って再度金堂の前にでて境内を後にするのだが、やはり印象に残るのはその巨大さ。その効用。まるで宇宙の広さを見せ付けられるかのような大きさの前に、人は自らの悩みの、存在の小ささに向き合えと言われるかのような思いになるのだろうと思わずにいられない。

境内に行きかうお坊さんの姿に、ここが今でも生きた仏教都市であることを再認識し、せっかくだからと西の一番端に位置する大門を見学しに行くことにする。














































2013年7月19日金曜日

當麻寺(当麻寺)(たいまでら) 612 ★★


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所在地 奈良県葛城市當麻
山号  二上山(にじょうざん)
宗派  高野山真言宗、浄土宗
寺格 別格本山
創建   612
開基   伝・麻呂古王
機能   寺社
文化財 東塔、西塔、曼荼羅堂ほか(国宝)
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百寺
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慈光院の至極の空間で疲れた身体を癒し、恐らく次が本日最後の寺になるだろうとの確信から、斑鳩方面に向かって百寺である中宮寺を訪れその後、二十二社である廣瀬神社までいくルートを取るか、それとも葛城市(かつらぎし)へと一気に下り、こちらも百寺である當麻寺まで行くか。

答えは迷うことなく當麻寺。東大寺や法隆寺から離れているため随分と観光色が弱まっているが、間違いなく奈良を代表する古刹。

弱まり始めた日を感じながら、到着する北門。誰もいない駐車場に置かれた駐車場代入れに律儀に500円を入れ境内に。目の前に金堂が見え、右手には奥の院の看板があるが、やはり順序と言うものがあるだろうということで、誰もいない境内を玉砂利を蹴りながら走って表参道へ向かう。

通常、正面を南に向けて建てれらることの多い奈良の寺としては珍しく、東に向かって延びる表参道。参道の脇に広がる街並みが古い街並みを残しているのに好印象を覚え、振り返って見上げるのが「仁王門」。迫力のある仁王像に睨まれながら再度門を潜って境内へ。

この當麻寺、新字表記だと当麻寺と書き、とうまでらと言ってしまいそうになるが、たいまでらと発音される。起源は聖徳太子の弟の麻呂子親王が河内に建立した万法蔵院(まんぽうぞういん)で、681年の當麻国見によって、この地へ移転したという。

有名なのは「中将姫(ちゅうじょうひめ)」の伝説で、藤原家の娘中将姫(ちゅうじょうひめ)が不思議な体験をしこの當麻寺を訪れ中之坊にて尼僧となり、かつて見た阿弥陀様のいる極楽浄土の風景を蓮の糸で織ったのが国宝・當麻曼荼羅(たいままんだら)であるという。そしてその當麻曼荼羅がこのお寺のご本尊となっているという。つまりご本尊が仏像ではないのである。ちなみにこの當麻曼荼羅は国宝に指定されているという。

そんな伝説聞いたことも無かったな・・・と思いながら、左手に見えてくるのがその中之坊。この當麻寺には本坊はなく、境内には下記の様に真言宗5院、浄土宗8院の子院がある。
真言宗子院;中之坊、西南院、松室院、不動院、竹之坊
浄土宗子院;念仏院、護念院、来迎院、極楽院、奥院、千仏院、宗胤院、紫雲院

そしてこの中之坊は真言宗子院となる。書院の裏手に位置する庭園が當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園として名勝の名が高く、先ほど覚えたばかりの片桐石州による江戸時代初期作庭と言われる。

それは逃すわけにはいかないじゃないか、と思い、参拝料500円を支払いながら、「本当に参拝料貧乏になるな・・・」と思いながら、「お茶は結構です」と少しでも節約に努める。外庭から塀をくぐり中庭へ。蓮の張られた池と、片桐石州作というだけあって、身体スケールの感じられる道を抜けていく。

その中之坊を出て進んでいくと、角にあるのが梵鐘。ちなみにこれも白鳳時代の日本最古のものとして国宝に指定されている。

歩きながらも左手にチラチラと見えている塔の頭が気になりながら、「あれが有名な當麻寺の双塔か」と思いながら足を進めると、徐々に右側にずれていくような境内の配置で真ん中に位置するのが正面に本堂(曼荼羅堂)。天平時代の建物で、これも国宝。先ほどの話の様に、本尊が當麻曼荼羅という珍しいもの。

その右手に控えるのが講堂。こちらは鎌倉時代のもので、中には阿弥陀如来像などがある。講堂の向かい、つまり本堂の左手に位置するのが金堂で、日本最古の塑像「弥勒仏(国宝)」などが祀られている。

そしてこれらの建築群の南に位置し、やや坂を上ったあたりに見えるのがこの當麻寺の一番の見どころと言える、東塔と西塔の二本の三重塔(国宝)。両方共に天平時代のもので、2塔揃って現存しているのは全国でここだけと言う。

東塔を囲む「香藕園(こうぐうえん)」と、西塔を囲む「西南院」という二つの庭園があるが、いずれも既に閉門済み・・・「ぐぬぬぬぬぬぬぬ・・・」と歯軋りをしながら外から見学。ちなみに東塔は奈良時代末期の建築で、西塔は平安時代初期の建築と言われる。

その後は更に奥へと続く奥院へ。照りつける夕日も厳しくなってきて、朝から走り回ってきたので疲労も蓄積し、どれだけ距離があるかも分からないので「見に行かなくていいか・・・」と気持ちが折れそうになるが、ここまできて片手落ちもあれだなと気持ちを奮い立たせて砂利の階段道を登っていく。

この奥院は浄土宗の子院で、1370年に浄土宗の大和本山として創建。境内の最も奥に位置し、知恩院の奥の院とされ、近世以降は「当麻奥院」と称されたという。その一番奥に位置する浄土庭園が名勝とされているらしいが、坂を上りきったら案の定門が閉められており見学できず、とぼとぼと肩を落としながら駐車場へと戻ることにする。