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2013年7月18日木曜日

兵主大社(ひょうずたいしゃ) 717 ★★★

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所在地  滋賀県野洲市五条
主祭神 八千矛神(やちほこのかみ)
社格  式内社(名神大)・県社
本殿の様式 一間社切妻造
創建   717
機能   寺社
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琵琶湖大橋を渡り、辿りついた琵琶湖の南東。右手に見えてきた佐川美術館は明日の朝に茶室見学を予約してあるので、「ここまで戻ってくるのか・・・」と思いながら、のどかで、横に広い近江の田園風景を眺めながら守山市から野洲市へ入る。

そんな田園風景のど真ん中。突然現れる巨大な鳥居。その先に見える参道は果てが見えないほどの長さ・・・「この時間にこれだけ行って帰ってくるとなるともう他のところは無理じゃないか・・・」と思いながら、参道にそってる田んぼ道を走っていくと、参道の果てに二の鳥居と駐車スペースが。

駐車場に車を停めて、見上げる二の鳥居の後ろの朱色の楼門は1550年の建立。遮るものがない水平な地平で、沈みかけた太陽は容赦なく西の空から照りつける。ちょうどそのラインが楼門も後ろに位置し、手で目を覆いながら楼門をくぐることになる。

楼門をくぐると、これまたかなり長い砂利の参道が広がる。拝殿までのその砂利道、真正面から照りつける厳しい夕日を避けるように左右の楓の陰に隠れながら、相当深い砂利のお陰で足への負担も溜まりつつ、この時間でも滴り落ちる汗を拭きながら、一日の行程を思い出して歩を進める。

拝殿は広い参道を大らかに受け止めながら、立体的な美しい姿で迎えてくれる。その前に鎮座する狛犬はとても特徴的で、体中を包帯でぐるぐる巻かれている。この後他の場所でも見ることになるのだが、なんでも参拝者の身体の痛みを和らげてくれるご利益があるという。

この兵主大社(ひょうずたいしゃ)。今日三つ目の大社となるわけだが、「ひょうず」とはどう考ええも読めないその「兵主」が、「つわものぬし」と読むこともできるために、鎌倉・室町期には武将たちの尊崇を集めたという。先ほどくぐって来た朱塗りの楼門も足利尊氏の寄進と伝えられているという。

主祭神の八千矛神はかつて日吉大社から亀に乗って琵琶湖を渡り、鹿に乗ってこの神社に来られたといわれているという。その呼び名や、緑豊かなこの広大な境内を見ていると、そんな穏やかな話もなんだか信じられるような気がしてくる。

今度は西日を浴びて綺麗に輝く楼門を見ながら、再度「ザッザッ」と響く自らの足音を耳にしながら、残り少なくなってきた今日の時間を終了すべく次の目的地へと足を向ける。
















2013年7月17日水曜日

高山陣屋 1816 ★


陣屋というのは江戸時代の役所で今でいう県庁みたいなものらしいが、江戸時代は徳川幕府の直轄領がいくつかあったので、その地にも同じように置かれた役所もまた陣屋という。

そしてこの高山は江戸時代には飛騨国に位置し、中心地として栄えていた。
その中心となったのがこの高山陣屋。

そう考えてみると地元にあった陣屋の着く地名もまたかつて役所があった場所なのかと理解しながら、急遽増えた立ち寄り地に向かうためにできるだけスムースに見学をと急いで向かったこの高山陣屋。

市の中心部は昔ながらの区割りの為に道も狭く、路上駐車がしてあると対向車をやり過ごさないといけなくなるので、少々時間がかかりながら到着し、駐車料金として500円取られて、「以前見たから、外で待ってるよ」という両親を置いて妻と二人で拝観料の大人一人420円を二人分払い、中へと向かう。

さすがどの時代も行政機関はお金に困ることは無かっただろうなと思えるような立派な建築に前庭空間。行政機関らしく、巨大な内部空間は様々な部門として機能していたのが良くわかる。

土蔵脇に実寸模型として展示されている屋根の構造は、熨斗葺(のしぶき)、柿葺(こけらぶき)、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)などと呼び、いずれも板で葺かれている。瓦よりも耐性がよく、しかも入手が容易だったというらしいが、やはり木葺きの屋根はなんだか「ヌメリ」と音がするような不思議な感じを与えてくれる。

「ヌメリ、ヌメリ」とつぶやきながら門をでて、表門の前で開かれている朝市の間を抜けて、近くのベンチに腰をかける両親の姿を見つけることにする。




















東山白山神社(ひがしやまはくさんじんじゃ) 719 ★

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所在地  岐阜県高山市若達町
主祭神 菊理媛命(くくりひめのみこと)
社格  不明
創建   719
機能   寺社
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高山市内から奥飛騨温泉へと上がっていく国分寺通り。その脇に立ち並ぶ特徴的な寺群。その中でも際立って目立つ二つの寺院、大雄寺と雲龍寺。その間に挟まれて山へと伸びる印象的な参道の先に位置するのがこの東山白山神社。

高山別院に参拝し、この寺群もせっかくだからと一緒に来た妻だが、この緩い勾配をもった長い参道を目にすると、「こっちの境内で待ってるからどうぞ」と言うので、朝の運動だと思って駆け足で勾配を上がっていくことにする。

創建が719年で高山市で最も古い神社と言われているだけあって、この参道はなかなか雰囲気がある。しかし長い・・・すっかり汗だくになりだしたころに迎えてくれるのは、なかなか愛嬌のある狛犬の姿。

朝一番の神域なので手水で気持ちを清め、妻と両親の分も一緒にお賽銭を入れて拍手を打ち、境内の雰囲気を味わい、先ほど上ったばかりの参道を駆けるように降りていく。












2013年6月11日火曜日

戸隠神社 奥社 849 ★★★★

日本全国に数多散らばる神社といえども、これほどの体験が出来る場所はそう多くは無いはずである。そう思わせるほど何が凄いかといえば、その参道。これだけの直線としての参道を、起伏に飛んだ山の中で発見したこと。その着目点。それに感服する。

そしてその参道の扱い方の変化。山道が歩いていくにつれて徐々にその意味を変える。最初は両サイドに水が流れ、石で切られた縁のはっきりした直線で描かれる道。上部の葉でフィルターをかけられた降り注ぐ散らばるような光の中を進んでいく。

その水が徐々に存在を薄くして、両サイドは木々に覆われるようになる。そして山門の随神門(ずいしんもん)に近づくころには、サイドは17世紀に植えられたという杉並木へと変化する。しかしただの杉並木ではなく、その一本一本が十分どこかの神社の神木として扱われて良いような巨木。

随神門を潜ると、杉並木の幅も狭くなり、かつ一本一本の杉の間隔も狭くなる。こうなると杉並木というよりは、既に杉の壁のような圧倒感。ねじるように上昇する杉の肌を感じるために、片手を杉に触れながらひたすら直線の参道を前に進む。

杉並木が終わり、今度は地形にそったように、左右に振れる石階段が現れる。狭められた道が今度は上昇の力を現す。計2キロといわれる参道の最後に来てこの急な階段は相当応えるが、明らかに「奥」に近づいていると感じられる雰囲気に最後の気力を振り絞り先を進む。

えっちらおっちらとその石階段を上っていくと、その先に見える鳥居と狛犬の姿にやっとたどり着いたとホッとする。神社においては、本殿にたどり着くのが重要なのではなく、一人、自分に向き合いながら様々なことを考え、自問して過ごすその参道の体験がすべてだと言わんばかりのその構成。それを物語るかのように2キロの行程を経て辿りついた本殿はなんともそっけない表情。

最後のところで挨拶を交わした高齢参拝者の三人組に、「若い人は早いねー。あんなに離れていたのにもう追いつかれちゃった」なんていう会話を交わすように、参拝というよりもほとんど山登りに近い言葉。参道が2キロということは、ここから折り返すのもまた2キロで、この炎天下に計4キロの山道の散策はとなると、必然的に主題もまたこの道で過ごす時間となるのだろう。

さて、その戸隠神社。通常は長野方面から上がってきて、戸隠山の麓に下から、宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社と鎮座する計五社を合わせて戸隠神社とよばれるという。説はいろいろとあるが、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社だという。

伝説では、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神・天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされ、現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であるという。

兎にも角にも何百年に渡って修験者から一般参拝者まで多くの人が足しげく通ったこの参道。それが納得できるなんとも神域を感じるすがすがしい空間である。

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所在地  長野県長野市戸隠
主祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
社格  国幣小社
創建   849
機能   寺社
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