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2013年7月19日金曜日

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ) 不詳 ★★★


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所在地 奈良県吉野郡川上村大字迫
主祭神 高龗神 (たかおかみのかみ)
社格  式内社(名神大),二十二社(下八社),旧官幣大社,別表神社
本殿の様式 三間社流造
創建   不詳
機能   寺社
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こういう山深いところに鎮座する神社というのは、場所がイマイチ分からない。電話番号でナビに入れても正しいかどうかが怪しい。案の定、ナビに言われるままに暗くなる空を気にしながら山道の奥の奥まで来て辿りついたのは川沿いの住宅街の一角。

「あれ?ここから降りていく川辺に神社があるの?」

と焦りながら、周囲を見渡すがどうにも神社らしきものは無い。後で知るのだが、ダムの建設で山の上に移設されたというが、そんなこと知る由も無く近所の人に聞きたいが誰も居ない。焦りながら携帯で地図を見ると一本前を左に曲がり急な坂道を上に上がる神社にいけるらしい。

急いで車で戻っていくと確かに細い道がある。上の寺と神社の為だけの道のりのようである。行くしかないと急な坂道を上がっていき、なんとか日が暮れる前に辿り着く。

駐車場からも更に階段が続いており、日の落ちるのと競争するかのように階段を走って駆け上がると見えてくるのが本殿。向かい側に広がる吉野の山々を見据えるように建っているその姿は神々しい。

素晴らしい景色の前には、はためく黄色の旗。やはり無理してでも来られて良かったと思える素晴らしい空気が漂っている。

なんでもかつては中社同様、罔象女神(みずはのめのかみ)を主祭神としていたが、1922年の現丹生川上神社(中社)との併合に際して、主祭神を高龗神に改めたという。

暫く吉野の山々を眺めていると、徐々に周囲は闇に包まれる。急いで今きた道を戻っていくが、すぐに暗くなる。ライトを点灯し、「この暗さで先ほどの山道だったら完全に迷っていたな・・・」と肝を冷やしながら、明日は無理せず運転を終えたいものだと宿のある五條市まで川の流れに沿うようにして進む。

宿に着いたときには既に周囲は真っ暗で、メーターを確認すると今日の朝の7795キロから現在は8265キロ。合計470キロ以上走ったことになる。それは疲れるわけだと思いながら、明日の第一目的地をナビに入れた後、荷物を持って宿に向かう。











丹生川上神社中社(にうかわかみじんじゃなかしゃ) 675 ★★★★


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所在地 奈良県吉野郡東吉野村大字小
主祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)
社格  式内社(名神大),二十二社(下八社),旧官幣大社,別表神社
本殿の様式 日吉造
別名 雨師明神、丹生明神
創建   675(伝)
機能   寺社
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高取城跡まで登ってきたのだから、同じ方向に降りるより、吉野側に降りた方が時間がかからないだろうとルート設定。ナビに示される時間はまさに日の入り時刻。上社、中社、下社の三つを回るにはどうしても時間が足りない。いけたとしても二つまで。

「何選ぶの?」と自問自答。

「上と中でしょ」と即決。

どちらも山の中ということで、上に行ってから中へ。中に行ってから上へ。とシミュレーションしてみるが、どう考えても二つ目にたどり着くときには19時過ぎ。最優先は「中でしょ」ということで車を飛ばす。せっかくここまで来たのだから一生に一度のチャンスだとハンドルを握る。

行きよりよっぽど細くうねった峠道。曲がりくねる道を、アクセルとブレーキを繰り返しながら、恐る恐る山道を進む。分かれ道み差し掛かり、ナビを見るがどっちか分からない。ここは「降りて行く方に一点張り」と進んでいくが、50メートルも進まないうちにナビの示すルートから外れていく。

「やばい」と思い、戻ろうとするがターン出来るようなスペースは無い。しょうがないので、モニターを見ながらゆっくりバック。後ろからやってきていたスクーターのおじいさんが待ってくれていて、やっと先ほどの分かれ道まで来たところで「お兄さん、どこ行くの?」と聞いてきてくれる。

暗くなる山のなか、人に出会うのがこれほど嬉しいこととは思いもよらず、「高取城から降りて来て吉野側に出たい」というとやはり左の道だと教えてくれる。おじさんも城跡まで行ってきたところらしく、「この上の道は山仕事する人しか使わない道だで、よくこんな道降りてきたね」と教えてもらう。ほとほと困り果て、この先の道は今までより楽か聞くと、大丈夫だと教えてもらう。

日が暮れて行く山の恐ろしさ、剥き出しになる凶暴さを身をもって知る。

その後は何とか二車線に舗装された道に出て、どれくらいかかるか分からない神社への道のりを行く。ナビの時間が行程の厳しさ、運転の難しさを表さないのが歯がゆい。できることなら、「この先の道はあなたの運転技術だと厳しくなっておりますので、引き返しましょう」などといってくれるように進化を遂げることを祈る。

ここからはナビの到着時間との勝負。対向車も集落もなく暫く走ると、ポツポツと集落の灯りが見えてくる。東吉野の風景に、日本にもまだこんなところがあるんだと思いながら先を進む。道路脇には高見川が流れ、清らかな水の流れも次第に暮れて行く闇の中ではなんだか不気味な響きに聞こえるから不思議である。

長い孤独なドライブの末に到着するのは山の奥の奥。道の左手に見えてくるのは丹生川上神社中社(にうかわかみじんじゃなかしゃ)。神社がどうのと言うよりも、ここまで来る事にすでに意味がある気がする。

この丹生川上神社中社。中社というだけあり、上・中・下の三社で丹生川上神社を構成している。東から東吉野村の「中社」、川上村の「上社」、下市町の「下社」。古くから重要な水神として祀られ、水を司る祈雨祈願の神社として信仰を集めてきた。

その重要性を示すように、二十二社の第二十一位として朝廷の崇敬も受けてきたという。誰もいなくなった境内。すぐ後ろに山を控え、道の向かいすぐ前には高見川の水音が響き、とても静かな空間になっている。

峠道の運転で緊張した身体を大きく伸ばし、新鮮な空気を肺に取り込む。昨今の異常気象ではないが、大地を掘り起こしては埋め立てる人類に水の神様も怒りを感じているのだろうと思いながらゆっくりと参拝をする。

静かな夕暮れの境内で、一人川のせせらぎを聴き入り、本日最後の最後立ち寄り場所、上社に向かって車を発進させることにする。










2013年7月18日木曜日

日吉大社(ひよしたいしゃ)紀元前91 ★★★★


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所在地  滋賀県大津市坂本
主祭神 西本宮:大己貴神,東本宮:大山咋神
社格  式内社,二十二社(下八社),旧官幣大社
本殿の様式 日吉造
別名 山王権現
創建   紀元前91年(伝承)
機能   寺社
文化財 西本宮本殿 1586,東本宮本殿 1595
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都の北東、鬼門の方向を守る比叡山。その比叡山の麓のうっそうとした森のなか、広大な神域に数多の神様の住まう場所として崇められてきた日吉大社。

建部大社同様この近江の地の大社として長い歴史を眺めてきた神社であるが、境内108社・境外108社と言われたその神域の中でも、上七社(山王七社)・中七社・下七社を合わせ山王二十一社と総称され崇拝を集めてきたと言う。

その中の上七社(山王七社)は西と東の2つの本宮と以下の5つの摂社から成りそれぞれ主祭神は以下の様になり通称日吉七社とも呼ばれる。

本宮
西本宮:大己貴神(大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神

5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫命


元もとの呼び名は日枝の山(ひえのやま)、つまり後の比叡山の名前から「ひえ」神社だったが、平安時代から「エ」に縁起のよい「吉」を使うようになり、更に第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしたという。


最澄は比叡山上に延暦寺を建立し比叡山の地主神である日吉大社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬し、そのお陰で中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになったという。

そして延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説き、その結果天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現在見られるように全国に約2,000社あると言われる日吉・日枝・山王神社の総本社となっている。

そういう訳で、山の上の延暦寺とは歴史の中で切っても切れない関係だったと言う訳で、いい時も悪いときも共有してきたわけである。

1571年、織田信長の「比叡山焼き討ち」によりこの日吉大社も同じく焼き払われ、現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものという。しかし信長の死後に豊臣秀吉がこの神社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、猿を神の使いとする当社を特別な神社と崇めたためといわれ、境内のいたるところに秀吉から献上されたという橋が見られる。

そんな訳でイントロだけでも相当時間が必要になる長い長い歴史を持つ日吉神社は西本宮と東本宮を中心に400,000m²の境内を持つ。完全なる森の中。そんな境内はもちろんアスファルトなんかで舗装などされておらず、砂利道に車を進めると、係りのおばあさんに入苑協賛料という名目で大人300円を払うと、あれやこれやと説明をしてくれる。中でも秀吉から献上された石の橋は見所だからぜひじっくり歩いていって欲しいとのこと。

そんな訳で「これは時間がかかるな・・・」と、尋常ではない雰囲気にニヤニヤしてしまうのを止められずに早足で参道へ向かうが、少し歩いただけで「境内108社」というのを身体を持って実感する広さ。

如何にも山の中に入っていく、自然に包まれていく感じが得られるとても気持ちの良い参道。

そして辿りつくのは東本宮本殿。1595年建立で400年以上も前の建物。ちなみに国宝。楼門をくぐると本殿を中心に左右に摂社を構え、「神様がいっぱい居るな・・・」という雰囲気。

こんどは木漏れ日のなか西本宮へと向かうと、途中4月初旬に行われる山王祭で使われるという立派な神輿が展示されている。

さらに先に進むと、山の入って行く道が見えてくる。如何にもその先に何かあるという雰囲気を醸し出す神々しい光に照らされる道。「これを登ったら、今日は比叡山までいけなくなるな・・・」と思いながら道を進む。後で調べるとこの道は日吉大社の信仰の始まりとなった神体山八王子山の頂上付近に鎮座する牛尾神社と三宮神社の本殿・拝殿へと向かう道という。

暫くすると見えてくる西本宮本殿。1586年建立であるとされ、こちらもまた国宝に指定されている。楼門の中に入ると東同様「沢山居るよな・・・」と感じられる神域感。境内を流れる清らかな水の音が印象的な清らかな空気が印象的。

楼門を出て、道を下ると、先ほどのおばさんの前へと戻ってきて、そのまま参道脇を流れる大宮川のせせらぎを聞きながら参道を上がっていき、係りのおばあさんの話にも出た豊太閤秀吉の寄進による大宮川にかかる石橋・日吉三橋を眺める。大宮橋・走井橋・二宮橋は石ではあるが造りは木の橋にならったもので、確かに不思議な造形を見せている。

大宮川

そんな訳でやっと駐車場に戻ったころには、すっかり身体中汗だくだが、なんともすがすがしい気持ちを感じながら後ろに聳える比叡山を目指して車に乗り込むことにする。