2017年10月26日木曜日
2016年11月7日月曜日
フランス学士院(Institut de France) ルイ・ル・ヴォー 1688 ★
フランス学士院(フランスがくしいん,Institut de France)は、フランスの国立アカデミー。と言われてもピンとこないが、つまりフランスで一番権威のある学術団体が入る建物ということらしい。
その威厳を示すように建物は見事な古典主義建築。その設計はヴェルサイユ宮殿を設計したことでも有名な建築家のルイ・ル・ヴォー(Louis Le Vau)。ルイ14世時代における筆頭建築家ということから、相当権力に近い場所にいたのだろうが、そのルイ14世の摂政であったマザラン枢機卿(Jules Mazarin)が私費によって大学(Collège des Quatre-Nations)を建設することになり、その設計がこのル・ヴォーに託されたという訳である。
目の前にかかるポンデザールが1804年に完成しているから、それからおよそ80年後にルーヴル宮殿からの軸を受ける立派な建物がセーヌの南に完成したということになる。
では、この建物が建つ前にはここには何が建っていたのかと想像を膨らませる。なぜならたいしたものでないところに、わざわざ当時の国家プロジェクトとも言える橋を架ける事業を行わないだろうし、加えてルーヴル宮殿と向き合うくらいの重要な役割を担わされるのは一体どんな建物が建っていたのか?
と思い調べると、以前はネールの塔(La Tour de Nesle)と呼ばれる、かつてのパリ中心を巡って建てられていた城壁の一部として12世紀に建てられた塔があったという。つまりはこのフランス学士院が建っている場所はかつてのパリの中心から言えば周縁にあたる場所であったということである。
そうなると俄然興味が沸いてきて、パリにおけるアースダイバーの様に今度はパリの古地図を見てみると、なるほど、かつてのパリの中心は現在のシテ島をぐるっと取り囲むようにして城壁で囲われており、この城壁を作ったのがフィリップ・オーギュストであるためにオーギュストの城壁と呼ばれているらしい。
この城壁のほとんどは19世紀のオスマンによるパリ大改造によってほとんど取り壊されて、変わりに近代社会にふさわしい大きな通りへと姿を変えられたが、今でもほんの一部分はまだ見ることが出来るという。そういう歴史の残骸がその意味を失っても姿を残している姿はなんとも言えぬ都市の色気を醸し出すが、次回はぜひともその城壁を巡ってみたいものだと思いながら、やっているはずの写真展への入り口を見つけるために建物の周囲を巡ることにする。
ちなみにセーヌの南のこの地域は6区となり、ここから南に少しいけばサンジェルマン・デ・プレ教会が見えてくるオシャレな雰囲気のエリアとなる。
ネールの塔(La Tour de Nesle)
パリの古地図
パリ6区
2016年2月4日木曜日
姫路 ★★★
淡路島から夜の高速を飛ばして3時間近く、やっと宿泊地の姫路に近づいたと思ったら、携帯にオフィスから連絡があり、パートナーが「明日提出の資料が全然できてないから、今からメールするからスケッチしてチームに送ってやってくれないか」ということで、一日移動と運転を繰り返しへとへとになった身体に鞭打って、とりあえず中心部の姫路城近くに予約した宿へとチェックイン。
ホテルの受付のスタッフが思いのほかチンピラ風情で少々驚きながら、必要資料をダウンロードししながら観念しつつ、とりあえず腹ごしらえだけでも・・・と近くの海鮮料理にてせめてもと海の幸を味わうことにする。
「嫌だ、嫌だ」と目をそむてけも、誰かが代わりにやってくれる訳でもなく、観念して狭いビジネスホテルの狭いテーブルに向かい、一枚一枚トレーシングペーパーを重ねて鉛筆を走らせる。結局全てを描き終えてメールを送信したのは深夜を回っており、大浴場もすでに閉まっており、しょうがないのでシャワーで済ませてベットにもぐりこむ。
播磨国の中心として栄えたこの姫路。世界遺産にも登録されている姫路城を始め、日本人なら非常に馴染みが深いその地名。江戸時代までは全国有数の藩として多くの人材を輩出していたが、播磨国で書いたように、転機が訪れたのは明治維新。佐幕派としての立場を取り続けた姫路藩は明治の文明開化の時代において、非常に冷遇をされることになり、歴史の中のイメージと現代における地政学における重要度におけるギャップを生み出しているという。
逆に言えば、現代の急激な発展から距離をおくことになったからこそ、歴史の中で重要な地位を占めた都市が、現代の中でもその中心地をズラすことなく存在し、かつての都市のあり方を残しつつ、また近代化における鉄道中心の都市づくり、そして現代の車社会のおける都市のあり方が多様にオーバーラップして現在の街並みができているのが良く見て取ることができる。
JRと山陽電鉄の姫路駅の北にやや距離を置いて姫路城がドンと鎮座しており、その城を取り巻くように、広大な都市公園が良好な自然環境を伴いながら存在している。必然的に、人の流れは駅から北に向くことになり、姫路城の前を走る国道2号線から駅までの間に様々なアーケードなどの繁華街が広がっている。
城下町としての基盤を持つ他の多くの都市に見られるように、姫路城周辺には良好な自然環境とともに共存するように、様々な学校が小学校から高校まで広く配置されており、周囲を車で走っていると、ランニングをする学生たちの姿を多く見かける。調べてみると、賢明女子学院高校、白鷺中学校、姫路東高等学校、城乾中学校、城乾小学校などなど。「この一等地に位置するなら歴史のある新学校に違いない・・・」と調べてみると、思ったほどではないらしい。それにしても、やはり姫路城周辺の雰囲気はとても良く、噂で耳にするような姫路の雰囲気とはかけ離れ、とても落ち着いた住宅街の風景であり、ここで育つ子達はきっと素直に成長するのだろうと勝手な想像を膨らませる。
初めて訪れる街は、できるだけ夜の繁華街を練り歩き、アースダイバー的に歴史の襞を一枚一枚めくるようにして過去と現在を身体で感じながら、その街の活気や人々の生活の雰囲気を感じ取るのは何よりもの楽しみであるのだが、今回は明日の早朝になんとか播磨国一宮である伊和神社までいければと企てているので、夜の姫路を散策するのはまたの機会に譲ることにして、明日一日かけて姫路を体感することに期待する。
Grotto 芦澤竜一 2009 ★★
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所在地 兵庫県芦屋市
設計 芦澤竜一
竣工 2009
機能 商業ビル
規模 地上5階 地下1階
建築面積 322m2
延床面積 1431m2
構造 鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
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関西を拠点とし確実にその存在感を高めている印象のある芦澤竜一。横浜出身で早稲田にて建築を学んだが、その後大阪の安藤忠雄事務所にて勤めることをきっかけに、独立後も大阪を拠点として建築活動を展開しており、いくつかの作品が「訪れてみたいな」と思うリストに入っていた建築家である。
そして作品があるのは日本有数の高級住宅地というイメージの芦屋市。神戸や大阪のように都市化が進むわけでもなく、かといって田園風景が広がるわけでもなく、のっぺらな住宅地がダラダラとスプロールするなく、しっかりと計画・区画された住宅地が、市の条例によって敷地を小分けにして、小さな家が密集するように大衆化せずに、しっかりと住みよい街というイメージを保つ努力の甲斐もあり、東京の田園調布などと並び、全国的にも有数の高級住宅地として名を轟かしている。
田園調布は渋沢栄一がエドワード・ハワードの「田園都市」の理念に共感し、都市と田園生活の両方のメリットを兼ね備えた都市型住宅地を目指して作り上げられ、都市というものは骨格がしっかりしていれば、長い年月でも壊されることなく生き残ることを見事に証明しているエリアであるが、こちらは北は六甲山が聳え、南に大阪湾へ続く緩やかな傾斜地に南の海に向けての眺望を確保しながら、香港の九龍半島やそ香港島の白人専用街区をモデルにして都市計画が作られたという。その中でも特に高級住宅街「六麓荘町」が有名らしく、小説でも谷崎潤一郎の「細雪」や、山崎豊子の「華麗なる一族」といった物語の舞台にもなっている街である。
東京に残る、江戸の御屋敷を源とする高級住宅街、たとえば紀州徳川家の下屋敷を元にした渋谷の松濤。伊達家や南部家の下屋敷を元とした麻布などの、「アースダイバー」で描かれるような地形の力を見せる住宅街の流れではなく、あくまでも明治以降の都市計画の学問から生まれた計画都市。建築に身をおく者として、その街並みはぜひとも一度見てみたいと思っていた場所である。
この街で目指すもう一つの建築である芦屋市民センターもすぐそばにあり、車を止めて徒歩で実際の場所を探すことにすると、少し歩いた場所に切り立った崖のように現れるコンクリートの量塊をすぐに見つけることができる。「小さな洞穴」というような意味を持つ「グロット」と名づけられたこの建物は、幹線道路沿いに建蔽率一杯に建てたのではないかと思うほどに巨大なスケールをもって現れる圧迫感を持ったコンクリートの塊に、大小異なる正方形の開口部が開けられ、部分的にガラスが嵌め殺しで内部空間に接している部分と、開口部がそのまま外部につながりその後ろに半屋外空間を持つ黒い影の二つの表情を異にする開口部がリズムをつけている。
やはり安東忠雄事務所出身者ということで、コンクリートを利用する場合は、どうしても新たなる意味づけを意識するものだろうか、梁を逆さにして天井面から構造の表現を消し去って、がらんとした表情を作り出したり、いろいろな手法を用いて、建築が機能する建物としてまとってしまう様々なスケールをあらわす要素を排除しようとする意図を様々なところで感じることができる。
複合商業施設としてクリアしなければいけない様々な条件がへばりついていたプロジェクトであるのは容易に想像できるが、それでもある挑戦を成した痕跡がこれだけ見えるのは、強い志を持って設計に向き合った結果なのだろうと、強い納得感を感じで次へと向かうことにする。
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