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2016年1月9日土曜日

「35歳のチェックリスト」 齋藤孝 2014 ★★


この本の存在を知ったときにはすでに35歳を過ぎてしまっていたが、「念のために・・・」と自らの今までの人生の過ごし方とこれからの時間のために「人生の棚卸し」をどうするかの参考書として読んでみる。

好きな友達と遊んで、興味のある異性とデートを重ね、自分の時間とお金を自分の好きなように使える時期から、結婚をし家族ができて自分のためだけではなく、誰かのために、誰かを守るために人生を生きるようになってくる35歳。そんな時間の過ごし方の変化は、そのまま今までの人生の過ごし方を何かしら違いを求めることになる。

「誰と過ごしているのが一番楽しい時間ですか?」と問うのは、今までどおり愚痴を言い合いストレスの発散目的だけの楽しい時間を過ごす生ぬるい友人との時間ではなく、「5年後の自分にわくわくした喜びを与えてくれる」を基準にして、自らの周りで誰がその刺激を与えてくれるのか、その人と時間を過ごすことがどう自分の明日に活力を与えてくれるのかを基準とすることとする。

これは分かっているけどとても難しい。誰もが働き盛りとなる40代に向けて、昨日よりも今日、今日よりも明日の自分が職業人としてどう向上するか考えて日々過ごすのであるが、それと同時に毎日やるべきことはたくさんあり、終われるようにして目の前の業務をこなし、それに付随するさまざまな人間関係、ストレスに追い詰められ、そんな中でどうにか息抜きと気の置けない友人とあーだこーだといいたくなるのもまたこの年代の求めるところ。

「自分の出身大学を話題にすることはありますか?」では、社会にでてすでに15年近く経った今、それでも出身大学の話で自らのプライドを保とうとするのはすでに賞味期限が切れており、それよりも社会に出てから今まで自らの実績は何かをもとに人間関係を構築すべきだと釘を刺す。フロイトを引用し「人間は生まれつき、快を求め、不快を避けようとする快楽原則を本能的欲求として持っています」という高きから低きに流れやすい人の惰性に苦言をさす。

「ツイッターやフェイスブックを頻繁にチェックしていますか?」では、誰でも日常的に友人や人生で一瞬すれ違ったような人の日常を否が応でも見せ付けられるような現代のSNS漬けの社会。その中で、自らのアイデンティティを誰かとの比較、相対的に位置づけるような過ごし方をしていれば、いつまでたっても「つながっていないと不安だ」「自分の存在感を示すために発信せずにはいられない」ということに陥りやすくなると。

「知的好奇心にブレーキをかけない」では、「何かに対して興味、好奇心が持てないと、人は閉じていきます」と著者らしい言葉で読者を煽り「知的好奇心を失った時点から、老け込んでいく。年寄りくさくなります」とばっさりと切って捨てる。「本を買うことに我慢しない」では、「知的好奇心とは、何かを吸収したいと言う意欲を持てているかどうか。知的体力は、若いころの差よりも、むしろ35歳以降をどうすごしていくかでどんどん差が開いていく部分。読書量。それから何かを習う。学ぶこと、自分へ投資し続けることをやめてしまうと、人間、頭打ちになってしまいます」とたたみかける。誰もが分かっていながらも、疲れていたり、子供の相手で忙しかったり、ネットの動画をついつい見てしまったりと、読書というある種の時間と集中力と身体の拘束を必要とする作業よりも、現代社会で他に幾らでも無料で得られる受動的で享楽的な時間の過ごし方についつい流れてしまうことを反省する。

「目から鱗」のことは決して多くはないが、35歳と自分の将来を心配して本気で自分の毎日の過ごし方に対して苦言を呈し、怒ってくれる人がいなくなる年頃にとって、こうして耳が痛いと思う言葉を胸に刻んで先の人生に向けて、今までの、そして現在の自分の日常の過ごし方を振り返る良いきっかけとなる一冊であろう。

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■目次
はじめに

【第1章】人は35歳で大人になる
1)35歳で何が変わるのか?
2)35歳は「大人」になる最後のチャンス
3)「35歳から」をデザインしよう
コラム あの人の35歳をチェックする 池井戸潤/堀江貴文/タモリ

【第2章】不安を自信に変える作法
1)人生の収穫期への準備をしよう
2)今の会社で「攻め」の姿勢を貫こう
3)30代の仕事力チェック
4)35歳、「できる人」と言われるには
5)できる人ほどポリバレント
コラム あの人の35歳をチェックする ビートたけし/安藤忠雄/奥山清行

【第3章】人生の迷いを吹っ切る技術
1)20代と30代で「幸せ」は激変する!
2)あなたが本当に「急ぐべき」リアルな理由
3)幸せを更新しよう
コラム あの人の35歳をチェックする ヤマザキマリ/菊間千乃

【第4章】35歳からの心技体の整え方
1)ビジネスマンにとって体力とは何か?
2)「疲れさせない」技術
3)ビジネスは「対人体力」で決まる
4)知的好奇心にブレーキをかけない
5)35歳で「真の花」を咲かせよう

おわりに――なぜ35歳なのか。
あとがき
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2015年5月10日日曜日

「教師格差―ダメ教師はなぜ増えるのか」 尾木直樹 2007 ★

地方の学校で教員をしている友人の話によると、決して学業が優秀なわけでもなく、かといってスポーツや文化活動に力を入れているでもなく、「高校は出ておいてほしい」という親と「高校ぐらいは出ておかないと」という生徒の思いの受け皿となっているその学校では、事なかれ主義の教師達と、教師の対する尊敬を失い身勝手な行動を取る生徒と、学校や教師に対してクレームをつけることで自らのストレスを発散しようとする保護者とで、なんとも閉塞感に覆われた状態になっているという。



その学校が特殊な状況であるということもあるだろうし、それらの教師、保護者、生徒も全体から言えば一部に過ぎないのではあろうが、それでもいつ頃からか学校と言う場の風景がかつてのそれとは確実に変わってきている印象は拭えない。

いつ頃からか、ニュースで定期的に目にするようになったのが、どこかの学校の教師の不祥事。体罰、盗撮、セクハラ、わいせつ犯罪、いじめを見て見ぬふりなど挙げればキリが無い。

それがテレビの向こうの遠い世界での出来事ではなく、自らが生活を営む場所のすぐ隣で起きていること。想像するに、このような事件や事象はかつてもあったの違いないが、それが今の世の中の様にすぐにネットやニュースで一般の人の目に届きやすい環境が無かった為ということもあるだろう。

しかし、それ以上に本書で指摘されるような学校内での「評価主義」や「成果主義」により、教師が生徒から乖離してしまうこと、また「教員」という職業に対しての保護者や生徒が絶対的な尊敬と信頼を失い、下手をすれば「自分の方が優れている」と対抗意識を燃やしてしまう。そして裏サイトの様に、本来ならば自らを反省して行動を変えるべきところを、肥大化したエゴを抑えることができず匿名のネット環境にてその憂さを晴らす生徒たち。

これらのことはすべてネットが登場し、一般化していく過程に沿って広がったかのように見える。ネットの普及によって、今まで知りえることの無かった知識や情報に手が届き、同時に今まで自分の中に隠しこんでいた欲望が顕在化されたことも大きいであろう。

同時に、本来なら教師と生徒、教師と保護者、学校と家庭というある種の信頼関係と尊敬によって成り立っていた関係が、ネットを探せばそれこそ数多もの悪い情報が見つかり、自分の鬱憤を晴らすこと、そしてその方法が目に留まり、本来なら留まっていたはずの心が「ふっ」と背中を押されてしまう。「あ、他にもやっている人がいるんだ」から、「ほら見ろ、やっぱり自分が正しいじゃないか」となるには時間はかからない。

教師側も、保護者側も、学校も生徒も、皆身勝手な考えと行動が少しづつ助長され、いつからか自分のプライドを守るために相手を傷つけて関係性を壊しても問題ないというところまで到着してしまう。始めは一点だった綻びも押し寄せる水圧に屈する様に、いつの間にか当たり前の風景になってしまう。

その場での自分のプライドを守るという短期的な満足感よりも、人生という長期的なスパンでどんな人間として成長し、どの様に周囲と関係性を構築していくのか、その重要性を学校と家庭で共有して子供に教えていく、そんなことが必要なのであろうと改めて思わずにいられない。
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■目次  
序章 病める教師―教育の現場から 
①「心の病」と教師
/壊れる教師
/「聖職者」は死んだのか
/東京都教育委員会による”いい加減のすすめ”
/確実に広がっている”教師格差”
②教師が病んでしまう理由
/押し付けられる「枠の中の教育」「型の教育」
/教師を教師でなくする「評価主義」「成果主義」
/教師間のいじめ
/現場を”無視”した教育課程と教育論議
/「過労死」も危ぶまれる劣悪な労働環境
/教師は悲鳴を上げている
/一日の残業が7時間42分

第一章 教師力は落ちたのか 
①「問題教師」はどこにでもいる
/生徒におびえる教師
/「わいせつ教師」も身近な問題
/自覚なき無責任
②「学校の常識」は非常識か
/「敬語を使えない」教師
/「身内に敬語」外部の人に隠語の使用
/互いに「先生」と呼び合う不自然な習慣
/当たり前の「気遣い」ができない
/本を読まず、言葉を知らない教師
/教師に「人間力」を
③ダメ教師の現実
/「生活科」「総合学習」に戸惑う教師
/失われた「板書」と、頼られる「マニュアル」
/流行で方向転換する「指導方針」
/「塾講師」に教え方を学ぶ教師
/子供を叱れない教師と「体罰の基準」
/「教師」を名乗れない教師
/絶対的存在ではなくなった
④教師格差拡大
/学校現場と「2007年問題」
/教員採用試験の競争率低下の意味

第二章 「逆風」にさらされる教師 
①教師と親の終わりなき闘い
/教師は「聖職」ではなくなった!?
/「困った親」の困った要求
/”ダブルモンスター化”する親
/「給食費」を払わない親が激増!
/教師をバカにする親
②時間との闘い!教育委員会との闘い!
/「セブンイレブン」と呼ばれる教頭職
/”調査漬け”にされる教師
/”いじめ隠し”報道が生み出す悲劇
/教育委員会は学校の見方か、敵か
/授業意外にも教師たちには仕事が一杯
/教師の人間関係を壊す「評価システム」
/学校の「組織改革」が教師と子供に与える影響
/現場教師の「切実な声」
/それでも、教師はやめられない
③子供を教師から奪う改正教育基本法
/教師は”法令執行人”か
/求められるのは、子供の”調教力”か
/”新たな足枷”はもういらない

第三章 教師の条件 
①教師と言う仕事
/「学校教師」と「塾講師」の違い
/「校務分掌」の大きな役割
/見直すべき「学校力」
②教師像の現実と理想
/「いじめ自殺」と教師の姿
/教師がいじめを招く
/親たちが教師に期待すること
/好きな先生の条件
/緊張感あふれる関係
/「同僚性」「共同性」崩す、目標管理型評価
/「企業ごっこ」の学校現場
/”現場離れ”の不任期評価システム
/学校現場は「教師の大学院」
③何が教師に求められているのか
/理想の教師像
/子供の目線
/こんな先生が好きだった!
/こんな先生は嫌いだ
/子供が認定する「不適切教員」
/今、学校と教師の役割を捉えなおす時

第四章 「教育再生論議」に見る、教師の未来 
①動き始めてしまった!教育再生会議
/誕生と共に見えてきた、教育再生会議の方向性
/教育再生会議が示す「提言」と「緊急対応法」
/世論とのギャップ?
/教育再生会議の方向性
②「教員免許更新制」の問題点
/早急に必要な「問題教師の排除」
/教員免許の更新性への疑問
/「問題教師」=「指導力不足教師」とはならない
/莫大な税金投入への「見返り」とは
③「いじめ問題」への処方箋
/教師同士がいじめ解決の相談をしない理由
/成果主義は「教育現場の財産」を奪う
/いじめの「第三次ピーク期」
/いじめの「隠蔽体質」を育てた元凶
/「いじめ問題への緊急提言」とは
/教育再生会議の「緊急提言」に対する筆者の緊急提言
/国家レベルの会議から説教、注文
/後退する「国民の教育権」
④「学級崩壊」「ゆとり教育」への誤解を解く鍵
/教職員団体と”同僚性”の相関関係
/「学級崩壊」を防ぐために必要な”同僚性”
/「授業時数アップ」に関する誤解
/「子供抜き」で語られてきた教育論
/教育現場の「絶望的状況」を救うもの

第五章 「教育再生」への提言
①ビジョンが見えない「教育改革」の扉
/教育再生に「対症療法」はない
/「失われたビジョン」を求めて
/国よりも明確な「親の子育てビジョン」
/「競争」ではなく”共創”を
/現場教師による「子供の学寮」の受け止め方
/作られた?「親たちの不安」
/「学力向上」という大目的
②現実に押し寄せる「教育格差」
/「家の経済状態」と「学力」の関係
/”上流層”の教育観
/「習熟度別学習」の問題点
/習熟度別学習は「差別」と「指導力低下」をもたらすか
/「学校選択制」への疑問
③「教育再生」は必ずできる
/「教育改革」に求められるものは
/教員志望者がいなくなる?
/「現場のパワー」を活かす条件整備を
/国と教育と予算の関係
/教育は「商品」ではない

おわりに
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2015年4月18日土曜日

「「悩み」の正体」 香山リカ 2007 ★★

大人になるほど、
仕事の責任が大きくなるほど、
家庭を持ち、家族が増えるほど、
日々の「悩み」は右肩上がりに増えていく。

人と接するから摩擦は起こり、仕事を頑張るからできないことで悩み、そんなことならいっそ、社会から離れ、上昇志向を待たず、できるだけ人との関係を絶って生きていく。そんな日常のほうがどれほど楽か。

なんて考えることも少ない無いが、それでもこの世の中で生きていくためにはどうしても、社会の中でストレスに晒されながらも生きるために、生活するために働いてお金を得ていかなければいけない。

自分一人がこの社会の中で生きていくだけでも、相当なお金がかかるのに、ましてや家族を養っていくとなるとどれだけ頑張って外で働かなければいけなくなるのかは想像に難くない。

そんな社会と、自分の感情との葛藤で生まれるのが悩み。複雑に絡み合い、様々な人たちの参加によって運営される社会であるからこそ、自分一人の思いのままに物事は運ばず、嫌な思いをしながら、不条理なことだと思いながらも、ぐっと心の中に溜め込み顔は笑顔を保たなければいけない。

そんな「悩み」だらけの現代社会。余裕があれば、それを「悩み」と取れることなく、うまく消化できるのかもしれないが、そんな時間的余裕を与えられるわけでもなく、ひたすら「悩み」に負けそうになりながらも、なんとか心を定常状態に保って今日も生きていく。

現代に生きるものとしてその状況から逃げ出すことができないならば、せめてその「悩み」に立ち向かい、分析し理解して消化を良くすること。そんな思いで手に取るが、中には出るわ出るわ、身の回りにもなんだか会ったことがありそうな人たちが。それぞれがそれぞれの「悩み」を抱えて生きている今、どこかの暗い路地裏で喪黒福造に「ドーン!」とされて悩みをリセットしたいと悶々としていそうな同志達。

これを読んでも悩みは解決しないのは、そのタイトルを見れば分かるけど、それよりも他の皆が自分と同じように悩み、もがいている姿を第三者の視点で眺めることで、結局は世阿弥の 「離見の見」 の様に自分を距離を置いて捉えることができる。

以下、本文より一部抜粋
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その「悩み」は悩みとして正当なのだろうか
そもそも、「世話になった祖父が恒例になったことに伴う介護」が、個人だけが抱える、「悩み」にならなければならないと言うこと自体が、おかしいのではないか

本書で取り上げる「悩み」の多くは、恐らく10年前、20年前だったら、「悩み」にならなかったようなもの、あるいは「悩み」になったとしても、ちょっとした生活の知恵や工夫、まわりの人の手助けで重症にならずにクリアできたようなもの

嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
優先されるのは、自分の意見や考えを主張することではなく、周囲の空気を読み取り、自分に期待されている役割をこなすことなのだ
自分の気持ちよりもまわりの秩序を大切にする

/他人の失敗が許せない
「いじめ」に加担する子供たちは、「次は自分が標的になるのではないか」という不安やおびえを抱え、「とりあえずこの子をいじめているうちは、自分はいじめられることはない」と目の前の「いけにえ」を激しく攻撃することで、その不安などを隠蔽している場合が多い

/若い人の要領のよさについていけない
自分自身が何かに真剣に取り組み、はっきり評価を下されるのを恐れている場合が多い

/暴力にどう対処したらよいか
日本社会が全体的に他人への寛容な気持ちが薄れ、他者への攻撃的あるいは暴力的態度を強める方向に向かいつつある

「自分がやられるかもしれない」とうい不安にかられ、プライドも恥も捨てて、生き残るために「社内いじめ」に象徴されるような他者への攻撃、さらには暴力に走る人が増え続ければ、この先、社会はどうなるのだろうか

/家族どうしなのに気持ちが通じない
子供にとって、人生の早い時期に一度は、「親は自分の命よりも僕を大切だと思ってくれているんだ」などと実感することが大切だ

/働いても生活できない
廃棄処分になる「無料バーガー」を求めて、夜のファストフード店の前に集合する若者たち
自分も富裕層の一部かもしれないと錯覚するようになる
自己イメージはセレブ、実質下流

/効率がすべてなのか
素直で優秀な人材が見つかるまで、何度でも交換することができます
モノ以下 堂々と「何度でも交換可能」などとうたう
効率や生産性がすべて

/地方にいても展望がない
「どこでもできる」はずのIT産業が振興すればするほど東京への一極集中が進む、という皮肉な現象
/恋愛したいけれど出会いがない
失望されたり軽蔑されたりして傷つくよりも、何も起こらないほうがまだいい。そういう無自覚の計算が、彼の心の中で働いているのだと思う。
恋愛もまた、心の境界を超えて相手が侵入してくる体験に他ならない

/結婚は失敗だったのだろうか
いったん結婚してしまうと、シングル時代に「どんな人でもいいから、誰か私を選んでくれないだろうか」と思ったことなどはすっかり忘れてしまい、「こんな人と結婚するんじゃなかった」と今の状況の不遇にばかり目が行く

人間には、いったんある状況に置かれると、比較する対象が同じ状況の中の人ーそれも自分より幸福そうな人ーだけに限れれ、自分が前にいた状況、他の状況の人たちのことはきれいさっぱり忘れてしまう

/病気になっても医者に診てもらえない
なぜ医学部が人気なのか
「医師免許」と言う資格を取れるから
医学部を卒業することが必須 医学部さえ卒業していれば、合格率は約9割と高い
意思志望者が増加しているのに、地方の医療は衰退し、小児科医や産婦人科医のなり手がいない
小児かも産婦人科 重労働の割りに収入が低い
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■目次  
まえがき
嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
/他人の失敗が許せない
/若い人の要領のよさについていけない
/暴力にどう対処したらよいか
/家族どうしなのに気持ちが通じない

無駄が許せない――仕事・経済編  
/忙しく働いていないと不安だ
/働いても生活できない
/効率がすべてなのか
/やりがいを感じられない
/地方にいても展望がない

このままで幸せなのだろうか――恋愛・結婚・子育て編  
/恋愛したいけれど出会いがない
/結婚できないかもしれない
/子どもがいないと不幸せなのか
/親になったが自信がない
/結婚は失敗だったのだろうか

老いたくない、きれいでいたい――身体・健康編  
/自分の顔、からだを変えたい
/健康のために何かしないと不安だ
/老いたくない、病気になりたくない
/病気になっても医者に診てもらえない
/現代の医療に信頼がもてない
 
いつも不安が消えない――こころ編
/自信が持てない
/前向きな気持ちになれない
/気分に浮き沈みがある
/「ありがとう」が息苦しい
/自分は誰にも大切にされていない

 
まじめに生きてきたのに――社会・人生編  
/まじめに生きて損をした
/「便利な世の中」についていけない
/自分は何の役にも立っていない
/おとなになりたくない
/この先、楽しいことはない
 
/あとがき
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2014年6月2日月曜日

脳の偉大さ

朝、電動スクーターに乗って出勤する。その間にこういうブログに書くような他愛のないことに思いを巡らす。スクーターに乗っている時間はせいぜい10分から15分。それでも頭の中で巡る考えは圧倒的に多くのことが瞬時に展開していく。

同じことは頭の中で考えたことを言葉にして誰かに伝えようとする時にも実感する。自分一人、頭の中で考えていればどんなに複雑なことも、どんなに込み入ったことも、どんなに言葉というメディアに乗せにくいことも、一瞬でしかも同時並行で様々なことがスパークするように頭の中で展開する。

脳の中では一々言葉にしなくてよいので、曖昧な抽象的なイメージを持って考えが展開していく。しかし一度その思考の工程を誰か別の人に伝えるためには、曖昧なイメージからどうしても具体的な言語の力を借りなければいけない。

まずは自分の曖昧なイメージを具体的な言語に対応させる作業に時間がかかり、その時点ですでにかなり失われたしまった意味を何とか補充しようと、様々な言葉を駆使して意味の流れを、つまり文脈を作っていかなければいけない。自分ひとりの脳の中でなら、イメージからイメージへ、最終的な結論すら言葉にすることなくとも、自分で納得できてしまう。

その為に誰かに何かを伝えようとすることは大きなストレスを感じる作業であるのは間違いない。頭の中で考えたことはほんの一瞬の出来事。しかしそれを言葉で説明するには数十分かかってしまう。なんと非効率な作業なのであろうか。

つまりはそれだけ人間の脳というものが、複雑な事象を瞬時に捉えることができる非常に優れたデバイスであるということ。多様な事象を抽象的なイメージでしかも同時にいくつものことを平行して進めながら、ポイントごとにつなぎ合わせて新たなる意味を紡いでいく。

そうして世の中を眺めて見る。他の人を眺めて見ると、まったく違った世界が見えてくる。ぼーっとしているような人でも、ひょっとしたら頭の中でも自分が取りうる行動に対し、数多の可能性を検討し、それぞれにどのような結果が起こるかをシュミレーションし、その結果何もしないことを選択しているのかもしれない。

道端で一日中座っているおばさんも、ひょっとしたらその頭の中では現代社会の問題点に思いを馳せ、その原因と解決法に対し様々な思いを馳せているのかもしれない。その横のおじさんは、この世の始まりに対して終わることない思考を巡らせているのかも知れない。

それは外から見えない。だからこそ、頭の中でどれだけ思考を行っているか、その差はその人の一生として相当に大きな差となって現れてくるだろう。

本当に何も考えずにただただ動物的に日常をお腹が減っただとか、眠くなった、心地がいいなどと欲望に突き動かされて生きている人と、脳の中で様々な思考を巡らせて時間の過ごし方、人生のあり方、自らの生き方、社会の在り方に思いを馳せている人とでは、行動一つとっても大きな違いが現れるに違いない。

そう思いながら、できるだけ能動的にそして効率的に与えられた脳を活用し、思慮深い行動を行いながら少しでも実りの多い人生へとつながるようにしなければと、オフィスに到着してスクーターを駐車しながら思考を一度停止させることにする。

2014年3月29日土曜日

ストレスフリーな時間の長さ

朝起きると、首の後ろに違和感を感じる。

「またか・・・」と思うこの症状。椎間板ヘルニアの兆候ではないか・・・と焦りながらかかり付けの病院へアポを取る。

30代も後半に差し掛かり、それなりに忙しい日々を過ごしていれば、誰だって定期的に健康を害する生活となる。

片頭痛や腹痛、下痢、胃腸炎に節々の痛み。まぶたがピクピクとする顔面神経症。目を閉じてもまぶたの後ろでピカピカと点滅するような貧血の症状。

それらは過労や、長時間のパソコンワーク。仕事や家庭のストレス。片付けなければならない仕事の量。やり取りしなければいけない人々との関係などなど。

そんなストレスや病気の原因は身体を壊したからといって消えてくれる訳ではなく、かえって圧力を増してのしかかってくる。できるのは頭を使ったそれぞれに適当な対処を行い、一つ一つ原因を消していく、つまり処理していくしかない。

そう考えると、一年の中で本当に心身ともに健康で、ストレスを感じていない時間というのはどれくらいあるかと真剣に考えると、恐らく数週間というくらいになるのだろうと想像する。

2014年3月28日金曜日

どうせなら

建築なんていくものはやたらと時間がかかるものである。

大きなプロジェクトであれば、開始から竣工まで数年。下手すれば10年スパンのプロジェクトすらある。

そして残念ながら人生は一度しかないし、与えられた時間にも限りがある。

なので、建築家としてあれもこれもとやることはできない。そして建築家の日常というのは、どんなプロジェクトに関わるとしても、どっちみちとてつもなく忙しない時間を過ごし、日常に忙殺されることになるものである。

なのでどうせやるなら、一度しか選べない建築家としての一生であるならば、とてつもなく自分が美しいとか、かっこいいと思えるものを作るために時間を費やしたいと思う。

あーだこーだと理論武装して生きるよりは、自分がもし一人の建築好きとして、その建築を見に行ってみたいと思えるようなもの、その空間に感動を覚えるだろうと思えるもの。世の中の誰かが、建築は素晴らしいと思えるようなものを作るために貴重な時間を費やしたいと思わずにいられない。

どっちにせよ、ストレスに苛まれ、健康を犠牲にし、家族との時間を代償にして向き合う仕事であるならば、何を言われようとも、距離を置いた時にでも自分がそれに魅了されると思われるようなプロジェクトに関わる方がよっぽどいい。

プロフェッショナルの言葉

自分は何気なく発言した言葉でも、ある専門職についているという理由から、周囲の人に思わぬ影響を与えてしまうことがある。本人は軽い冗談で発したことが、受け取る側にとってみればかなり重い意味を持って心に残ってしまうことがある。

例えば医者をしている人間が、肩の痛みに悩む友人に、症状を聞き、考えられる可能性を説明し、どうすれば改善されるかのアドバイスをする。そんな簡単なことだが、原因と対策がはっきりとした友人にとっては日常を覆っていた靄を振り払ってくれる大きな助けになることだろう。

こうした良い影響を与えるプロフェッショナルの言葉もあれば、当然ながら悪い影響を与えてしまうものもある。

例えば、建築家が友人の家を訪れて、壁などをコンコン叩きながら家を周り、意味深に「なるほど、今はいいけどね・・・」なんて言ったらその家の主人は気になってたまらない。それでも、「いや、気にしないで」と返された日にはその後数日はかなりのストレスのもとで生活することになる。

問題があるのかどうか、何が問題なのか、その問題はどれくらいの大きさなのか。専門外の人であればあるほど、専門家の言葉の意味は大きくなってしまうものである。

そのことをしっかりと理解して日常を過ごすこともプロフェッショナルとしての責任であろう。

2014年3月7日金曜日

「人に強くなる極意」 佐藤優 2013 ★★

30代も中ごろになれば、誰でも毎日相当に気を遣って生きることになる。そんな中でも建築家なんていう様々な人の狭間に立ち調整をしなければいけない職業で、しかも常識が常識でない国で、不条理に思えるような仕事の進め方をしている事務所ではその気遣いは尚更となる。

各チームで担当部分を行っているスタッフの意見を聞きながらも様々な可能性を検討し決定しながら、パートナーの意向を踏まえてプロジェクトを発展させていく。幾つも並行するプロジェクトの為に、コンセプトから現場まで様々な建築の苦しい場面をすべて抱え込んで日常を過ごす。

そんな中でも家に帰れば、仕事とは関係ない家庭の関係性をしっかりと保たなければいけないのが現代人。

一日とも休まることなく、ひたすらに日常を送っていく。そりゃ胃も悲鳴を上げて、ストレスから下血もするよと苦しんでいる時に、ふと本屋で目に止まったこのタイトル。

「これはひょっとして現在の状況に助けになるようなヒントが書かれている?」

と神にもすがるような気持ちで購入。久々にブックオフ以外で購入する新書。さっさと読んでみるが、がっかりして本を閉じる事になる。そういうことではなく、もっと本質的に、そして実践的な事がかかれているかとハードルを上げすぎていたようである。

もっと直接に、「あなたが大切だと思ったり、完璧にこなそうと思ったり、それをやらなければ他の誰かにやられてしまうかと思ってストレスを感じている殆どのことは、あなたが思っているよりも大したことはないもんです。それがうまくいかなくても、世の中誰も死んだりしません。だからある程度まで自分を追い込んだ後には、「はい、ここまで」と線を仕切り、近眼的な時間の過ごし方をするのを止めましょう」なんてことが書かれてあるのかと期待していたがそうではない。

内容を見ていくと、
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近未来、日本が大きな変化に巻き込まれることを想定
二つの異なったベクトル
1 グローバリゼーションの本格化 ヒト、モノ、カネが国境を越えて行き来するようになる 弱肉強食の新自由主義と相性がいい
中国やインドの労働者やエンジニアとの競争が激化する
伝統的な終身雇用制度を維持していては、日本の資本主義が生き残っていけない
特殊な技能を持つ人を除いて、日本人の賃金は低下していく
2 国家機能の強化 領土
正社員として働く事は一層難しくなる
状況に対応できる人間力を強化する
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この部分の前提に対してはまさにその通りだと賛同できる。世の中は日本人の様に最終的に優しい人間ばかりではなく、少しでも利益を吸い上げ、それを独占し、他人を蹴落とそうとするような獣のような輩と戦っていかなければいけない時代が既に到来しているという事実。

相当に大きな企業でなければ、年齢と給与に見合った職業的能力を身につけていって無い人間はあっというまに見捨てられてしまい、身内の枠から外れて荒野に放り出される。日本で若者の餓死者が出たり、治安が極端に悪くなったりする地域が現れるのもそう遠くは無いだろう。

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第一章 怒らない
/よい物語で人生を疑似体験する
書物、特に小説を読むこと。あるいは映画でもいい。
要はそれらを通して、さんざまな人生を代理経験する。
選ぶのは人間の喜怒哀楽を描いた作品。

/かつてないほどイライラが満ちている世の中
世知辛い国際社会
同じ労力でも、明らかに一昔前より実入りは少なくなっています。一生懸命働いているのにいつもカツカツ。
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要は自分の中に多様性を持った考え方、捉え方、人間関係の構築の仕方を取り込んで、様々な想定外の場面に対応できるような弾力性のある人間になるということ。相手の事を慮る想像力、知性に欠けているからこそすぐにヒステリーを起こしたり、自分の感情をコントロールできなくなってしまう。これも周囲を思い起こすとかなり当てはまる人の顔が思い浮かぶ。

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第二章 びびらない
/自分は何に対してびびっているのかを知る
会社に対してびびっている若い人
上司や会社の評価

/日本全体が大きな一つのムラ社会に
「同調圧力」ムラ社会
フェイスブックという表の世界では「いいね」を連発する紳士的な人物が、2ちゃんねるという裏の世界では他人を攻撃し悪態をつく人物に豹変する。二重性

/世の中はびびらせることで成り立っている
消費者を不安にさせることで商品を買わせる
手っ取り早いのが 不安を解消する為に商品を買わせる
不安になったりびびったりすると何が一番いけないか。冷静な判断が出来なくなってしまうのが一番良くない。

/状況を類推できれば恐怖心は消える
代理経験の重要さ
人から話を聞く
本や映画でもいい
分類とか類比 アナロジー

/自分の力を見極めることが先決
自分の力を知っておく必要
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この会社で生きていかなければいけないから、その為に出世の為の評価に傷がついたら困る。と思っているから上司にびびらなければいけない。そんなことよりも、この会社と馬が合わなくても、自分自身に職業人として十分に能力を高めていけば、他の会社、ひいて言えば、世界中どこでも自分を必要として、もっと評価してくれる場所があるはずである。つまりは、盲目的に上司にびびる様な時間があれば、自分の人生の進み方を明確にし、その為に今はどのような職業的能力を伸ばす時期なのかを把握していれば、びびることなく、それが成長に繋がる忠告なのか、それともただの怒りの表現なのかを理解し対処の仕方が分かりやすくなる。

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第三章 飾らない
/日本人に息づく“飾る”文化
きれいで美しいものに魅かれる
日本の文化は飾る文化
九鬼周造「いきの構造」
「いきとは全部言わずに一つ手前で止める事」
全部説明したら野暮になる

/「自分を大きくみせたい」という意識が利用される
自分を大きく見せたいというのは本能に近い。
「他人から評価されたい」「優越欲」

/『吾輩は猫である』に見る近代社会の「飾り」
競争社会が飾る事を促す
社会がフラット化
身分を越えて、自分を飾り立てる事はできません。江戸時代
福沢諭吉
身分に関係なく学問を修めたものが上にたって国や社会を引っ張っていく。
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一時的なプライドの為に、成長のチャンスを逃してしまう。それほど無駄な事はない。それよりも、自分が進む道を把握し、今の時点の自分の能力を把握し、自分が求めるプロフェッショナルにはどの様な能力が必要かを把握し、自分の立ち位置とその先に伸びる距離感を理解する。

その距離感を埋めるためにはどんな方法が一番効率的か。どんな人と付き合い、教えを乞い、どんな書物を読み、どんな経験をするのか。それを考えて時間を過ごすこと。

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第五章 断らない
/一ヶ月で原稿用紙1000枚書く力
とにかく忙しい。 ビジネスパーソン
会社はより少ない人員で、より高いパフォーマンスをあげるよう要求する。
「断らない力」
自分に負荷をかける
負荷をかけるほど鍛えられ思いがけないほど伸びる。

/上手に手を抜く、無駄を省く僕の方法
ポイントを掴む
求められているものが分かれば、無駄を省く事ができる
余計な事に時間をかけない

/明日できることは今日やらない
明日できる事は今日やら無い
危急の仕事とそうでない仕事を仕分ける事

/自分の世界に逃げ込まない
純粋培養的な「脆弱さ」が生まれる

/絶対に断らなければいけないこともある
自分の存在意義(リーゾンデートル」に直接関わる部分
児童ポルノ ドラッグ
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自分が思う限界は、実はそれほどきついものではなく、少し能力が高まれば意外と簡単にこなせるものであることもある。体調を崩すことなくという条件付で、できるだけ自分のハードルを勝手に設定することなく、特に若いうちはできるだけ自分を追い詰める。できない事が出来るようになることの一つの収穫は、できるようになった後に見える風景が変わっていること。そしてその時点からまた新たにできない事、つまりは学ぶ事が見えてきている事。同じ場所でぐるぐる回っているより、少しでも前に進み続けることが大切だろう。

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第六章 お金に振り回されない
/いくらあっても満足が得られないのがお金の本質
「限界効用避滅の法則」が当てはまらない
「満たされた」という感覚
欲望に際限が無い

/お金とは「人と人との関係」を具現化したもの
マルクスの「資本論」
お金は商品の交換から生じます
生活の基本にかかるお金
家族を養うお金
資本の論理は賃金を削る方向に傾きがち

/資本主義がそのエゴをむき出しにしてくる
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基本的にお金だけでなく、食欲、性欲などの人の欲というものは、すべて「限界効用避滅の法則」が当てはまらないのではないだろうか?ネットで様々な性的趣向が満足できる可能性が現れた現代だからこそ、本来は隠されていた人の欲望が解放されてしまい、際限の無い欲望の追求が行われているような気がする現代社会。

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第七章 あきらめない
/夢や目標をただの「執着」と区別する
「何に対して、どうあきらめないで頑張るのか」
適正
/目標は「終わり」がイメージできるものに

第八章 先送りしない
/できる人は「仕事の遠近感」を持っている
/人間は決断することを恐れている
/単なる“労働力”にならないために
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結局、自分に付加価値をつけていくことがびびらないことへの近道ということであろう。

地震にびびり、津波にびびった日本人。それを克服するには、その発生メカニズムと知り、発生した時の対処法を知り、どう行動するべきかを知る事。見えないものをできるだけ見えるものに変えていくこと。基本的にはそうして人は成長し、少しずつ恐怖や恐れを克服していく生き物なのだと理解しつつ、結局これといったヒントが無い今の自分のストレス対策を改めて考える事にする。


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■目次  
まえがき

第一章 怒らない
突然キレる人に理屈はない
怒りでフリーズさせることが必要な場面もある
よく怒鳴る上司の本当の狙い
鈴木宗男さんが役人に怒った本当の理由
本当に怖いのは“怒鳴らない人”
平気で嘘をつく人には大声で怒鳴る
事務作業のイージーミスほど致命的
立場が弱い人間を怒ってはいけない
自分の中の怒りの出所をはっきりさせる
よい物語で人生を疑似体験する
かつてないほどイライラが満ちている世の中
怒りは溜めずに昇華させてしまう
客観的なアドバイスをくれる人を身近に
512日間の勾留中、本当に頭にきた瞬間
【「怒らない」を考えるための本】

第二章 びびらない
外交の基本は相手をびびらせること
自分は何に対してびびっているのかを知る
日本全体が大きな一つのムラ社会に
人間はよくわからないもの、不可解なものに対してびびる
世の中はびびらせることで成り立っている
状況を類推できれば恐怖心は消える
時にはびびって逃げるべき場面もある
自分の力を見極めることが先決
日本人が本当にびびらなければならない相手とは
【「びびらない」を考えるための本】

第三章 飾らない
日本人に息づく“飾る”文化
相手との“自然な距離感”こそが重要
「自分を大きくみせたい」という意識が利用される
『吾輩は猫である』に見る近代社会の「飾り」
職場のハッタリは命とり
酒が飾りの下にある本当の姿を明らかにする
気難しいロシアの要人に認められたわけ
シンプルさを追求すると仕事も人間関係も楽になる
自分の“根っこ”はどこにあるか
【「飾らない」を考えるための本】

第四章 侮らない
一番得意な分野にこそ落とし穴がある
日常の些細な「侮り」で大きなツケを払うことも
自分の中の「侮り」に気づくには
悲劇的結末を招いた日本軍司令部の驕りと侮り
外務省は侮り人間の巣窟
組織の論理に染まらない
突然の「スローガン」には要注意
仕事に“メンテナンス”の意識を持つ
今こそ「畏れ」の気持ちをとり戻す
【「侮らない」を考えるための本】

第五章 断らない
一ヶ月で原稿用紙1000枚書く力
上手に手を抜く、無駄を省く僕の方法
明日できることは今日やらない
人間関係も「断らない力」で広げることができる
他人との差異を楽しむ
自分の世界に逃げ込まない
絶対に断らなければいけないこともある
リスクをどれだけ抱え込めるかで人生は変わってくる
【「断らない」を考えるための本】

第六章 お金に振り回されない
僕が講演を引き受けないわけ
いくらあっても満足が得られないのがお金の本質
お金とは「人と人との関係」を具現化したもの
お金が紙切れであることに気づく瞬間
巨額になるほどリアリティがなくなる
資本主義がそのエゴをむき出しにしてくる
自分の労働をいかに高く売るか
お金を受けとることで主従関係ができあがる
株もFXも投資ではなく投機
借金の仕方ひとつで人生を棒に振る
究極の個人情報である「信用情報」の恐ろしさ
【「お金に振り回されない」を考えるための本】

第七章 あきらめない
夢や目標をただの「執着」と区別する
出世を目標にして働くべきか
“ハマっている”のか“ハメられているのか”
目標は「終わり」がイメージできるものに
自分をマネジメントできるのは自分しかいない
過大な立身出世は近代以降の概念
検察との戦いで最後まであきらめなかった理由
【「あきらめない」を考えるための本】

第八章 先送りしない
仕事を先回りしてやりすぎるのは危険
できる人は「仕事の遠近感」を持っている
「時間割引率」で貯金の額がわかる
人間は決断することを恐れている
日本人から合理性が失われつつある
単なる“労働力”にならないために
『巨人の星』が好きな上司には要注意
誰にでも不祥事を起こす可能性はある
思考の硬さを意識的に柔らかくする
【「先送りしない」を考えるための本】
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2014年3月5日水曜日

そこまでして

数日前から下血が止まらず病院で見てもらうが、どす黒いその血の色から恐らく過度の疲労とストレスからの胃潰瘍ではと診断される。できるだけ負担をかけない様にして様子を見ようと言われるが、微熱と偏頭痛、そして少々ふらつく様な感じがどうにも全身がだるい。

流石にやりすぎたと思い、パートナーとオフィスに伝えて自宅で静養する事に。

読書をするにも焦点を合わせるのが辛いので、流すように映画を見ながら横になる。普段土日でも昼間に家でゆっくりすることなどまず無いので、いろいろと考える。体調を崩してまで仕事をするのは流石にまずいなと。

30代半ば。一時的というよりも、慢性的に疲労とストレスを抱えながら日常を過ごすこと。「ここまでなら大丈夫だろう」と自分でそうていしている境界線。筋肉の様に負荷を与え続けると耐性が強くなるものだと思っていたが、どうやらこの歳になるとその考え方は通用しないらしい。

「そこまでして仕事しなくても・・・」と言えるほど何かを成し遂げている訳でもないので、そんなに簡単に自分を持ち上げることはできないので、問題が疲労とストレスだというのをハッキリさせ、それぞれに対してどうのように対応すればその影響を低下させられるか考えることにする。

2014年3月4日火曜日

断片がいつかクオリアに繋がる様に

追われる様に増えていく書くべきブログ。
それによってストレスを感じるならなぜ続けるのかと自問自答。
いっそのこと書かなければいいのにと思う。
時間の無い中大量に整理する事があるので、
必然的に内容の薄いつまらない文章に。
それらを精査し、幾つかの重要項目だけに集中し、
書く必要のあることにシフトしていけばいい。

と思うが、指の間から零れ落ちる体験や色彩を、
後ろ髪を引かれながらやり過ごすのは、
それはそれでまたストレスの溜まる時間であろう。

恐らく40歳近くになった時、やっと散り散りになっていた、
断片的な体験や考えが、タグの糸に紡がれて、
やっとそれぞれに何かしら物語を醸し出すのではと予感する。
それが恐らくクオリアと呼ばれるもののヒントになるのであろう。

今は少々辛いが、臨界点を迎えるまでは、
なんとか叱咤激励をしながらできるだけこぼれるものを少なくし、
断片がいつかクオリアに繋がる様にと書き続けることにする。

2014年2月27日木曜日

伝染するストレス

緊張感のある日常を過ごしていると、常にストレスを抱えて過ごすことになる。

元来胃腸の弱い自分は、常に腹痛とうまく付き合っていかなければいけないが、少しでも過剰な負荷、ストレスや疲労が溜まるとすぐにお腹の具合が悪くなりトイレに駆け込む事になる。

この現代の悪者であるストレス。どうやら人によってはそれを自分でうまく処理できず、周囲の人にぶつけてしまう事があるようである。そしてそのストレスは人を関して伝染してしまうこともある。

問題なのは人にストレスを伝染させても、その人のストレスの量は減らない。なのに親切心でストレスをうつされてしまったしまった人は不必要なストレスを自分で処理しないといけなくなる。

せめてうつした側がそれに自覚的になってくれればいいのだが、得てしてそういう人は気を遣えない。非常に困ったことである。

2014年2月26日水曜日

欧米スタンダードの生活を求めてくる外国人

幾つものプロジェクトの締切りが同時に迫っている。それぞれのチームメンバーがストレスと疲労を抱えて時間を過ごす。オフィスに長い事在籍しているスタッフは締め切りを控えたプロジェクトがどの様なスピード感覚で進んでいくか、どの様にしてデザインを落とし込んでいくか、どのようにしてプレゼン資料を纏めていくのかをある程度理解している。

が、比較的新しくオフィスに来たメンバーは、ここでどの様に物事が進んでいくのか分からない中で、緊張感を持った時間を過ごすことになり、周りの見えない暗闇の中で手探りで歩くように余分な疲労を感じやすい。

そんな環境の中では、「このような短い時間では思うように設計ができない」ということを言ってくるスタッフが出てくる。

そういう言葉を耳にするたびに思うのが、欧米のしかもかなり恵まれた環境の設計事務所でのスタンダードを求めてこの中国にやってきている外国人がかなりいるということである。

先進国と呼ばれる国の建築家達からは「どうせ中国だから・・・」と呼ばれながら、そういうフィルターをかけることで本当に何が起こっているのかを見えなくしてしまう環境の中で、それでも必死にできることとを伸ばし、新しい建築の可能性を見出そうとし、ドロドロになりながら時間を過ごす者がいる。

この国で何を得るのか、そしてその為には何を犠牲にしなければいけないのか。

他の場所では手がける事ができない面白い可能性を秘めた建築プロジェクト。それに関与できることは、その代償として何を求めるのか。

一つのプロジェクトが安定した状態を保ち、建築家が望むような十分なスタディを行う時間を与えられるような環境がどこで得られると思うのか。夕方になればオフィスでワインでも開けて、皆でプロジェクトについて議論をする。そんな夢の中のスイスの建築事務所の様な時間の過ごし方ができると思うのか。

できないのは、時間の短さのせいではなく、自らの能力不足の為だとは思わないのだろうかと、不思議に思ってしまう。大学を出て数年の実務経験で、いきなり常識の違う国に来て働こうというのに、根拠の見えない自分の常識を押し付けようとするその身振りには、大国の身勝手さを感じないわけにはいかない。

グローバル化の進んだ建築業界。そこで求められる人材となるためには、まずは他人は自分と違う事を認識する、文化人類学の基礎をしっかり理解し、そして違う国には違う国の物事の進め方があり、自分に必要な事はその枠組みの中でも必要とされる、求められるだけの職業人としての能力を高める事ではないだろうか。

2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

2013年12月20日金曜日

ごちそうさんの時代から


「あまちゃん」にどっぷりはまり、すっかり「あまロス」になっている妻を横目に、高視聴率をたたき出しているという「ごちそうさん」もやはり何かしら多くの人の心を打つメッセージが込められており、「食わず嫌い」だけはよくないと思いついに見てみることにする。

最初の1週だけはなかなかストーリに入り込めなかったが、その後はなんとも面白い。どちらかというと、女子的要素が多い身にとっては、女学校でキャピキャピしているシーンなど見るとなんとも、「分かるわぁ」となってしまう。

さてこの「ごちそうさん」の時代。明治後期から大正時代の様であるが、何とものんびりした感じの時代描写。女学校で花嫁修業のような学科を受けては、授業後に学友と「かふぇ」でおしゃべりに明け暮れながら甘味を味わう。帰宅しても家事を手伝うわけでもなく、女中さんがあれやこれやと手伝いをしてくれる。

恐らく現代に生きる多くの女性、「中流の夢」の果てに大量生産された自分は「お嬢さん」ととんでもない勘違いをしている女性がまさに夢見る日常。ストレスも無く、ただ毎日欲望と共に生き、決して辛い事はやらず、いつまでも子供のままで、独立した女性として果たすべきことも学ばないままに、このモラトリアム状態を持続させてくれる経済力と包容力を持ち合わせた男性との出会いだけを求める受身の日常。

そんなことが許される何とも贅沢な時代であると思わずにいられない。テレビも無いので、ランプを灯して本でも読むが、基本的には暗くなったら寝るという何とも健康的な生活。

そんな何とも暇そうな主人公に比べて大変そうなお母さん。ご飯を炊くのも、洗濯するのも、それを取り込むのも、掃除をするのも全て人の手でやらなければならない。それに比べて現代は、何でもボタン一つ「ピッ」とすればできてしまう。何とも楽になったものである。

本来、人が生きていく。家族が生活をしていくというのは大変手間がかかり、それを役割分担で負担しながら、誰かが家族の生活がうまく回っていくようにサポートをしてくれていた時代。その為に大変手間のかかる様々な家事があった時代。

それを理解せずに生まれたときからボタン一つで何でも済ませてしまい、本来の「手間」を忘れて生きる現代人。何でもかんでも「楽」をしようとし、「効率」だけを追い求め、果てない自らの「欲望」に押しつぶされそうに生きている。

本来大変手間のかかる家事から、ボタン一つで解放されたはずの現代の人類。かつてに比べて恐ろしいほど自由な時間が出来、余裕のある日常を過ごすはずが、どうにもそうならず、どう考えても当時の方が精神的に余裕を持って日常を過ごしているように描写される。

現代人は、朝起きた時から真夜中に寝るまで、当時の人の何倍ものことをこなさなければならくなってしまった。やる事もストレスとも人間関係も増えてしまい、精神的余裕を感じることなくただただ日々は過ぎていく。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

人という生物が一日に処理しきれる事象やストレスというものがあれば、恐らく人類史上を考えても、現代人ほどそのリミットに近づいている人はいないのではないだろうか。恐らくある一定の人にとっては、これ以上負荷が高まると、一気に爆発してしまう。そんな臨界点の現代社会。

「手間」から解放する為に発展した技術のはずが、果てなく人を追い詰める。それは人の欲望が同じく果てしなく膨らむからであるに違いないが、毎日ご飯を食べたくなる朝ドラを見ながら思うのは、「手間」の大切さということか。

ストレス発散

北京生活の長いグラフィック・デザイナーの友人と久々に食事にでかける。

ストレスと過労から最近体調を崩されたと言う話から、「どうやってストレス発散をしているか?」という話に。

なんでもその方は、バブル絶頂時にグラフィック・デザイナーとして活躍し始めたので、忙しくて使う時間がなく、気がつくと相当な額の貯金が出来ていたという。ストレス発散の為に、通常1冊2万円などする洋書などの専門書を値段を見ることなく次から次へと購入する。服も好きなだけ買うなどし、ストレスを発散していたという。もちろんお酒もその一つだという。

「なにでストレスを発散してるんですか?」

と聞かれて、いろいろ考えてみるが、とてもじゃないがその方のような潤沢な収入が望める職業でもなく、一般書店で好きなだけ専門書を買うなんてもってのほか。文庫本ですら気が引けて、気になったものはメモを取り、アマゾンと近くのブックオフで調べてから購入するというなんともさもしい購買行動を取っていると説明すると、

「倹約家なんですね」

と言われるが、そうでもない。

こちらでは初乗りが200円ほどのタクシーも、できるだけ乗ることなくいつも電動スクーターで移動するのは、確かに節約と言う面もあるし、日本よりも高額なスターバックスのコーヒーなどは絶対に自分からは買おうと思わないのは、それが節約に繋がると言うよりもむしろ自分から見て、原価率などを考慮してそのものやサービスがその価格に合っているかどうかがより重要でありと思われる。

直に社会に向き合い、自分の行うサービスに対して報酬をいただくという生き方を長く続けていると、どれくらいの費用がかかり、どのくらいの労力がかかり、どれだけの報酬を得る事ができるかにとても敏感にならざるを得ない。

そんな中でできることは、必死に自らの職能を高め、そのサービスに意味と付加価値をつけて報酬をいただくことである。その額に納得してもらえるようになんとか自分の能力とサービスを向上させ続ける事でしか、この競争社会の中では生き残れない。それほど、競争社会の中で自分の職能で一万円でも対価を支払ってもらえるようになるのは大変なことである。

そういう風に時間を過ごすと、世の中の大抵のものの適正価格はなんとなく分かる様になってくる。どこで生産され、どういう風に運ばれてきて、どのような流通経路を経て、どれくらいの手間がかかりこの場所にあるのか。

そうして自ら想定する金額と、提供されている商品の金額が明らかに開きがあるのはやはりおかしいことである。それはどこかの段階で、誰かが多くのマージンを得ているとしか考えられない。

利益を上げるにに一番安易で楽なのは、マージンを多くかけて、原価率を低く抑えて利益を上げること。何かしらの付加価値をつけて価格を上げるならまだしも、競争原理の働かないような市場において、同じ商品に対して適正でない価格をつけること。

できるだけそういうものにはお金を払うことなく生きていきたいと願う。それは決して贅沢ではなく、ただただ適正ではない価格だから。その様に物事を見ていかないと、100円、1000円単位の施工会社からの見積もりに対して、シビアに要求を返せなくなってしまう。

だからタクシーに乗らないのは、タクシーを待つ時間の無駄も、つかまらないストレスも感じずに、自宅で充電をしておけば、後は少々寒いのさえ我慢すればタダで市内を行き来できる電動スクーターは現在のところ最上の移動手段だと思うからそうしているということをよく理解してもらえた。

これは適正価格に対する価値観の問題。

もう一つはバブル時代を生きた人に比べ、やはり我々世代は厳しい収入の世界で生きているし、どんなに頑張っても好きなだけ書店で本を選べる金銭感覚には到底ならないと思われる。しかも現在の様にアマゾン、ブックオフと様々な手段で同じ商品を手に出来る方法があり、ただただそれには手間がかかるだけであるなら、喜んで手間をかけ、より安く手に入れ、その代りより多くの良質な本に出会いたいものである。

これもよくよく理解してもらえたようである。で、戻ってくるのが「ストレス発散の方法」。お酒はたまに気持ちよく飲めればいい程度だし、服も靴も気に入ったものがあれば数年ずっと同じような格好でもかまわないし、夜のお店にはまるような性分でもないし、では何かと考える。

振り返るとやはりブックオフの100円コーナーで欲しかった本を見つけたときにはやはりある種ストレスが発散されているし、アマゾンで欲しい本を安く見つけ、うまい事組み合わせて発送料も安くやりくりすると喜びを感じている。そう考えると「本を買う事」と、「自分の思う適正価格でそれを手に入れること」が両方揃うと自分はストレスを発散するようである。


納得顔で聞いている横の妻に「何がストレス発散方法?」と聞いてみると、「旦那と話をすること」と楽しげに答えてくるが、普通は「倹約家の妻に浪費家の夫」という家庭が多いのに、我が家はどちらかといえば逆だな・・・と思いながらそのまま会話を続ける事にする。

2013年11月22日金曜日

忙しさとストレス

誰でも出来ることなら忙しい日々は送りたくないものである。しかし生きていくということは、非常に大変なことである。生きるためにお金を稼がなければいけないし、その為には働かなければいけない。働くことが楽しいばかりではないのは世の中の誰もが知っていることであるし、ほとんどの仕事は毎日苦難が大半を占めるのもまた同様。

そればかりではなく、生きていくうえには家庭に関する様々なこともこなしていかなければいけない。掃除、洗濯、料理、片付け。収入と家庭の将来計画に沿って月々のやりくりをしなければいけないし、現代社会で生きていく上の様々な必要なやり取り、保険、年金、光熱費、通信、様々な手続きは増えるばかりで上手く正確に処理していかなければいけない。

子供ができれば、自分で自分の世話ができない子供の為に多くの手間をかけてやり、親が高齢化すればまた大きな世話を引き受けていかなければいけない。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

誰もが「あーーーーーーーーー」と叫びたくなるような物凄い量のやらなければいけないことを抱えながら、それと比例するストレスを脳に与えながら生きている。もちろん誰もがそれに耐えられる訳でもなく、その忙しさとストレスの最前線から一線を引き「ニート」や「引きこもり」という鎧を纏う人もいれば、なんとか楽をして生きようとする人もいるだろう。

その為には親の手厚い保護が必要だし、それも永遠に続く訳ではない。それ以外で考えると物凄い資産家の家に生まれるか、もしくは特殊な金儲けの手段を手に入れているか、もしくは週に数日だけ働いて十分に稼げるような芸能人のような特殊技能を身につけている必要があるし、そうでなければ自ら起業して自ら関与しなくてもいいようなシステムをつくっていくしかない。そのほかで考えれば、株などの金融商品で労働無き富を得ていくという方法もあるだろう。

が、一般的に生きていれば、到底そんな生活は望めるべくも無く、誰もが忙しさの中ストレスを抱えながら日々を生きていくことになる。

その「忙しさ」だが、例えどんなに忙しくても、心がギュッと締め付けられるような「ストレス」を感じない仕事の内容、例えばその場に居ることが重要であり、何かを考えたり、何かを解決したりすることを期待されず、ただただこなしていけばいい「量」の「忙しさ」であれば、恐らくその負担が身体に与える影響は物凄く違った意味を持つのだろうと思わずにいられない。

現代社会である程度の責任のある職務をこなしていくとなると、そんな仕事を求められる訳ではなく、自ら職業的能力を発揮し、日々止め処なく発生する問題を会社の利益を考慮しながら限界まで精神を追い込まれながらもなんとか処理していく、そんなギリギリのストレスのかかる仕事がほとんどとなってくるはずである。それをこなしていくからこそ、その人の職能も向上し、更に上の職責を与えられ、できることも拡大していく。

「頑張ったけど出来ませんでした。次は上手くいくように努力します。」で、「大丈夫、大丈夫。なんとかなるから気にしないように」とカバーしてもらえる大らかな仕事の在り方は既に望める訳も無く、その凶暴性をむき出しにした国際競争時代の現代では、「あなたができなければその地位を望み、その為に努力を惜しまない多くの人間が待っている」というなんとも過酷な時代になっている。その中でも、競争に勝ち、より上で勝負を望むのであれば、過酷な「ストレス」伴う「忙しさ」を日々、涙を呑みながら享受していかなければいけない。

なぜそんな過酷な「忙しさ」と「ストレス」を日々受け入れて生きていくのか?それは自分一人の為であるならば、相当な高い自己実現への野望を内に秘めていなければならないだろうが、多くの人間がそうではなく、やはり「家族」の為だからこそ、受け入れられるのだろうと思わずにいられない。そう思うことでのみ、日々への意味づけが成されることになる。

こんな時代だからこそ、今まで別々に「忙しさ」と「ストレス」に向き合ってきた大人二人が生活を共にしていく現代の結婚というのは今までとは違った意味を持ってくるのだと思わずにいられない。

二人が共に生きることで、二人とも全方面に「忙しさ」と「ストレス」を被るのではなく、この部分はこちらが担当し、この部分はもう一人が引き受けるという役割分担することによって、一人ずつで生きていたときよりもお互いの負担、感じるストレスを少なくしていける。それが現代社会における結婚の大きな効用でもあるだろう。

自分の為ではない、家族の為に生きること。それが行動の判断基準になること。それが大人になるということであり、結婚して共に生きていくことだと改めて思う。如何に自分よりも家族を上位において物事を捉えられるのか?そんなことを思うのも今日が「いい夫婦の日」であり、結婚記念日であるからだろうと思わずにいられない。

2013年10月4日金曜日

「「人間らしさ」の構造」 渡部昇一 1977 ★★


50を過ぎても「若手」と呼ばれる建築の世界においては、30代半ばなんていうのはまだまだ青二才で、少しだけ建築の事がわかってきたところという位置づけ。問題は50歳になった時に自分が求める建築がはっきりしていて、それをある程度自分でコントロールできるようになっているということ。

だということは分かってはいるが、それでも「今」を過ごす中で毎日様々な困難に出くわす事になる。その困難が、建築家として、職能人として、自分の能力が足りないために発生する類のもので、つまりは自分の能力を上げることで解決が図れるものであれば、それはチャレンジとなる。

こういう経験がない。あれを知らない。だから今目の前の事が難しく感じる。

そうであれば、それを知る事が職能の向上であり、次に同じことで困難だと感じなくなる事である。

そこでこの困難を解消しようとするかどうか?
自らの能力不足を克服しようとするかどうか?

それは個人の生き方に依るのだろうが、全うな人間であればまずは前に進むであろう。

では、それをどうやって克服するか?

まずは、自分で考え、書物やネットで色々調べて自分なりの解決法を見つける。
もしくはオフィスのシニアに尋ね、どうやるのかを教えてもらう。
または同業の先輩に教えてもらう。

などなど色々あるが、キャリアのそれぞれのステージでその方法論も変わってくる。しかしこうして困難を克服していき続けることは、職能人としての自信に繋がり、次に困難に出会った時にどう対応するかを教えてくれる。

そしてこの自らの「職能的向上」を感じる事は、まさに「生きがい」を感じる生き方であろう。

しかし。

どれだけ多くの人間が、このようなポジティブな困難を抱えて生きているのだろうかと思わずにいられない。恐らくほとんどの人が日常で向き合う困難の多くは、ほぼこの前向きな職能的向上に繋がる困難ではなく、もっとネガティブで、できることなら出遭うことを避けていきたい類の困難であろうと想像する。

そんなことを思いながら今の自分の日常を振り返る。こんな国で、こんな建築事務所で、こんな設計をやっていれば、日常のほとんどは困難で塗り固められるのは当然。その中の多くは、自分が外国人であること。そこから派生する、状況を全て理解する事ができない事から困難。

たった一人で地方都市に出張し、30人を超えるプロジェクトの関係者達が、各々問題点を話し合い、それぞれが自分にとってよい方向で決定をしようとする時に、設計事務所としてなんとかデザインを守る為に、押し寄せる波にあがらいながらも構築的な意見を出さなければいけない。その困難とストレスたるや・・・

恐らく多くの人が、多かれ少なかれ、小さな棘を心に感じながら日常を生きているのだろうと想像する。小さなコミュニティの醜い僻みからくるいじめや嫌がらせ。人間関係からくるストレス。能力のない上司の指示による効率の悪い仕事。何の挑戦も何の面白みもないルーティーン。自らのエゴを満足させるためだけに、他人を貶める人間達。ただただ保身を考え、楽をして生きることを模索する人々。

そういうネガティブな困難が生活の半分を占めだした時、人は考える。

人間らしく生きるとは一体どういうことか? 
自分はどうやって生きればいいのか? 
それとも考える事を辞めてただただ思考停止で日常を生きるか。


恐ろしいほどに困難の多い生活の中で、それでもまた「職能的向上」につながる困難が50%以上を占める生活をしていると、こうして「生きがい」について考えざるを得なくなる。そんな訳で手にした一冊。

講義を纏めたというだけあって、短く分かりやすく要点が纏められているので、読むとしてもテンポがいい。さくさく読み進められて、妻に向かって「今回はなかなか面白いよ昇一」と声をかけながら読み終えてしまう。

ドングリの生きがいとは転がることではなく、芽を出すことであると言うように、「生きがい」とは自分の「内なる声」に耳を澄ませて、その声に従ってやっていくことで静かな幸福を得ていく事だとする。

そうかそうか、と目を閉じて静かに自らの内なる声を聴こうとするが、聞こえてくるのは

「どんぐりころころ どんぶりこお池にはまって さあ大変・・・」。

どうせ転がるならば良い方に転がっていきたいものだと思わずにいられない。


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目次
1 「生きがい論」との出合い
2 適応(アジャストメント)と不適応(マルアジャストメント)
3 性悪説からの脱出
4 性善説の再建
5 機能快(フンクチオンス・ルスト)
6 成長の条件
7 成長を促すものと抑止するもの
8 苦痛と成長
9 「生きがい」ある人の姿
10 生きがいとしての小恍惚
11 小恍惚を得る道
12 新しい職業観の建設
13 「人間らしさ」の構造
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2013年8月17日土曜日

人は今の自分を肯定しないと生きていけない

人は誰でも今の自分を肯定しない限り、とてもじゃないが生きていけない。

「では何故肯定しないといけないのか?」

それは人が100%の満足感を得ながら生きていくのは無理な生物であるからであろう。動物であれば、食が足り、危険を避けることができ、快適な暮らしがあれば問題ないのかもしれないが、「悩む生物」である人間は、人生のどんな段階においても何かと悩みを抱え、それを自分なりに処理しつつ生きていく。

大きな会社で働く人間にとっては、小さくとも自営で自分の好きにやっている人間が羨ましく見えるだろうし、逆に自営でやっている人間にとれば、安定した毎日が送れる会社員が羨ましく見えるものだ。

結婚している人間にとっては、独身は気を遣わなくて自由を謳歌しているように映るだろうし、独身の人間にとっては誰かと過ごす時間がある所帯持ちが羨ましく映るもの。

知的労働をする人間にとっては、肉体労働者が直接的な労働でストレスが少ないだろうと羨ましく思い、逆は肉体的苦痛を伴わなくていいなとやっかむ。

つまりは、人間はどんな場所で、どんな風に生きていようとも、必ず社会の中での自分の立ち位置を直視し、他の人の立ち位置を眺め、どうしても比べてしまう。そして自分が持ってないものを羨ましく思うものである。

しかし立場立場によって、羨ましいと思えるものもまた変わってしまう。

つまりは、一番大切なのは何を羨ましいと思うかではなく、今の自分が持っているものをちゃんと知り、その価値を理解することである。そして自分の人生にとって何を肯定すべきなのかを再度見つめることであろう。

安定なのか、
刺激なのか、
収入なのか、
家族なのか、
やりがいなのか、
名声なのか、
生活なのか、
羨望なのか、
嗜好品なのか。

全てを得られない訳でもないが、優先順位がつまりはその人の人生。

「誰か」の価値観で肯定をするよりも、自らの肯定を積み重ねていくことが必要なのだとつくづく感じるこの頃である。

2013年8月16日金曜日

胡同のおじさん


オフィスからの帰り道。暗くなった胡同の中を自転車で抜けていく。

そうすると、夏の風物詩であるランニングシャツを脱ぎ捨て、上半身裸で道端で涼むおじさんが沢山いる。別に何をするでもなく、ただただ道端にたって、行きかう人を観察している。

例のごとく、「ジィッ」とこちらを眺め、フクロウの様に首だけを回転させてこちらが走り去るのを眺めている。夕飯を食べ終わり、家の中は風が流れないから暑いので、外で涼みながら同じように溢れ出てくる近所の老人連中と井戸端会議でもする途中なのだろう。

その姿を見ながら、この人たちはきっと今の自分よりもある意味幸せなんだろうと思う。

住んでいる場所の環境はそんなに良くはないかも知れない。衛生的に綺麗だとはいえないかも知れないが、生きていくのに問題ない家があり、気の置けない近所の仲間がいる。

旅行をしたり、外食をしたり、服を買ったりするような収入は無いかも知れないが、心配することのない貯蓄と年金があり、住まう家があり、家族がいる。

文化的な娯楽に触れたり、新しい考え方に接したりすることは少ないのかも知れないが、毎日心を「ギュッ」と掴まれる様なストレスは決して感じることはないだろう。

そんなことを考えながら、こちらは代われるものなら代わってみたいと思うけど、あちらは絶対にお断りだろうなと思いをめぐらす。

グローバル化で止め処なく格差が広がっていく現代社会だが、人としての豊かさはその二極化とは決してオーバーラップしない。それが如何にもそうだと刷り込まれるのは日本のメディアの原罪。

そんなことを考えながらも、例え数日代わってもらったとしても、おじさんが根をあげる前に自分自身が「一体自分は何をやってるんだ?」と思い返し、やっぱり建築を考える毎日に戻ってくるのだろうなと妄想を膨らませ暗い胡同を抜けていく。

2013年8月15日木曜日

お世話になりたくない職業


世の中にはできることならお世話になりたくない人たちがいる。

その代表格は、警察、医者、やくざ、弁護士。

そういう職業の人は、世間が「できることなら関わりたくないな・・・」とあなたに対して思っているということを考慮にいれて、世の人と接するべきであると思う。

何気ない言葉一つでも、ネガティブなイメージを抱いている人にとっては、更に疑念が膨らむばかり。それを払拭すべく、余計なこともできるだけ丁寧に説明してあげることが相応しい。

では建築家はどうか?
世の中の建築家に対するイメージは一体どんなものか?

そう思って友人と話していると、「建築家で悪い人を見たことがない」という。
「では、悪かった人の職業はなんだった?」と聞くと。
「うーん、銀行員、金融関係、会計士」などと結構あがってくる。

確かに建築家になるためには、長い専門教育を受けることになる。その中で本当に実務に必要なことは教えればいいのだが、教えることなく、それよりも建築が社会の中でどういう意味を持つか?建築が社会を良くするにはどのようなことができるか?それでは、現在の社会の問題とは何か?なんていう社会性を嫌と言うほど聞かされるからであり、そういう考え方が建築をやっていく上で大切なんだと刷り込まれる。

そして社会にでたら、人生のある種の成功を空間と言う形に変換しようとするクライアントとバチバチやりながらも接していく。決して人生に疲れて、出口が見えなくてどうしようもなくなっている人と接することもなく、またお金という直接的な価値を追求するようなタイプの人間に接する機会も少ない。

ある意味温室育ちの職業人ということになるのだろうが、そこから培養されるのは、「都市空間を如何によくすることができるか?」
「この街が100年先も生き生きと人々をさせられるためにはどうしたらよいか?」
「世界的なエネルギーの問題に対して、建築が今何をすべきか?」
なんていう問題を日々考えながら生きていくことになる。

もちろんその中には、「如何に自分が有名になるために、お金を稼ぐために、どのように振舞ったらいいか?」を考えて狡賢く生きる建築家もいるが、比較的少数派であるだろうと思われる。

しかしそんな純朴な建築家は、狡猾な他の職業に比べたら社会的報酬は世のイメージに比べ遥かに少なくなるのも事実。それでも「お世話になりたい職業」としていられることを喜びと感じながら生きていくのが大切なのだと再認識することを経験する一日。