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所在地 兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目
主祭神 楠木正成
社格 別格官幣社・別表神社
本殿の様式 八棟造り
別名 楠公さん
創建 1872
機能 寺社
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建武中興十五社
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本来なら神戸の東から竹中大工道具館、相楽園と回って徐々に西に向かって巡っていくはずであったが、電話番号をナビに入れて向かった先には閉館したらしき建物が。その前にある案内を見ると、「竹中大工道具館は下記の住所に移転しました」と・・・。
レンタカーということでナビが更新されておらず、住所移転に対応しきれていなかったということか・・・とがっくり肩を落としながら次の相楽園へ。しかしこちらも周辺は恐ろしいほどの一方通行。なんとか入り口周辺まで到着するが、どうも駐車場の入り口が見つからない。そうこうしているうちに後ろに車が使えて圧力を加えられ、泣く泣く先に進むことに。もう一度チャレンジとぐるりと迂回して再度入り口に到着してみてみると、こちらは本日休園日の案内・・・。なぜか事前リサーチで間違えがあったようだと、がっくりしながら向かった先がこの湊川神社(みなとがわじんじゃ) 。
この神社は建武中興十五社の一つに数えられており、静岡の井伊谷宮社同様明治維新の際に鎌倉時代末期に後醍醐天皇が自ら政治を行う「親政」を開始した「建武中興(建武の新政)」において、尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神として新たに創建された神社郡の一つだという。
ではどの南朝側の皇族・武将が祀られているのかというと、言わずと知れた楠木正成である。その為に別称として「楠公(なんこう)さん」と親しまれているという。というわけで、創建は明治5年の1872年で、敷地も建物も真新しい雰囲気であり、なんともすがすがしい境内である。
境内では節分の豆まきの準備が進められており、「どのお相撲さんがくるのだろう?」と楽しみにしながら、ぐるりと回って本殿へとお参りをする。
楠木正成については別のサイトを見てもらえれば分かると思うが、その名誉が回復されたのは江戸幕府が始まったばかりの元禄年代に、大日本史の編纂を始め歴史に埋もれた数々の志士の威信を取り戻さんとした水戸徳川家二代藩主・徳川光圀が楠木正成を評価したことによって、その後の歴史において、特に水戸学者らによって理想の勤皇家として崇敬されることとなったという。その為に境内には楠木正成公戦没地としてその墓所と、徳川光圀の銅像も見られる神社である。
その楠木正成が光圀から時代を下って再度スポットライトを浴びることになるのが、徳川の世に終止符を打ち、天皇に統治権を返さんと画策した幕末の維新志士たちによって、かつて同じように武家政権を倒し天皇親政を実現しようとした南朝の忠臣の筆頭とし祭り上げられた江戸末期。
明治維新の実現後に確固たるものとして神格化する作業の中で上記の建武中興十五社が建立されていく訳であり、ここに楠木正成が新たに神となっていく。そんな日本史の中の激動期に想いを馳せて、日本人として恥ずかしくない生き方をと願いながら境内を後にすることにする。
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