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2016年2月9日火曜日

泉龍寺(せんりゅうじ) 756 ★


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所在地 東京都狛江市元和泉
山号  雲松山
宗派  漕洞宗
創建  伝・天平神護元年(756)
開基  伝・良弁
機能  寺社
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目的地を定めるマッピングのためには、様々なところから訪れるのに良さそうな候補を選ばなければいけない。たとえばJR東海の美しい京都の寺院の季節ごとの姿を見せてくれる「そうだ 京都、行こう」。今まで知ることの無かったお寺の素晴らしい風景を知ることのきっかけになり、早速過去のキャンペーンで取り上げられた寺院を探してはマッピングしていく。

他にも同じような美しい風景があるのでは?と他のキャンペーンを探していくと、同じくJR東海の「うまし うるわし 奈良」。「京都があるなら奈良もだよな」というわけで、奈良の各地の美しいお寺をこれもまたマッピングしていく。

となると、JRだけでなく、他の沿線や私鉄でも同じようなキャンペーンをしてるのではないか?

ということになり、日本中の鉄道路線をそのキャンペーンとともに巡ることになる。この時点で近代をの地図を作り上げていった鉄道網にすでに操られているのだが、今はそれは敢えて抵抗することなく調べていくと、関東の民営鉄道9社共同企画「ゆるり散策 花と寺社めぐり」なるキャンペーンがされており、ここで取り上げられている寺院は今までのマッピングでも引っかからなかったものが非常に多い。恐らく地元では有名であるが全国的にはそうでもないという、喉から手が出るような情報なのでは?と早速マッピングしていく。

という過程で知ることになったのがこの泉龍寺(せんりゅうじ)。きっと地元民には知られた名所なんだろうと期待して足を伸ばしたのは、三多摩地区でも知名度ではワースト二位だという狛江市。確かに聞いたことはあるけれど、地図の上で指し示せといわれたらまったく自信が無い。

小田急線の狛江駅すぐのところに位置する泉龍寺。住宅街の中のために随分狭い道を進み境内へ。曹洞宗のお寺ということで、総本山は福井の永平寺と神奈川の総持寺となる禅宗である。地元にもありそうな感じの、いわゆる地域に根ざした寺院という雰囲気。緑の多い境内でお参りをして三多摩地域巡りを終了する。




鐘楼


2013年7月19日金曜日

薬師寺(やくしじ) 680 ★★


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所在地  奈良県奈良市西ノ京町
山号  なし
宗派  法相宗
寺格 大本山
別名  白鳳伽藍
創建   680
開基   天武天皇
機能   寺社
文化財 東塔、薬師三尊像ほか(国宝)
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百寺
世界遺産
日本の建築空間掲載
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平城京跡地から南に向かい、「こんな細い道であっているか?」と思いながら進むと、道の脇に「薬師寺こちら」の看板が。

巨大な駐車場に車を入れて、駐車場代500円を支払い参拝路に沿って歩いていくと見てくるのが休ヶ岡八幡宮 。仏教が渡来したときに、古来の神道と折り合いをつけていく中で、伽藍守護のため鎮守神として祀られるようになったという。薬師寺への参拝客はまずはこの神社に参拝して先を進むらしい。

休ヶ岡八幡宮を超えて50mもしたら見えてくるのが南門。そこから既に見えているの白鳳伽藍と呼ばれる東塔と西塔の姿。白鳳文化(はくほうぶんか)とは、645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、この薬師寺の伽藍は白鳳伽藍と呼ばれている。

この薬師寺な興福寺とともに法相宗の大本山であり、南都七大寺のひとつに数えられる。南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)周辺に存在して朝廷の保護を受けた以下の7つの大寺。

興福寺(こうふくじ)
東大寺(とうだいじ)
西大寺 (さいだいじ)
薬師寺(やくしじ)
元興寺(がんごうじ)
大安寺(だいあんじ)
法隆寺(ほうりゅうじ)

ちなみに法相宗(ほっそうしゅう)は、中国創始の仏教の宗派の一つで、現在日本各地で進行されている真言宗、天台宗の平安仏教、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗や臨済宗などの鎌倉仏教とは異なり奈良仏教に属し、より国を護るための仏教として現在の我々とはやや馴染みが薄くなっている。


先ほどの平城京跡ではないが、この伽藍の多くが再建されたものであり、金堂は1976年の再建。大講堂は2003年の再建で正面41m、奥行20m、高さ17mという伽藍最大の建造物。西塔は東塔と対称的な位置に建ち、かつての塔は1528年に焼失し、1981年に再建。

そして現在、伽藍の中で唯一の奈良時代の建物である東塔は国宝に指定され、総高34.1メートルの巨大なもの。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さとなっている。

現在進行中であるが、2009年から2018年までの予定で約110年振りの東塔の解体再建が進められているために、その姿はシートで覆われ見ることは叶わない。


受付で拝観料の800円を支払い門をくぐると、まずは今まで見てきた寺とはまったくことなるそのスケール感に圧倒される。当時はどんどん遣唐使を送っていた時代だったので、唐から持ち帰られた当時の大陸の建築様式、現在の中国のスケールがそのまま目の前に広がる。南門を抜け東西の塔によって構成される左右対称の強い軸線を受ける金堂。それを抜けて見える大講堂などの距離感は、まさに北京の故宮のスケールを思わせる。日本からは決して生まれなかったであろうこのような巨大なスケール感がまだ残っていることに強い感銘を受ける。

上記に述べたように、この寺最大の見所でもある東塔が修復の途中であるため、シートに覆われその姿を拝むことは叶わないが、その修復がおよそ10年の歳月をかけて行われると言う。現在の建築に携わっているものとして、スピード感を増すばかりの現代社会において、それでも物質を構築して全体をなしていく建築の宿命から、時間的にどうしても超えることができないハードルはあるものの、やはり社会の要請に沿うためにできるだけ早くという思いを持って日々を過ごす。

確かに古い建築で非常に繊細で貴重なものであり、また複雑な古来の工法を理解して解体し、その後の何百年を生きていく建築にしなければいけないので、そういう視点で見ればこの10年は決して長いものではないのだろう。

その時間のスパンの長さ。それは如何にこの建物が属する時間が現世のものとは離れているのかを示しているようである。こうして独自の時間を生きる建築、その建築に携わる人間というのは、現世のストレスなどはまったく感じずに生きるのだろうと思う。と同時に、そういう時間の流れ方にはどのようなストレスがあるのだろうかと想像を巡らす。

 村上春樹が「風の歌を聴け」の中で述べる、「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だから。市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういうものだ。」この言葉の様に、この様な文化財は生活臭のするような現代の経済概念とはまったく離れ、お金の問題がないところで保護されていかないとすぐダメになるのだろうと想像する。

高齢化社会の問題、生活保護の問題などそんな俗世のちみちみした悩みや問題などまったく関係ないところで存在していないと、この大らかさ、時間のスパンは確保していけないのだろうと思わずにいられない。

しかし見たい。東と西に朱色と黒の塔を控え見据える金堂の姿。片手落ちではない、白鳳伽藍の姿。

今まで訪れてきた奈良よりも後に建立された寺に見えるような人の身体スケール。折れ曲がった参道と自然の関係性。木立の陰から覗く本堂の姿など、そんなちみちみしたスケールはぶっ飛ばし、とにかく明るく、一点の陰も作らず、白い境内の中に、広く赤くある伽藍の姿。

どこかから「ドーン」と音がして来そうなその配置計画。それを見ると日本の建築はよい方向に発展を遂げたと心のそこから思わずにいられない。

















平城宮跡 784 ★


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世界遺産
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よくよく見てみると、この平城京跡地の周辺は様々な古墳だらけ。そう思うとやはりこの地は違う時代に属しているんだと実感する。

西大寺から阪奈道路に入り、左に見えてくる巨大な平城京跡地。駐車場の看板に沿って左に下りると、平城京遷都1300年記念で盛り上がった2010年にはさぞや多くの人が訪れ、この巨大な駐車場も満員になったんだろうと思いながら、がらんとしている駐車場の角に車を停める。

文化庁によって進められた復元計画。全額国費で行われ、さぞやこの地域の様々な企業による仕事の奪い合い合戦があったのだろうと思われまさに国家プロジェクト。朱雀門が1998年竣工、大極殿が2010年竣工し迎えた遷都1300年記念イベント。

歩いても一向に近づいてこない朱雀門。朱色が青空に眩しいとても暑い一日というのも手伝ってか、そんなに近くまで行かなくてもいいやという気分になり、今度は北に向かうが、敷地内を横切る近鉄奈良線の電車に行く手を遮られこちらも残念。警備員さんに聞いてみると、4キロ南に行って郡上市までいくと羅生門(らしょうもん)跡地があると言う。

木造建築である寺院の多くは、歴史の中で消失しては再建をされてきたのも事実。この平成の大復元も何百年後になれば、「そうか、平成という時代に復元されたのか」と当たり前の様に風景の中に馴染むことになるのだろうか。鮮やかな朱色がお世辞にも風景に馴染んでるとは言えない現在の姿に違和感を感じながら更に南へと下っていく。



西大寺(さいだいじ) 765 ★


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所在地  奈良県奈良市西大寺芝町
山号  勝宝山
宗派  真言律宗
寺格 総本山
創建   765
開基  常騰
機能   寺社
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行く予定にはなかったがどうもこの地域ではこの西大寺が非常に有名で、地名や駅名にもなっており、「地元の大寺と言えば・・・」というような雰囲気である。このような地域の風景の一部になっている古刹には是非とも立ち寄っておきたいと言うことで細い道を抜けて寺付属の駐車場に車を入れる。

中社代300円を支払い、「参拝料は・・・」とキョロキョロするが、どうも広い境内は地域に開放されているようすで、地域の人の姿がチラホラ見かけられる。境内にある西大寺幼稚園へ通う子供関係と思われる、若いお母さんの集団が立ち話をしている姿にこの場所での日常を垣間見た気がしながら、入口右手の1674年再建の四王堂を横目に本堂に向かう。

伽藍 (西大寺)

パッと開けたと思うと、右手には本堂が見えてくる。桁行7間というかなりの大きさの本堂は、1808年の完成。向かって正面には愛染堂のなかなかの大きさで、この寺院がどれほどの勢力を持っていたかが伺える。東門からのアプローチだったので、左手には南に取られた正門へと続くアプローチが見えている。

開放された境内の雰囲気が良く分かるように、自転車でやってきてお賽銭を投げ参拝するおじいさんの姿を見ながら、再度今来た道へと戻ることにする。










秋篠寺(あきしのでら)奈良時代 ★★


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所在地  奈良県奈良市秋篠町
山号  なし
宗派  単立
創建   奈良時代末期
開基  (伝)善珠
機能   寺社
拝観時間 9:30~16:3
拝観料 500円
文化財 本堂(国宝)
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百寺
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琵琶湖周辺から細い道を抜けてやっと辿りついた名神高速。今までの遅れを取り戻すためにも、飛ばしながら大阪方面へ。一度下道に下りて南下し、京奈和自動車道(けいなわじどうしゃどう)を使って一気に奈良へ。

昼も過ぎたことなので、奈良の寺巡りを始める前に、腹ごしらえをとと思いながら周囲に目を光らせて運転。すると秋篠寺近くに「秋篠食堂」の看板が。これは地元のものを食べさせる食堂に違いないと車を滑り込ませる。

しかし入ってみるとどうも違うようでチェーン店の臭いがぷんぷん。「まあいいか」と魚やから揚げなど朝から消費したカロリーを取り戻すようなおかずで腹ごしらえ。

ここから暫く寺が続き、参拝時間があるのでできるだけ早くとご飯をかきこみ、向かった秋篠寺(あきしのでら)。東門脇の駐車場に車を停め、苔むす参道を歩いていく。この苔、あまりにも濃くなりすぎ、あたかも硬い層になっているように見える。これを見て、近江から奈良へと来たんだと実感する。

ここからは奈良仏教の寺。京へ鎌倉へ江戸へと都が移っていっても、国の元を作った仏教世界の始まりがやはりこの地にあったというプライドが漂うような空気が流れているようである。

現存する本堂は国宝に指定されており、元々は奈良時代末期の建物が、現在のものは鎌倉時代の再建となっている。南に向けた正面5間、側面4間で屋根は寄棟造の瓦葺き。堂内の伎芸天(ぎげいてん)立像が非常に有名だという。