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2015年3月7日土曜日

サントトリニテ教会(Église de la Sainte-Trinité de Paris)テオドール・バリュー 1867


ラ・ヴィレットからの帰り道、前方に特徴的な教会が見えてきたと思って地図で確認するとやはりサントトリニテ教会(Église de la Sainte-Trinité de Paris)だと分かる。

地図で見ても分かるように、直線に伸びる街路に対して視線を受けるアイキャッチの役割を明確に果たしているのが良く分かる。その為に都市の中でもメンタルマップを作成するための重要なランドマークとして、実際以上の存在感を醸し出す。

ここまで見てきた教会のように中世に起源を持つものではなく、完成は1867年と比較的近代に作られた教会である。つまりにその計画もまた近代の範囲に留まる。

そうして考えてみて見ると、現在のパリの骨格を作り出したジョルジュ・オスマンによるパリの大改造は1853年から1870年。ドンピシャでこの教会の完成時に当てはまる。パリの地図を広げながら、その上に線を引きながらどう人々が都市を認識するか、その為にどこにどのようなランドマークが視線を受け止めるのか。そんな打ち合わせの中で「点」としてこの教会が描かれていたのは間違いなさそうである。





メンタルマップ

その都市に何度も足を運ばずとも、しばらく滞在していると自然と都市の方向感覚が頭に入ることがある。

これは都市計画自体がかなり明確な構成をとっていて、なおかつ地図という俯瞰的なイメージとそれを実際の身体スケールと重ねるためのキーポイント、例えば長く幅の広い中心道路や、それが接続する都市広場、その先で視線を受け止めるランドマークとしての建築物。それらが都市に散らばりつつも、メンタルマップとして大まかな地理的感覚を得るのに大きな手助けをしている。

大きな目抜き通りの先に必ずランドマークとなる建物が見えるパリの街並み。
街のどこにいても、ピョコンと飛び出す塔が見えるセブンシスターズのモスクワ。
3つの巨大都市公園と東西に走る目抜き道路で貫通されるロンドン。
北の山、西の丘、南の海に挟まれて平坦な広がりを見せるバルセロナ。

都市に先立つ地形に対して普遍的な都市計画を持つことで成功した例と、
都市を人工的に管理するものとして作り出した近代的都市計画によって成功した例。

どちらにせよ、異邦者として立ち寄った都市がいつの間にか自分の身体で認知できるようになることは、旅人にとって何よりの喜びであるのは間違いない。

それは同時に、そこに住まう人々にとって、「自分の街」という認識を生み出し、共同体意識の作成に大きく寄与しているのだろうと容易に想像できる。

そんなメンタルマップの容易さを意識して、今度コンパクトシティへと変容していく日本各地の地方都市が住まいやすく、記憶に留めやすい場所へと変わっていくことを期待する。

2015年1月3日土曜日

保俶塔 900 ★★


市内に戻り西湖の北峰「宝石山(Bǎoshí Shān)」の頂上にそびえる「保俶塔(ほしゅくとう、bǎo chù tǎ)」を見に行くことにする。西湖周辺でどこからでも見ることのできるランドマークとして機能するタワーの一つである。

中国茶葉博物館からバスに揺られ30分、西湖の西側と北側を巡って北東の角で下車。道のすぐ向かいにある登山口から上に向かって上っていく。見上げるとすぐに塔が見えるのですぐかと思いきや、これがかなりの急勾配。途中で休憩を挟みながら20分ほどで頂上に到着。

この「保俶塔(ほしゅくとう、bǎo chù tǎ)」、北宋統一後の900年に呉越王が都へ出発する際に無事を祈って建立されたという。現在のものは高さが45mの6角形の姿をしており、1933年に修復されているという。上に行くほど細くなるタワーは南の雷峰塔と比べても、非常に繊細な細いタワーとして風景に違いを作る役割を果たす。

塔の西側にはジュラ紀時代の噴火によってできたとされる「熔結凝灰岩」と呼ばれる不思議な形の岩が鎮座しており、観光客がその上に上っては西湖の景色を眺めたりしている。

山を降りる際に、これまた手摺のない参道の両脇になにやら不思議な木の枝を見つける。よくよく見ると、それは木に隠された照明設備への電線を擬態の様に隠しているようである。これが昨晩「断橋残雪」を見るときに、白堤から眺めた美しい電飾に照らされた「宝石山」のからくりかと、なんだか嬉しくなる。

山を折りきって再度西湖の畔でバスを待っていると、一般道からバスの停留所が脇に入り込んでいるのを見つける。片側一斜線の道でも、この仕組みのお陰で渋滞を引き起こさないようになっている。それで歩道が狭くなっても街全体の交通から考えたら十分に機能していると思われる。

街によって交通システムが微妙に異なり、その少しの差が街を歩き、巡る時に体感する空間に大きな差と同時に、風景を乱すことにもなる。こういう小さな成功例が少しでも他の都市の参考になっていくことを願うばかりである。