2016年2月4日木曜日

姫路 ★★★



淡路島から夜の高速を飛ばして3時間近く、やっと宿泊地の姫路に近づいたと思ったら、携帯にオフィスから連絡があり、パートナーが「明日提出の資料が全然できてないから、今からメールするからスケッチしてチームに送ってやってくれないか」ということで、一日移動と運転を繰り返しへとへとになった身体に鞭打って、とりあえず中心部の姫路城近くに予約した宿へとチェックイン。

ホテルの受付のスタッフが思いのほかチンピラ風情で少々驚きながら、必要資料をダウンロードししながら観念しつつ、とりあえず腹ごしらえだけでも・・・と近くの海鮮料理にてせめてもと海の幸を味わうことにする。

「嫌だ、嫌だ」と目をそむてけも、誰かが代わりにやってくれる訳でもなく、観念して狭いビジネスホテルの狭いテーブルに向かい、一枚一枚トレーシングペーパーを重ねて鉛筆を走らせる。結局全てを描き終えてメールを送信したのは深夜を回っており、大浴場もすでに閉まっており、しょうがないのでシャワーで済ませてベットにもぐりこむ。

播磨国の中心として栄えたこの姫路。世界遺産にも登録されている姫路城を始め、日本人なら非常に馴染みが深いその地名。江戸時代までは全国有数の藩として多くの人材を輩出していたが、播磨国で書いたように、転機が訪れたのは明治維新。佐幕派としての立場を取り続けた姫路藩は明治の文明開化の時代において、非常に冷遇をされることになり、歴史の中のイメージと現代における地政学における重要度におけるギャップを生み出しているという。

逆に言えば、現代の急激な発展から距離をおくことになったからこそ、歴史の中で重要な地位を占めた都市が、現代の中でもその中心地をズラすことなく存在し、かつての都市のあり方を残しつつ、また近代化における鉄道中心の都市づくり、そして現代の車社会のおける都市のあり方が多様にオーバーラップして現在の街並みができているのが良く見て取ることができる。

JRと山陽電鉄の姫路駅の北にやや距離を置いて姫路城がドンと鎮座しており、その城を取り巻くように、広大な都市公園が良好な自然環境を伴いながら存在している。必然的に、人の流れは駅から北に向くことになり、姫路城の前を走る国道2号線から駅までの間に様々なアーケードなどの繁華街が広がっている。

城下町としての基盤を持つ他の多くの都市に見られるように、姫路城周辺には良好な自然環境とともに共存するように、様々な学校が小学校から高校まで広く配置されており、周囲を車で走っていると、ランニングをする学生たちの姿を多く見かける。調べてみると、賢明女子学院高校、白鷺中学校、姫路東高等学校、城乾中学校、城乾小学校などなど。「この一等地に位置するなら歴史のある新学校に違いない・・・」と調べてみると、思ったほどではないらしい。それにしても、やはり姫路城周辺の雰囲気はとても良く、噂で耳にするような姫路の雰囲気とはかけ離れ、とても落ち着いた住宅街の風景であり、ここで育つ子達はきっと素直に成長するのだろうと勝手な想像を膨らませる。

初めて訪れる街は、できるだけ夜の繁華街を練り歩き、アースダイバー的に歴史の襞を一枚一枚めくるようにして過去と現在を身体で感じながら、その街の活気や人々の生活の雰囲気を感じ取るのは何よりもの楽しみであるのだが、今回は明日の早朝になんとか播磨国一宮である伊和神社までいければと企てているので、夜の姫路を散策するのはまたの機会に譲ることにして、明日一日かけて姫路を体感することに期待する。





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