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所在地 奈良県葛城市當麻
山号 二上山(にじょうざん)
宗派 高野山真言宗、浄土宗
寺格 別格本山
創建 612
開基 伝・麻呂古王
機能 寺社
文化財 東塔、西塔、曼荼羅堂ほか(国宝)
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百寺
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慈光院の至極の空間で疲れた身体を癒し、恐らく次が本日最後の寺になるだろうとの確信から、斑鳩方面に向かって百寺である中宮寺を訪れその後、二十二社である廣瀬神社までいくルートを取るか、それとも葛城市(かつらぎし)へと一気に下り、こちらも百寺である當麻寺まで行くか。答えは迷うことなく當麻寺。東大寺や法隆寺から離れているため随分と観光色が弱まっているが、間違いなく奈良を代表する古刹。
弱まり始めた日を感じながら、到着する北門。誰もいない駐車場に置かれた駐車場代入れに律儀に500円を入れ境内に。目の前に金堂が見え、右手には奥の院の看板があるが、やはり順序と言うものがあるだろうということで、誰もいない境内を玉砂利を蹴りながら走って表参道へ向かう。
通常、正面を南に向けて建てれらることの多い奈良の寺としては珍しく、東に向かって延びる表参道。参道の脇に広がる街並みが古い街並みを残しているのに好印象を覚え、振り返って見上げるのが「仁王門」。迫力のある仁王像に睨まれながら再度門を潜って境内へ。
この當麻寺、新字表記だと当麻寺と書き、とうまでらと言ってしまいそうになるが、たいまでらと発音される。起源は聖徳太子の弟の麻呂子親王が河内に建立した万法蔵院(まんぽうぞういん)で、681年の當麻国見によって、この地へ移転したという。
有名なのは「中将姫(ちゅうじょうひめ)」の伝説で、藤原家の娘中将姫(ちゅうじょうひめ)が不思議な体験をしこの當麻寺を訪れ中之坊にて尼僧となり、かつて見た阿弥陀様のいる極楽浄土の風景を蓮の糸で織ったのが国宝・當麻曼荼羅(たいままんだら)であるという。そしてその當麻曼荼羅がこのお寺のご本尊となっているという。つまりご本尊が仏像ではないのである。ちなみにこの當麻曼荼羅は国宝に指定されているという。
そんな伝説聞いたことも無かったな・・・と思いながら、左手に見えてくるのがその中之坊。この當麻寺には本坊はなく、境内には下記の様に真言宗5院、浄土宗8院の子院がある。
真言宗子院;中之坊、西南院、松室院、不動院、竹之坊
浄土宗子院;念仏院、護念院、来迎院、極楽院、奥院、千仏院、宗胤院、紫雲院
そしてこの中之坊は真言宗子院となる。書院の裏手に位置する庭園が當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園として名勝の名が高く、先ほど覚えたばかりの片桐石州による江戸時代初期作庭と言われる。
それは逃すわけにはいかないじゃないか、と思い、参拝料500円を支払いながら、「本当に参拝料貧乏になるな・・・」と思いながら、「お茶は結構です」と少しでも節約に努める。外庭から塀をくぐり中庭へ。蓮の張られた池と、片桐石州作というだけあって、身体スケールの感じられる道を抜けていく。
その中之坊を出て進んでいくと、角にあるのが梵鐘。ちなみにこれも白鳳時代の日本最古のものとして国宝に指定されている。
歩きながらも左手にチラチラと見えている塔の頭が気になりながら、「あれが有名な當麻寺の双塔か」と思いながら足を進めると、徐々に右側にずれていくような境内の配置で真ん中に位置するのが正面に本堂(曼荼羅堂)。天平時代の建物で、これも国宝。先ほどの話の様に、本尊が當麻曼荼羅という珍しいもの。
その右手に控えるのが講堂。こちらは鎌倉時代のもので、中には阿弥陀如来像などがある。講堂の向かい、つまり本堂の左手に位置するのが金堂で、日本最古の塑像「弥勒仏(国宝)」などが祀られている。
そしてこれらの建築群の南に位置し、やや坂を上ったあたりに見えるのがこの當麻寺の一番の見どころと言える、東塔と西塔の二本の三重塔(国宝)。両方共に天平時代のもので、2塔揃って現存しているのは全国でここだけと言う。
東塔を囲む「香藕園(こうぐうえん)」と、西塔を囲む「西南院」という二つの庭園があるが、いずれも既に閉門済み・・・「ぐぬぬぬぬぬぬぬ・・・」と歯軋りをしながら外から見学。ちなみに東塔は奈良時代末期の建築で、西塔は平安時代初期の建築と言われる。
その後は更に奥へと続く奥院へ。照りつける夕日も厳しくなってきて、朝から走り回ってきたので疲労も蓄積し、どれだけ距離があるかも分からないので「見に行かなくていいか・・・」と気持ちが折れそうになるが、ここまできて片手落ちもあれだなと気持ちを奮い立たせて砂利の階段道を登っていく。
この奥院は浄土宗の子院で、1370年に浄土宗の大和本山として創建。境内の最も奥に位置し、知恩院の奥の院とされ、近世以降は「当麻奥院」と称されたという。その一番奥に位置する浄土庭園が名勝とされているらしいが、坂を上りきったら案の定門が閉められており見学できず、とぼとぼと肩を落としながら駐車場へと戻ることにする。