ラベル ドバイ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ドバイ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年11月9日金曜日

アル・バトハ地区(Al Bathaa)


到着後、どうにも現金が無いのはいかにも心もとないと、念のためにと出発前の北京空港にて、いくらかサウジ・リヤルSR(SaudiRiyal)に両替をしておく。乗り継ぎのドバイの両替所で確認すると、日本円も中国元も問題なくリヤルへ両替でき、そのレートも北京よりもよっぽど良い。

国際色豊かなドバイ国際空港(Dubai International Airport)だが、サウジの首都であるリヤド向けの便の搭乗口にでは、すでに「トーブ」と呼ばれる足首まですっぽりと被る白の布の民族衣装の男性と、「アバヤ」と呼ばれる黒色の布をまとった女性の姿が多く見られるようになり、徐々に「異国感」が高まるのを感じる。

リヤドの玄関、キング・ハーリド国際空港(King Khalid International Airport)に到着すると、調べてきたように、むやみに写真を撮らない様に気をつけて、時間がかかるという入国審査の列に並ぶ。が、早朝ということもあったからなのか、びっくりするほど列は短く、その手前ではセルフィーをするアバヤの女性の姿がチラホラ・・・。日本人だと分かった入国審査官の男性は、「今度日本に桜を見に行くんだ」と嬉しそうに話してきて、入国審査も数分で終了。

「ん?」と思いながら、写真を撮っていると誤解を受けないようにと、携帯を出すのを避けながら荷物受け取りまでいくが、周辺には半袖のラフな姿で携帯を出してSNSに興じながら荷物を待つ人々の姿。思ったよりも早く出てきた荷物を受け取り、外に出るとクライアント手配のドライバーがボードを持って待っていてくれ、一緒になって空港の外へ。「車を回してくるから、ここで待っていてください」と言われるままに、車寄せで周囲を観察しながら暫く待つことに。

確かに乾燥した空気と赤土っぽい周囲の風景、そして何をしているのか分からない人たちがぶらぶらしているのは、異国に来たなという緊張感を与えるが、それでも思っていたものよりはいくらかレベルが低く感じずにいられない。それでも、油断しないようにと車で戻ってきた運転手に車内で、「ここらへんは写真は撮ってもいいものなのですか?」と尋ねると、「もちろん、もちろん。何なら止まりましょうか?」と言うので、それには及ばないが車内から流れる風景をカメラに収めつつ、まずは無事にピックアップされたことにホッとする。

ホテルに着き無事にチェックアウトを終え、せっかくの一日を無駄にしないようにとコンシュエルジュに「いくつかの観光地を回りたいので情報をくれないか?」と聞いてみるが、「あいにく今日は金曜日で、礼拝の為にどこも少なくとも午前中は開いてないですよ」と・・・

預言者ムハンマドが、聖地メッカに入城したのが金曜日だったため、イスラム教では金曜日を礼拝の日として安息日と定めているという。そのことをすっかり忘れ、少し前入りして街の様子を理解しようと思っていたが、すっかり予定が狂ってしまう。

それでも、まるまる午前中を無為に過ごすのももったいないので、ホテルでタクシーを手配してもらい、少しだけ市内を見て回ることにする。それに先立ち、ホテルのコンシェルジュに事前調査に基づくいくつかの項目を確認するが、「今ではそれほど厳しく行っておらず、半袖短パンでも問題ないですし、街中で写真を撮るのも何の問題もないですよ」とのこと。念のために今度はフロントで同じ質問を繰り返すが、返ってくる返事は同じもの。それでも季節柄もあり、長袖長ズボンは保ち、手配してもらったタクシードライバーに行き先を伝えるが、なかなか英語が伝わらず、聞いてみるとパキスタンから来ているという。

日本から持ってきたガイドブックを見せながらなんとか意思疎通を図り、旧市街の中心地だというアル・バトハ地区(Al Bathaa)を目指すことに。道中も、「今日は金曜日でお休みだから」と陽気に説明してくれる運転手。20分ほどで中心部に着くと、「ここで待っているから」とツンデレのようなことを言ってくるから、「一緒に行こう」と着いてきてもらい、「ここら辺はパキスタン・マーケットが広がってるんだ」という説明を受けながら、同じ商品を扱う同じ店が等間隔で並んび、おそらくそこに商品やサービスの差異は無く、ただただ関係性や値段の差で商いがされているのだろうという、非常にプリミティブな商売が広がる街区を暫く眺めながら歩くことにする。

ホテルのフロントで渡された市内地図。英語表記が無いため、ほとんど読めず。




パキスタンから来ているというドライバー












リヤド(Riyadh) / サウジアラビア(Saudi Arabia)


数年前に観た映画「王様のためのホログラム」

その時はサウジアラビアという国はなんとも適当でまったく違った価値観を持っている人たちで、その人たちと仕事をすることになったら大変だろうな・・・と思っていたが、まさかこんなに早くその時が来るとは思いもしていなかった。

中東の盟主・サウジアラビア。アラビア半島のほぼ全域を国土とし、イスラム教の発祥の地であり、イスラム教二大聖域であるメッカ(Makkah)とメディナ(Medina)を抱えるイスラムの中心国家。ちなみにメッカはムハンマド生誕の地であり、イスラム教の信仰の中心で、巡礼者が訪れる「カーバ神殿」があり、メディナはというと、ムハンマドの墓である「預言者のモスク」が中心に位置する。

世界2位の原油埋蔵量を誇り、石油や天然ガスなどの資源による収入によって国が運営され、税収に頼ることの無いレンティア国家の代表であるこのサウジ。以前訪れたUAEのドバイなどと違うのは、労働を担う出稼ぎ外国人と自国民の割合。サウジはレンティア国家にしては珍しいほど自国民の割合が高いという。

国の体制としては、サウード家を国王とする絶対君主制国家。一夫多妻制のために、必然的に王位継承権を持つ皇太子が多数存在することになる。またアラブ諸国の中でも最もイスラム教の戒律を厳しく守る国であり、そのためイスラム教が法律となり、コーランに基づくイスラム法として統治されているという。その為もあり、国として観光ビザを発行しておらず、「世界で最も入国の難しい国」とも呼ばれ、出張に先立っての事前調査をしようにも、なかなかネット上で情報が得られず、非常に苦難することになった。

そんな限られた情報でもまとめてみると、下記のように書かれているものが多いようである。

・空港や宗教施設でむやみに写真を撮ることは禁じられている
・禁じられているアルコールやポルノなどの持ち込みは厳禁。パソコンの中も調べられることもある
・入国審査は非常に時間がかかる
・男性でも肌の露出は避けるべきで、半袖・短パンは避ける
・家族以外の男性と女性の同席は禁じられており、むやみに現地の女性を写真に撮らない
・外国人であっても女性の場合はアバヤ(黒い伝統装束)を持ち込み、常に身に着けないといけない
・リヤドは特にイスラム教の戒律に厳しい土地柄である
・ムタワと呼ばれる宗教警察がモールなど市内の人が多いところでパトロールしている
・現地での両替は非常に難しい。できてもドルからのみのところが多い
・車の運転が非常に荒い

ちなみに通貨はサウジ・リヤルSR(SaudiRiyal)でおよそSR1=30円。

今回は進めているプロジェクトのプレゼンで、サウジ側の手配によって飛行機やホテルを手配してもらっていたりしていたので、よほどのことが無い限り大丈夫であろうと思っていたが、上記の事前情報とかなり違っている部分があったり、それでも外から行く者としてかなり驚くようなこともあったりと、この体験はきっと今後誰かの役に立つのではと思い立ち、久々にブログをまとめることにした。

「自己責任」が吹き荒れた2018年の秋。さらに「あの事件」によって、一躍世界から注目を浴びることになったサウジ。当たり前が違う場所において、安全を第一にしつつ、しっかりとした判断を行って、少しでも日本から遠いこの国の理解につながることを願う。

ガソリンが非常に安いサウジのガソリンスタンド

中心部のアル・バトハ地区にあるパキスタン・マーケット

アブドルアジーズ歴史センター

リヤドで最も高いキングダム センター 

旧市街地の中心にあるマスマク城

リヤド郊外の赤い砂漠

67,000人収容のキング・ファハド国際スタジアム

アラビア半島 Arabian Peninsula



2015年1月19日月曜日

ジュメイラ・モスク Jumeirah Mosque ★★


昨年末に訪れたドバイ。もろもろのやり取りが整理でき、打ち合わせの為に再度訪れることになる。今回は最初のワークショップと言うこともあり、マーと二人でたった26時間の滞在というタッチ&ゴーの様なスケジュールとなる。

北京を夕方に出て、到着したのが現地時間の夜の23時過ぎ。空港で待ち受けてくれていたのはクライアントがオーナーであるホテルの係員。車に乗り込むとおしぼりが出てくる快適な到着。しかも車内wifiが準備してあるのですぐにメールをチェックすることができる。

機内で睡眠をとることが出来たのでホテル到着後に二人して少しだけ夜のダウンタウンの様子を見に行き、明日の打ち合わせ様に届いている資料をチェックしたりして眠りにつく。

打ち合わせが昼からということもあり、前回の滞在で内部に入ることが出来なかったこのジュメイラ・モスクのツアーに参加するべく、あいにくの雨の中、朝の10時にモスクに到着。あまり雨が降らない街らしく、足元の石は水の為に表面がツルツルに。お陰で何年ぶりかに見事に転び、周りの観光客にも心配される羽目に。

雨ではあるが総勢30人近い参加者と一緒に、前回の「シェイク・モハメッド文化理解センター」同様、民族衣装に身を包んだ女性がハキハキとした英語でモスクやアラブの文化を説明してくれる。

その中でモスクの中で祈りを捧げる方向であるサウジアラビアのメッカにある黒いカアバについてや、お祈りの方式、その時間の決まりや、モスクの建築について、ドームがあるのは音響のためだとか、モスクの立てられている塔であるミナレットはかつて祈りの時間を地域の人々に伝えるためであっただとか、様々なことを学ぶことが出来る。

質問タイムになると、「ミナレットの数は何で決められるのか?」とか、「モスクの経済的な運営は地域からの寄付か、それとも政府の援助によるものなのか?」と幾つか気になっていたことを聞くことができた。

一度ホテルに戻り、迎えに来てくれたクライアントの担当者と再会を喜び、まずはランチと連れられていったのはオールドタウンにあるシリア料理のお店。そこにアメリカ人である担当者の上司だというUAEローカルの人も一緒になって食事を取ることに。その席で彼が説明してくれるのは、「ドバイの文化は入ってきたものを、様々な手を入れて融合させていくことだ。このシリア料理も30年もこの場所にあり、オリジナルから随分変わった独特の料理となっている。それがドバイだ」と教えてくれる。

その後はオールドタウンを案内してくれ、70年代80年代とドバイの建築様式がどう変化していったか、その中でこの地で生まれた建築家として彼がどのような思いを持っているかを語ってくれて、すぐ近くの歴史地区を散策することに。しかし生憎の雨の為に、狭い軒下の空間で皆でならんで「この地で雨は幸運の証だよ」といいながら雨をやり過ごすことにする。

その後敷地を見に行き、その後クライアントのオフィスで再度我々のオフィスの紹介と、プロジェクトの説明を聞き、それに対して我々の考え方を話し合う。方向性がまとまり、今後のスケジュールを話し合い、そのまま一緒にディナーへと出ることに。またしてもクライアントがオーナーだという別のホテルのおしゃれなステーキハウスへ。またしてもクライアントのオフィスから別のマネージャーも合流し、これでもかという量のステーキを平らげる。

「次はぜひ北京でワークショップをしよう」と話し合い、ホテルに戻り荷物をとってすぐに空港へと向かう。そして夜の1時過ぎに、束の間の滞在を終えて北京へと旅立つことにする。











2014年12月17日水曜日

ブルジュ・アル・アラブ Burj Al Arab Atkins 1999 ★


恐らく「世界で一番有名なホテル」として名前が挙がるとしたらこのホテルではないだろうかと思われるブルジュ・アル・アラブ(Burj Al Arab)。新興都市ドバイの経済成長のアイコンとして1999年の以降何度もメディアを賑わした7つ星ホテル。

一体何の基準で「7つ星」になるのかと調べてもなかなか明確な基準が出てこないが、まぁ兎にも角にも贅を尽くしたホテルだということであろう。

建物はペルシャ湾に面するビーチから300mほど沖合いに作られた人工島に建ち、そこまではホテル専用の橋によってアプローチをする形になっている。ホテルの高さは328mで、当時としては世界最高の高さを誇るホテルとしても有名になったが、周囲に比較する建物が無いので、それほど高い建物だとは思えないのが不思議である。

「設計は誰だっけ?」と同行人と話していると、「フォスターじゃなかった?」と答えが返ってきたので、「確かにありうるな・・・」と納得したが、その日の夜に食事をした協力会社の代表の人から聞くと、イギリスの組織設計のアトキンス(Atkins)だという。

やっと橋の入口に着くと多くの観光客らしき人たちが写真を撮っている。厭な予感がするなと思っていたら案の定セキュリティと思われる人に止められて、「宿泊客じゃなければここから先は入れない」と言う。「中のバーかレストランでお茶をしたいんだ」というと、「それなら予約が無ければ入れられない」というので、「では、ここで予約をとりたい」というと、「一人ミニマル・チャージが250AED」だという。

「何もかもがお金か・・・」とげんなりするが、ここまで来て内部を見ないのも癪なので、それでよいから予約をとりたいというと、「クレジットカードの番号を控えさせてもらう」と。上階のレストランは予約で一杯だから、空いているのは中華レストランだといわれ、しょうがないのでそこでいいから予約を取ってもらうことに。

待つこと暫く、やっと中と確認が取れたというので、ゲートを開けてもらい、ビーチに寝そべる観光客達を眺めながら、ペルシャ湾の水が以外に青いということに驚きながら、到着するロビーは、中に入ると左右にカラフルな魚たちが泳ぐ大きな壁面水槽の脇にエスカレーターが設置され、中央には段々状になったところに人形と噴水が設置されており、「これほど高級ホテルのロビーでこれだけ品疎な空間か?」といぶかしんで上を見上げると、背の高いアトリウムが北側のガラス面から白い布を通して光を取り入れ、三角形の吹き抜けに面した二面に面する各客室へと光を届けている設計になっているようである。

それにしても内部の設計もそして内装も、とても7つ星と銘打つようなクオリティには思えず、ロビーで大声で話しながら記念写真を取っている中国人の客の様に、どこかで見たことのあるデジャブ感は拭えない。

胡散臭さを感じながらエレベーターで上階へ。その先に廊下となっており、中国の地方のホテルに併設されているような安っぽくはあるがうっているものは、ビカビカのアクセサリーという如何にも成金趣味のショップが軒を並べ、その先に小さな受付。そしてその受付の脇からやっと外の海が眺められる構成。

ここまで建築空間としての豊かさは皆無。恐らくロビーや公共空間など、敷地との関係性でどの様な豊かな空間を作り出すのかが目的とされたのではなく、LEEDのプラチナムを取るにはどのような設計が必要かと考えるように、7つ星として認定されるにはどのような設計が必要か、世界の中で贅沢なホテルといわれるためには何が必要か、という視点で設計がされ、全体のないバラバラな局所のみの設計に終始した印象は否めない。

そんな訳で予約したレストランにどの様にたどり着けばいいのかを知るようなサイン計画がされている訳でもなく、建築的にどちらにいけば公共空間があるのかが分かるような明確な空間構成がされている訳でもないので、しょうがなく受付で予約したレストランの名前を告げると、エレベーターで下の階に行けと。

エレベーターホールもなんだかげんなりするような内装で、そこで一緒になった中国人客の話している言葉を聞いていた連れの上海人は、「恐らく福州人だろう」と言う。なるほどと、なんだか納得する。

エレベーターを待つ間に、ホテルのスタッフに「全部で何部屋あるのか?」と聞くと、「部屋じゃなく、全てスイートだ」と答えられ、サービスという概念よりも、ここに泊まるステイタスだけを求めてくるテイストの無い客相手にしているホテルマンらしい対応にまたまたげんなり。

中華レストランに着くと、窓辺の席に通され、「1ドリンクで2ディッシュか、2ドリンクで1ディッシュかを選べ」と言われ、お昼を取ることなく歩きとおしてきたので、喉の渇きを潤すために少々くつろぐことにする。

クライアントからの連絡を待ちながらも携帯の充電が乏しくなってきた連れが、「iPhone5の充電器を貸して欲しい」とリクエストするがそのウエイターは「了解」と言ったっきり全然戻ってこなく、別のスタッフに頼むと携帯をどこかへ持っていってしまい、その後何の報告も無い。こんな感じで様々なところにサービスとして疑問符がつく部分が余りに多く、とてもじゃないがリラックスして雰囲気を楽しむような場所ではないようである。

中国人と思われるスタッフに聞いたところ、今では宿泊客の多くが中国人観光客になっており、それに合わせたレストランなどに仕様を変えているという。

これ以上ここにいても、何かしら得るものは無いだろうとの判断で、そそくさとドリンクと軽食を平らげ、費用対効果をどう考えているのかと思われる金額を支払い外へ。ロビーでタクシーを拾おうとすると、例の高級レクサスタクシーしかないといわれ、「それなら外まで歩いて普通のタクシーを拾うよ」と先ほど歩いた橋を再度歩いていくことにする。

砂漠の中に生まれた蜃気楼のような都市に、世界一のアイコンを何としてでも冠する為に生み出されたキメラの様なホテル。「グランド・ブダペスト・ホテル」の様なホテルマンの愛の感じられるホテルとは対極に位置するホテルであろうと思いながら橋を渡りきる。