大体こういう風に連続してブログでもアップしている時というのは、何かやらなくてはいけない締め切りに追われながらも、どうにもこうにも乗り気にならず、それでいながら自分の中であと一日くらいは大丈夫・・・と時間計算をしている時である。
自分でも目の前のタスクから逃げていると認識しているのだから、そういう時は無理して向き合うよりも、体内に溜まった不純物を出してしまうように、溜まったブログをアップしてしまった方がよっぽどいい。
という訳で一気に書き上げることにする。
糸魚川から戸隠経由で長野を飛び超え足を伸ばした松代。
「松代」といえば、松代藩と呼ばれるくらいなメジャー都市であり、江戸後期には儒者・佐久間象山を輩出するくらいの文化レベルの高い都市が存在し、現在は松代市として当時のよき街並みを残しているのだろうと勝手に想像を膨らませていたが、まさか市町村合併によって長野市の一部に組み込まれているとは・・・
旧国地図でみると信濃国の一部に位置する松代。1966年の合併前は、人口21,451人というから、明治維新以後、この地の勢力図が大きく変わったのだろうと想像される。
それはともかく、松代城。戦国時代に憎き謙信を打つために何度も攻め入ったこの地において、武田信玄によって築城された平城。現在は石垣が残るのみという風景だが、周囲に広がる北信州の風景。続く平地の向こうにそびえるアルプスの山々の姿を背景に、水平に積み上げられた石垣の人工性は、中心が失われた今でもある種の美しさをかもし出す。
背後に控える千曲川の流れが長い年月をかけて作り出してきたこの信濃の風景。その風景の中に新しい人工の水平線を挿入する、とても心地の良い風景を見ることができる。
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所在地 長野県長野市松代町松代殿町
城郭構造 輪郭式平城
別名 海津城
築城主 武田信玄
築城 1560
機能 城郭
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