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2017年6月16日金曜日

ロンドン(London) 2017


母校のイギリス・ロンドンのAAスクールのExternal Examinerを引き受けて三年。そのお陰で毎年夏になるとロンドンを拠点に10日ほど過ごしながら、懐かしい友人達との再会を楽しんだり、新しくできた建築を巡ったりと妻と共に一年の中でも、最も楽しみにしている時期である。

External Examinerというのは、イギリスの大学のシステムの一貫で、一年の終了時に国が定める(この場合はイギリス建築協会)の大学教育として基準に、「学校が達しているかどうか」を外部の専門家によって判定してもらうというシステム。なので一般的なレビューと言われる学生の作品を見て批評するものではなく、むしろ先生とその教え方に対してのチェックをする訳である。

二日間にかけて、Intermidiateと呼ばれる1年から3年までのユニットを初日に、4,5年生を対象としたDiplomaのユニットを二日目に見ることになる。Examinerは二人一組となり午前・午後それぞれ一つのユニットを審査していく訳である。

審査の内容としては各ユニットを率いるユニット・マスターが最初にその年のアジェンダや学生についての概要をExaminerに伝え、その後そのユニットの最終学年に属する学生が、およそ10分程で一年通して学び行ってきたプロジェクトをパネル、模型、スクリーンなどを駆使しながら説明する。全員が終わった後に、学生を外に出し、ユニット・マスターに対して二人のExaminerがそれぞれにコメントをし、それを元に如何にユニットを良くしていけるかなどを議論し、最後に学生を再度部屋に呼び入れ、総括を行うという流れ。

それぞれのExaminerが持ち寄った結果をそれぞれの日の最後に全てのExaminerと学長が一緒になって振り返り、学校としてそれぞれの学年として、また個別具体的にそれぞれのユニットとしてどんな問題があるかどうか、それをどう向上させられるかどうかなど、喧々諤々に議論をし、それを踏まえ全てのユニット・マスターが待つ部屋に移動し、Examinerが一人づつ総括を伝えていくというもの。

External Examinerはイギリスやアメリカの大学でながく教鞭をとっているアカデミック畑の人と、建築家として実務についている人の間でおよそ半々のバランスで選ばれており、男女比もおよそ半々になるように考慮されているということ。

AA出身の人もいれば、学校のレクチャーやクリティックで縁ができて呼ばれた人もいるようであるが、一度引き受けたら最大4年続けるということで、流石に一年目は右も左も分からず、かなりハイクラスなアカデミック英語に辟易していたが、流石に三年目になると勝手も知ったもので、今回は余裕をもってこのロンドン行きを楽しみに迎えることができた。

毎年この時期にオープンするサーペンタイン・ギャラリーやオープンしたばかりの新しいデザイン・ミュージアム、昨年足を伸ばせなかったウィリアム・モリス美術館など少し時代を遡って建築を巡って鑑賞するのと、恒例の親友夫婦とのケント旅行にイギリスゴシックを見るためにヨークへ足を伸ばし、その後はパリに渡り今度はノルマンディー地方をぐるりと巡ってくる様に、今までとは違った過ごし方をする予定。

昨年はロンドンを出発する日がまさに国民投票で、ブレグジットに揺れに揺れたイギリスであったが、今年はその影響がどのように出ているのか肌で感じられる時間になることを期待する。

2016年2月17日水曜日

本を薦めてもらうことの喜び

久々に会う友人に、「最近読んだなかで、何かお薦めの本はあるか?」と聞いて、教えてもらえることの喜びはとても大きい。趣味趣向を共にして、しっかりとした読書習慣を持っていると思えるからこそ成り立つ会話であるし、次回再会する際には、その本を読み終え自分なりの感想を伝えるのが礼儀というものであろう。

ネットがインフラ化した現代。自分の見たものしか見ず、興味のあるものしか読まないことに無意識のうちに引っ張られてしまう我々。その枠からはみ出すのはせめて世間一般で広く読まれている「ランキング」にあげられる本のタイトルぐらい。

月に何度か、偶発的な出会いを求めて本屋で数時間、ブラブラと自分の専門以外の本棚の前で時間を過ごすことができるのが理想であるが、物理的にそんな時間を持つことが許されないならば、どうにかして自分一人では出会うことの無い、しかし読めば人生に何かしらの意味を与えてくれるようなそんな本と出合う可能性を高めるためのもっとも効果的な方法。

ただし尋ねるだけではなく、尋ねられた時にもしっかりと「その時」のお薦めの本を数冊あげることができること。そして、尋ねてきた相手にとって意味を持つであろうタイトルをあげることができること。そんな拡がりのある読書を

2016年2月13日土曜日

深遠なるコミュニケーション能力

人というものは、小さなころから家、学校、部活、大学、サークル、バイト先、職場などで、徐々に親から兄弟、友達やクラスメイト、同僚や仕事関係者へと、親しい関係性から徐々に社会の中で自分の立ち位置や周囲の人との関係性など、様々な要因を考慮しながら、何千、何万というコミュニケーションの中で、失敗を繰り返し、徐々にどうやって距離感をはかり、どうやって関係性を構築していくのかを学んでいるのだと改めて理解する。

自分の望むように振る舞い、話をしても、それが自分の望むような関係性を作り上げることに繋が
らず、「独りよがりな人だ」と相手に嫌われてしまうこともあるかもしれない。自分が好意を持って、距離を縮めたいと思っている友人や異性に対して、相手に好意を持ってもらうためにはどうしたらよいのか。そんなことに悩む思春期を誰もが過ごしてきたはずである。

家庭の中で、友人との間で、異性との恋愛関係の中で、そして社会人として外の世界の中で。それぞれの場所で、求められる関係性の構築方法は違ってしかるべきであり、家庭環境や自らの性格によっては、それを学んでいく上に経験する機会の数は、人によって恐らく何百、何千倍という差になってしまうものであろう。

これが世に言う「コミュニケーション能力」と呼ばれるものであり、数々の苦々しい体験の中で、この状況ではどのように言葉を選んだらいいのか、どのような態度を示したら相手が喜ぶのか、そんな微妙な感情や相手との距離を測りながら自らの振りまいを調整していく。その為にはそれ相応の場数が必要であり、深い洞察力と豊かな想像力がその手助けになってくれることであろう。

インターネットやSNSの発達のお陰で、かつてとは日常で行われるコミュニケーションの総数、そして相手の多様性が加速度的に増加した現代。今までの社会では出会うこともなく、交流する必要も無かった異なる背景を持った人々と否が応でも接触を重ねていかなければいけないこの時代。

学歴や職業という目に見えやすいラベルでは測ることのできないこの「コミュニケーション能力」。現代という多様な社会で生きていくうえで、今後この能力の高低差がより一層重要性を増していくだろうと実感しながらも、人間という多様で複雑な成り立ちに改めて畏怖の念を感じずにいられない。

2014年1月24日金曜日

MAD Gold Party

年末と言う事でオフィスを開放してパーティーを開催する。

昔から青や緑など、色をテーマにしたパーティーをしてきたが、今年は縁起も良さげなということで今回のドレスコードは「GOLD」。数日前から妻は「何を金色で着けていこうか?」となにやら嬉しそうに悩んでいる様子。

かつては毎年やっていたが、最近は行う事が少なくなっていたので、久々に派手にやろうということで、建築関係に関わらず、関係会社やスタッフの家族なども誘い、プロのDJに音楽を流してもらって、業者に入ってもらって飾りつけなど、かなり本格的な準備が進んでいく。

金色のカーテンや風船がかけられて、普段は図面や本で散乱しているテーブルには綺麗に模型がレイアウトされ展覧会のような雰囲気に。徐々にパーティー会場へと変貌していく様子を眺めていると、これだけの規模の事を日本でやるためには、一体どれだけの会社規模にならないといけないのだろうと、想像せずにいられない。

夜の19時にパーティーは開始と言っても、そんな時間にやってくるのは、関係者か相当真面目な人。オフィスメンバーの家族などと話をしながら待っていると、22時近くなって徐々に人が集まってくる。

音楽も大きくなり、オフィスマネージャーをやってくれている女の子と旦那さんが率いているというサンババンドの生演奏で会場は一気に盛り上がり、作ったけども着る機会がないと嘆いていたチャイナドレスの袖を躍らせながらステップを踏んでいる。

GMPなど北京にある外国建築事務所に勤める友人なども大挙してやってきてくれて、皆それぞれに楽しんでいる様子。スタッフもインターンも普段の表情とは違って思いっきり若さを発揮して楽しんでいるようである。

大音量に耐えられず逃げるように自分のデスクに戻って来て、気の置けない友人とその中の一人の恋愛事情にあーだこーだと結論の出ない会話に華を咲かせ、すっかり酔っ払い、オフィスだというのに勝手にタバコを吸出すその友人を置いて、一向に終わる気配の見えない会場を逃げ出し家路につくことにする。












2014年1月22日水曜日

「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」御法川修 2012 ★★★

なんだかとてもホッとする作品。

人気マンガの映画化だというから、なるほどと納得してしまう、なんら大きな事件も起こらない凡庸なる日常を描いた、なんとも「ほんわか」してしまう一作。

かつてのバイト仲間で、今は恋愛や結婚、仕事に悩むアラサー女性のなんともない日常を描いていく。好きだと思える男性に出会えるかどうか、このままで結婚できるのだろうか、家族などの世話で忙しいのにどうやったら出会いに出くわせるのかなど、世の誰もが同じように悩み、過ごしてきた日常を描き、それでも生きていかないといけない、その為に仕事もしていかないといけないという葛藤と、それらの日常の悩みや蓄積する鬱憤を友人との会話で「ザーッ」と洗い流して明日を生きている日常を見せられると、なぜかホッとする。

恐らくマンションの各フロアに一人は、同じように悩み同じような日常を送る女性がいるのだろうと想像する。真面目に生きてきて、決して派手でも、浪費家でもなく、しっかりと毎日を生きていく。

親心からの心配も、逆にプレッシャーとなりすぎて「もう、そのことはいいから」と邪険に扱いながらも、時々に届く仕送りなどに親の子を思う気持ちを受け止める。

そんな風に真面目に、しっかりと人生を生きていて、それほど高望みをしている訳でもないから、きっと自分がいいなと思える男性に出会い、恋愛を始められるはずだと願って何が悪い。と言っても、自分が好意を寄せる男性は、同じように他の多くの女性も好意を寄せるのだという事実にぶち当たる。

「この人かな?」と思った出会いでも、ちょっとしたことだけど、自分にとっては大切な価値観の相違でやっぱり運命の相手ではないのだと思ってしまう。

人生というのは、本当は限られた数人の人と共に歩くもので、決してドラマがある訳でもなく、平凡な中でもそれなりに波風が立ち、心が揺れ動き、そして波が去るまで一緒にいてくれるのは友人なんだと教えてくれる作品。

見終わってから妻に、「女友達と旅行に行きたくなったら、遠慮しないで行っていいんだよ」と声をかけると、なんだかポカンとしながら、「ありがとう」という妻の顔を見て、これが自分の日常なのだと改めて認識する。
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スタッフ
監督 御法川修
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キャスト
柴咲コウ 森本好子(すーちゃん)
真木よう子 岡村まい子(まいちゃん)
寺島しのぶ 林さわ子(さわ子さん)
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 スールキートス
上映時間 106分
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2013年10月20日日曜日

ハイキング:Nine-Window Tower ★★

一年で一番山が美しい時期がやってきた。噴出す汗を気にして、重い荷物を持って長城の上を歩いていくのは流石にきついということで、暑い季節は避けていたが、そろそろハイキングに参加しようと思っているころに、ハイキングに誘ってくれたドイツ人の友人と食事に行くと、

「万里の長城のハイキングは北京魂だ(Spirit of City of Beijing!)」

と言うのを聞いて、上手いことを言うなと思い重い腰を上げて参加することにする。クローゼットの奥から登山グッズを引っ張り出して、ハイドレーションを洗い、弁当用におにぎりとゆで卵を用意し、久々の山へ向けて準備をする。

今回は一人での参加になるので、水分はペットボトル一本にし、弁当の内容もコンパクトにし重量を減らすことに心がけ、遅刻しないように近くの集合場所に8時前に到着する。何度か参加していると、自然に顔見知りのメンバーも出来てきて、バスの周りで始めてのメンバーとも挨拶を交わして待つこと20分ほど。総勢20名での出発。

今回は北京の北部、怀柔区(huáiróu)にある、万里の長城の一部、箭扣 (jiàn kòu)长城と呼ばれる場所で、道から一時間ほどブッシュのなかを掻き分けながら進み、壁に到着したら今度は壁に沿って山を歩き、目的地である9-Window Towerと呼ばれる、長城の監視塔まで歩いてランチを取り、その後別ルートで壁を戻り、逆側へと登っていき途中から壁を離れて山を下りていく、5時間くらいのコースという。

一時間半ほどで現地に到着し、いつも通り説明も無く各自歩き出す準備を整え、準備のできた人から先に歩いていく。常連さんは既にコースが頭に入っているらしく、ぺちゃくちゃおしゃべりをしながらとっとと先を進む。今回のハイクはルークというベルギー大使館に勤務するベルギー軍所属の人の良いおじさんが隊長ということで、先頭をいったり、最後尾をケアしたりと機敏な動きを見せてくれる。

前回の我々の様に、とんでもなく隊から送れるメンバーもでなく、大体同じようなペースでルートを進む。2-3人のメンバーで参加している人たちもいれば、一人で参加している人もいて、前回顔見知りになったメンバーや今回はじめて顔を合わせるメンバーなどと会話をしながら先を進む。

壁に到着し、「ここからは結構険しいルートになる」という先には、壊れかけた壁にそって、崩れやすい石に覆われた急な坂道。手をつきながら、直径1センチほどの樹木がこれほど心強いものなのかと支えにしながらなんとか登っていく。一緒に話ながら登ったオーストラリア人の男性は、ジーパンにスニーカーという軽装ながら、なんとも軽やかに登っていく。「やはり体重の違いか・・・」と思いながら、水分を補給しながら足を動かす。

なんとか遅れを取ることなく、ランチを取る9-Window Tower到着。足場の何もなく、ただレンガを何個もついで足場にし、そこから身体を持ち上げるようにして登る塔の上からの眺めは絶景。食欲はあまり無く、タッパーに入れてきたパイナップルとオレンジだけを口にほう張りなんとか後半への体力の回復に努める。

「こんなに忙しなく歩いていって楽しいものだろうか・・・」と疑問に思うくらいの早いペースで歩いていくメンバー達。万里の長城自体が、北からの野蛮人達に対する防御という意味から構築され、進入を防ぐためにピークを沿うようにして作られているので、必然的にそのハイクは下っては登っての繰り返し。

その度に「これを作った人間はクレージーだ」と思わずにいれらない。足を止めて先を眺めると、はるか向こうにもうっすら見えるその人工物の果てしない線。2000年以上も前にいったいどんなクレージーな人間が、これを作ろうと思ったのかに想像を馳せるとやはり飛んでもないと思わずにいれれないし、一体どこでそれを止めようと決めたのか?その決断の難しさに思いを馳せながら足を前に進める。

人気のスポットらしく、今回は多くの中国人ハイカーとすれ違う。予定よりも順調に進み、15時前にはバスに到着。冷えたビールと残った弁当のおにぎりとゆで卵をほお張りながら、今度は中国人グループのハイキングにでも参加してみようかと思いを馳せる。



























2013年7月13日土曜日

会わない時間


日本を離れて時間を過ごせば過ごすほど、せっかく離れているのだから、興味深い友人には3年くらいの時間を開け、互いに何かの目標をしっかり成し遂げてから再会したいものだとしみじみ思う。

数ヶ月や一年ほどのスパンでちょこちょこ会うのでは、それこそ国内にいるのと変わらなく、SNS全盛のこの時代だからこそ、会わない時間をつくる機会を最大活用する意味を考える。

「すっかりお変わりになって」

と言えるような確実な変化を成し遂げ、会わなかった時間の過ごし方を、かつてよりワンランク上がった旨い酒を飲みながら互いに報告するくらいの、深い内容の時間を積み重ねたいものである。女々しく一年くらいで安易に会っても味気もないというものだろう。

それよりも、人生が大きく変わりだし職業人としても土台が出来つつある30代半ば。今やってることが恐らく20年後もやってることであろう重要なこの時間をちゃんと自分の目で前を見据え、周りに惑わされることなく過ごしていく時間の大切さ。

ブレないことの大切さと会わない強さを持つことを再度心に刻み込む。

Hiker's Dinner


妻もハイカー仲間に加入したということで、近しい友人がハイキング仲間の少人数でディナーをするというのにお呼ばれしにいく。

せっかくなので、仲良くしている別のカップルも登山が好きと聞いていたので、彼らにも声をかけることにする。

10人ほどのメンバーで、ほとんどが前回のハイキングかその前のパーティーで顔見知りということもあり、友人のカップルを紹介し、ホストの用意したインドネシア料理に舌鼓を打ちながら時間を楽しむ。

小さいころ想像していたサンタクロースそっくりなスコットランド人の友人は考古学者というだけあった、世界中の色んな場所で登山をしているらしく、この夏にエベレストに行くというメンバーも興味深そうに話に食い入っている。

北京のブラジル大使館で働く友人が、たまたま遊びに来ていたという東京のブラジル大使館で働く友人を連れてきて紹介してくれる。暫く東京にいるというので、今度東京に来るときはぜひ声をかけてくれといい、北京の友人はもうすぐ駐在を終えてブラジルに帰るので、ぜひ遊びに来てくれという。

こうして気さくに増えていく外国の友人のことを思いながら、東京では「外国人ではない」から外国人と出会わないのか、それとも日本人の気質がそうさせるのかなどと思いを巡らす。

まったりお酒を飲みながら先日の誕生日の話に話題が飛び、夫婦間でのプレゼントを今年から止めたというと、サンタクロースの友人が「誕生日プレゼントは普段ほしくても自分ではなかなか買わないものを手に入れるとてもいいチャンスだからぜひやった方がいい」と言う。

それに賛同するほかのメンバーが「今何が欲しいの?」と聞いてくるので、ちょっと考えて「ザイル」と答えると、誰もがポカンとする。先日のハイキングで一人のメンバーが斜面の上からザイルで下の人を引っ張りあげていたことを説明し、「使う機会がなくても、あのロープを持っていることがいいんだ」というと、それでも納得しないような皆の顔。

しかし、今度の帰国時に妻からザイルを買ってもらおうと自分の心の中で決めることにする。











2013年7月7日日曜日

ハイキング:River Hike いつかザイルを持てるように ★★★★ 


仲間からのお誘いにのって、久々に参加することにしたハイキング。

厳しくなってきた日差しによる熱中症よりもよっぽど心配するのは、一緒に参加する妻のこと。ハイキング仲間との集まりにも顔を出しているので、「全然楽だから、心配せずに参加してよ!」と口説き落とされ、普段ほとんど運動というものをしないがついにその重い腰をあげることにした妻だが、日曜が近づくに連れて徐々にこちらも心配になってくる。

前回一人で参加したハイキングで、彼らの言う「普通」は、自分にとっても「相当ハード」だというのが嫌というほど身にしみたので相当心配していたが、それでも内容説明が「長いだけで、あとは川辺を歩くだけ」という言葉にすがるようにして、前日の夜より二人で弁当を用意し、バスの中で皆とも共有できるように日本製のお菓子を買い込み、前回のハイキングで多くの人が使っていた気になって帰国時に東京で買いこんできたハイドレーションを水のボトルに差し込んで、ばっちり使い方の確認。

前日の夜から鳴り響きだした雷雨が心配されたが、早朝に目を覚ますと雨の心配は無く、直射日光も遮ってくれそうなほど良い曇り空。「8時きっかりに出発するので遅れないように」という注意はこのメンバーにとっては問答無用で実行されるので、小走りで家の近くの集合場所に辿り着いたら案の定最後の二人。小さなバスに25人ギリギリ乗るので、遅く来たメンバーは必然的に真ん中の簡易椅子に座ることになる。

顔なじみの仲間が「あらー、ひさびさじゃない!」と声をかけてくれて、心配そうな妻に、「今日のハイキングは一番楽な部類だから絶対に心配ないよ」と安心させてくれる。はじめて会うメンバーを紹介され、すぐにバスは出発し、渋滞にはまることなく市内を抜けて明の十三陵の脇を抜けて更に奥地へ進む。

約2時間ほど走った後、唐突にバスが止まり、おのおの歩く準備をして降車。できるだけ身軽にしようと必要の無い本やお菓子はバスに置くが、それでも1.5リットルのペットボトルを二本にオレンジ3つ、おにぎりが8つ入ったお弁当に前日買いこんだ水辺様の二人分のCrocs、着替えに雨具とスティックなどなど、カリマーの40Lはパンパンに。ゆうに10キロは超えているリュックはずっしりと肩にのしかかるが、どうも他の人は小さなバッグのみのよう。

まぁできるだけ妻のバックを軽くしようとこちらにいれているからだろうと、ブッシュを抜けていくなかで手が擦り傷だらけになって前回懲りた反省を生かし持ってきていた手袋をはめて、もう一つの軍手を妻に渡し、カメラを片手にハイキング開始。

前回びっくりしたが、このハイキングはコースの説明も無く、予定の説明も無く、皆が気ままに歩いて決められた場所でランチをするというとてもラフな内容。したがってすべてが自己責任。

集団から遅れるのが一番怖いので、できるだけ真ん中くらいに位置をし、なんとか周囲の景色に意識が向くように妻に話しかけ、周りのメンバーに声をかけて、妻が会話をして疲れを感じずに集団についていけるようにと努めて歩く。

しかし、何十年も毎週のペースでハイキングに来ているメンバーに比べて、一般的に言っても運動不足の妻はやはり圧倒的な体力差があるようで、徐々に落ちてくるペースと減る言葉数。足を止めてこちらのリュックから伸びるハイドレーションで水を飲ませ、後続のメンバーに追い抜かされるのを気にしながら、できるだけ気分を持ち上げ先を進む。

最初の30分は軽い傾斜を行くのでよかったが、万里の長城の一部にぶつかり、その上を峰沿いにあるく段階に差し掛かると、その傾斜に普段あまり筋肉を使わない妻はグンとペースが落ちて、激しい呼吸とものすごい汗をかき始める。そんな時にさしかかる大きな岩場。全身を使って岩の間を滑り降りるようなかなり危険な場所を抜けるのに相当な体力を使い、最後尾で歩いていた女性二人も無事に乗り越えられるかを見届ける。

そうこうしていたら、集団ははるか先にいってしまって姿が見えなくなってくる。日本の様に登山道が綺麗に整備されていて、「ここを歩いていけば大丈夫ですよ」的な道は無く、あくまでも何となく道らしき隙間が広がっているところを抜けていくので、集団から離れてしまうと道に迷う可能性が相当高くなる。

しかも車道から相当離れたこの場所ではどうやって抜け出ていっていいかも分からないので、先を行く人の鮮やかなリュックの色を見失わないようにと気にしながら、妻を含む最後尾の3名のケアをしながら気が焦る。「これはまずいな・・・」と思い出し、前を行くメンバーに声をかけ待っていてもらうことに。そのアメリカ人に事情を話し、一緒に歩いてもらうことにする。

それでも、頂上のうねるような壁を登って辿り着くタワー部分。そしてまた下っては次の上り。そしてタワー。その上りが這いながら手を使って昇るほどの急斜面。一歩足を踏み外せば数メートルの下まで落ちてしまう緊張感。その中で、開始1時間で既に息は切れ、膝は笑い、足は振るえるようになってきている妻は集中力も失い始め相当に厳しそうな表情に。

急かさないように妻のリュックに入っていたもう一本のペットボトルを自分のリュックに移しできるだけ重量を減らす。十分に休憩を取りながら水を与え、自分のペースで足を進めるようにと声をかける。少しでもバランスをとるのに役立つようにとスティックが必要な場所は渡し、両手を使っていかないといけない所はスティックを受け取りながら、先ほどのアメリカ人と二人の女性も既に先に行ってしまっているので、できるだけ先を行く人との距離を広げすぎないようにと気をはりながら足を進める。

「後、どれだけ・・・」と息も切れ切れに聞く妻の様子は既に限界のようで、「リタイアするにしても、車道まで抜け出ることは二人ではできないし、引き返すのもまた地獄だし・・・」と困り始めていると、前方でこちらを振り向きながら待っていてくれているオーガナイザーの一人。

彼はいつも静かに皆を見守っている70歳を超えるイスラエル人のデン。恐らく前を行く仲間から事情を聞いて、心配して待っていてくれたようで、自分のペースは御構い無しに、「自分の好きなだけ休んで、水分をとって、好きなペースで歩けばいい。一緒に歩くから心配しないで」と。

「あのタワーまで行ったら休もう。日陰でエナジーを回復しよう。甘いものをとった方がいいから。」とタッパーに入れた冷えたメロンをくれる。急かすことはなく。ただ優しくケアしながらそこにいてくれる。

そんな励ましに支えられながら、少しでも足を進める妻。しかしそれでも体力の限界は超えているようで、5歩進んでは腰に手をあてて、足を止めてしまい、肩で息をしながら先を見つめる。

その様子を見ながら、「To be honest, I don't think she can make it」と相談すると「いや She will make it. We will walk together.」と力強く言ってくれる。その言葉を聞くとなんだか出来そうな気がしてくるし、ほろっと泣けそうにもなってくる。

きっとヒマラヤ登頂を目指すレベルの人たちも、同じ様な会話があるのだろうと勝手に想像する。レベルは違えどそれぞれのレベルでそれぞれの限界があり、その限界を頑張って超えて行くこと。その繰り返し。つまりは大切なのは、どんなレベルでもそこで足を止め、諦めてしまったら、そこが本当の限界になってしまい、その先には何もないんだと思わされる。

恐らく前とは30分近い差が開き、前方集団も心配しているだろうと思うが、我々二人とデンの三人で、会話も無くただ黙々と足を進め、水を飲み、木々を掻き分け、岩を降りるのを繰り替えす。

こんな状況の時は日常では感じられない多くのことが身に沁みる。身体が辛いから足を止める。少し足を止め息を整える。自分にとっては一瞬のはずだが、その数秒。前を見るとさっきまですぐそこを歩いていた背中が随分先に行ってしまっている。それを数回繰り返すと、既に前を行く集団は木々の中に隠れて分からなくなる。そうなると、自分でペースを決めなくてはならず、さらに厳しくなる一方である。つまりどんなに遅くなっても足は止めずに、ゆっくりでも足は動かし続けるべきである。

デンに励まされ、やっと前方で待っててくれたグループに追いつくが、グループは崖を下って川辺まで行ってランチを取るというが、デンの進めもあって日影に腰を下ろし、十分に身体を休めることにする。水分をとって、汗を拭き、呼吸を整える。また差し出してくれるメロン。決して冷えている訳ではないが、火照った身体を冷やす効果は抜群。

15分ほど休むと妻も随分回復したようで、なんとか先に言っている皆のところまで行こうと歩き出す。しかし使い切った筋力は簡単には戻らないようで、今度は下る坂道でうまく身体を支えられず、下りの岩場でどのように身体を動かしていいのか慣れていないようで、お尻をついてはおっかなびっくりすべるように降りていく。どこに足をかけ、どういうバランスで身体をホールドするかというようなものは、やはり教えられるようなものではなく、こうして経験して感覚を掴むしかなく、人生の中で辛い思いをして次はこうしようと学んでいくものなんだと実感する。

そんなこんなで到着する水辺のランチ場所。先に進んでいた皆は既にランチを終えて、楽しそうに水遊び。そこにフラフラになって到着する我々。食欲も無ければ時間も無いので、兎に角オレンジだけむいて、水分とビタミンの補給をした、あっという間に休憩時間の終了。ここからは水の中を歩くので、靴を替えるか必要があるというので、用意していたCrocsに履き替えると、それを見ていた友人が、「水にぬれた岩がすべるので、しっかりとグリップできないようなら、今までの登山靴で靴下を脱いだ方がいい」と的確なアドバイスをくれて、二人揃って指示通りに。

気の知れたその仲間にこっそりと「妻が相当疲れてしまっているので、リタイヤも視野に入れているが、まずは一緒にゆっくり歩いて声掛けをしてもらえるか」と頼みこみ、「もちろん、まずはいけるところまでゆっくり歩いてみよう」と何人に励まされながら足を進める。

が、一発目の水際の岩をよじ登ろうとした妻は前からステンと転んでしまい、あわやの事態に。それで気持ちも折れてしまったようで、オーガナイザーの一人であるベルギー人のルークも交えて相談するが、「リタイヤするにも先頭をいくもう一人のオーガナイザーに聞かないとどう抜け出ていいか、どうやってバスにピックアップしてもらうか分からないし、この先はそんなにアップダウンも無いので、僕らも一緒に歩くので気をつけていけば絶対に歩ききれるから」とまたも励まされ、もう一度気力を持ち直して歩き出す妻。

その後もやく2時間かけて水辺の岩場を歩き、すべる岩場を上に上ってずっとリュックの上に載せていたザイルをたらして、グループのメンバーだけでなく、関係ない人たちも上から引っ張りあげているルークの姿に助けられ、代わる代わる声をかけに来てくれるメンバーに助けられ、なんとかなんとか最後まで辿り着く。

ヘトヘトになりながら、先についていたデンに「お陰で歩ききれたよ。ありがとう」と話しかけている妻の姿を見て、恐らく「夜のピクニック」以上に多くのことを学んだんだろうと想いを馳せる。

「サバイバビリティー」と簡単に言ってしまうが、現代の日本人のほとんどがぬくぬくとした温室育ちの現在。それに比べてまだまだ海外の人は、こうして自然の中で身体を鍛えるアクティビティーが人生の一部になっている。 

その中で、如何に普通だと思っている現代社会の生活では、人体があるべき運動を行える状態、生命維持に必要な体力や筋力を保持することがどれだけ難しいのか。日常を生きているだけでは、間違いなく低下する体力と筋力。ただ現代社会の中ではそれに向き合う機会がないので知らず知らずに時を過ぎてしまうが、鍛えているのとそうではないのでは大きな差となって先に現れる。そして大概気がついたときは既に取り戻すことが出来ないほどの距離となってしまっている。

体力や筋力、気力が足りないということは、もちろん仕事をする上でも不利になる。また、人生を楽しむ上でも大きな負担にもなる。それを避けるためには、日常の中に自分が苦しいと思う負荷をどれだけかけることができるか、それが問われてくることになる。

妻とも話していたが、こういう状況は妻だけでなく、現在の日本人、多く見積もっても半数は、日常の中でほとんど運動をしないタイプに入るのではと想像する。特に女性はもっと多いのではないだろうか。綺麗に着飾り、美味しいものを食べ、身体的苦痛や負担を共わなくても得られる喜びだけを得る生活。

身体を鍛えることなく、下手すれば大学卒業、いや高校卒業から一切身体に負荷をかけることなく過ごしてきている。それでは精神も弱くなる訳である。恐らく昔は畑仕事などで、日常の中に必然としてあった鍛錬によって養われていた精神的強さ。それもなくなってしまった現代。

こういう経験をして、「体力と気力のベースが違う」と最初から自分に言い訳をするよりも、そんな暇があれば少しでも自分を鍛え、少しでも距離を稼ぐこと。言い訳をしながら遠ざかる背中を見ながら自分の心を納得させるよりも、達成感に向け足を進めること。

歩き終えた今は、まだまだフラフラで分かりづらいだろうが、暫くするとどれだけ周りに助けられたか、どれだけ皆が強く優しいかを知ることになるのだろう。皆が気をかけてくれ、心配して戻って来てくれ、励ましてくれる。

「大人になる」とは強くなることで、自分が辛い時にもグッと堪えて周りの人のケアを出切ること。そのために多くの我慢もしなければいけないし、精神も身体も年相応に鍛えないといけない。ザイルを上から引っ張っていたルークは、自分ひとりならザイルなんて必要ないはずだが、他の人のためにそれを持ってきて、ずっとリュックの上に載せて歩き、先に行くことをせずに、困難を抱える人を助けて最後にザイルをしまい、また歩き出す。

自分が出切ることで人を助けられるなら決してそれを惜しまない。

そんな風に時間を過ごし、しっかりと大人へと変わっていく人に比べ、何か困難があればすぐに引きこもる現代の日本のニート達。生活保護から抜け出せないと気力がなくなってしまう人々。「そりゃ、働けないだろう」と思わずにいられない。

一度楽をすることを覚えてしまったら、一度足を止めてしまったら、再開するのは続けていくよりもよっぽど気力も体力も必要になってしまう。それなのに身体も精神も逃げて、それを維持することもできずに、ただひたすらに堕ちていく。それでは厳しいだろうなと思わずにいれらない。

今日出来なかったことが明日できるようになるのが成長。
出来ないことに逃げずに向き合うことがその第一歩。

そんなことを話しながら、手をつけれずにいた弁当箱を空けて、二人には多すぎる残り物は「今夜の夕食にするしかないかもね・・・」などと話していると、興味深そうに覗いてくる面々。「良かったら、片付けるの手伝ってよ」と言うと、10人くらいがいっせいに手を伸ばしてくる。

ウインナー、トマト、から揚げにおにぎりと、まるで露天商のような人気者に。

「あなたが、あのでっかいリュックを背負ってた人ね!やっと分かったよ、その理由が!」

と言われながら、「こっちのゆで卵は何がスペシャルなの?」と聞かれながら、7分きっちりで半熟になったゆで卵5つもあっという間に無くなる。

声をかけ励ましてくれて一緒に歩いた面々とも、名前を交換し、どれくらい北京にいるのか、どこに住んでいるのかなど、すっかり会話が弾み、友達をつくったらしい妻を見ながら、「Good food makes friend」と隣のドイツ人と話をする。

食後にはこちらもあまっていたお菓子を大奮発すると、「何でも出てくるリュックだなー」と嬉しそうに、遠慮無しに更に手を伸ばすメンバー達。クーラーボックスで冷やされたビールのつまみに塩分の利いたプリッツを食べながらやっとハイキングの終わりを感じる。

バスのに乗り込んで最後にと、不二家の飴をあげると「まだあったのかー??」と。

そして「どんだけ重いの背負って歩いたんだ・・・」と逆に心配されながら、皆ウトウトと眠りに落ちる。

バスを降りるときにもわざわざ待っていて、「美味しいものをありがとう」と声をかけてくれる面々。身体中に広がる疲労感が少しだけ心地いいものに変わっていくのを感じながら、いつか自分もザイルを持てるくらいに強くなろうと心に誓い、妻と二人で家路に着く日曜の夕暮れ時。