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2015年10月8日木曜日

甲斐国 ★★

来年は大河ドラマ「真田丸」はこの甲斐国(かいのくに)を舞台に活躍した戦国武将・真田幸村を主役に描かれるために恐らく多くの人が現在の山梨県と重なるこの地を訪れることになるだろう。

別称を甲州(こうしゅう)とされ、東海道のほぼ真ん中に位置するこの甲斐国。国府、国分寺そして一宮のおかれた場所から現在の笛吹市がその行政的な中心地であったのがみて取れる。

多くの人がイメージするように、甲斐といえば「風林火山」の軍旗を用い、「甲斐の虎」と恐れられた戦国武将・武田信玄。急峻なその地形で鍛えられた騎馬軍団は他の武将を圧倒する武力を備えていたことでも良く知られる。

その父・武田信虎の時代に開創された甲府が城下町として整備され、政治的・経済的中心地として発展し、現在の山梨県の県庁所在地へとつながり、人口20万ほどのこの地域の中核都市として機能している。

日本地図の真ん中に位置する土地柄、東西の交通の要所として、その敷地内には江戸時代の五街道のうち東海道、中山道、甲州街道の三つが整備されており、その重要性がみてとっる。

特に五街道の中で一番最後、1772年に完成した甲州街道は、まさにこの甲斐を江戸と結ぶために整備された街道であり、下諏訪宿で中山道と合流し、京都まで繋がっていくことからも、江戸幕府にとって甲斐が重要な意味を持っていたことを現代に知らしめている。

近世まで日本の覇権を握るための重要な要として位置づけられてきたこの甲斐国が、現代という全く異なった交通および経済インフラによって塗り替えられた地政学の中で、どの様な風景を保っているのか、そして恐らくほかの土地に比べてより濃くかつての存在した風景の痕跡が残されているであろう様々な場所に期待を膨らませて「中央フリーウェイ」を聞きながら西へ向かうことにする。



2013年6月11日火曜日

松代城(海津城)(かいづじょう) 1560 ★★



大体こういう風に連続してブログでもアップしている時というのは、何かやらなくてはいけない締め切りに追われながらも、どうにもこうにも乗り気にならず、それでいながら自分の中であと一日くらいは大丈夫・・・と時間計算をしている時である。

自分でも目の前のタスクから逃げていると認識しているのだから、そういう時は無理して向き合うよりも、体内に溜まった不純物を出してしまうように、溜まったブログをアップしてしまった方がよっぽどいい。

という訳で一気に書き上げることにする。

糸魚川から戸隠経由で長野を飛び超え足を伸ばした松代。

「松代」といえば、松代藩と呼ばれるくらいなメジャー都市であり、江戸後期には儒者・佐久間象山を輩出するくらいの文化レベルの高い都市が存在し、現在は松代市として当時のよき街並みを残しているのだろうと勝手に想像を膨らませていたが、まさか市町村合併によって長野市の一部に組み込まれているとは・・・

旧国地図でみると信濃国の一部に位置する松代。1966年の合併前は、人口21,451人というから、明治維新以後、この地の勢力図が大きく変わったのだろうと想像される。

それはともかく、松代城。戦国時代に憎き謙信を打つために何度も攻め入ったこの地において、武田信玄によって築城された平城。現在は石垣が残るのみという風景だが、周囲に広がる北信州の風景。続く平地の向こうにそびえるアルプスの山々の姿を背景に、水平に積み上げられた石垣の人工性は、中心が失われた今でもある種の美しさをかもし出す。

背後に控える千曲川の流れが長い年月をかけて作り出してきたこの信濃の風景。その風景の中に新しい人工の水平線を挿入する、とても心地の良い風景を見ることができる。
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所在地  長野県長野市松代町松代殿町
城郭構造   輪郭式平城
別名  海津城
築城主 武田信玄
築城   1560
機能   城郭
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川中島の戦い(八幡原史跡公園) 1561 ★

日本の歴史で「○○の戦い」と言われて頭に浮かぶのは何だろう?

まずは、関が原の戦い。これはメジャー級。
その次に来るのは、桶狭間の戦い。これも相当有名。
では、その次は?

と考えると、恐らくかなり有力候補に挙がってくると思われるのが、この「川中島の戦い」。

5回にもわたってしつこく繰り返された武田信玄と上杉謙信のライバル争い。その中でも一番激しく、何度も小説などで描かれるのがこの八幡原での戦い。闘将・山本勘助も戦死したこの戦いでは、この地に武田信玄が陣を構えたことでも有名である。

朝から糸魚川、戸隠と回ったが思いのほか早く回れてしまったので、本来は長野市内を少しだけ回って最終で東京に・・・と企てていたが、予定を変えて、信玄と謙信ゆかりの地を巡ることにしようと足を運んだこの川中島の戦い跡地。

今は心地よい公園として整備され、周囲の環境によく溶け込んでいる様子であった。