2020年5月28日木曜日

「代表的日本人」 内村鑑三 1894 ★ ★ ★ ★

1894年に始まる日清戦争に向かっていく日本のことを何とか世界に正しく理解してもらおうと意図し英語にて日本人とは何かを書いた「Representative Men of Japan /代表的日本人」が出版され、それを日本語としてまとめたのがこの一冊。

日本を理解してもらおうと思った時に、自分がこの人こそはと思う5人を紹介し、その生き様や信念を通して、日本を感じてもらおうとするこの心意気もさる事ながら、33歳の若さですでに自分の中に確固たる日本の像を持ち、それを体現する人を長い歴史の中から5人明確に選ぶという姿勢にただただ圧倒される。そして自分なら誰を5人として選ぶだろうか。歴史上の人を選べるほど、その人を深く知り、理解しているだろうかと思い悩む。

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮

共通点を見出すのは難しいが、何人かは強い思想を持った師に若い時期に出会い、影響を受け、自らの進む道を確立し、その後はその信念に添いながら行動を続けていく。そのブレない姿が一番の共通項なのではと思いながら、自分にとっての代表的日本人を考えると共に、自分にとっての師が誰だったのか、そして自分が信じる道とはどんなもので、これからどう進むのか、そんなことを考える時間をくれる一冊であろう。

2020年5月25日月曜日

「螢川・泥の河」 宮本輝 1978 ★★★★


家の近くに流れる川沿いを夕方になると走っていると、川の表面が日によって微妙に違う表情を見せることに気が付く。昨日は清んで日を反射していたのに、今日は淀んでいるなと。

そんなことを思いながらのそのそと走っていると、突然「バシャッ」と大きな音がして、目を向けると大きな波紋が広がっていく。川の主のような顔をして、普段はゆっくりと大きな灰色の身体をうねらせながら、水面近くを行き来するあの鯉が、水面近くを飛ぶ昆虫に飛びつき、びっくりするような跳躍力を発揮したところだろう。

波紋が落ち着いてくると、悠々と身体をうねらすあの鯉の姿も捉えられ、これこそ泥の河の「お化け鯉」だなと思いながら、重い足をなんとか前に進める。

宮本輝の名前はよく聞くので、読んで気になっていたけど、久々に手に取り、じっくりと考えるとやはり読んでないようであり、せっかくの機会だからと読んでみたが、流石作家デビュー作で、太宰治賞も受賞した「泥の河」。そして翌年に芥川賞を受賞した「蛍川」。後の「道頓堀川」と併せて、川三部作と呼ばれているらしいが、どちらもとても素晴らしく、読み応えのある作品であった。

夜のポンポン船の上で、サワガニに油を飲ませて火をつけ、カニが水面に落ちていく姿を眺める様子や、やっと辿り着いた蛍の繁殖地で目にした、雪が巻き上がるような蛍の嵐の様子は、鮮やかな色で目の前に広がるようななんとも不思議な体験を呼び起こす描写は圧巻。

どちらの作品にも漂う背徳感やエロス。そして子供の中で育成される、ドロドロとした社会への眼差し。

「鬱金色のさざめきが川面で煌めいていた」という言葉など、生々しい主題にも関わらず、全体的に品を感じさせるのは、作家が過ごしてきた時間の濃度がさせるのだろうかと思いながら、川の近くに住んでみるのもまた悪くないだろうなと思いながら、三部作の残りの一冊である道頓堀川を楽しみにする。

2020年5月18日月曜日

「江戸と江戸城」内藤昌 2013 ★★★


人生の中で一番自分にとって「都市」とは何かを考える対象となると、やはり自らが生活をし、関わってきた場所になる。そうなると必然的にその数も限られてくるが、その中でも最も影響を受けて、かつ自分にとっての都市のイメージをつくっているのはやはり東京であろう。自分の中で都市とは何かを考える上で、それは同時に東京とは何かを考えるとこから始め、そしてその地層の深いところで東京を形どっている江戸を考えることであるということで手にした一冊。

あまりに大きすぎて、その中に自分の生活に関係する場所が島としてプカプカ漂っているような捉えどころんないような都市・東京。新宿、池袋、渋谷、六本木、上野など、各拠点駅周辺がそれだけで一つの都市のような規模を持ち、それを抱え込む東京となると、イメージもつかめない巨大な都市。

更にスプロールし、隣接する神奈川や埼玉、千葉などと境目なくダラダラと伸びるアメーバのような、全体像を見せてくれない、そんな印象を与える東京であるが、やはり世界のどの都市とも違った独特のリズムや雰囲気を持っているのもまた事実。

その東京の魅力、東京を東京という都市にしている要素は一体何か?それを考える為に、アースダイバーとは言わないが、都市としての東京の祖先にあたる江戸にフォーカスし、どう江戸が都市として開発され、整備されていったのか?そしてその中でどの部分が現代に繋がっているのかをじっくりと研究し、まとめた江戸・東京に関する一冊。

京都を中心とした江戸以前。機内周辺に設けられた関所のうち、美濃国の不破関、伊勢国の鈴鹿関、越前国の愛発関を総称し三関(さんげん)と呼ばれ、その東に位置するから関の東、「関東」と総称されていたというから、今から考えたら酷くざっくりした認識であった。

江戸湾に流れ込む川によって形作られた大地と谷の繰り返す地形に、中世都市の江戸を作ったのが太田道灌。その道灌の江戸の地政学的な将来性を見抜き、1590年に不利な条件と思われた関東移封を受け入れ1590年8月1日、陰暦の朔日、つまり八朔の吉日に江戸城に家康が入城したところから江戸の未来が東京へと道が繋がり始める。

徳川幕府を開設し、世の中が安定するとともに、諸大名の妻子が江戸住まいをすることと、参勤交代、その二つが全国の諸大名が広大な屋敷を江戸に構え、それに伴い家臣達も江戸に居を構え、その需要を満たすために多くの商人や職人も江戸に移住をしたことで、江戸が都市へと変貌していく。

そして1657年の明暦の大火 (めいれきのたいか)。江戸の6割を焼いたこの火災により、大々的な都市改造、都市開発が始まっていく。それは江戸城周辺に火除け地を設ける為に御三家や大名屋敷を転出させ、同時に寺社地も場所を移すことで、都市の構造を作っていく。

その後半世紀経った7代将軍吉宗時代の享保の改革において、更に瓦屋根や外壁全体を漆喰で塗り、木造の柱などを覆ってしまう 塗屋造などの耐火建築の一般化が行われ、都市全体が火災に対して強化されていく。

京都に習い、鬼門と裏鬼門に重要な寺院である寛永寺と増上寺を配し、徐々にスプロールする都市の範囲を朱引で江戸内外を確定させ、人返しで人口抑制をしたなどとみると、都市を運営する方法は違えと、根本的な問題点は今もあまり変わらないのだと分かる。

江戸城を中心に張り巡らされた水路と、放射状に延びる街道、その交差点に配された各門と計画的に配された寺社。それらによって描かれる右渦巻状の都市構造。それが江戸の骨格となり、それは今も変わることなく、東京の骨格として引き継がれる。

こうしてみると今の東京のあちこちが、少しだけであるが、うっすらとその全貌を見せてくれているような気がする。この右渦巻状の骨格に対し、次は明治の都市開発がどのような変化をつけて、その後の大正・昭和へとつながり、その後の平成・令和においてさらに東京がどのような都市へと変貌したのか、じっくりと観ていくことにする。
三関(さんげん) 

台地と谷地

2020年5月17日日曜日

「後世への最大遺物・デンマルク国の話」内村鑑三 1894 ★★★★★



「100分 de 名著」で内村鑑三の「代表的日本人」を観ていた時に姉妹本として紹介されていた一冊。それ以来気になって、ブックオフに行くたびに探していたがついに見つけた。

題名にあるように、二編収められており、「後世への最大遺物」は内村が33歳の時の明治27年の夏、箱根で開催されたキリスト教夏季学校での講和として話された内容をまとめたもの。

1894年に始まる日清戦争に向かっていく日本のことを何とか世界に正しく理解してもらおうと意図し英語にて日本人とは何かを書いた 「Representative Men of Japan /代表的日本人」が出版されたのは同じく1894年。

1904年から始まる日露戦争前に同じように英語にて日本とは、日本人とはを世界に紹介しようとして刊行された岡倉天心の「The Book of Tea/茶の本」が1906年に、そして新渡戸稲造の「Bushido: The Soul of japan/武士道」が1900年に刊行されているのが、その先駆けと言える明治期の著書である「代表的日本人」であるが、英語で著述する内村の語学力の高さと、そのタイミングで日本の本心を世界に紹介しなければいけないと察する、国際感覚の強さには驚くが、更に驚くことは1861年生まれの内村は 「代表的日本人」を書きあげた際にはまだ33歳という若さ。

そしてその33歳の夏に行ったのがこの「後世への最大遺物」の講和であり、時期的に必然的に 「代表的日本人」 の内容とリンクするという訳である。 一方は世界に向けて、日本とは、日本人とは何かを伝えるもので、もう一方はこの世界に生きる上で、どんなものを後世に残すべきかと人間としての問題を考えるもの。

本書の中で内村は、

「私は今より30年生きようとは思いません。しかし、この書は30年あるいはそれ以上生き残ることもあるでしょう」

と語る。そしてこれが語られた1894年から100年以上の時を経て、自分もまたこの書を読み、いろいろなことを考えさせられている。内村の言葉の通りになっている訳であり、この書がこうして生き残っている訳である。

後世に残す最大遺産として彼があげるのが、金、事業、思想。その中でも思想については、著述をするか、学生を教えることだとし、いくら高名な学者であっても、それがイコールで人に教えることができるとは限らず、学問と教えることの違いを指摘する。

そして自分には金を稼ぐ才能もなく、金を使う事業を起こす才能もなく、文学をすることも、誰かに教えることもできない人間はどうしたらいいかというと、最後の勇ましい高尚な生涯を残すべきと希望を残す。

文中で引用される天文学者ハーシャルの言葉「死ぬときには生まれた時よりも世の中を少し良くして往こう」。この言葉のように、後の世に、何か自分で残して世を去りたいと思い、考えること。

小さなころに感銘を受けたという頼山陽の詩など、それぞれの注釈を読んでいくと、33歳の内村がどれだけ深い知識を持ち、自分の中でじっくり消化しているかが良くわかる。

この本を書いた時の内村の年齢を遥に超えてはいるが、それでもこの本を読めたことはとてもこれからの生き方に意味を与えてくれる一冊になるだろうと思いつつ、二宮金次郎に負けないくらい、勇ましく生きていこうと100年前から元気をもらって気がしてページを閉じる。

「くっすん大黒」 町田康 1997 ★★★


町田康と辻仁成。どうもこの二人のイメージがいつまでたってもごっちゃになってしまう。

バンドをやっていることや、作家として活動していること、そして同じ年に 芥川賞の候補に挙がり、受賞時期は違えど二人とも芥川賞作家となったことも。これだけ揃えばごっちゃになるのもしょうがないと諦め、楽しみながら読めそうだと手に取った町田康のデビュー作。読み始めると、ダメ男だけども、どこか人の好さと正直さで、なんとも憎めないアラサー男の周囲で起こるドタバタ劇が何とも愛嬌があって、楽しみながらページを捲る。

「くっすん大黒」では、突然毎日ダラダラして生活したいなと思い仕事を辞めてしまい、言葉通り毎日酒を飲んではダラダラと生活する男が、安物の大黒様の人形が気に食わず、捨てようと思うが、捨て場所やそのシチュエーションに拘りながら、街をさまよう。

「河原のアパラ」ではレジに並ぶ時はフォーク並びをするべきと拘りの強めの男が、癖の強い女性と一緒に働くうどん屋で問題が発生し、転がり混んだ居候先で紹介される遺骨搬送の仕事を一緒に手伝うことになる。

共通してるのは、アラサーと思われる少々拘りの強い男が、少し年下であるが、ちょっと抜けていながら一緒に何かを共有して楽しめる連れがいること。

「くっすん大黒」 の菊池と夜の浜辺ではしゃいでいる様子は、なんだか時間を持て余した大学生感満載で、なんとも微笑ましい。

「河原のアパラ」の淀川とすったもんだの末にたどり着く歓楽街を経て、河原に座ってボッーとしている姿などは、楽しいことも無茶も一緒に共有してくれる連れが何人かいれば、人生はそれほど思い悩むことなく進めるものなんだと、そんな気分にしてくれる若々しい一冊であろう。

2020年5月11日月曜日

「ツァラトゥストラはこう言った」ニーチェ 1885 ★★


20代の時には「読んでおかねければいけないのでは・・・」と思い手にとりあっさり挫折し、30代に本棚にある背表紙を見て、「そろそろ読めるようになったかな・・・」と思うがやはりてんで分からず本棚に戻し、40を超えて「再チャレンジ」と自らを鼓舞して手に取るが、やはり分からないのは相変わらずであるが、「まぁそんなもんだろう」と思えるくらいに歳を重ねたのも手伝って、流し読みながら最後まで読んでみた一冊。

というのも、どこかで「自分の価値観を貫いて成功したものに対し、それができないルサンチマンを抱えた大衆は徳という価値観を作り出し、それで自らを慰めているだけだ」というような本の解説を目にし、これはまさに今の自分に必要なだと思うことで読みきることができた。

何度読んでも空で発音できない「ツァラトゥストラ」は確かムハマンドか誰か宗教者のことをさしているはずで・・・という曖昧な情報を妻に説明するが、調べるとゾロアスター教の開祖のザラスシュトラでそれをドイツ語読みにするとツァラトゥストラとなるとのこと。それは発音できない訳だと納得。

産業革命によってもたらされた新しい社会においては、今までのように宗教が社会の指針として働くことが弱くなり、より個人が何を持って生きていくのか、何を信じ毎日を過ごすのかを考えていかなければいけないという背景から「神は死んだ」という言葉を生んだニーチェが、その生涯の思索をまとめたと言われる一冊。

山にこもり、思索を繰り返し、溢れ出る考えを太陽のように人々に分け与えたいと山を下りるツァラトゥストラが様々な人々に出会い、議論とやりとりの中で複雑な比喩の中でその考え方を表明していくのだが、なぜもう少し直接的に語らないのかと思うほどに複雑な言い回しは、やはり翻訳という理由もあるのだろうが、哲学というものはそういうものなのだろうと思いつつ、文脈がなかなか繋がらない文をなんとか進めることになる。

「神は死んだ」「ルサンチマン」「おしまいの人間」「超人」「永遠回帰」

分かったような分からないような気持ちで解説を読むと、「うーん、なるほど、そういうことか・・・」と思ってしまうから、やはりこのような哲学書を読むにはまだまだ基盤が足りないということか。

結局、今を生きていく上で、どのようにルサンチマンを克服できるのかを求めて手にしたが、どの時代でも、そしてニーチェのような思索の人でも、人は同じようなことで日々を悩み、苦しみながらも、それでもやはり生きていくのだということ。そして20代と30代の自分に、なんとかリベンジは果たしたと心の中で伝えながら、そっと本棚に戻しておく。

2020年4月25日土曜日

「初恋温泉」吉田修一 2006 ★★


もう何年も、読むことを楽しみながらページを捲るというよりも、年齢と共にこれくらいの本は読んでおかなければいけない、メディアで取り扱われている話題の本は読んでおかなければいけない、というなんとも言えない思いに押され、内容よりも読んだということを追いかけるなかで、かつてワクワクしながらページを捲っていた子供時代の読書の楽しさをまるで失ってしまった気分に苛まれ、なんとかあの時に気持ちを取り返せるかと実家で片付けをしている中で見つけた本が詰め込まれた段ボールの中から見つけ出した一冊。

一時期随分気に入って読み漁っていた作家の作品で、納められている5編の物語は、それぞれ年齢も置かれた状況も異なる5組のカップルがそれぞれ違った場所の温泉地の温泉宿を訪れる様子を描いているため、一日一篇と決めて読みすすめる。

初恋温泉が熱海の「蓬菜」
白雪温泉が青森の「青荷温泉」
ためらいの湯が京都の「祇園 畑中 」
風来温泉が那須の「二期倶楽部」
純情温泉が黒川の「南城苑」

レストランで成功した経営者夫妻が訪れる旅館では、温泉に浸かっていると入っている他の宿泊客の「こういう高級旅館というものはね・・・」というセリフに感じられるように、高級旅館から鄙びた温泉宿、お忍びで訪れるような宿から有名温泉街の心地よい宿まで、登場人物が人生の中で如何にもチョイスしそうな宿がうまいことマッチングされている。

温泉と旅館。

日本人なら誰もが想像できる、特別な時間とくつろぎの非日常。

そんな中でも雪深い青森の風景で、一瞬音が消えたような錯覚から始まる「白雪温泉」はとても印象深い内容で、音なく降り注ぐ雪のように、少しだけ読む楽しみが手の中にまた戻ってきたような感触をもってページを閉じる。

2020年4月23日木曜日

春の雪景色


実家での仮住まいの時間が長くなり、かつての自らの子供部屋がリモートワークのオフィスとなるなか、本棚に置かれっぱなしの小説の背表紙を眺めると、読書に没頭していた時期を思い出す。

そんな気持ちを取り戻すべく、読んでない本を探して一時期随分読み漁った吉田修一の「初恋温泉」を見つけ出す。恐らく読んでなかったはずと、一日一篇読み始める。

それぞれの篇には具体的な温泉と旅館名が書かれており、そこを訪れるカップルの話が納められているのだが、 青森の青荷温泉を舞台とした「白雪温泉」では、空港を出た際に感じる違和感が、雪景色に覆われた風景で音がなくなったような感覚から来るのだと始まり、雪深い宿に訪れた夫婦の一夜の物語が書かれている。

その話が印象深く、夜に妻に語って聞かせた次の朝、日課となった庭木の片付けを終えて市のクリーンセンターに向かう途中、前の車が少し不安定な運転をしているのに気が付く。「危ないな・・・」と思ってみていると、どうやら高齢の女性ドライバー。しかも、目的地が同じ様である。「なんとかかわして先につきたいな・・・」と思いつつも結局前後関係は変わらず到着。

最初の計量に際して、係の人から「何を持ってきたぁ?」と聞かれて、「ちょっと見せてくれる?」と通常のやり取りが行われているのを後ろから何気なしに眺めていると、運転席から降りてきたマスク姿のおばあさんが、トランクを開けて指を折りながら数を数えている。「ここは不燃は取れないよ。可燃しかダメだよ」という係の人の言葉に、窓口に向かうおばあさん。

「ここは不燃がダメなのを知らない人が多いからなぁ」と思いつつ眺めていると、どうやらうまくやり取りが進まない様子で、係の人が「あぁ、耳が聞こえないのかね」と。

昨晩の小説が頭の中で甦り、携帯をもって車を降りて駆けつける。携帯に「不燃」と打ちこみ、おばあさんに見せて、腕でバツを作って伝える。それでもうまく伝わらない様子なので、係の人が「中央センターなら全部取ってくれるから」と言うように、中央クリーンセンターを地図で表示して、「可燃と不燃」とタイプしてマルを作って見せると、どうやら分かった様子でトランクを閉めようとする。

大丈夫かな?と思いつつ、「市民病院の近く」と再度打ちこみ画面を見せると、ポンポンと腕を叩いて、マスクの上からでもそれと分かる笑顔でにっこりとうなずく姿からは「大丈夫だよ。ありがとう」と言ってくれているのが伝わってくる。

植木を出し終え、家に向かいながら、こんな状況でも力強く新緑に覆われ始める春の風景を眺めながら、昨晩白雪温泉」を読んで妻に話していなければ、恐らく気が付くことがなかったであろうことが、意味のある景色として見えたことに感謝しつつ、音がすべて吸収されてしまう雪景色のような世界でも、あんなに温かい笑顔と感謝があることに思いを寄せて、ごみを出しに来たのに、それ以上に大きなものをいただいた気がせずにいられない。