現在の愛知県が尾張と三河に分けられるように、岐阜県も同様に旧国としては美濃と飛騨に分けられる。そしてその両国ともに、東山道(とうさんどう)という都から東北まで日本の中心を通る道に属する国である。
濃尾平野はこの美濃国(みののくに)から尾張国まで広がることから、それぞれの一文字をとってつけられてというが、この濃尾平野を作り出した木曽三川(木曾川・長良川・揖斐川)がこの地域の特性を作り出したのは間違いない。
濃州(じょうしゅう、のうしゅう)とも呼ばれるこの美濃国は、都から「近い海」である近江で琵琶湖を経由し、この美濃を通って飛騨か信濃へと渡りそして上野と下野を通り武蔵を経由して陸奥へと東北へと続く東山道の入り口でもある。海にひらけた東海道とは打って変わり、山と密接に関わってきた道である。
その山岳地域性もあり、明治になった後に鉄道網を基礎として新しい国家の形成が始まったときに、東京・名古屋・大阪という沿岸部の都市間ネットワークの重要性が増すのと同時に、徐々にこの東山道における横のつながりは廃れていくことになる。
歴史の中では何といっても斎藤道三がその娘婿である織田信長に美濃国を全国制覇への足がかりとして与えることによって、一気に戦国時代が加速した舞台となった場所でもある。
一宮は南宮大社であり、現在の都市分布から見てもやはり都市部から離れており、中世と近代における中心部がずれた場所であることが見てとれる。
それでも現代の中心として機能する岐阜市は、長良川の豊かな流れに支えながら、文化的にも豊かさを誇り、非常に住むのには適している規模を保っているようである。大垣や郡上八幡といった特色を保った都市も周辺に位置しており、今度地方創生の一つの核になっていくような気がする地域である。
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