7区をエッフェル塔に向かってあるいていくと、ポッとひらけた場所に出る。ここはナポレオンの墓が奉られているという通称アンヴァリッド(Les Invalides)、正式名をオテル・デ・ザンヴァリッド(L'hôtel des Invalide)という巨大施設の南に長く軸線として設けられた都市公園(Esplanade Jacques Chaban-Delmas)。こういう風景を見ると、「日本にはこういう意味でも都市計画は存在し得なかったんだ」と改めて納得させられてしまう。
西にエッフェル塔、東にモンパルナスタワーと二つの時代を象徴する塔を等距離に戴き、目の前に黄金に輝くドームを冠するのがパリでも有数の歴史建築物であるアンヴァリッド。元々は1671年に傷病兵を看護する施設として計画され、リベラル・ブリュアンの設計により建物が完成する。ナポレオンの棺が納められているドームの真下には、中央に巨大なナポレオンの棺が置かれ、それを取り囲むようにして様々な将軍達の廟が立ちならず。
そのドームの北側、セーヌ川側にはこちらも通称サン=ルイ教会と呼ばれるサン=ルイ・デ・ザンヴァリッド教会(St. Louis des Invalides)が併設しており、こちらはセーヌ川の北側に位置するシャンゼリゼ通りの脇に建つ、1900年のパリ万博万国博覧会のために建てられたグラン・パレ(Grand Palais)からの人の流れをがっしりと受け止める役割を果たしている。
敷地に入る前に、かなりの重装備を施した兵士たちによって安全確認を行われ、恐らく昨年のテロ以前にはここまで厳しくなかったのだろうと、こういうところでも風景が変わってしまったことを感じながら、長く外を歩いていたので相当に冷えてしまった身体を温めるためにドームに駆け込むが、チケットは脇のカフェの隣で買って来いといわれてまたしても寒空の中へと戻される。
パリに住むフランス人が、「パリの色はひたすらグレー。一年の3分の2はこんな雨模様。だから空もグレー。建物の屋根を覆うのはZinc(亜鉛屋根)でまたグレー。そして人々の服装もグレー。そんな街の風景で一つだけあるのが二つの金色。一つはアンヴァリッドでもう一つはフランス学士院。二つの屋根の金色だけがこの街の色さ」というように、このドームの上の金色はまさにパリの風景の彩を加える大きな役割を果たしているようである。
パリ7区
ナポレオンの棺
ナポレオンの棺
聖ルイ教会
栄光の中庭