2010年10月30日土曜日

下田の住宅 物質試行50 鈴木了二 2010 ★★★★



















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所在地 静岡県下田市蓮台寺
設計 鈴木了二
竣工 2010
機能 個人住宅
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秋の始まりを感じながら、伊豆の海岸線を南下したどり着いたのは黒船来航の地・下田。早稲田大学芸術学校で一緒に教鞭をとらせていただいている鈴木了二先生の最新作品、下田の住宅 物質試行50のオープンハウスに呼んでいただき、ワクワクしながら135号線をひたすら下る。

最近、つくづく思うことは、一人の建築家が本当の意味で、全てのことを自分の身体で理解して、設計に反映できる規模の臨界点は個人住宅なのではということである。それぞれのプロジェクトの規模には振り幅があるが、内装、個人住宅、集合住宅、商業施設、オフィス、ホテル、公共施設、都市計画とさまざまなタイポロジーの中、個人で施主の信頼を受け、敷地調査をし、予算のコントロールをしながら、関連法規をクリアしつつも、施主の求める生活を形にし、隈研吾の嘆く「とりあえず、見積もりの取れる図面」にならないように毎日頭を抱え、構造、空調、工務店とのよいチームワークを形成しながらも、コンセント一つに至るまで納まりと素材を理解しながら、それを全て図面化し徹底する作業を行うには、必ずどこかに物理的臨界点が現れてしまう。

「禁断のパンダ」の有名レストランの料理長のように、自分は手を動かさずに全体をコントロールする指揮者としてプロジェクトを監理する能力が、ある規模以上では必ず必要とは頭では理解できるが、図面を見ながら、左手を壁に添えて、ぐるっと図面の中を歩いて、その手に触れる感触が全て図面に現れるような、自分の身体をもって設計を進めるという作業にどうしても後ろ髪を引かれるというのが、誰もがかかえるジレンマであるのはしょうがなく、最適化と効率化が、職能に対する体のよい免罪符にならないように、急いで歩ける規模はやっぱり個人住宅が限度なのかと思わずにいられない。

さて、見せていただいた住宅は、今も一緒に学校で生徒を教える大親友が物件を担当したということもあり、設計過程からいろいろと話を聞かせてもらっており、かなり設計者として自己同一化できる内容でもあったので、非常に楽しみにしていた。

第一印象はその大きさ。周辺は木造二階建ての住宅街に、手前に引きをとってスクッと立ち上がる白の壁面。一瞬なにが建っているのか理解できないのは、その白さだけではなく、これが何か、を理解するスケールの物差しがないが為。人がモノを見るときに、自然と基準となる対象物を脳の中で探し、それを基にして脳の中で自分なりに再構成を行い、安心できる世界を構築するから日常生活を送れるのだが、それが建築の場合は、周辺の建物や、各部屋を示唆する窓の大きさとそれが位置する階の存在。そして階段という身体のスケール。加えて、設備という異物としてのスケール。

通常与えられるそのようなスケールの物差しがまったく与えられない正面ファサード。上部が窪んだまさにホワイトキューブ。「私は個人住宅です」と、頼んでもいないのに、雄弁に喋ってしまうものを剥ぎ取り、一見、何もないように見せるこの潔さの為に費やされた、設計に対する異物を排除する作業と立体的にヴォイドを内部に貫入させ、立体的なコートヤードタイプでプランをまとめた計画。スケールを変えても破綻しないプロポーション。面と開口の関係のみに還元された建築。ひっそりと物を語らぬファサードに迎えられて感じるのは、基準を失った恐怖と不安感。

壁に穿たれた正方形の開口と、地盤面から微妙に持ち上げられることにより、縁側のように境界を作るテラスはそのまま室内へと延長される。玄関という機能は剥ぎ取られ、2000mmから4500mmまで一気に高さを変えるキッチンダイニングにアクセス。その床は、外部テラスのコンクリート板の硬質を受け継ぎ、現場内コンクリートの磨き出しで、内部に膨張材を仕込む為に目地無しの絶対水平へと変換される。この風合いを出すのはかなり大変だったようだが、かなりの綺麗に仕上がっており、そこに触れる壁面との取り合いは、15mmのコーナービートで薄くだが、しっかりと見切られる。

ルイス・バラガンも好んで使うが、低い天井高さより一気に高い天井高さの空間へと放り込まれるときのコントラストによって生まれる解放感でと、同面でつながるテラスによって、一階はかなりの広さを感じる空間で心地よい。一部吊られ、一部天井に埋め込まれた金物にはめられたシームレスのスリムラインで、照明器具から、一本の線へと還元された光と、上部から差し込む自然光によって、白の壁面でも場所によって様々な表情を見せてくれる。

変則二階建てで、コンクリート造や鉄骨造でやる入り組んだ空間構成を、木造のトラスを組み込むことで、壁面に現れる厚みも、通常予想するものよりも、格段と薄く全体のプロポーションをすっきりとまとめている。室内の移動動線は、幅600に押さえられ、これまた不思議なプロポーションを見せるのだが、常に立体的なヴォイドに部分的につながっているために、不思議と窮屈な感じを受けずにすむ。

建築の仕上ラインを家具の側板の仕上げ分凹ませることで、工程における境界線を見せず、抱き込んで、塗装で同一に仕上ることで窓枠の見切りを消し去り、コンセントも壁面同面で、底目地で見切って凸感を無くす徹底した白への還元。壁面に沿わして歩いた手の痕跡が、何重にも浮き上がってきそうな詳細部分。もちろん、テラスのインターホンにもstカバーで面一に押さえらている。北側とテラスに向けられた開口部は、少し壁面から凸して取り付けられ、通常のサッシからはかなり離れたプロポーションを作り出す。

縦にも横にも何度も図面上を歩き回って、指紋をふき取るように消し去られた様々な境界線。指先の感触が変わるたびに、入隅、出隅と身体の方向性を振れるたびに、何度も速度を緩めながら、頭を抱え、消しては描く重ねられる線。これから住まう施主が何年、何十年かけてたどり着くその膨大な移動距離こそが、よい空間の発芽を促すとすっかり納得し、これから自分で歩かなければいけない距離に思いを馳せる。






































































































































































2010年10月11日月曜日

徳雲寺納骨堂 菊竹清訓 1965 ★★★★★
















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徳雲寺納骨堂 菊竹清訓 1965 ★★★★★
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所在地  福岡県久留米市
設計   菊竹清訓
竣工   1965
機能   神社周辺施設
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一昨日のニュースで、大高正人の訃報が伝えられた。70年代に建築界を牽引したメタボリズムの一人で、坂出市人工土地 などの人工地盤で知られる建築家。そのメタボリズムの中心人物であったのが、黒川紀章や菊竹清訓。先日、久留米に行った時にその目的でもあった徳雲寺納骨堂はその菊竹清訓の代表作。

恐らくこのサイズの建築では、世界トップ10に入るほどの傑作だと思うほどの、絶妙なプロポーション。納骨堂というこの世とあの世の見切りの空間であるからこそ、墓空間の中心に水盤を張り、さらにそのから壁柱と梁で大きなキャンティ・レバーとして張り出すことで、緊張感を持った「浮いた空間」を作り出し、そこへ一段づつまた浮かされた階段にてアクセスする。

その階段も微妙であるが、確実に見切られて、床の文化の日本人ならば別の領域に足を踏み入れると意識せずにはいられない。
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今村教会 鉄川与助 1913 ★★★★















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今村教会 鉄川与助 1913 ★★★★
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所在地 福岡県三井郡大刀洗町大字今707
設計 鉄川与助介
竣工 1913
機能 教会
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ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれた街、久留米。

地鎮祭がてらに、施主家族と長崎から連休を利用して熊本まで遊びに来ていた、ロンドン時代の友人家族を引き連れて、秋晴れの高速道路を久飛ばして、久留米に到着し、菊竹作品を見て、キタナミシュランっぽい明星ラーメンで腹ごしらえをしながら、なるほど悪ガキが多そうな街だとなぜか納得し、時代が違えば彼等もそう呼ばれたのか・・・と思いながら、隠れキリシタンが多く住んだという、もう一つの久留米の顔を覗きに市内から北に15Km車を飛ばす。

細い畦道を抜けながら、田園風景の村にポツンと聳える今村教会。

教会内部に入ると、先程迄はしゃぎまわっていた子供達も空気を察し、すっかり大人しくなる。ステンドグラスから差し込む光は、赤・青・緑・黄色と言いながらも日常で見る色との差は一体何だろうかと思いながら、連休最終日にこんな場所にくる人なぞいない中、ひっそりとした内部でしばし100年のキリシタンの時間を感じる。

しゅんしぇい、次はどこ行くと?

と、すっかり定着した呼ばれ方につい笑顔がこぼれる帰り道、収穫の進む田んぼの中にひょっこり顔を出した、ヴァナキュラーな墓地を見つけ車を旋回。無限の変化をする空を切り取り、十字として建築に取り込む手法にぼれぼれする。

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2010年10月8日金曜日

「禁断のパンダ 上・下」 拓未司 宝島社文庫 2009 ★


タイトルと元料理人という作家の略歴に第6回『このミス』大賞受賞と帯がつけば、十分手に取ってみる理由付けはできる。

ミステリー作家が料理を題材に取材を重ねて書いた作品というよりも、ミステリー好きな料理人が溜め込んでいたアイデアを存分にぶつけたという感じの作品。

「アラサーにもなると、女性は出席する結婚式での料理にはかなり厳しい視線を持って出迎える。」

という妻の言葉が頭を過ぎるオープニング。

元料理人ならではの料理の味に対する表現などは、ところどころなるほどと納得させられ、それにパンダが昔は肉食であったということに、禁断の行為が神の怒りに触れて草食にさせられというアイデアが組み合わされって、これはいける!と思ったであろう筆者に「アハッ!」体験が訪れた日が目に浮かびそう。

しかしその武器だけで最後まで緊張感を保つのにはやや厳しかったのか、最後はかなりダレた感がいなめない。