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2019年8月24日土曜日

「線は、僕を描く」砥上裕將 ★★

週末に書の稽古に通うようになった為か、新聞の書評で紹介されていた時に同じ墨の文化として気になっていた一冊。

先日札幌に出張に出かけた際に、せっかくだからと北海道大学のキャンパスの雰囲気を見に行こうと夜の散歩に出かけ、正門前でとても良い雰囲気を出していた古本屋に吸い込まれるようにして立ち寄ったら、ちょうど棚にこの本を見つける。きっと多感な年頃の大学生が買って、売りに出したのだろうと想像しながら、何かの縁だと購入してみる。

心に傷を負い自分の世界に閉じこもっていた大学生が、ひょんなきっかけで出会った水墨画を通し、水墨の世界の大家と呼ばれる先生や同年代の絵師など、様々な人との交流を経て、徐々に水墨画の魅力にとりこまれ、そして周りの世界との関りを取り戻していく物語。


墨を磨り、筆を浸して白紙に描く。どれだけイメージをしても、どうしても思うように書くことは叶わず、次の白紙に向かうことになる。何百年前にも同じように、この文字を悔しい思いをしながら書き続けていた人がいたのだろうと、邪な想像を膨らませると、また文字のバランスを崩してしまい、また白紙を重ねることになる。
そんな墨と筆が与えてくれる書の時間は、詰まるところ、自分自身と向き合う時間なのだと徐々に気づき始めた時に出会う、また別の墨の世界の物語。大学前の古本屋に並んでいたのにふさわしく、とても爽やかな読み心地をもたらしてくれたために、読み終えた後の最初の書の稽古にて、先生に紹介すると、ぜひとも読んでみたいとおっしゃっていただいた。

毎週末、学ぶものとして足を運べる場所があるということ。「日日是好日」 のお茶のお稽古の世界の様に、先生がいて、共に学ぶ人がいる。長い道のりの学びではあるけれど、季節の移ろいを感じながら、去年より少しだけ前に進んだ自分を感じられながら進む人生は、やはり日本人に合っているのだろうと思いながら、今週末に書く文字に思いを馳せる。

砥上裕將 

2017年8月8日火曜日

「さようなら、オレンジ」 岩城けい 2015 ★★★


第29回(2013年)太宰治賞受賞
第150回(2013年下半期)芥川賞候補作 (受賞小山田浩子「穴」)

ということで数年前に随分メディアで紹介されていた一冊。オーストラリア在住の専業主婦である著者の私小説的な物語の様であったが気になって購入し、少しずつ読み進めた一冊をやっと読みきる。

オーストリアの田舎町に住むアフリカからの難民である女性と、夫とともに移住してきた日本人女性を中心に、「母国語ではない言葉で生活が行われる場所で生きるとは」というテーマを主題に淡々と物語りは進んでいく。

恐らく、様々な理由で海外で生活をする日本人は現在世界中に数えられないほどいるだろう。望んでなのか、それともそうでなくとも、自分がその言葉以外で思考し教育を受けてきたことが、言葉という大きな壁のせいで自らのアイデンティティーを揺さぶるような経験は、誰もが必ず通ってくる道であろう。

外国に旅行に行った際に不自由なくやりとりができればいい。
語学留学などで、同じように第三国から来た人々と会話ができればいい。
仕事でやりとりができるくらい喋りたい。

求めるレベルと、そこに達するまでの厳しさは、人によってそれぞれだ。しかし、その言葉の環境で生活していれば、時間とともに上達するというのはまったくの希望的観測で、レベルを上げるためにはどうしても、学習と実践が必要だということも、外に出たすべての人が、どこかでぶち当たる事実。

それが「英語」という、どこの国でも外国語として真っ先に習い、そして成長とともに教育課程の中で触れてきた言語ではなく、それ以外の言語であるならなおさらのこと。

恐らく、オーストラリアに移り住み、20年近い時間をそこで過ごしたという著者は、きっと外国語と母国語、いつになってもネイティブの様には言葉を使いこなせない現実、その国の言葉でその国の人と交流しても、母国語で思考する自分の感情との間で必ず発生するギャップなど、「言葉」に派生する様々な葛藤に丁寧に向き合って生きてきたのだろうと想像する。

村上春樹の「遠い太鼓」や「やがて哀しき外国語」もまた、日本語で育った人々が、海外で生活する上でどこまでいっても付き纏うどうしようもない感情をうまく表現した本であったが、グローバル化を終え、国境を越えて生活することが人類史上かつて無いほど活発に行われる現代。その中でオーストラリア、日本人、アフリカ難民を「言葉」で紡ぎ、人が生きるとはどういうことか、人と交流するために言葉は何を助けるのかを丁寧に描いた一冊ではないかと思う。

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第29回(2013年)太宰治賞受賞
第150回(2013年下半期)芥川賞候補作
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岩城けい

2015年10月12日月曜日

「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」 香山リカ 2014 ★

一時期の盛り上がりはなりを潜め、Facebookに定期的にアクセスしている人は仕事で使っている人か、それとも食べた物や子供の写真などをアップしリア充アピールに余念が無い人たちばかり。

SNSの枝分かれはまるで生物の進化の過程を見るかのように分化を早め、Twitter、Instagram,Facebook,Google+にLineとメジャーどころの面子がほぼ決まりつつあり、Twitterで呟いて、Facebookで「いいね」を押して、そしてInstagramに画像を上げる。なんてことをしている人はよっぽどのスーパーマンか暇人かというところであろう。

このタイトルが多くの人の目を惹きつけるのは、世にあふれるこれらのSNSは自分が望まなくてもどうしても自分の日常に他の人の様子が目に入ってきてしまう。目の前で実在として存在する人間として発せられるのではなく、パソコンのモニターを前に、他の人がどう思うか十分に考えを巡らせた末に自らのイメージのプロモーションとしてアップされる様々な言葉や画像たち。

「他者」の様に、自分は皆よりも賢いんだと覚めた考察を語ってみたり、毎日いろんなところへ出かけては様々な人に囲まれる幸せな日常を語ったりと、それが視界に入るこちらとしては、「身の回りで承認欲求が満たされるなら、わざわざそれをこうしたパブリックな場に向けて発しなくてもいいのに・・・」と誰もが思ってしまう。その気持ち悪さに完全に覆われた現代の社会。

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「つながり」のメディアが生まれれば生まれるほど、他者の気持ちをいっさい慮らず、「私がこういったり行動したりしたら、他の人たちはどう思うか」という想像ができない人たちが増えている

SNS上にはいつも無数の意見、批判、見解などが渦巻いているので、探そうと思えば必ず自分の考えに近いもの、あるいは自分から見て言語道断だと思うものが見つかる。
サイバーカスケード

人間には本質的に多重な感情や欲望があると主張する。地理的・身体的・社会的制約により抑制されていた多重化への欲望が、コンピュータやネットの出現でその分陰を解かれた。ネット上の多重人格者たちは、テクノロジーの力を借りてその欲望を実現した人たちと言うことだ。

「私のことが問題。他の人がどうなろうと、知ったことではない」というウルトラ個人主義

大学生の4割が一日の読書時間ゼロ、平均27分 本は全く読まずに、スマホを一日5,6時間いじっている

「感動した」「いいね!」が感染症の様に広がる社会。文章はどんどん圧縮されて短くなり、さらには言葉ではなく、スタンプや画像でやり取りをする。果たしてSNSでつながることで、コミュニケーションが深まっていると言えるのか?それとも私たちは何かをなくしつつあるのか?
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人は現在の自分を肯定しなければ生きていけない。自らを否定し絶望の中で生きることは相当に辛い作業である。その為にどうにかして、「自分は幸せである」と思い込ませる必要があり、その為には自分の中である基準を設けて幸せを感じる絶対的なものと、それとは別に周囲の人や他人と比べることによって相対的に自分が幸せだと判断すること。

後者にとっては楽しげな写真をアップし、周囲から「いつも充実してていいね」、「毎日楽しそうだね」と言われ、思われることが何よりも自らの幸せを実感させてくれる承認作業となる。

そして薬やお酒と同じように、一度得た承認欲求はより強いものへ、より多くのものへと増加するのみ。「もっと褒めてほしい」、「もっと認めてほしい」と。

人が誰でもその心のうちに秘めていた様々な欲望。それらがネットという世界の出現により、様々なうちに背中を押され、加速され、増殖されていった。100年後くらいには「ネットが出現し、社会インフラとなった30年で、それ以前には見られなかった犯罪や社会現象が何だったのか」ような分析が、しっかりと統計立ててされるのだろうと想像できるくらい、恐らく今までとは全く違った質の欲望が身体の外、社会の中に渦巻きだしているのだろうと思わずにいられない。

そんな時代に自分を見失わずに生きるには、欲望としっかり向き合い、退屈とうまく付き合って日常を生きるしかほかにない。

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■目次
序章 ソーシャルメディアへの違和感
・不思議な「新型うつ」
・「本音を隠さなくなった人たち」のうつ病?
・「つながり」がはらむカン違い
・不自由なツイッター
・東日本大震災とSNS

1章 「SNS疲れ」という新たなストレス
・「スケスケ下着」に「分娩台」なう」
・SNSでぜんそくの発作が! ?
・心のエネルギーの大量消費
・24時間自分をさらけ出し続ける、『トゥルーマン・ショー』の世界
・「出会い系」のサクラは男!
・会えないほど、純愛度数が高まる法則
・出会い系の驚愕のシステム
・増加する「ネタ消費」
・木嶋佳苗に見る「ウソ」と「盛る」の境目

2章 ネットで人はなぜ傷つけあうのか
(1)非抑制性と匿名性という“魔法"
・広島LINE殺人事件
・「社会的手がかり」の伝わりにくさ
・なぜ「ネット世論」は極端に走るのか
・サイバーカスケードでよく起こる二者択一
(2)自分で自分をだます人たち――ネット多重人格の出現とひとり歩き
・「女装の精神科医」の顛末
・大阪の「子ども放置」事件
・ネットのなかの「こうであってほしいもうひとつの現実」
・ブログに書いた内容に、自分でも心あたりがない
・ネットで「悪意」が解放される理由

3章 ネトウヨが生まれる理由
・「ネットde真実」の女性たち
・何をもって「真実」を判断するのか?
・『アンネの日記』破損事件についてのネトウヨの反応
・「陰謀論」の生成プロセス
・陰謀論に陥った家族を救う方法
・「大きな物語」が終わったがゆえの「自分さがし」
・グローバル化と「新型うつ」の関係
・東日本大震災が復活させた「大きな物語」
・安倍総理の頭のなか

4章 SNSとプチ正義感
・「ゆがんだ平等主義」と「いびつな正義感」
・わかりやすく、攻撃しやすいものに向けられる怒り
・正当な抗議とクレーマーの境目
・「過剰な道徳」をめぐるふたつの問題
・他人に対してだけ道徳的な人たち
・ネット空間を逃げ出した「リベラル知識人」たち
・浅田彰氏のSNS論
・ニューアカの旗手たちに「見捨てられる」不安
・ネトウヨ暴走の責任は誰にあるか

5章 ネット・スマホ依存という病
・「ネット依存」が引き起こす事件
・治療が必要な「ネット依存」の基準
・依存を狙う、「餌付け」ビジネスモデル
・依存症治療に効果がある「動機づけ面接」

6章 SNSは日本人をどう変えるか?
・「自分らしさ」の虚しい内実
・「実は自由ではないのに自由に見せる」ことほど疲れる
・JR九州・新幹線CMのどこが「日本的」なのか?
・「感動した」の広がり方は、まるで感染症
・「いいね! 」によって、何が失われていくのか
・文章だけでなく、思考もスカスカになっていく
・「文字なしの画像」の世界
・画像は文字のおかわりになるのか?
・バイトテロ問題――悪事5分拡散の法則
・ネタ作りのために“放火"する
・「画像で自分を伝える」ことの危うさ
・主流になりつつある「一か八か型コミュニケーション」

終章 SNSがつくる「1・2の関係」の世界
・「携帯電話がなかった時代」は文化人類学の研究対象! ?
・小此木氏が予見した「1・5」の関係
・電話してくるのは困った人
・限りなく自分だけの「1・2」の関係へ
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2014年6月2日月曜日

脳の偉大さ

朝、電動スクーターに乗って出勤する。その間にこういうブログに書くような他愛のないことに思いを巡らす。スクーターに乗っている時間はせいぜい10分から15分。それでも頭の中で巡る考えは圧倒的に多くのことが瞬時に展開していく。

同じことは頭の中で考えたことを言葉にして誰かに伝えようとする時にも実感する。自分一人、頭の中で考えていればどんなに複雑なことも、どんなに込み入ったことも、どんなに言葉というメディアに乗せにくいことも、一瞬でしかも同時並行で様々なことがスパークするように頭の中で展開する。

脳の中では一々言葉にしなくてよいので、曖昧な抽象的なイメージを持って考えが展開していく。しかし一度その思考の工程を誰か別の人に伝えるためには、曖昧なイメージからどうしても具体的な言語の力を借りなければいけない。

まずは自分の曖昧なイメージを具体的な言語に対応させる作業に時間がかかり、その時点ですでにかなり失われたしまった意味を何とか補充しようと、様々な言葉を駆使して意味の流れを、つまり文脈を作っていかなければいけない。自分ひとりの脳の中でなら、イメージからイメージへ、最終的な結論すら言葉にすることなくとも、自分で納得できてしまう。

その為に誰かに何かを伝えようとすることは大きなストレスを感じる作業であるのは間違いない。頭の中で考えたことはほんの一瞬の出来事。しかしそれを言葉で説明するには数十分かかってしまう。なんと非効率な作業なのであろうか。

つまりはそれだけ人間の脳というものが、複雑な事象を瞬時に捉えることができる非常に優れたデバイスであるということ。多様な事象を抽象的なイメージでしかも同時にいくつものことを平行して進めながら、ポイントごとにつなぎ合わせて新たなる意味を紡いでいく。

そうして世の中を眺めて見る。他の人を眺めて見ると、まったく違った世界が見えてくる。ぼーっとしているような人でも、ひょっとしたら頭の中でも自分が取りうる行動に対し、数多の可能性を検討し、それぞれにどのような結果が起こるかをシュミレーションし、その結果何もしないことを選択しているのかもしれない。

道端で一日中座っているおばさんも、ひょっとしたらその頭の中では現代社会の問題点に思いを馳せ、その原因と解決法に対し様々な思いを馳せているのかもしれない。その横のおじさんは、この世の始まりに対して終わることない思考を巡らせているのかも知れない。

それは外から見えない。だからこそ、頭の中でどれだけ思考を行っているか、その差はその人の一生として相当に大きな差となって現れてくるだろう。

本当に何も考えずにただただ動物的に日常をお腹が減っただとか、眠くなった、心地がいいなどと欲望に突き動かされて生きている人と、脳の中で様々な思考を巡らせて時間の過ごし方、人生のあり方、自らの生き方、社会の在り方に思いを馳せている人とでは、行動一つとっても大きな違いが現れるに違いない。

そう思いながら、できるだけ能動的にそして効率的に与えられた脳を活用し、思慮深い行動を行いながら少しでも実りの多い人生へとつながるようにしなければと、オフィスに到着してスクーターを駐車しながら思考を一度停止させることにする。

2014年4月13日日曜日

「人間関係力~困った時の33のヒント~」 齋藤孝 ★★ 2008

数ヶ月前の中華新年を前にしたオフィスでの忘年会。そこでスタッフを前にして簡単なスピーチをするのだが、その時に何を題材とするかも悩みの種となるが、それと同時にどうやって締めくくるのかに思いを馳せる。

その時に読んでいたこの本の中のケネディの一節を思い出す。重要なのは明るさを示すこと。明るい未来への見通しを示すことが組織を率いる大きな力になるということ。

そういう風に人生の中のあるシーンにおいて、ふと思い出すことが読書の功績なのだと思う。読み終えてすぐに考え方が変わる訳でもなく、時間の過ごし方や行動に影響が出ることよりも、ふと思い出したフレーズが自らの行動を決定していく。その積み重ねで人生が決まっていく。それを感じさせてくれた一冊である。


まえがきで語られる
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人間を泳ぐことに喩えるなら、人間関係は水である。水が抵抗になる
人間関係は、人生を生きていく上での最大の抵抗力である。私達がストレスを感じる時の多くは、人間関係が絡んでいる。
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はまさに現代社会に生きる全ての人に共通の事項であり、だからこそその抵抗となる人間関係を如何にスムースに泳いでいけるか、そのヒントを過去の偉人の生き方に読み取ろうとする良き導入である。

仕事に対して徹底して効率主義者であったエジソンは効率的な生活リズムが効率的な仕事に繋がる年、「食事の量と、睡眠時間を極力少なくし、血管をまったく圧迫しない衣服を着た」という。「休むことは、錆び付くことだ」という言葉。伝えたいと思う顔が何人も浮かんでくる。

高橋是清の段では、如何に「自分に重きを置くことをしないこと」が仕事の本質に向かわせてくれるかを示す。「元来無一物で世の中に出で来たのだから、いくら貧乏して困ったといっても、以前の境遇に戻ったと思えば辛抱もできよう」と言う言葉こそ、現代の日本の全ての政治家が再度思い起こす言葉であるだろう。

チャップリンの段では「ええ、私に必要なのはチャンスだけです」という彼の言葉が、日常に溢れる「仕事をください」という言葉とどう違うかを示し、準備ができていてなおかつ上昇しようとする勢いを持つことの大切さを示す。

夏目漱石においては、年の離れた奇妙な友情関係を持ち上下関係を「水平関係」に変換した彼の姿勢に、10代20代の若者と、対等に話すことは骨が折れるものではあるが、そこに未熟だけど気概だけはあると見抜いて対等に付き合うことの大切さを説く。

黒澤明の段の「批判は、誰にでも云える。しかし、その批判の上にたって、具体的に改訂して見せることは、並大抵の才能で出来ることではない」という言葉。

ジョン・F・ケネディにおける、大統領に不可欠な資質として6つの能力として人格と判断力、活力、知的好奇心、歴史感覚、未来に対する強力な見通し。将来への明るい見通しと姿勢に人は惹きつけられる。

杜甫の様に10歳以上年上の離れた友人を作ること。親友と呼び合えた2大詩人である李白44歳と杜甫33歳。真面目な杜甫に豪快な李白、年齢が離れているからこそ生まれる刺激。

与謝野晶子では「女は恋をするにも命がけです」とし、「老いることは肉体より先に精神と心情がとが硬化」することとする。精神的に老いない人には、「可塑性」がある。

マキャベリの段では、「私は悪評に弱い」とし「私のように「いい人」と周囲から思われたいと願い続けている人は、やはり組織のトップには立てない。評判ばかり気にする人は、最後は破綻してしまう。」と自らを分析し、「よい人間」が良い国(会社)を作るかといえばそうではないとする。

孔子の段では「我を知るものは其れ天か」という言葉から「自分を見てくれている存在、を作ると、不思議なことに逆境に強くなるのである」とする。その為に家族の存在が大きいのだろうと実感をする。
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こうして幾つか纏め今は言葉として残っているが、またいつかケネディのケースではないが、人生のある場面に置いてふと思い出して行動を決定することがこのメモの中にも隠されているのだろうと期待する。

目次
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まえがき

第一章 ビジネスに効く人間関係力
仕事関係に振り回されてばかりだ - 回答者/宮本武蔵
仕事で悩んでいる部下になんと声をかければいいか - 回答者/エジソン
最近仕事の愚痴が多く、つまらない - 回答者/高橋是清
会社でもっと重要なポジションに就きたい - 回答者/チャップリン
出来の悪い新入社員とは口も利きたくない - 回答者/夏目漱石
出来る年下の部下とどう接すればいいのか - 回答者/劉備玄徳
若手の社員を一人前に育てたい - 回答者/黒澤明
部下の士気が一向に上がらない - 回答者/アレキサンダー大王
心の狭いイヤな上司に当たってしまった - 回答者/三遊亭円朝
もっとリーダーシップを発揮したい - ジョン・F・ケネディ
無責任な上司、無能な部下の板挟みだ - 回答者/孫子
部下からいいアイデアが上がってこない - 回答者/松尾芭蕉
どうすれば部下の信頼が得られるか - 回答者/ナポレオン

第二章 プライベートを円滑にする人間関係力
出会いが少なく、仲間もいない - 回答者/寺山修司
なぜあの人は不機嫌なんだろう - 回答者/モーツァルト
「人の話を聞かない」といわれる - 回答者/宮本常一
人生に刺激を与えてくれる友人を得体 - 回答者/杜甫
キレやすい自分を持て余している - 回答者/新渡戸稲造
誰も本当の自分を見てくれていない - 回答者/マーク・トウェイン
子どもをどう教育すればいいか - 回答者/勝小吉
あんな女とは結婚しなければよかった - 回答者/サルバドール・ダリ
夫婦間の危機にうろたえている - 回答者/与謝野晶子
世間の評判が気になって仕方がない - 回答者/マキャベリ

第三章 他人に頼らない人間関係力
女性にモテるにはどうしたらいいか - 回答者/坂口安吾
逆境に経ち、途方に暮れている - 回答者/孔子
仕事関係者とプライベートまでつきあいたくない - 回答者/渥美清
すべてがうまく行かず何もかもイヤになった - 回答者/種田山頭火
他人から尊敬されたい - 回答者/モハメド・アリ
人から「存在感が薄い」とよく言われる - 回答者/一休宗純
マンネリ感を脱したい - 回答者/ヒッチコック
他人の中で自分を見失ってしまった - 回答者/道元
友情と保身、どっちを取るべきか - 回答者/司馬遷
人間関係にほとほと疲れ果てた - 回答者/釈迦

あとがき
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2014年3月28日金曜日

プロフェッショナルの言葉

自分は何気なく発言した言葉でも、ある専門職についているという理由から、周囲の人に思わぬ影響を与えてしまうことがある。本人は軽い冗談で発したことが、受け取る側にとってみればかなり重い意味を持って心に残ってしまうことがある。

例えば医者をしている人間が、肩の痛みに悩む友人に、症状を聞き、考えられる可能性を説明し、どうすれば改善されるかのアドバイスをする。そんな簡単なことだが、原因と対策がはっきりとした友人にとっては日常を覆っていた靄を振り払ってくれる大きな助けになることだろう。

こうした良い影響を与えるプロフェッショナルの言葉もあれば、当然ながら悪い影響を与えてしまうものもある。

例えば、建築家が友人の家を訪れて、壁などをコンコン叩きながら家を周り、意味深に「なるほど、今はいいけどね・・・」なんて言ったらその家の主人は気になってたまらない。それでも、「いや、気にしないで」と返された日にはその後数日はかなりのストレスのもとで生活することになる。

問題があるのかどうか、何が問題なのか、その問題はどれくらいの大きさなのか。専門外の人であればあるほど、専門家の言葉の意味は大きくなってしまうものである。

そのことをしっかりと理解して日常を過ごすこともプロフェッショナルとしての責任であろう。

2014年3月19日水曜日

「コミュニケーション力」 齋藤孝 2004 ★★★★

建築という極めて「コミュニケーション」が多くの地位を占める職業についていると、日常の中で様々な人と接することになる。その中には、自分の思っていることだけを、バァーーッと話して、あたかもそれが理論的で的を得ていて自分は偉いんだと満足げな表情をしているような人を見かける。そんな時にこの本を手にすると、「なるほど」と何度も頷くことになる。

言葉を介するということは、言語を介するのとはレベルが違う。相手の文化的バックグラウンドや、過ごしている日常で接している人々の教養レベル、ボキャブラリー、文脈力、構成力、全体を捉える能力、どれくらい本を読んでいるか、どれくらい勉強しているか、どれくらい世間に対してアンテナを張っているか、そんなことを判断しながら、その相手との会話に適した内容で、語彙を選び、散らし方を調整しながら会話を進めること。

ある分野の職業的能力が高いからといっても、それはコミュニケーション能力が高いとは一概に言えず、自分の分野に関しては、長い年月をかけてここまで理解できるようになったということをしっかりと認識し、門外漢の人にレベルを落とすことなくわかりやすい言葉で伝えることができつつ、自分の分野以外のことにもある程度の基礎知識を入手する努力はしながらも、それ以上の専門性の高い部分に関しては、想像力と自分の分野で培ったきた経験を駆使して、相手のレベルがその分野でどれくらいのものかを探りつつ、徐々に把握していく。

門外漢の人にあたかも専門性が高いというように装うことは簡単であるが、本当のプロフェッショナルであれば、掘っても掘っても底が見えないくらいの知識の海を感じさせるべきであり、同時に「これだけ勉強している人ならまちがいない」と相手を安心させるべきであろう。

専門分野において、自分の立ち位置と目指すべき高みへの距離感。それをズレることなくしっかりと把握することは、同時に新たに接する人がどんなに違う分野に属していようとも、その人がその分野でどのような立ち位置にいるのか、そしてどのような高みを目指しているのかを図るうえで、大きなズレをもたらさないようにしてくれる。

だからこそ、文化レベルの高い人と話す時には相当な緊張感を感じることになる。自分の無知を知られ、うまく会話を紡げないのではという恐怖。しかし本当に教養レベルの高い人と話すと、うまくダンスをリードしてくれるかのように、会話に適切なフレームを与え、「今、何が会話の焦点か」を明確にして進めてくれる。そして自分でも曖昧にぼんやりと描いていたイメージに対して、うまく言葉を当てはめてイメージを明確化してくれる。そんな会話は非常に心地が良いものである。

会話力のある人、ただ頭がいいだけでなく、相手との会話の中で本人すら思ってもいなかったような新しい意味を与えてくれるような喜びを伴った会話に参加させてくれるような人。誰もがそんな人との会話の時間はとても楽しいものだと理解している。

そういう人は年齢を重ねれば到達できる訳でもなく、やはり人生の中で常に意識を持って会話を重ねていくことでしか辿りつけない。

多くの人と接していればいるほど、そのような会話力のある人というのが如何に貴重な存在かも理解している。そういう人と日常の中で同等の関係を保つためには、自分も相当な努力を積み重ねなければならず、大概はその不一致の為に、学校で先生に授業という立場で授業料を支払い会話を共有させてもらうか、それとも夜の街の様に高いお金を払って会話の時間を買うことになる。

大切なのは、自らの専門性を深めつつ、それ以外の分野の基礎構造を理解する横へのい広がりをもって総合知を獲得しながらも、多種多様の人と会話をしながら楽しみつつも技を磨いていくしかないかと思われる。その為にはなんといっても、人への興味を常に持つことが大切であろう。
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第一章 コミュニケーション力とは
―文脈力という基本―  
コミュニケーションとは意味や感情をやり取りする行為
やりとりする相互性があるからこそコミュニケーションと言える
人間は感情で動くものだ
同時に感情面での信頼関係を培う事のできる人は、仕事がスムーズにいき、ミスもカバーしやすい

/「感情」と「意味」の座標軸
恋人同士という関係においては、意味を常に生産していくような関係が求められているのではなく、感情を確認しあい強固にしていくことが重要なのである。

/ディベート乱用の危険性
本当に求められている能力は、相手の言いたいことを的確に掴む能力である、要約力
クリエイティブな対話 相手を言い負かすだけの議論は、一見はなばなしいようでも生産的ではない
何かの価値を押し通そうとしているというのが実情

/クリエイティブな関係性
新しい意味がお互いの間に生まれる
大切なのは、今ここでこのメンバーで対話をしているからこそ生まれた意味がある。
意味に日付と場所を書き添えることさえできる
目的は、一つでもいいから、具体的なアイデアを出すこと
自分一人では思いつくことのできなかったことを思いつく
触発

/自分と対話し言葉を探す
文章を書くという作業は、自分自身と対話する作業である
言葉にすることによって、感情に形が与えられるのだ
現在流れている会話の流れをひたすらつないでいるだけの会話もある
相手と話している文脈は維持しながらも、自分自身の経験値の深みに降りていく。この二つの作業を同時に行う能力が、対話力である。
相手の経験世界にまで思いを馳せることだ。

/「ていうか」症候群
話題を全く変えてしまうのだ
それまで相手の話していたことと全く関係のないことを話し始める
お互いに言いたいことだけを言う
自分の話したいことを話すほうを皆が選択している
誰でも自分の話をしたいからだ
この癖がついたままで、友達以外の人と話をする状況になると問題が起こる
相手と自分との間にできるはずの文脈を軽視、ないしは無視する。
深まりのなさ、自己中心、話せる相手の範囲の狭さ
自分の身の回りの情報を伝え合うだけでは、コミュニケーション力は向上しない

/文脈力とは何か
文脈を的確に捕まえる力
思考をつなげて織物のように織りなしていく力
文脈力があるかないかが、文章を書く上で最も重要な分かれ目である

/会話で迷子になる
会話における文脈は二つある
一貫性があるかないか
お互いの発言がきちんと絡み合っているかどうか
話の分岐点には、必ず目印がある。それは当然、言葉だ。
戻るべき主流などはなかったという会話を、おしゃべり
「散らす」と「戻る」

/文脈力のレベル
レベルにははっきりとした差がある
素人でもキャッチボールはできる
プロ野球選手同士

/メモをとりながら会話する
会話の最中にメモをする
文字こそは、文明を加速させた一番の要因である

/人間ジュークボックスにならないために
お互いの会話を絡ませることができているかどうか
独りで話している間はまとまな話をすることのできる人の中にも、相手の発言と自分の発言とを絡めて話すことのできない人は意外に多い
すぐに自分の話をし始める
人の話を途中で遮る
人が使った言葉をうまく使いこなすことがない
相手が変わっても同じエピソードを繰り返し話す人がいる
相手の話したいことと絡んでいない

/誰とでも会話の糸口を見つけられるか
話す相手が幅広い
老若男女と接する機会が多い
誰とでもすぐに世間話ができる。これは重要なコミュニケーション力である

/コミュニケーションするからこそ家族
家族においては、生産性よりも、感情が交流することのほうが重要なのである。
コミュニケーションしたいという欲求


第二章 コミュニケーションの基盤
―響く身体、温かい身体―
コミュニケーション、響きあいである
使わなければ、力は落ちていく

/基本原則その4 相槌を打つ
/『浮世風呂』の身体コミュニケーション
それを反復し、技にする。 これが学習の王道である
世阿弥のいう、「離見の見」は、観客側から見える自分の姿を役者が意識するということ
自分を客観視する力
「演劇的身体」
エネルギーは出せば出すほど湧いてくる

/雰囲気の感知力と積極的受動性
空気を感じ取るだけでは不十分だ。感じ取りつつ、方向性を修正していくことが求められる

/沈黙を感じ分ける
不毛な沈黙 充実した沈黙
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番第1楽章
マックス・ピカート つねに第三社が居合わせている 沈黙である。
「沈黙の世界」


第三章 ミュニケーションの技法
―沿いつつずらす―
沿いつつずらす
要約力が武器
自分がそれを再生しなければいけないと思って聞いてはいない
実際にできねば無意味
自分が再生するのだという前提
ほとんどの知識が伝授可能になると考えている
知識の伝授が大きな割合を占めている
人の話を聞いたという証は、その話を再生できるということである

/言い換え力
言い換え力
理解したというレベルと、言い換えることができるレベルは、別である
奥田英朗「空中ブランコ」
精神科医が患者に話を聞きましょうよと言われるのは、読んでいて笑える

/人間理解力
人間理解力のある人は、いろいろなものが見えている。なぜこの人はこういうことを言うのか、なぜこんな言い方をするのか、といったことが分かってくるのだ。

/コミュニケーションは誰とでも可能である
たくさん読まなきゃ、ちゃんとした話はできないんだ
柱は読書によって培われる
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■目次  
第一章 コミュニケーション力とは
―文脈力という基本―  
コミュニケーションとは
/「感情」と「意味」の座標軸
/ディベート乱用の危険性
/クリエイティブな関係性
/インスパイアとインスピレーション
/自分と対話し言葉を探す
/「ていうか」症候群
/文脈力とは何か
/会話で迷子になる
/三色ボールペンのメモ術
/マッピング・コミュニケーション
/人間ジュークボックスにならないために
/誰とでも会話の糸口を見つけられるか
/いきなり本題から入る
/コミュニケーションするからこそ家族
/親子間、きょうだい間での手紙
/和歌のやりとり
/連歌ー座というスタイル
/回しが気で作文をする
/弁証法的な対話
/セックス・コミュニケーション


第二章 コミュニケーションの基盤
―響く身体、温かい身体―
響く身体、響かない身体
/基本原則その1 目を見る
/基本原則その2 微笑む/基本原則その3 頷く
/基本原則その4 相槌を打つ
/『浮世風呂』の身体コミュニケーション
/連座ー自我の溶かし込み
/外国語学習と身体
/ウォーキングの効用
/ハイタッチとスタンディングオベーション
/[fantastic!]と拍手
/体温が伝わる方言
/癖と癖がコミュニケーションする
/練習問題
/演劇的身体でモードチェンジ
/雰囲気の感知力と積極的受動性
/沈黙を感じ分ける


第三章 ミュニケーションの技法
―沿いつつずらす―
沿いつつずらす
/偏愛マップ・コミュニケーション
/要約力と再生方式/言い換え力
/「たとえば」と「つまり」
/会議を運営するコツ
/ブレイン・ストーミングのコツ
/ディスカッションのコツ
/メタ・ディスカッション
/プレゼンテーションのコツ
/コメント力
/質問力
/「ゲーテとの対話」
/相談を持ちかける技
/ズレやギャップをあえて楽しむ
/会話は一対一ではなく多対多
/癖を見切る
/人間理解力
/過去・未来を見通す
/コミュニケーションは誰とでも可能である


あとがき
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2014年3月15日土曜日

会話と話

中国人と結婚し上海郊外の无锡という街に移り住んだ元スタッフが北京に来るのでご飯でもどうだろうと誘ってくる。

あちらでの生活は非常にゆっくりしたもので、朝起きて本を読み、ご飯を作って自分のやりたいプロジェクトについて思いを巡らしパソコンに向かい、夜にはまた静かな環境で本を読むという日常を、「とても禅な時間だ」と表現する、ハーバード出身のインテリゲンチャ。

オフィスをやめてからほぼ一年をかけて世界を巡り、様々な経験をしたのちに、長く付き合っていた彼女を結婚をし、今は彼女の地元の街でほとんど外国人とも触れ合うことなく時間を過ごしているという。

せっかくなので妻もつれて、静かな日本料理屋に連れて行くが、とにかく自分の思っていることや好きな事をどんどん話してくる。今思い描いているプロジェクトや、都市の新しい認識の方法など、次から次へと言葉が出てくる。

そんな様子を見ていると、恐らく今の日常では、こういうことを面と向かって話す相手がいないのだろうと勝手に想像する。そんな彼の言葉を聞きながらも、こちらもあーだこーだといろんなアイデアを出して会話が盛り上がる。門外漢の妻も楽しみながら、あっという間に数時間過ぎてしまう。

これからもう一軒別の友人に会いに行くと颯爽と自転車で去っていく彼を見送り家路につきながら、こうして母国語ではなくても、話している内容を共有し、そのイメージを共有しながら会話ができること。その会話が想像力を掻き立てることができる相手がいることは人生の何よりの財産なのだと思う。

たまに顔を出す集まりなどでは、何とも表面的なことしか話さない。その人の人格の深いところに関わらない話、その人が人生でどんな時間を過ごしてきたか、どんなことを考えて日常を過ごしているか、どんな本を読んでいるのか、そんな本質が入ってこない内容の話が流れていく。

表面的といえばそれまでだが、なんともさらーっと滑っていく言葉ばかり。そんな話は排泄と同じであり、決して何かが違う意味になり返ってきて、それに自分の脳が刺激されるような会話にはなってこない。

そんな言葉の浪費に何の意味があるのだろうかと考えると、それはただの寂しさを紛らわせることなのかと考える。そういう心の弱さに流されず、一人でも自分の世界に向き合い、読書の中で様々な人と会話をし、そしてたまに同じ言葉で会話をする機会を楽しむ彼のような時間の過ごし方は、心の強さを要求する。

少なくてもいいから自分が会話できる友人を持ち、その友人の刺激になるように常に自分も向上をするために、心の弱さに流されず、寂しさを紛らわせるために時間を浪費しないようにと心を引き締めることにする。

2014年3月10日月曜日

「日本人はこれから何を買うのか? 「超おひとりさま社会」の消費と行動」 三浦展 2013 ★

先日、昔からお世話になっており、世界的エンジニリング会社であるArupの役員をやっている友人が北京に来た時に、「軽く飲まないか」と誘われて出て行った席で、「日本はこれから何を売るんだ?SONYは一体何を世界に売るんだ?」と質問された。

そんな会話を思い出しながら読むことにしたこの一冊。「日本人が何を買うのか?」は必然的に日本のマーケットの潮流を決定し、そこに視線を向けた日本の企業の主力商品を決定させる。しかし、それがイコールで海外でも受け入れられるかといったらそれはまた別の話。

その時に迫られる決断。自分の会社の主力マーケットはどこか?日本の市場がそれほどの魅力を持ちうるのか?それはそれぞれの会社の規模と、今後の成長戦略によって決定される。もし、多くの会社が、日本のマーケットに魅力を感じないと判断し、日本のマーケットの需要を顧みないようになったらどうなるか?

それでも必ず、そのマーケットで利益をあげる会社も残るので、必ずある程度の需要と共有のバランスは維持されるのだろうが、そんな二極化の世界での微妙なバランスを感じながら読んでいくことにする。

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第1章 老若男女すべて「おひとりさま」
/2035年、主流派おひとりさま
「おひとりさま」
上野千鶴子「おひとりさまの老後」
「アラフォー」の未婚女性
「負け犬の遠吠え」

/中高年のおひとりさまが増える
増えるのは45歳以上

/東京などの大都市圏で高齢の一人暮らしが増える
/増加する未婚・親元暮らし
/ライフスタイル、消費行動が変わる
一人暮らしが消費の中心となる
親と同居している40代、50代の未婚者が増える
個人化である。孤独化ともいえる。
一人で暮らし、一人でご飯を食べる人
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30代半ば。自分の周りでも当然ながら「おひとりさま」である友人がいる。実家に帰れば、家の近所でも、40代50代で親元暮らしの未婚者は驚くほど多くいる。その上を見れば、一人暮らしの高齢者家庭も数多くあるという。「婚活」などとラッピングされてはいるが、結婚できない、結婚しない人というのは、どの時代でも一定数いたわけで、それが核家族の増加によって高齢者の「おひとりさま」として目に映りやすくなってきた現代。

結局はマーケティングからの視点で現代社会を分析し、今の世の中「何が売れるか?」を代理店やメーカーに指南する立場で書かれている面もあるので、その切り口はある種ドライにも映る。

「おひとりさま」が社会の主流から外れたものでなくなり、社会を構成する大きな勢力となった時に、日本のマーケットはどう変わるのか?そんな問題提起の章である。
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第2章 おひとりさま消費の現状
(3)若年男性(34歳以下)
/かまない、果物を食べない
若い人ほど固形の物を食べるより、液体を飲む傾向が強まっている。これは食生活の下流化傾向ともいえるものである
下流的な若者ほどご飯と味噌汁とおかずと言った一汁三菜的な食事をせず、丼物、ラーメンなど食器が一つで済む食事をする傾向が強い
果物を食べない
皮をむいたりして子供に与えることを面倒くさがるケース
生ゴミも増えるし、片付けも面倒なのであろう。
ジュースなどの飲料を買っておけば、子供が勝手に飲むので親は簡単である。

/間食の主食化、外食・コンビニ依存度は86%
外食・コンビニへの依存度はますます高まっていくだろう

4 若年女性(34歳以下)
/下着から歯科医へ
歯の強制やホワイトニング
下着などの見えないところにお金をかけるより、人から見られる歯の矯正やホワイトニングにお金をかけるようになった
就職、転職、恋愛などにおいて、外見が重要だと考える若者が男女共に増えているためであろう

5 ミドル男性(35-59歳)
/快眠思考
不眠症
仕事のストレス、24時間型の生活、運動不足、パソコン作業から来る疲労
眠りが浅いことで悩む人


老若男女に共通のニーズに答える商品は、巨大なヒット商品になる可能性がある ユニクロ
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マーケティングに説得力を持たせるには、このような統計データを持ち出すしかない訳で、データがあるから正しいのだという流れには少々辟易するが、若年男性で描かれる、「とにかく面倒くさいのが嫌だから、少しでも楽に食事を済ませようとする下流な食生活の指摘は誰でも耳が痛いはずである。「楽」なことが、何よりも上位に来てしまう生活の価値観。これはすでに小さなころからの教育でしか養われないのであろう。

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第3章 おひとりさまは何が欲しいのか
/高齢男性も今後はコンビニ、外食に依存か?
/宅配ビジネスの拡大
/地域に友人を作れるか
地域の中に友人が増えていく可能性は低い
地縁ではなく「知縁」
仕事や趣味などを通じて親しい友人
>若い人でもそう

/オーダーメイド賃貸とセルフリノベーション
入居者と一緒にリノベーションをする時代
DIY住宅
メゾン青樹では住民同士のリビングも

/新しい公共交通が必要
/生涯学習は知的ケア
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ここで想定される高齢者というのは、団塊世代を想定されているわけで、必然的に十分蓄えがあり、なおかつ生活をしていくのに問題のない年金が受給されるために、他のどの世代よりも豊かに、旅行し娯楽を楽しむことができる。しかしこの世代の高齢者はあくまでも特殊な高齢者であり、今後何十年後に高齢者となる世代とは設定が違っていることは頭の中に入れておかなければいけない。

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第4章 コミュニティという商品を買う時代
/買物難民の増加
①宅配サービス(商品を顧客に届ける)
②移動販売(商品を積載した店舗ごと顧客まで移動する)
③店への移動手段の提供
④便利な店舗立地
コンビに 会社帰りの人々が主要な客 比較的駅の近くとか、人通りの多い道沿い

/通信販売か宅配か
セブンイレブンの「コムス」
セブンらくらくお届け便

/買物をサポートする
消費者が商店街で購入した商品を自宅に配達するサービス

/新しい外食が必要
おひとりさまは、宅配弁当やコンビに弁当などと近隣の安い居酒屋を使い分けながら食生活を楽しもうとする

/「コムビニ」が必要 CSVとしてのCVS
「コムビニ」 コミュニティ・コンビニエンス・ストア

/コムビニのイメージ
医療福祉関係
薬剤師
飲食店併設

/シェアハウスを拠点としたサービス
サービスの便利や
家電業界もサービスを売る時代になるはず

/住宅地を都市化する
地域の仕事をシェア

/制約社員が増えると待ちは面白くなる
昼間から町をうろうろする人が増えた
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こういう具体的な提案につなげていけるのはこの著者の素晴らしいところだと毎回思わずにいられない。恐らくこういう社会の現象を分析し、その背景となる問題を見つけ、それに対して社会がどのように変わっていくべきか、その前に社会がどうあるのが今後の日本にとって良いのかを考えることは、かなり広い視点を持たなければいけない。

そしてダメだしだけの理論だけで終わらせずに、具体的なフィードバックとしての提案につなげるためには、何かを作り出さす想像力と専門知識が必要とされる。そしてその立場に一番適切な職業なのは建築家であると思われる。

可能な方法としては、各自治体に地域の現状を把握し、その将来を自分の利益からではなく、純粋に地域社会の視点から考えられる建築家を地域建築家として任命し、5年くらいの期間を与えつつ、歴代の担当者と協議して5年、20年、50年くらいのスパンで、どのような地域社会になることが、この地にとってベストであるかをビジョンとして出していくこと。そして個別の問題を大きな視点を持って解決していくこと。

そういう地域のマスター・アーキテクト制度ができれば、ここで提案されているような、「コムビニ」のようなこと。さまざまな地域で発生している新しいシェア・ハウスなどもより効率的に機能していくのではと想像を膨らませる。

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目次
第1章 老若男女すべて「おひとりさま」
/2035年、主流派おひとりさま
/中高年のおひとりさまが増える
/東京などの大都市圏で高齢の一人暮らしが増える
/50歳以上の未婚・死別・離別が2510万人になる
/増加する未婚・親元暮らし
/ライフスタイル、消費行動が変わる

第2章 おひとりさま消費の現状
/おひとりさまたちの年収
(1)シニア男性(60歳以上)
/若者化する高齢者男性
/食の洋風化・スナック化
/クルマ、美容、スポーツの消費も伸びている
(2)ソニア女性(60歳以上)
/自動車、スポーツ、インターネットなどアクティブ化
/調理食品は少ない
(3)若年男性(34歳以下)
/自動車から自転車へ
/料理は増えたが基本は外食と調理食品
/かまない、果物を食べない
/間食の主食化、外食・コンビニ依存度は86%

・事例1 料理器具の人気
・事例2 男性快眠市場

4 若年女性(34歳以下)
/仕送り、寄付、信仰費が伸びる
/下着から歯科医へ
/晩酌は増加

5 ミドル男性(35-59歳)
/お部屋志向
/快眠思考

6 ミドル女性(35-59歳)
/墓石の準備が始まる
/健康志向
/者よりサービス
/老若男女に共通のニーズに応える
/サービスをワンストップでトータルに提供する必要


第3章 おひとりさまは何が欲しいのか
/おひとりさま社会は生活全体に「ケア」が必要
/高齢男性も今後はコンビニ、外食に依存か?
/女性は職の安全性を求める
/食の安全が町の魅力になる
/宅配ビジネスの拡大
/おふくろの味は不滅
/かかりつけの医者が欲しい
/マッサージも物からサービスへ
/地域に友人を作れるか
/身近な知人同士のちょっとしたお祝い
/おひとりさまも持ち家の時代
/中古住宅リノベーション
/おひとりさまだからこそ、住宅に性能を求める
/オーダーメイド賃貸とセルフリノベーション
/新しい公共交通が必要
/生涯学習は知的ケア
/働き方を変えれば、まだ働ける
/「節約社員」をケアする仕組みが必要
事例3 集合銃多君尾コミュニティ形成支援事業
事例4 血行き密着型百貨店
事例5 団地を建替えずにコミュニティ活性化

第4章 コミュニティという商品を買う時代
/買物難民の増加
/通信販売か宅配か
/買物をサポートする
/一人で食べるのはわびしい
/新しい外食が必要
/「コムビニ」が必要 CSVとしてのCVS
/コムビニのイメージ
/シェアハウスを拠点としたサービス
/住宅地を都市化する
/脱サラリーマン化で地位に活気
/制約社員が増えると待ちは面白くなる
/コミュニティ自体が商品となる
/コミュニティリビング

・事例6 団地の高齢者の買い物サポート
・事例7 副収入付きシェアハウス
・事例8 オーダーメイド賃貸
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2014年1月27日月曜日

「舟を編む」石井裕也 2013 ★★★

恐らく人生で使いこなせる語彙の基礎というのは、そのほとんどが子供時代に決定されてしまうのだろうと想像する。大人になり多くの本を読もうとも、基本的に思考の地盤となる語彙はやはり子供時代にその言葉に接していたかどうかにかかってくる。

自分にも子供ができ、ある程度の年齢になった時に、重厚な一冊の辞書を買い与え、その中に詰まっているものの意味を教え、そしてある時期に集中し、あ行だけだけならあ行だけの語彙を追っかけるだけの時間を与えてあげたいと思わせてくれる一冊。

どんな言葉を発するかは、どれだけ知っている言葉があるかによる訳だから、その元となる土壌は広く、そして深いに越した事は無い。そうして人類の歴史の中で養われた言葉達を収穫していく喜び、そしてそういうことを可能にする大量の時間がある時期が如何に貴重なものかということを教え、その楽しさを共有してあげれば、きっと言葉の豊かな人生を送ってくれる事だろうと想像する。

そんなことを思わせてくれる一作。2012年本屋大賞で第1位に輝いた三浦しをんの同名小説の映画化作品。出版社の辞書編集部で「大渡海(だいとかい)」という膨大な辞書の変遷に携わる人々を描いた物語。

消費の波に浮かんでは消えていく悲しき読み物ではなく、それらの言葉の海のうえを漂っていく舟である辞書を、何十年と言う長いスパンをもって作り上げていく人々の、現代社会の中ではスローモーションに見えるような、一年や四半期で追い詰められない時間の捉え方。

ある意味非常に贅沢な時間でもあるし、それほど長い年月をかけて一つの事に取り組むことは、時間に追い立てられる現代の建築業界の真っ只中で日常を生きている身にとってはなんとも羨ましく思わずにいられない。

松田龍平の熱演も手伝って、これから書店で辞書を前にしたら、その後ろで流れが長い時間に思いを馳せる事になり、開いたページで出合う言葉に様々な空想を広げる事になるのだろうと思う。

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スタッフ
監督 石井裕也
プロデューサー 土井智生
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キャスト
松田龍平 馬締光也
宮崎あおい 林香具矢
オダギリジョー 西岡正志
黒木華 岸辺みどり
渡辺美佐子 タケ
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 松竹、アスミック・エース
上映時間133分
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2014年1月24日金曜日

「斜陽」 太宰治 1947 ★★★


漱石にしても太宰にしても、描くことはその時代時代に目新しい事象ではなく、人間の持つ本質的な感情を描き出すから、何十年経っても決して古びることなく読めるのだと感心する。

まさに戦後と呼べる1947年に書かれた、没落にせよ貴族が残っていた時代の物語。

異なる時代の太宰自身が投影されたという4人の登場人物の設定ということだが、何と言っても冒頭から不思議な雰囲気を醸し出す母のなんとも上品なしぐさに、全てが大衆化に向かう現代には無いものを感じざるを得られない。

貴族という、ある種の下部構造に支えられる階層が社会の中にあることで、それぞれの役割分担が深層心理の中で共有されていた時代。生活の保障の上に成り立つ文化への深い造詣など、生きる事を心配しなくて良い身分ならではの日常だが、社会が変化し、その基盤も変化する変動期において、人々がどうリアクションし、市井の大衆であればあるほど、軽やかにその変化に対応していくのに対して、高貴な人々はそれぞれが新たなる道を見つけられずに没落していく。

まさに一日の終わりに訪れる斜陽の様に。

そして現代の日本に訪れているのも、社会の根本を変えないといけないほどの変化の波。それが外からも内からも沸き起こっているのに対し、大衆は敏感に変化へと向かいつつあるにも関わらず、現代の貴族達はやはり変化を拒み、今を継続しようと躍起になる日々。

そこに訪れるのは同じような斜陽なのか、それとも終わる事の無い夕闇なのかは誰にも分からない。

2013年12月15日日曜日

「世界は分けてもわからない」 福岡伸一 2009 ★★


ハルビンで進めているオペラハウスのプロジェクトの為にもちろんであるが、そこで使う椅子のデザインも進めている。行政のプロジェクトなのでこれらの施行会社の決定プロセスが入札によって行われるのであるが、その為にもまずは椅子のモックアップ。つまりサンプルを作って見て、デザインを確認していく作業を進めている。

そんな中モックアップを作成してくれている椅子会社からある程度出来上がったのでチェックに来て欲しいというので、北京の南に位置する大兴区までチェックしにいくことにする。

中国人のプロジェクト・アーキテクトと担当者、そしてデザインを担当しているイタリア人のスタッフと一緒に車で1時間かかるその会社の工場兼ショールームまで向かうことにする。

そんな訳で車の中で話をする。そのイタリア人スタッフは、イタリア北部のベネチア近郊のヴェローナ出身で、イタリアでも建築学部では屈指の名門であるベネチア大学を卒業し、インターン経てフルタイムへとなり、既に一年ほどオフィスに在籍している。

出身がヴェローナということから、イタリアを代表する現代建築家、カルロ・スカルパの代表作であるカステル・ヴェッキオの話から、『ロミオとジュリエット』の舞台となった街並みなどから始まり、少し下に移動して一時期東ローマ帝国の首都機能が置かれた為に初期キリスト教文化が花開いたラヴェンナのサン・ヴィターレ教会や、少々内陸に移動してテアトロ・オリンピコなどパッラーディオ祭りとなっているヴィチェンツァの街など、ベネト地方を中心とした北部イタリアの話も徐々に中心地ベネチアに収束し、いい加減にどうにかしないといけなくなっているサン・マルコ広場の高潮時の水浸しや同じくスカルパのベネチア大学建築学部の門のデザインなどあれやこれやと話しているとふと思い出す一つのイタリア語の言葉。

「コルティジャーネ」

この本で出てくるイタリア語で、意味は「高級娼婦」。ベネチア共和国が富と権力の中心として栄えた1500年代の中ごろ。貴族に囲われた「コルティジャーネ」達は肉体的だけではなく、文化や学問にも高い知識を得ており、精神的にも肉体的にも特別な刺激を与える存在であったという。

「そんなある時代にのみ許された存在の彼女達の「視線の先」が問題なんだよ。」と話していると、「何の本ですか?」というので、「生物学」と答えると、「interesting」だと言う。確かにそうだろう。何で高級娼婦の視線の話が生物学に繋がるのか?

そんなことを考えているとやはりこの本を手にとらなければ、ここでこうしてイタリア人と「コルティジャーネ」について話す事も無かったと思うと、それもまた生命の神秘と言わずにいられない。

という導入がよく示すように、この著者は前作の「生物と無生物のあいだ」 で日本中にその文才と専門分野の高い知識を知らせると同時に、本当に頭の良い人と言うのはやはり総合知を併せ持つ人であり、どんなに高度な専門分野の内容でも、一般の人が興味を持つように、そしてかつただ単にレベルを落とすのではなく、品を保ちながら読ませることが出来る人。その為には深く正確な理解と、そして専門分野から離れた幅の広い知識と人間的経験が必要だと見事に証明してみせた。

そんな訳で「生命とは自己複製システムを持つこと」から始まり、「内部の内部は外部である」という建築家にとって非常にインスピレーションに溢れた言葉まで与えてくれた前作によって高められた次作への期待度。

ハードブックの専門書を覗けば新書としてこれが次作とよべると思うのだが、さて今度はどんな生命の物語に誘い出してくれるのか、素晴らしいファンタジーの映画でも見るかのようなワクワク感を持ちながらページをめくる。


恐らく作者自身、前作が余りにもうまくいき、自分自身も納得の美しい文章と構成に纏まった手ごたえを感じていたに違いない。だからこそかなり肩に力が入って、次の作品が生まれるのを待っていたに違いない。

そして選ばれた今回の導入は「トリプトファン」。まったく理解できない単語。そしてそれを、「私が好きなものの名称である。五角形と六角形が合わさったその姿が好きだ。」と少々のヒントと共に更に煙に巻いていく。

なかなかいい導入ではないだろうか。とりあえず、訳の分からない言葉で興味を引いておく。専門分野の中から分野外の人に向けての広告塔となるその言葉は、できるだけキャッチーである必要がある。「トリプトファン」。悪くない。「では建築なら何か?」そんなことを考えながらページをめくる。

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昔読んだシャーロック・ホームズの中にこんな話しが合った。ここにあるのは、何らかの暗号だ「英語のアルファベットで一番頻度が高く使われる文字を知っているかい。Eだよ」20種類のアミノ酸には、一文字のアルファベットがあてがわれる。

グルタミン酸はたいていのタンパク質の中に最も多く含まれるアミノ酸である。それはうまみを司る。

では一番頻度が低く使われる文字は?「タンパク質を構成しているアミノ酸で一番頻度が低く使われるものを知っているかい」それがトリプトファン。そしてそのアルファベットは「T」がすでにトレオニンにとられているから「W」
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ふむふむと生物学の本だと言う事を忘れさせる。この辺りの導入は素晴らしいと思わずにいられない。恐らくこういう導入部分を思いついて本を書き出したのでは?と思ってしまうほど。

/視線とは何か
ハーバード大学文化人類学者・テオドル・ベスターという権威を引っ張り出してきて、何を語らせるかと思えば、「築地」で行った魚類の網膜の一層下部にある反射板の調査。つまり光を反射する眼。そしてそれは人間にも同じ事が言えて、それが我々が感じ取る「視線」の正体だと迫っていく。

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/夜空の星はなぜ見える?
大学に入りたての頃、理科系の学生なら必ず読んでおくべき本というものがあった。それは教師が講義中にそういったのかもしれないし、誰かクラスメートが熱心に読んでいるのを見てそう思ったのかもしれない。共通の了解のもとにある書物が何冊かあった。「夜空の星はなぜ見える」田中一

/赤い光の粒子
星を追う人は、ずっと昔、少年の私にこう教えてくれた。夜空に星を探す時は、まっすぐに星を見てはいけない。眼の端で捉える様に。
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建築の世界でも、大学何年生までにはこの本を読んでなければ恥ずかしい。一人前ではない。と刷り込まれていた情報が確かにあり、そのリストを片付けることなくただただ本棚に増えていく専門書を恨めしく思いながら眺めていたあの時代。どの分野でも同じなんだとホッとしながら先を進む。

かなり建築好きだと思われる作者。007でも一作に一つ有名建築が登場するなどという都市伝説があったようななかったようなだが、こちらも前作ではカーン設計のソーク研究所。そして今回はメイヤー設計のゲティ・センター。建築家ならば誰でも知っている有名美術館である。

しかし建築家の視線が捉えるのは、曖昧模糊としたその空間性。斜面を利用して作られた建物に内部に現れる様々な地形とトレースした場所性。しかし作者が捕らえるのは更にスケールを落として辿りつく一枚の絵。

まるでグーグル・アースの様に、やっと視線に目的の絵を捕らえたと思ったら「グーーーー」っとズーム・アウトしてぐるっと地球を回り、再度ズーム・インして見えてくるのがベネチア。その案内人は須賀敦子。見えてくるのはどこを眺めているのか、虚空に投げられた「コルティジャーネ」達の視線。

その間に補助線として「須賀敦子の文章には幾何学的な美がある。本を書くに至るまで彼女がずっと長いときを待っていたという事実」と幾何学と時間を導入してくる。

そして視線によってつながれる二つの絵。線を繋げて気がついたら「環」として完結している。

学生時代にある先生から、「よい建築の条件」について教えられた。それは、「ある場所から建物を入って、中を体験していくと、いつの間にか一周して下の場所に戻ってこれる」それが良い建築の条件だと言う。

良い文章もまさに同じ。自ら引いた伏線が後々見事に閉じられて一つの「環」として成立する。その心地よさ。一つの世界をぐるりと見てきた達成感。しかし、建築でも敷地があり、プログラムがあり、コストがありと、様々な条件の中で行う設計作業の中で、そう毎回毎回うまい事「環」を閉じられるばかりではない。時にまぐれの様に、「ピタッ」と嵌る時があるが、大概はうまくいかずに四苦八苦するばかり。それは文章の世界でも同じようである。

それを物語るように、この時点までは非常に美しい幾何学によって文章が構成され、その構成に使われたマップが見えるかのようである。そして次の章の案内役はその「マップ」。

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おおよそ世の中の人間の性向はマップラバーとマップヘイターに二分類する事ができる。

マップラバー map lover 地図が大好き。俯瞰的に世界を知る事が空きなのだ 
マップヘイター map hater  地図はいらない 私と前後左右 自分との関係性

/ジグゾーパズルをどう作るか
マップラバーは俯瞰的な全体像と局所的な現場を行き来しながら、世界を構築していこうとする。しかしマップヘイターはそうしない。行動のルールが単純。自分の形と合致するかしないか。それだけ。個々のピースは、自分が全体のどの部分に定位しているかを知る必要が無い。つまりマッピングの必要が無い。
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この部分は非常に面白い。というか、マップヘイターと共に生きるマップラバーの苦悩を少しでもマップヘイターに理解してもらいたい。そんな訳でという訳ではないが妻に読ませて、「どう?どう?」と感想を聞いてみながら先を進む。

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ガン細胞
細胞は分化を果たすと一般に分裂をやめるか、その分裂速度を緩める。つまり自分が何者であるかを知り、落ち着くわけである

生命現象に、「部分」と呼べるものは、本当には実在しない。ある部分がある機能を担っているとする考え方は、俯瞰的な視点からの、マップラバーによる見立てにすぎない。

実在しているのはたった一つの受精卵から出発した細胞の連続的なバリエーションだけ
つまりここで存在と呼べるものは、部品という物質そのものではなく、動的な平衡とその効果でしかない
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恐らく、そろそろ本書の「肝」と言える部分に入ってきた雰囲気が出てくる。

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/プラスαの正体
全体は部分の総和以上の何ものかである

ミクロな物質がひとたび組み合わさると動き出す。代謝する。生殖して子孫を増やす。感情や意識が生まれる。思考までする。

生命を生命たらしめるバイタルなもの。それは、「生気」である。
流れ。
エネルギーと情報の流れ。
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これも凄い事実である。心臓、肺、腎臓、肝臓、骨、筋肉。それぞれがそれぞれとして存在していたら何も行わない。しかし一度身体と言う枠組みの中で組み合わされると、それぞれの器官の役割だけでなく、全体として更に様々なことをやりだす。妄想したり勝手な解釈をしたり、悲しんだり、喜んだり。誰も頼んでないのに勝手に行うそれらの生命活動。

オフィスもそう。個人が集まってある知的活動を行うのであるが、時に個の総和以上の働きをすることがある。その時に居合わせることは建築家としてとても心地よいものである。

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/アミノ酸の握手
この10年ほどのあいだに急速に明らかにされた意外な事実がある。細胞は、つくる仕組みよりも、こわす仕組みの方をずっと大切にしており、そのやり方はより精妙で、キャパシティもより大きい。
タンパク質の合成ルートは一通りしか存在しない。しかし、タンパク質を分解するルートは何通りも存在するのである。

/生命現象における秩序
新しい形が生まれるということは、すなわち新しい秩序が生み出されるということで
秩序とは「情報」の同意語
情報をつくりだすには、その対価としてエネルギーが必要となる

/秩序はこわされるのを待っている
トランプ・タワーには秩序とエネルギーが含まれている
秩序は、その中に、構築のための膨大なエネルギーと精妙さを内包している。けれども、ひとたび組み上げられた秩序を壊すためなら、ほんのわずかな揺らぎがありさえばよい。秩序は壊される事を待っているからである。

暖めたコーヒーはまもなく冷える。熱い恋愛ほどなく醒める
乱雑さ=エントロピー増大の法則
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ここらへんは、専門分野へ徐々に話を引っ張っていく導入であろう。繰り返すようであるが、小難しい専門分野の話を門外漢にどうやって分かりやすく、レベルを落とすことなく伝えるか?「ごちそうさん」の「熱伝導」をどう見つけるかという訳である。

そんな訳で妻をよんで、「家が汚れる、すぐにぐちゃぐちゃになる。これは世界の物理法則に沿っているんだ。だから誰が悪いわけではない。自然の法則にしたがっているんだ」とその反応を伺ってみる。

しかし問題なのは、すっかりエントロピーの法則の本質を忘れてしまっているので、「え、どういうこと?」と聞き返されるとすっかり説明できずになってしまう。

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/恐怖の研究室セミナー
君が無能だということ。
無能さに給与を払っている。

/たんぱく質の挙動を調べる「レシピ」
ヒトは常に間違える。忘れる。混乱する。だから、それをしないよう注意をするのではなく、それが起こらないための方法論を考えよ。あるいはミスが起こったときに、その被害が最小限にとどまるような仕組みを考えよ。それが君達の仕事だ。
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建築事務所をやっていると、どうしても能力の違ったスタッフ達と毎日接する事になり、上記のような言葉を思い切って発したいと思う衝動にも駆られることになる。しかし感情で言葉を発するのではなく、論理で理解させられるようにと数秒グッと堪えて説明をする。

恐らく前作のせいで上がった期待値が想像以上に高かった為だろうが、なかなかの導入に比べて後半は不可避の専門分野の内容に終始し、最後の最後で紙を捻ったらうまい事「環」が現れる的な綺麗な終わりとはいかなかった様である。

それでも、作品を作り続ける。専門のことを毎日やり続ける。手を動かし続けることが、昨日よりも今日を前に進めてくれるのだと理解し、自分に出来るのは建築の設計を今日もやり、少しでも美しいものを生み出しながら、同時に言語化する作業を怠らないことだと言い聞かせてページを閉じる事にする。

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目次
プロローグ パドヴァ、2002年6月
/最も希少な必須アミノ酸
/トリプトファンのゆくえ
/脳の中のバリアー
/毒を無毒化する仕事人
/酵素とは何か

第1章 ランゲルハンス島、1869年2月
/視線とは何か
/人間の眼も光る
/夜空の星はなぜ見える?
/赤い光の粒子
/眼の解像力
/パワーズ・オブ・テン
/ランゲルハンスの小さな島
/イームズのトリック

第2章 ヴェネツィア、2002年6月
/世界一ゴージャスな美術館
/石油王J・ポール・ゲティ
/「ラグーンのハンティング」の謎
/ヴェネツィア爛熟の影
/須賀敦子の歩いた道
/高級娼婦の視線の行方
/もともと一つの絵だった

第3章 相模原、2008年6月
/コンビニのサンドイッチはなぜ長持ちするか
/ものがくさるメカニズム
/ミクロな”パックマン”
/ソルビン酸の質
/人体には無害?
/インビトロの実験
/ヒトの細胞で実験してみると
/腸内細菌と人間の共生
/見えないリスク

第4章 ES細胞とガン細胞
/マップラバーとマップヘイター
/ジグゾーパズルをどう作るか
/細胞は互いに「空気」を読んでいる
/自分を探し続ける細胞
/ガン細胞とES細胞は紙一重

第5章 トランス・プランテーション
/境界のこちら側と向こう側
/鼻はどこまでが鼻か
/明確な仕切りはどこに?
/この世界がもつ可能性

第6章 細胞のなかの墓場
/プラスαの正体
/アミノ酸の握手
/生命現象における秩序
/秩序はこわされるのを待っている
/細胞の懸命な自転車操業
/死も誕生も定義次第?

第7章 脳のなかの古い水路
/脳に貼りついた奇妙なバイアス
/モザイク消しの秘密
/空耳・空目
/必死にパターンを見出そうとする
/おせっかいな認識回路
/見たと思ったものはすべて空目

第8章 ニューヨーク州イサカ、1980年1月
/恐怖の研究室セミナー
/流浪の科学者、エフレイム・ラッカー
/細胞のエネルギー代謝
/なぜ細胞はガン化するのか
/忍耐と体力勝負の精製実験

第9章 細胞の指紋を求めて
/たんぱく質の挙動を調べる「レシピ」
/アクリルアミドの高分子化
/ゲルに小さな浅い井戸を掘る
/井戸に細胞サンプルを落とす
/タンパク質を泳がせる
/細胞の指紋を浮かび上がらせる
/卓越した実験者

第10章 スペクターの神業
/なぜスペクターにだけそれができたか
/再構成実験にも成功
/ガン細胞が浪費家なワケ
/細胞レベルの仕事の切り替えスイッチ
/ミクロなくさび
/Pのゆくえを追跡する
/ブレーキとアクセルの平衡関係
/放射性同位体を可視化する

第11章 天空の城に建築学のルールはいらない
/神々の愛でし人
/ガン細胞と正常細胞は何が違うか
/リン酸化の滝
/ガンウイルスの働き
/高らかな勝利宣言
/鳴り響いた警告音
/そこにないはずの放射性同位体の存在

第12章 治すすべのない病
/スペクターはなぜ信用されたか
/たくみな偽装
/証拠不十分、嫌疑不十分
/どこまでが本当でどこからが嘘なのか
/追試実験はなぜ成功したか
/治すすべのない病

エピローグ かすみゆく星座

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2013年10月4日金曜日

「「人間らしさ」の構造」 渡部昇一 1977 ★★


50を過ぎても「若手」と呼ばれる建築の世界においては、30代半ばなんていうのはまだまだ青二才で、少しだけ建築の事がわかってきたところという位置づけ。問題は50歳になった時に自分が求める建築がはっきりしていて、それをある程度自分でコントロールできるようになっているということ。

だということは分かってはいるが、それでも「今」を過ごす中で毎日様々な困難に出くわす事になる。その困難が、建築家として、職能人として、自分の能力が足りないために発生する類のもので、つまりは自分の能力を上げることで解決が図れるものであれば、それはチャレンジとなる。

こういう経験がない。あれを知らない。だから今目の前の事が難しく感じる。

そうであれば、それを知る事が職能の向上であり、次に同じことで困難だと感じなくなる事である。

そこでこの困難を解消しようとするかどうか?
自らの能力不足を克服しようとするかどうか?

それは個人の生き方に依るのだろうが、全うな人間であればまずは前に進むであろう。

では、それをどうやって克服するか?

まずは、自分で考え、書物やネットで色々調べて自分なりの解決法を見つける。
もしくはオフィスのシニアに尋ね、どうやるのかを教えてもらう。
または同業の先輩に教えてもらう。

などなど色々あるが、キャリアのそれぞれのステージでその方法論も変わってくる。しかしこうして困難を克服していき続けることは、職能人としての自信に繋がり、次に困難に出会った時にどう対応するかを教えてくれる。

そしてこの自らの「職能的向上」を感じる事は、まさに「生きがい」を感じる生き方であろう。

しかし。

どれだけ多くの人間が、このようなポジティブな困難を抱えて生きているのだろうかと思わずにいられない。恐らくほとんどの人が日常で向き合う困難の多くは、ほぼこの前向きな職能的向上に繋がる困難ではなく、もっとネガティブで、できることなら出遭うことを避けていきたい類の困難であろうと想像する。

そんなことを思いながら今の自分の日常を振り返る。こんな国で、こんな建築事務所で、こんな設計をやっていれば、日常のほとんどは困難で塗り固められるのは当然。その中の多くは、自分が外国人であること。そこから派生する、状況を全て理解する事ができない事から困難。

たった一人で地方都市に出張し、30人を超えるプロジェクトの関係者達が、各々問題点を話し合い、それぞれが自分にとってよい方向で決定をしようとする時に、設計事務所としてなんとかデザインを守る為に、押し寄せる波にあがらいながらも構築的な意見を出さなければいけない。その困難とストレスたるや・・・

恐らく多くの人が、多かれ少なかれ、小さな棘を心に感じながら日常を生きているのだろうと想像する。小さなコミュニティの醜い僻みからくるいじめや嫌がらせ。人間関係からくるストレス。能力のない上司の指示による効率の悪い仕事。何の挑戦も何の面白みもないルーティーン。自らのエゴを満足させるためだけに、他人を貶める人間達。ただただ保身を考え、楽をして生きることを模索する人々。

そういうネガティブな困難が生活の半分を占めだした時、人は考える。

人間らしく生きるとは一体どういうことか? 
自分はどうやって生きればいいのか? 
それとも考える事を辞めてただただ思考停止で日常を生きるか。


恐ろしいほどに困難の多い生活の中で、それでもまた「職能的向上」につながる困難が50%以上を占める生活をしていると、こうして「生きがい」について考えざるを得なくなる。そんな訳で手にした一冊。

講義を纏めたというだけあって、短く分かりやすく要点が纏められているので、読むとしてもテンポがいい。さくさく読み進められて、妻に向かって「今回はなかなか面白いよ昇一」と声をかけながら読み終えてしまう。

ドングリの生きがいとは転がることではなく、芽を出すことであると言うように、「生きがい」とは自分の「内なる声」に耳を澄ませて、その声に従ってやっていくことで静かな幸福を得ていく事だとする。

そうかそうか、と目を閉じて静かに自らの内なる声を聴こうとするが、聞こえてくるのは

「どんぐりころころ どんぶりこお池にはまって さあ大変・・・」。

どうせ転がるならば良い方に転がっていきたいものだと思わずにいられない。


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目次
1 「生きがい論」との出合い
2 適応(アジャストメント)と不適応(マルアジャストメント)
3 性悪説からの脱出
4 性善説の再建
5 機能快(フンクチオンス・ルスト)
6 成長の条件
7 成長を促すものと抑止するもの
8 苦痛と成長
9 「生きがい」ある人の姿
10 生きがいとしての小恍惚
11 小恍惚を得る道
12 新しい職業観の建設
13 「人間らしさ」の構造
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2013年9月22日日曜日

「中国行きのスロウ・ボート」 村上春樹 1983 ★★

村上春樹の初めての短編集。

そう聞くと、何故だか考えることなく受け取ってしまうが、よくよく考えたら1979年の「風の歌を聴け」発表後に書かれた短編を1983年にまとめて一冊にしたもの。収められているものも一度に書いた訳ではなく、数年の中で書かれたもの。その発表日時は以下の様になっている。

1980 中国行きのスロウ・ボート  (1980年『海』4月号)
1980 貧乏な叔母さんの話 (1980年『新潮』12月号)
1981 ニューヨーク炭鉱の悲劇(1981年『BRUTUS』3月15日号)
1981 カンガルー通信 (1981年『新潮』10月号)
1982 午後の最後の芝生 (1982年『宝島』8月号)
1982 土の中の彼女の小さな犬(1982年『すばる』11月号)
1982 シドニーのグリーン・ストリート (1982年『海』臨時増刊「子どもの宇宙」12月号)

初期の作品ということは、今までの人生の中で溜まりに溜まった書きたい題材や、さまざま言葉達が不器用な形で流れ出す、その作家の起点とも言えるような時期。

今や押しも押されぬ世界のムラカミ。その物書きの天才でも、最初から凄かった訳ではないだろう。建築家だって長い年月を重ねていく中で、徐々に自分のスタイルが確立していき、何処で何を気をつけるべきか、素材の扱い方やコストの中でのやりくりなど、時間が糧となって味を出してくれる。

もちろん、「さすが処女作からきらりと光るものがある」的な言い方をする人もいるだろうが、ところどころに現われる独特の言い回しには「らしさ」が感じられるが、それでも前半の数編は自分にはあまりピンこない一冊。

そう思いながらある種の我慢を伴って読み進めていくと、後半三作は調子が変わってかなり楽しめる。「あれ?」と思ってその書かれた時期を調べてみると上記の様に、2年ほどの時間に沿いながら書かれてきたことを理解する。恐らく「書く」ことを職業として、今までに溜め込んできた言葉にどう筋をつけてあげるのがいいのか手探りながら徐々に「らしさ」の感覚をつかんでいった時期なのだろうと勝手に想像する。

全体に渡って技法がまだまだ確立されていないので、荒削りだがそのやろうとすることがむき出しのままで露にされている印象。それが良く分かるのが6作目の「土の中の彼女の小さな犬」の構成。

雨で出かけることのできないホテルに一人で滞在
ホテルの誰も使わなくなった図書館でゲームをする謎めいた女
手に意識を落とす女
その手についた匂い
その匂いの元は銀行手帳
その銀行手帳には死んだ犬の匂いがついている
それが一緒に箱に埋められている

物語の中の入れ子構造。そして最後にぐるりと最初に戻ってくる。読者の意識はそれぞれの段階での主題。そこに目が行く為に、本来の主題はすっかり頭の片すみに追いやられる。そしてぐるぐるついて回るってくると、角を曲がったとたんに最初の主題が顔を出す。そんな感覚。

必死に続けるながらかつやっていることをちゃんと分析し続けることで、徐々に自分「らしさ」が見えてくる。その持続と離見の見を持ち続け、どんなにゆっくりでも歩みを止めないこと。それがプロフェッショナルの基礎なのだと改めて理解する一冊。