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2017年4月1日土曜日

宏村(こうそん,ホンツン,Hongcun) 安徽省 ★★★★


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世界遺産
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せっかく安徽省まで来たのだから、この機会にと足を伸ばしたのは宏村(こうそん,ホンツン,Hongcun)。黄山市中心から山道を飛ばすこと1時間、出迎えてくれるのは一面を黄色に染める菜の花畑。その中に浮かぶようにして白い壁にレンガ屋根の美しい集落が見えてくる。これが2000年に付近の西逓村と共に世界遺産に登録された宏村。

この地域の象徴でもある山・黄山。その麓にひっそりと隠れるようにして存在していた小さな集落。隣接する川から引き込まれた水路が集落の端々まで張り巡らされ、その水路が流れ込む二つの大きな水面に投影される美しい村の風景はまさに桃源郷。

周囲の開発の影響を受けることなく、明清代の建物がとても良い状態で保存されており、身体スケールで作られた村に張り巡らされた様々な路地の中では、水路に下りて野菜を洗ったり、洗濯物をしたりと、時空を飛び越えるような不思議な感覚に陥ることになる。

集落の中心に設けられた水盤の周辺には、村の重要な建築物が配置され、逆に集落の南に設けられた幅200mにもなる水面には中央に石橋が設けられ、一日の終わりを告げるように西日が美しい反射光が刻一刻とその表情を変えていく。


























2014年2月5日水曜日

和鋼博物館 宮脇檀 1993 ★★


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所在地  島根県安来市安来町
設計   宮脇檀(みやわきまゆみ) 
竣工   1993
機能   博物館
規模   地上2階
構造   RC造
敷地面積 16,866㎡
建築面積 2,335㎡
延床面積 4,38㎡
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今回の巡礼の最後を飾るのに、どうしても見てみたかったのが霊性高き大山の奥深くに鎮座する巨大な権現造の大神山神社(おおがみやまじんじゃ)・奥宮。どのサイトを見ても、やはり物凄い神域感が漂っており、冬季の参拝は厳しいと思われるがここだけはなんとか実現したいと、昨日の夜も何度も関係観光案内所に問い合わせの電話をし、雪の状況と参拝道の状況を聞いてみる。



その結果、本日に予定していた大山への参拝だが、やはり昨日からの大雪の影響で神社までの山道もかなり凍結しており、除雪機が入ってはいるが危険であるに加え、駐車場から境内までの長い参道にはもちろん除雪など入る訳もなく、そこは人力で行ってもらうしかなく、いけないことは無いが腰までのの積雪なので、長靴などの雪山装備が必須とのこと。

今日中に天気が回復し、少しでも雪が溶け、明日の朝、レンタカーを返すまでの数時間に賭ける事にして、今日は市内でいけるところを廻ることにして、久々にホテルでの朝食をとり、昨晩見よう見まねでワイパーを縦にしておいた車は見事に数十センチの雪をかぶっており、ホテルが用意してある除雪用のブラシなどでフロントガラスに積もった雪などをかき、恐る恐る出発し向かう先は市内中心部から少し離れたところに位置する宮脇檀(みやわきまゆみ) 設計による和鋼博物館。

駐車場という案内板に誘われて入っていく駐車場はやたらと狭いのでは・・・と思いながらどこがエントランスか分からずに目の前の階段を上がっていくと、そこは美術館併設のレストランへの入口だったらしくもちろん閉まっている。

良くみると更に先に美術館の駐車場が大きく広がっており、再度車を移動させることに。広大な敷地に特徴的なファサードを持った建物に、これまた特徴的な形をした3つの屋根が飛び出している。

この美術館の名になっている「和鋼」とは「たたら製鉄法」という製法で作られた鉄のことらしく、この安来市(やすぎし)は鉄の積出港として栄えており、前進は日立製作所の工場付属の展示施設を市が譲り受けて正式につくることになったという美術館。

その美術館設計の指名コンペで宮脇檀が勝ち取って設計したというものである。鉄の美術館だけに、もちろんサッシュから、屋根、家具に至るまで鉄を使って設計されているという。

すっかり雪に埋もれた駐車場になんとも不思議なパターンが浮かび上がるのを面白がりながら建物にアプローチしていくが、どうやら今日は閉館日らしい。「事前の調査ではちゃんと開館日を調べて予定を立てていたはずだが・・・」と考えると、さきほど大神山神社・奥宮への参拝を明日にする為に、今日の予定と明日の予定を入れ替えたのを思い出し、それはしょうがないと暫く建物周囲を見渡してみることに。

さてこの設計を担当した建築家・宮脇檀(みやわきまゆみ)であるが、はじめその名前から女性建築家なのかと思っていたのを良く思い出す。大学在学中はむしろその作品と言うよりも、多く書かれたエッセイによって親しんだ建築家である。

ユーモアたっぷりのエッセイを多く残し、建築家が如何に多方面にわたって生活を楽しんでいるのかを良く教えたもらった様々な書籍。本人は1936年に名古屋で生まれ、その後東京芸大で建築を学び、大学院は東京大学に進学。その時に車で日本全国を2ヶ月駆けて回り、特に集落を見て回りそれが後にデザインサーベイへと繋がっていく。

作品としては、コンクリートの箱に木のフレームを組み合わせた「ボックスシリーズ」と呼ばれるものが有名であり、その中でも「松川ボックス」では日本建築学会賞作品賞を受賞している。住宅のディテールにも定評があり、「宮脇檀の住宅設計・・・」などと多くの設計におけるテクニックが書籍としてでている。

住宅単体に留まらず、住宅地として群の住宅の在り方にも多くの功績を残し、集合の在り方や、車と歩行者の共存の仕方、海外からクルドサックやボンエルフなどの考えを取り入れ、集合住宅の歴史の中で重要な位置を占める「コモンシティ星田」などを残している。

1966 もうびいでぃっく
1971 ブルーボックスハウス
1971 松川ボックス (日本建築学会 作品賞)
1991 コモンシティ星田ふれあいプラザ
1993 和鋼博物館

そんな宮脇の後期の作品といってよいこの美術館。

そんな宮脇檀の事務所出身の建築家と言えば、椎名英三や藤江和子があげられる。藤江和子といえば、数日前に見た槇文彦設計の島根県立出雲歴史博物館でも家具の設計を担当したデザイナーである。

恐らく内部をみれば、玄人好みの気の利いたディテールが多くみられることだと思うが、その分明日なんとか大山に上ってよい聖域を見られることを期待して次の目的地へと向かうことにする。






2014年2月2日日曜日

石見銀山(いわみぎんざん) 神屋寿禎 1526 ★★


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世界遺産(2007)
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金・銀・銅に石炭。何百万年も地中の中で眠り、特殊な鉱物となり現代の我々にエネルギーや希少性といった「価値」を与えてくれる様々な鉱山。

金山、銀山、銅山、鉱山。

ドラマでよく描かれる発展途上の日本の風景。鉱山開発の為に切り開かれる自然と集落。地元民の反対を押し切って進められる開発。そして劣悪な環境で蝕まれる鉱山夫の健康。突然の落盤によって失われる作業員の命。などなど。

旧世代の遺産として負のイメージを伴うのがこの鉱山。それでいながらも、迷宮の様に広がる地下通路。誰も踏み入れた事の無いその通路の先に、古代の財宝が眠っているかも・・・というロマンを併せ持つのもまた事実。

かつて熱狂した初期のファミコン・ソフトである「スペランカー」もまた、ヘルメットを被り、洞窟の奥深くへと秘宝の山を目指しながら下へ下へと進んでいくものであった。

そんな訳で、トロッコに乗り、狭い坑道の中を小さな灯りを頼りに進んでいくことはな現代社会では決して味わえないスリルとロマンを与えてくれる体験であるのは間違いない。かつて足を運んだ足尾銅山もまた、歴史の中で光と影を体験してきた日本の鉱山の歴史を見せてくれた。

そんな鉱山の中でも抜群の知名度を持つのがこの石見銀山。なんと言っても世界遺産に登録された鉱山である。面白いのは銀山として単独で登録されたのではなく、この地方全体に広がる史跡や遺跡と共に郡として登録されたものである。

それを理解するためにも歴史を紐解くと、まずは室町時代後期の1526年に当時、日本最大の貿易港であった博多の豪商・神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見され、開発が開始される。

当時は掘り出された銀は近くの港から博多へと船で送られたため、その港の鞆ケ浦には多くの家屋が建ち並び、繁栄した。その当時、この石見国を支配下に治めていたのは、戦国大名大内(おおうち)氏であり、博多を拠点として中国・朝鮮と貿易を行い力を蓄えた大名である。

金や銀などの貨幣価値を持つものが栄えるのはどの時代も同じであり、その金脈を自らの手中に収めようと近隣の大名も常にこの石見銀山を奪おうと機をうかがい続ける。

その流れを受け、1550年代には出雲地方を拠点とする戦国大名尼子(あまご)氏が石見銀山の実権を奪うことに成功する。しかしそれも長く続かず今度は南の安芸(あき)地方の大名毛利(もうり)氏が支配権を奪っていく。

毛利氏は銀山から西に位置する温泉津や沖泊に家臣を置き、周辺地域への支配を行った為に、銀山から中継地である西田の町を経由して温泉津(ゆのつ)・沖泊に至る街道が整備され大いに栄える事になる。

特に温泉津(ゆのつ)は温泉地であるとともに、日本海沿岸の船舶交通の寄港地としても有名な場所であった。16世紀後半には既に集落が存在し、17世紀初頭には宿泊施設・商業施設を含む繁華な町に発展した。

その後、毛利氏が戦国時代を制した豊臣秀吉の傘下に収まったことで、石見銀山の支配権は豊臣の手中に納まることになる。その安定した銀山経営が豊臣の天下統一に大きな力となっていく。

関が原の合戦を制した徳川家康がもちろんこの石見銀山の実権も奪う事になり、徳川幕府の安定した時代と共に、効率的な銀山運営が行われ、当時では世界でも有数の銀山として世界に知られるようになる。

そうして掘り尽くされた銀は無限である訳が無く、1620〜1640年代頃を最盛期として銀生産減少に向かう。その後18世紀、19世紀と徐々に坑道が閉鎖され、石見銀山は衰退の一途を辿ったが、その保存状態の良さから近年の世界遺産登録と相成ったわけである。

そんな訳で、坑道を歩けるもんだと勝手に想像して向かった石見銀山世界遺産センター。閉館ギリギリに到着したので、既に坑道へのツアーは終わってしまっていると言うので、残念ながら展示品を眺めて気分を盛り上げる。





伊奈西波岐神社(いなせはぎじんじゃ) 不詳 ★★

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所在地 島根県出雲市大社町鷺浦
主祭神 稲脊脛命、八千矛神
様式  大社造
社格  式内社、旧県社
創建  不詳
機能  寺社
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鰐淵寺から日御碕神社へ向かう為に日本海岸線をひたすら西に向かう。すれ違う車もほとんど無く、海岸線にそって時々急なカーブを描く道でスピードを落としながら先を進む。右手に広がる日本海から吹き付ける冷たい風を感じながらも、午後の出雲大社に十分な時間を取る為に気持ちがはやる。

海岸線沿いの道から少し内部に入る前に、ポッと出現したのはなんとも雰囲気のある漁村の風景。まさに頭の中に存在する日本の漁村のイメージそのものの雰囲気のある佇まい。港に繋がれる舟が風に揺れ、海鳥が水辺で羽を休める。

「これは停まるべきか・・・」と悩みながらも遅れ気味のスケジュールに背中を押され先を進む。そうすると港から左に折れる道の脇に、潮風にやられたいい感じの鳥居と、雰囲気のある境内。「これは少しだけでも写真を・・・」と思うが車はなかなか停まれない。

後ろ髪を引かれながらも先に進もうとするが、右手に見えるのはなんとも美しい川の流れ。透明な水が段々に勢いを増して海へと流れ込む。「これはダメだ」と車と停めて、狭い道なので後ろから車がいないのを確認し、バックで神社脇のスペースへと駐車する。

とりあえず港まで歩いて打ち寄せる波のリズムでタプンタプンと揺れる漁船を眺め、緩やかにカーブする港前の道にそって配置され統一された山陰地方らしい赤褐色の瓦で被われた集落の姿を写真におさめる。やはり漁村の美しさはコミュニティがある共通の目的を持ち、それに対して機能的に集落が配置される機能美と、余計な装飾が排除されある種の統一感を持つからだと改めて実感させてくれる。

今度は海に向けて建てられている鳥居を抜けて境内へ。ここでも大社造。調べてみると、この伊奈西波岐神社(いなせはぎじんじゃ)は出雲大社から山を越えた日本海側に位置し、出雲大社の境外摂社となる。一般には、「鷺社(さぎのやしろ)」と呼ばれているらしい。

境内も海に近いだけあって潮風の影響もあるのか、境内の石は潮風に長いこと晒され、凹凸の堀の深いなんともいえない表情になっている。木々の幹や枝も寒い風と潮風に晒され、硬い苔のようなもので覆われている。

この漁村は大社町鷺浦(さぎうら)と呼ばれ、耐久性に優れる地元産の石州瓦によって覆われた住宅が立ち並ぶ。その赤茶色の町並みがなんともいえない景色を作り出している。このいかにも漁村らしい町は半島の裏側に位置し、交通もなかなか発展しなかったために、これほど貴重な風景を現代に残しているのだという。


忙しい現代の旅。その中でも立ち止まらせる位の力をもつ風景。それがこれからもこの場所に残ることを願って先に進むことにする。