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2013年7月26日金曜日

金地院(こんちいん) 1394 ★★★


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所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町
宗派  臨済宗南禅寺派
寺格 南禅寺塔頭
創建  1394
開基  足利義持
機能  寺社
文化財 庭園
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すっかり寺社めぐりに満腹になってしまった妻が、家で待つ両親にお土産を買いたいということで、せっかくだから京都名物をと阿闍梨餅を買いに満月へと向かう。

自分一人だったらとてもじゃないが足を踏み入れられないなんとも京らしい品の良い店舗。いろいろ物色した挙句、やはり定番がいいんじゃないかということで阿闍梨餅のセットを購入して、少々機嫌がよくなった様子。

「気になるカフェがある」というので、言われたとおりに車を走らせると到着するのが虎屋京都店。内藤廣設計の白いカフェ。「ここでお茶してるから、好きなところを見て来なよ」と言う妻を残し参拝終了時間までの残り数時間を振る活用すべく再度左京区へと車を進ませる。

一昨日にギリギリのところで閉まってしまっていた知恩院(ちおんいん)。浄土宗の総本山であるからやはり是非境内を体験しておきたいと車を走らせるが、山門近くをぐるぐる回ってもどうも一般向けの駐車場が見当たらない。「おかしいな・・・」と思いよく見ると、小さな看板に、「この道先を左折したところにあるコインパーキングを利用してください」とのこと。後で調べると、平成31年まで御影堂の大修理を行っており、その影響で駐車場が十分に確保できないとのこと。

言われるままに道を進み、左折して小さなコインパーキングを見つけるが、ここから歩いたら山門までの往復で軽く30分はかかってしまうということで、非常に残念だが知恩院参拝は諦めることにする。

それにしてもこれほどの規模の寺院にも関わらず、車でしか来れない個人参拝者にここまで優しくないとは・・・と思いながら向かうのは、これまた一昨日にギリギリで入れなかった金地院(こんちいん)。何といっても目的はこれまた小堀遠州による作庭の庭園。

金地院(こんちいん)は臨済宗南禅寺派の大本山である南禅寺の塔頭の1つであり、必然的に南禅寺の駐車場に車を停める必要がある。そしてその駐車場代がなんとの1000円。地団駄を踏みながら脇の金地院の門へ。ここでも参拝料の400円を別途で払い、結婚式帰りなのか、羽織袴姿のカップルが写真撮影をしている脇を通り抜け境内へ。

徳川家康から格別の信頼を受けていた江戸時代の臨済宗の僧・以心崇伝(いしんすうでん)によって1605年この地へ移された金地院。家康隠居後の駿府城内にも1610年に駿府金地院が置かれ、1619年には江戸城北ノ丸付近に江戸金地院が開かれ、「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝の活動拠点とされたという。

家康との縁の深さから境内には崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って1628年に造営された東照宮が建っている。徐々に下がってくる太陽の西日が眩しくてという訳ではないが、進む道が分からずにいると、庭師の方が右の置くから庭園へと進めますよと教えてくれる。

苔のカーペットに敷かれた石畳の上を暫く歩いていくと、如何に広大な敷地を持った寺院かが理解できる。そうしてパッと視界が開けて見えてくるのは左手の方丈とその前の庭園。この方丈庭園こそが、徳川家光が上洛した際に見てもらおうと、崇伝が小堀遠州に依頼し、5年の歳月を費やして作庭した鶴亀の庭。

贅沢に奥行きをとった敷地のほとんどが白砂によって覆われ大海原を表現し、その奥に鶴島、亀島の石組みが組まれている。左の亀島の松は葉が無く、海にもぐる亀を表し、右の鶴島の松は見事に繁った葉をもち、飛び立つ鶴を表現する。

そしてその鶴島と亀島の間には、仙人が住む蓬莱山を表した石組みが配され、仏教の理想世界を描き出す。その規模と世界観は江戸初期の代表的枯山水庭園と呼ぶのに相応しい雰囲気を醸し出している。

南禅寺ほど有名な観光スポットでないからか、境内にはほとんど観光客の姿は見れないが、唯一広い方丈の片すみでガイドの人から説明を受ける浴衣を着た女性二人の姿を見つける。遠州の庭の前で現代の艶やかな浴衣姿。なんとも美しい組み合わせだと思いながらその脇を通り抜けもう一つの見所である八窓席を探す。

この八窓席(はっそうせき)もやはり小堀遠州の設計であり、大徳寺孤篷庵、曼殊院の茶室と共に京都三名席の1つに数えられる。できることなら中に入ってその空間を体験したいものだと思いながら、やはり感想を言い合える相手が居ない参拝は自由ではあるが、何か物足りないなとそろそろ妻の待つ虎屋へ向けて帰ることにする。
















2013年7月24日水曜日

南禅寺(なんぜんじ) 1291 ★★★


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所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町
山号  瑞龍山
宗派  臨済宗南禅寺派
寺格  大本山、京都五山および鎌倉五山の別格上位
創建  1291
開基  亀山法皇
機能  寺社
文化財 方丈(国宝)
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百寺巡礼
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東福寺から南禅寺へ向かうタクシーの中。運転手さんと話していると京都の「上ル(あがる)」、「下ル(さがる)」に「右京」と「左京」についてあれこれ教えてくれる。

これらはグリッドが世界中に均質に引かれているユニバーサル・スペースではなくて、ある基点を中心に「場」が広がるように展開する不均質な東洋の空間の考え方で、つまりは「天子は南面す」と言われるように「君主が南を向いて政治を執る」という当時の中国の慣わしに従って、南を向いて座られる天皇を基準にして場所が確定されることによるという。

南に向かって座る天皇から見て、右に見えるのは西の右京。逆に左に見えるのが東の左京。これと同じように、天皇に近づく方向、つまり北に向かってに移動するのが上ル(あがる)であって、逆に天皇から遠ざかる方向、つまり南に向かって移動するのが下ル(さがる)。

南禅寺近くの角を曲がると、ここは関西電力の蹴上水力発電所の遺構が残っており、チラッと1891年完成という赤レンガ造りの雰囲気のある建物が見えるのを教えてくれる。

それらに「ほうほう」と聞き入っているうちにあっという間に南禅寺境内へ。「すぐそこが三門だから」という言葉通りに、タクシーから降りたら左右を溢れ出るのではと思うほどの緑に色づいた様々な木々の先に見えるのはまさに巨大な三門。

この南禅寺(なんぜんじ)。言わずと知れた臨済宗南禅寺派の大本山。日本最初の勅願禅寺、つまり天皇の要請によって建立された禅寺で、当然の様にその位も日本の全ての禅寺のなかで最も高く、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いとされている。1325年にはかの夢窓疎石もこの南禅寺に住したとされる由緒ある寺院。

高校の卒業旅行で来たことがあるという妻はしきりに「なつかしいわー」と嬉しそう。遠近法を無視するようなその巨大さに目を取られてしまうが、そこまで伸びる参道は微妙に勾配がついている坂道。更に三門手前の階段は、近づいてみると良く分かるが一段一段が膝高程ある急勾配。恐らく通常の身体スケールの階段を使うことで出てしまう奥行きを避けたことと、できるだけ少ない段数でこの三門の持つ巨大なスケールを表現したいいという思いの表れだと想像する。

一日歩き続けてきた後でのこの階段はなかなかきつかったが、西日を浴びながら光るその三門を見上げるのはなかなか素晴らしい光景。階段の上に立つとすでに三門全体を視界に納めることはできずに、部分として見ることになる。

この三門の上からの眺めは、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな・・・」という名科白を残したことでも有名で、それが歌舞伎の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』っとして演じられることになるのだが、時間を考えるとこの上に上っていたら奥の方丈は閉まってしまうし、方丈に行ったらこの上には上れないという選択を迫られる。

妻に聞くと「前登ったことあるからいいよ」というので、迷わず奥の方丈へ。ちなみにこの三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、京都・知恩院(浄土宗)、山梨・久遠寺(日蓮宗)の三門と共に日本三大門の一つに数えられているという。同じく京都・知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、「京都三大門」の一つとして数えられているという。

現在の三門は1628年に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものといい、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さが特徴的という。門の敷居となる石に腰掛け、景色を見入る老人の姿に、その圧倒的なスケール感を感じながら奥へと進む。

法堂の脇を抜けて行き着くところで待つのが国宝である方丈。大方丈と小方丈のふたつからなり、方丈前の枯山水庭園は江戸時代の小堀遠州作の枯山水庭園とされ、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。

薄い築地塀に5本の白い線が引かれ、その前に広く取られた白砂の中に壁に沿うように配置された石組。その余白の広さが特徴的。小方丈の庭園は「如心庭」と呼ばれ、「心」字形に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心の如く、落ち着いた雰囲気の禅庭園。

他にも大・小の方丈を巡るところどころに設けられた庭園はそれぞれ趣が変えられて場所場所に心地よいアクセントをつけている。先ほどの東福寺同様にここもまた時代を超えた最高級の禅庭園を味わえる場所であろう。

方丈を後にし、南禅寺のもう一つの名勝である水路閣へと足を向ける。これは明治時代に近代化を目指した日本の情勢の中で、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である赤煉瓦のアーチの建造物。一般的には疏水と呼ばれる。この引かれた水が、タクシーからチラッと見えた蹴上に発電所に届けられ、高低差を利用して発電が行われたという。

ちなみに現在は上水道の水源として利用されているらしく、脇の坂道を上っていくと山の奥から流れてくる水が見られるようになっている。水路は幅1mほど、深さも同じくらいありそうで、小さな魚の姿もチラホラ見られる。

京都を代表する古刹に明治を代表させるようなモダン建築のちょっと不思議な組み合わせによる風景から、様々なところでも取り上げられるこの水路閣。先ほどの水力発電所同様に、このモダン建築もまた1000年を超える都に取り込まれ、違和感のない風景として成立しているのが面白い。

折角南禅寺まで足を運んだのだからと、まだ開いている可能性にかけて駆け足で向かうのは南禅寺の塔頭のひとつである金地院。こちらの庭も小堀遠州の作庭で「鶴亀の庭」と呼ばれる名園。「今日は予定に入れてなかったがひょっとして・・・」と欲張ったが、門に着いたときには係りの人がちょうど門を閉めるところ。「あ、どうぞどうぞ」ということもなく、あっさりと閉められてしまい、決して観光客には媚びない京都の厳しさを感じ、また後日来ることにするかと踵を返す。






























2013年7月16日火曜日

徳林院(とくりんいん) 1482 ★

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所在地  岐阜県多治見市虎渓山町
山号 虎渓山
宗派  臨済宗南禅寺派
創建   1482
機能   寺社
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続芳院と同じく、こちらも永保寺の塔頭の一つである徳林院(とくりんいん)。

何気ない佇まいだがせっかくだからと入り口まで一人覗きに行くと、中に見えるのがなかなかの枯山水。これは見ずに帰るわけには行かないと、本堂に参拝し庭を観覧。

程の良い広さで、とても落ち着いた雰囲気で、枯山水が本当の水面に見えてくるような錯覚を感じられる空間。