2014年11月29日土曜日

「インターステラー」 クリストファー・ノーラン 2014 ★★★★★


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スタッフ
監督 クリストファー・ノーラン

キャスト
クーパー : マシュー・マコノヒー
アメリア・ブランド : アン・ハサウェイ
ロミリー : デヴィッド・ジャーシー
ドイル : ウェス・ベントリー
マン博士 : マット・デイモン
マーフィー(マーフ) : ジェシカ・チャステイン
マーフ(幼少期) : マッケンジー・フォイ
ブランド教授 : イケル・ケイン
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SF映画を見ることの楽しさに、最先端の科学の裏づけと、小説家や映像作家の想像力で創り出された、まったく現在の社会では考えられない世界の可能性を感じること、そして最新のCG技術によってそれをビジュアル化した姿を観ることがある。

もちろん、毎年毎年びっくりするようなまったく新しい世界観や映像を見ることは出来ないが、それでも数年に一度でも、そんな圧倒的な想像力とリアリティ、そして映像美を兼ね備えた作品で出会うことが出来れば、しばらく幸せに過ごせることができるというものである。

この「インターステラー」 は間違いなくそのレベルに達している作品であり、企画のかなり早い段階から物理における権威の科学者が参加し、理論的なバックアップを与え、なおかつその理論を現在のCG技術においてできるだけ忠実にビジュアル化していったのが良く伝わってくる。

ブラックホールやワームホールといった、人類がまだ経験したことのない世界がどのように見えるのか、そして知ることのできないその先の世界がどのようなものになっているのか、我々の理解を超えた空間がこの世界にはまだまだ残されているというフロンティアを見せてくれる。

砂嵐が吹き荒れ、粉塵で外部はとてもじゃないが人が住まうことのできる環境ではなく、風景から人の姿が消え、人々は密閉された室内空間にだけひっそりと住まう。そしてこの環境に住めなくなると知った人類は、自分たちが破壊したこの星を捨てて、外部に新たなる家を目指す。

そんな冒頭の描写は、毎朝PM2.5の予報を調べ、大気汚染に対し完全防備のマスクを装着して、スポーツやランニングなど外部空間での活動はほとんど不可能となっている現在の中国の都市の姿を思わせる。外部に停めた車のフロントガラスは、あっという間に厚い粉塵の層で覆われ、幾らマスクをしても頭痛と咳に苛まる。

そんな中でもまったく意に介さぬように、マスクを装着しない多くの地元民の姿は、海外のメディアは決して報道することなく、自国での報道に分かりやすいどんよりとした空のしたでマスクをして逃げるように街を行き交う人々の姿と、その対策を求めるインタビューの声。本来的に焦点を当てられるべきは、その他大勢のマスクをせず、問題の深刻さに目を向けないマジョリティの姿であるはずであるのにも関わらず。

そんな姿を毎日見続ければ、人類が力を合わせて問題の改善に着手するよりも、行き着くところま
環境を破壊し、そして使い捨てのように、新たなる住むために快適な場所を探しに動き出すのだろうかと、より一層どんよりとした思いを胸に抱えることになる。











2014年11月8日土曜日

ライフログという糸

人の一生という時間の流れの中には、様々な線が分岐している。
比較的近いDNAを持っている家族であろうとも、過ごした時間の中で経験した出来事と、
その受け取り方で微妙にだが人生の線に様々な分岐点を作り、
それぞれが自分の線を作っていく。

時間を共にした友人
考え方に影響を受けた人々
感動を受けた絵画
涙を流した映画
日が沈んだ後の海の音
頬をなでる風の心地よさ
何度も読み返した本

今の自分は10年前の自分と比べても、
恐らく同じ体験をしてもまったく異なる反応を見せるに違いない。
それはその間に過ごした時間が自分に幾多もの分岐点を与え、
当時の自分からは遥か遠くの場所に立たせているからである。

毎日の日常の中で感じる様々な悩み、喜び、悲しみ。
そんな心の揺らぎも小さな小さな分岐を自分の中に作り出し、
止まることの無い時間と同様に、自らの一生の線もくねくねと前へと進む。

自分ですら気がつかないような繊細な分岐の繰り返しによって、
明らかに物事の選択に変化が起きるが、それらの原因となる分岐については、
複雑に絡みあった体験と心情によってもたらされるものであり、
それを家族といえども他の人が100%理解することはどう考えても無理である。

しかし少なくともその変化は体験した出来事やその時々の反応を共有することによって、
少なくとも分岐後の軌跡を目撃し、理解することは出来る。
だからこそ、幼少期から家を出るまでの時間を共有した兄弟よりも、
結婚を経てその後の時間を共有する夫婦のほうが、
ある一点を越えた時点でより心理面での理解が深まるのは当然のことであろう。

移動がより活発化し、情報を選ぶ時代に入った現代においては、
同じ家の中にすんでいても、その日常のなかで過ごす時間の質はまったく異なってしまう。
ましてや、世界中に住まう可能性がある現代においては、
出身地や国籍よりも、どんな日常を過ごしているかがよりその人の人格を形成してしまう。

そんな頼りどころの揺らぎ始めた現代において、
せめて自らは、現在の自分の行動の根拠を少なくとも把握する為に、
自分の過ごしてきた人生の跡に残されたささやかな一本の糸を手繰り寄せるように、
うっすらと見える細い糸を途切れさせること無く、
選択と同時に捨て置いてきた数多の可能性の中の分岐を繰り返す自分の線を見つけていく。
その為に、日常の中で、その時の自分が何を見て、何を感じ、どう取り込んだのか。
その小さな小さな時間を身体と脳の外に置いておくことが、
山の中で道に迷わぬように、分岐点に置かれた印の様なものになる。
それがライフログ。

茂木健一郎がいうような些細なクオリアが自らの脳内でどう発生したのか。
どんな場面で見た、どんな空間が、自分の中にどんな影を落としたのか。

「軽さ」

という言葉を聞いたときに自らの脳内でどんな体験や本、空間や建築が思いおこされるのか。
その根拠となる体験と心の動きをアーカイブとして残していくこと。
自らの脳内シナプスが、どんな風に結合してより複雑性を増していったのか、
その結果見えるようになった新しい風景がどんなものだったのか、
それを少しでも自らに明らかにする為に記するのがこのブログ。

しかしどんなに頑張っても、複雑な脳内現象を言語という非常に限られたメディアを使用して100%書き留められるはずも無く、また時間のスケールを異にする脳内現象をタイピングとしてデジタル化する時間の不整合の問題も横たわる。同時に誰でもアクセスできる場所に日常の過ごし方が晒されることもまた様々な問題を引き起こす。

そんな訳で暫く今後のデジタルライフの行く末と、日々体内の蓄積する様々な体験と感情との付き合い方に思いを馳せていたが、やはり従来的なアナログ方式で、一つ一つ経験と向き合い、時間を費やし、手を使って言葉へと変換することに変わる良案が見つからず、再度こうしてブログを綴ることにする。

2014年11月4日火曜日

ヘルシンキ・グッゲンハイム美術館コンペ Guggenheim Helsinki Shortlist

2014年、世界中の建築関係者が最も注目するコンペと言えば、北欧のヘルシンキに計画されるグッゲンハイム美術館の設計コンペ。

ビルバオを始めとし、世界中で美術館のフランチャイズ化を進め、都市の在り方に大きなインパクトを与えようとするグッゲンハイムのグローバル戦略。かつて在籍したザハ・ハディド事務所でも、台湾の台中市にて同じくグッゲンハイム美術館の計画が進んでいてそのチームとして設計を担当していたのを思いだすが、今回はグッゲンハイムとして初めての試みで、世界中からオープンに案を募集するという。

そのコンペ発表のイベントが今年のベニス・ビエンナーレ期間中に、ベニスにあるグッゲンハイム美術館で行われ、世界中からビエンナーレに来ていた多くの建築家で盛り上がりを見せていたが、コンペ開始の号令から早5ヶ月。ついに一時審査を通過し、二次審査へと進むショートリストとされる6案が発表された。


そして何より衝撃的なのは、77カ国から計1715案という応募案が全て公表されたこと。


我々も参加しようかと検討したが、どうしても進行しているプロジェクトが忙しく残念ながら応募することは出来なかったが、ショートリストに選ばれた作品を見てみると、やはり北欧らしさを感じさせるプロジェクトが選ばれているようである。

プロモーションとしては十分な成果をあげたと思われるこの一次審査。ここからは様々な駆け引きが行われることだろうが、ぜひともヘルシンキの新しい目的地となる建築の可能性を感じられる美術館が選ばれるのを期待したい。