休みが近づくと、今度はどこに行こうかとこまめに追加しておいたマップを開くことになる。東京近郊で日帰りでいけるとしたらここらへんか・・・と栃木、茨城、千葉、神奈川などを物色するが、なかなかピンとくるところがなく、ならばと今度は都内からと三多摩地域と23区別に分けられたマップを隣接する区とともに開きながら見ていく。
マップ上には、建築関係の雑誌に掲載されたものや、ブログに載っていた建物、そのほかに百寺や名刹としられる寺社仏閣や、百名園、百名城などの名勝、公園や花の名所、歴史的な建物を持つ大学や地域施設など、本やテレビ、ネットで目に留まるごとに足していったものがごった煮になっている。
それぞれにアイコン分けされているマップを自分なりに歩きながら、このあたりにいったら幾つ廻る事ができるだろうかと想像を巡らすのはとても楽しい時間であるが、それと同時に区によってそこにつけられているアイコンの数に圧倒的な差があることが見えてくる。
例えば港区や渋谷区。都内でも有数の賑わいを持つ街を持つこともあるが、圧倒的な商業的価値を反映し、ファッション関係の建築の数も多ければ、文化施設の数もそれに比例するかのようにかなりの数にのぼる。それを追うのが新宿、千代田、中央。交通の要所ということもあり、再開発がある周期ごとに訪れるために見るべき建物もかなりの数に上るとともに、歴史的にも重要な場所が幾つも点在する。そこから徐々に差がはっきりしてきて、住宅地と呼ばれる地域ではそれでも地域の各となる神社や寺社が残っているのか、それとも新興住宅地として新たに作られたところなのかがうっすらと透けて見えてくる。台東、江東などのかつての江戸を思わせる東地域には、やはり歴史を感じさせる様々な場所が点在しているが、その外側に位置する足立、墨田、練馬、荒川、北、板橋、葛飾では明らかにアイコンの数が少なくなる。
新しい建築というかなりの額の投資が必要とされる建築の数。文化の発信地となるコンサートホールや美術館の数。地域の核となる寺社仏閣。地縁の元となる数々の名所。大学進学で東京に出てきても、新しい若者が住み着く大学の数。
それらがある限られた範囲の中で一極集中していくのは資本主義の世界においては避けられないことであるのだろう。住まう場所と、働く場所、訪れる場所が住み分けられるのは当然のことであるのだろうが、それでもある種の違和感を感じずにいられない。
恐らくこのようなネットで安易に見つかるような全国レベルの名所検索では引っかからない、もっと地元に密着した、いくつものレイヤーの奥に潜む、その場所の魅力。賑わいのある商店街。住宅街の中にある桜の綺麗な地域公園。お年寄りがあつまるマーケットなど、現在のインターネットの世界においては、ある人々にとっては不可視となってしまうそんな魅力。だからこそ、様々なテレビ番組や新聞の特集でも、そんな魅力にスポットライトを当てる街歩きの番組がこれほど支持を受けている背景でもあるのだろう。
アイコンの間を想像の中で歩きながら、こんなことを考えつつ、今度はアイコンの少ない街で如何にネットで見つけることのできなかった美しい風景を見つけることができるか、その場所にしかない何かを感じることができるか、そういうことがネットの次に繋がるのだろうと改めて感じることとなる。