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2017年1月15日日曜日

23区アイコン格差

休みが近づくと、今度はどこに行こうかとこまめに追加しておいたマップを開くことになる。東京近郊で日帰りでいけるとしたらここらへんか・・・と栃木、茨城、千葉、神奈川などを物色するが、なかなかピンとくるところがなく、ならばと今度は都内からと三多摩地域と23区別に分けられたマップを隣接する区とともに開きながら見ていく。

マップ上には、建築関係の雑誌に掲載されたものや、ブログに載っていた建物、そのほかに百寺や名刹としられる寺社仏閣や、百名園、百名城などの名勝、公園や花の名所、歴史的な建物を持つ大学や地域施設など、本やテレビ、ネットで目に留まるごとに足していったものがごった煮になっている。

それぞれにアイコン分けされているマップを自分なりに歩きながら、このあたりにいったら幾つ廻る事ができるだろうかと想像を巡らすのはとても楽しい時間であるが、それと同時に区によってそこにつけられているアイコンの数に圧倒的な差があることが見えてくる。

例えば港区や渋谷区。都内でも有数の賑わいを持つ街を持つこともあるが、圧倒的な商業的価値を反映し、ファッション関係の建築の数も多ければ、文化施設の数もそれに比例するかのようにかなりの数にのぼる。それを追うのが新宿、千代田、中央。交通の要所ということもあり、再開発がある周期ごとに訪れるために見るべき建物もかなりの数に上るとともに、歴史的にも重要な場所が幾つも点在する。そこから徐々に差がはっきりしてきて、住宅地と呼ばれる地域ではそれでも地域の各となる神社や寺社が残っているのか、それとも新興住宅地として新たに作られたところなのかがうっすらと透けて見えてくる。台東、江東などのかつての江戸を思わせる東地域には、やはり歴史を感じさせる様々な場所が点在しているが、その外側に位置する足立、墨田、練馬、荒川、北、板橋、葛飾では明らかにアイコンの数が少なくなる。

新しい建築というかなりの額の投資が必要とされる建築の数。文化の発信地となるコンサートホールや美術館の数。地域の核となる寺社仏閣。地縁の元となる数々の名所。大学進学で東京に出てきても、新しい若者が住み着く大学の数。

それらがある限られた範囲の中で一極集中していくのは資本主義の世界においては避けられないことであるのだろう。住まう場所と、働く場所、訪れる場所が住み分けられるのは当然のことであるのだろうが、それでもある種の違和感を感じずにいられない。

恐らくこのようなネットで安易に見つかるような全国レベルの名所検索では引っかからない、もっと地元に密着した、いくつものレイヤーの奥に潜む、その場所の魅力。賑わいのある商店街。住宅街の中にある桜の綺麗な地域公園。お年寄りがあつまるマーケットなど、現在のインターネットの世界においては、ある人々にとっては不可視となってしまうそんな魅力。だからこそ、様々なテレビ番組や新聞の特集でも、そんな魅力にスポットライトを当てる街歩きの番組がこれほど支持を受けている背景でもあるのだろう。

アイコンの間を想像の中で歩きながら、こんなことを考えつつ、今度はアイコンの少ない街で如何にネットで見つけることのできなかった美しい風景を見つけることができるか、その場所にしかない何かを感じることができるか、そういうことがネットの次に繋がるのだろうと改めて感じることとなる。

2013年7月16日火曜日

宗祇水(そうぎすい) ★★★★



街の真ん中に位置し、美しい水の街・郡上八幡を象徴するような名勝。
環境省の選定する水の郷百選の第一号に選ばれたというのも納得の名水スポット。


飛騨山脈で長い年月をかけて濾過され、栄養分をふんだんに溜め込んだ湧き水が川となり流れ込む合流地に位置する郡上八幡。長い歴史の中でその水を使って独特の都市空間を作り出してきた。

江戸時代に起きたという大火事の教訓を生かし、街中に防火用水として、また灌漑用水として張り巡らされたという用水路は、「水のある風景」として特徴的な街並みを作っている。

これらの用水路は特殊な方式によって各家庭にも引き込まれ、使用後は用水に戻され水田などで使われ浄化したのちに、再度川に戻る循環システムとなっているという。

その恵まれた水を利用するために生み出された「水舟」(みずふね)というシステムは、湧水を街中に引き込み、各コミュニティごとで管理をし、3段の段丘上になった水場を作り、上段から飲み水、中段は野菜や果物を洗ったり冷やしたりし、最下段は洗い物に使用するという。更にその先に川魚を泳がせた池を設け残飯などを食べさせ、水を綺麗にし川に戻しているという。しかもこのシステムは400年以上前に生まれ、場所によっては今も使われているという。


美しい水だけではダメで、それとどう生きるか?その場の地形を生かし、どうやって水のある風景を作り、自然の一部と成りうるか?その素晴らしい成功例を見せてくれている。

ちなみに宗祇水とは白雲水(はくうんすい)とも言われ、その名の由来は、連歌の宗匠として知られた飯尾宗祇がかつてこの泉のほとりに草庵を結んで、この清水を愛用したところから名付けられたという。

そうぎすい、そうぎすい・・・

川のせせらぎのような何とも心地いい響きだと、ブツブツ言いながら車に戻ることにする。